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「わたくし、アクス侯爵家長女エレオノーラは、ベッケル子爵三男ヴィルバルト様との婚約の破棄をここに宣言いたします」
静かな声でわたくしがそう言い放つと、それを耳にしたヴィルバルト様が驚いた顔をした。
こちらとしたら彼が驚くことに驚きたくなる。これだけ好き放題しておいて、婚約破棄される可能性を考えないでいられるその自信は、一体どこからくるのやら。
彼に対する想いはもう微塵も残っていない。今ではむしろ、あんな人を好きだった自分を恥じるばかりだ。
もう面倒だし、嫌なことは早く終わらせたい。わたくしは今後の手続きや流れについて、淡々と説明していくことにする。
「わたくしたちの婚約は、両家の当主同士が正式な契約書を交わして成ったものです。なので、近々わたくしの父よりベッケル子爵様へ正式な書類が送られますので、詳しくはそちらの書面をご確認下さい。慰謝料や違約金についても、その書類を読んで下さい。わたくしからは以上です。そちらからこの場で、なにか質問等ございますか?」
わたくしの言葉を聞いたヴィルバルト様が、まるで頭の良くない幼子を見るような目をこちらに向けてきた。
「まったく、なにをバカなことを言ってるんだい、エレオノーラ」
わたくしの眉がピクリと動く。
「…………バカな、とは?」
「婚約破棄なんてできるはずがないだろう? 君が言った通り、私たちの婚約は家同士が決めたものだ。君の一存でどうにかなるものでもないだろう」
「それがどうにでもなりますの。なぜならこの婚約、そもそもわたくしがお父様にお願いしたことがキッカケで成立したんですから。そのわたくしが破棄を望んでいるのだから、お父様は了承して下さいますわ」
それを聞いたヴィルバルト様は、今度は呆れたような失望したような、そんな失礼な表情をわざとらしく作ってみせた。額に手を置き、首を横に振りながらため息をつくという、なんとも芝居がかったその態度に苛立ったものの、取り合えず黙って話を聞くことにする。
「侯爵は本当に君を甘やかしてきたんだな。箱入りだとは思っていたけれど、あまりにも物を知らなさすぎる」
「なにがおっしゃりたいの?」
「君の父上は優秀なわたしを手に入れるために、婚約という手段を取っただけなんだよ。君のお願いなんて関係ないんだ」
「あら、そうだったんですの? ではお聞きしますが、あなたの優秀さとは、一体どこを指していらっしゃるのかしら?」
わたくしは一枚の紙を取り出すと、それをヴィルバルト様の前に置いた。その紙を目にしたヴィルバルト様が、途端にバツの悪い顔をする。
「こ、これは……」
「それは一学年から二学年前期までのあなたの成績表です。確かに学園入学直後は優秀ですわね。でも、成績は落ちていくばかり。今ではほら、学年でもお尻から数えた方が早いくらいの成績ですわよ? これって本当に優秀と言えるんですの?」
「これは……その……ここしばらく勉強に身が入らなかっただけだ。本気を出せばすぐに上位成績者に戻れる!」
苦し紛れにそんなことを言っているが、世の中そう甘くないことは誰だって知っている。
この学園に在籍しているのは、貴族子弟と平民の中でも特に成績の優秀な者だけだ。家を継げない嫡子以外の子息子女たちは、より良い就職先を求めて皆死に物狂いで励んでいる。一時でも手を抜いた者が、毎日の努力を欠かさない者を追い抜いて巻き返しを図るなど、そう簡単にできることではないのだ。
しかも、ヴィルバルト様の成績低下は、キャリリン嬢との交際で頭が沸いたことも原因の一つだろうが、一番の原因は精神の弛みにある。そこまで頑張らなくとも、いずれはアクス侯爵家に婿入りできるという慢心。そういった気の弛みは立て直しが最も難しい。
「もし本当にお父様があなたを望んでいたとしても、その成績を見たら考えを変えるでしょうね」
「……うっ」
「ちょっとー、意地悪言わないでよ! 成績なんてね、良い時もあれば悪い時もあるのよ! 悪い時だけ見て責めるなんて、本当に性格が悪いわ。そんなだからバルトに愛されなかったのよ」
「っ!」
憎々し気に言い放ったキャリリン嬢の言葉に、わたくしの心が激しく軋んだ。
今はもうヴィルバルト様をなんとも思っていない。けれど、長い間本当に好きで、心から慕っていたのにも関わらず、結局は振り向いてもらえずに浮気されたの心の痛みは、今も胸の中に残っている。
幼い頃から彼を想い続けたわたくし初恋は、とても残酷な形で終わりを遂げた。そのことが悲しくて、わたくしの心が痛みのあまり今も悲鳴を上げ続けている。
恋する気持ちが失われたからと言って、心に負った傷がなくなるわけではない。
わたくしが顔を白くして黙り込むと、ラファリック殿下が震える指先をそっと握ってくれた。
とても温かくてホッとする。
「大丈夫か」
「……はい」
ハインツ殿下がキャリリン嬢の前に一枚の紙を滑らせた。
「随分偉そうなことを言っているが、お前の成績も入学時から見るとかなり下がっているぞ。このままでは明日にでも退学になりかねんな。特別奨学生とは思えない酷い成績だ」
「なっ?!」
一瞬焦った顔を見せたキャリリン嬢だったが、なにかを思いついたらしく、少し悪い顔で嗤った。
「ふんっ、退学になってもいいわよ。妊娠しているんだもの、どうせ家をもらったら、早々に辞めるつもりだったしね。あたしは学園を辞めてバルトの愛人になっていい暮らしをするんだから、なにも問題ないわ!」
まったく、特別奨学生の審査を行ったのは誰なのかしら。こんな愚かな思考の人間に民からの血税を使うなんて……。
先ほどまでの話を聞いていたなら分かる筈。ヴィルバルト様はわたくしから婚約破棄される。当然、侯爵にはなれず、三男だから子爵家も継げない。慰謝料や違約金の支払いもある。キャリリン嬢を囲う金などあるはずがない。
それをハインツ殿下から聞かされたキャリリン嬢が、大きく目を見開いた。
「ええ?!」
すごい目つきでヴィルバルト様を睨みつける。
「ちょっと、バルトったらどういうこと?! 殿下が言ったことは本当なの?!」
「キ、キャル、ちょっと落ち着いてっ」
「落ち着けるワケないでしょう! 囲えないの? お金ないの? どうするよのぉぉっ、キーッ!!」
二人はわたくしたちの前で、いきなり喧嘩を始めてしまった。
静かな声でわたくしがそう言い放つと、それを耳にしたヴィルバルト様が驚いた顔をした。
こちらとしたら彼が驚くことに驚きたくなる。これだけ好き放題しておいて、婚約破棄される可能性を考えないでいられるその自信は、一体どこからくるのやら。
彼に対する想いはもう微塵も残っていない。今ではむしろ、あんな人を好きだった自分を恥じるばかりだ。
もう面倒だし、嫌なことは早く終わらせたい。わたくしは今後の手続きや流れについて、淡々と説明していくことにする。
「わたくしたちの婚約は、両家の当主同士が正式な契約書を交わして成ったものです。なので、近々わたくしの父よりベッケル子爵様へ正式な書類が送られますので、詳しくはそちらの書面をご確認下さい。慰謝料や違約金についても、その書類を読んで下さい。わたくしからは以上です。そちらからこの場で、なにか質問等ございますか?」
わたくしの言葉を聞いたヴィルバルト様が、まるで頭の良くない幼子を見るような目をこちらに向けてきた。
「まったく、なにをバカなことを言ってるんだい、エレオノーラ」
わたくしの眉がピクリと動く。
「…………バカな、とは?」
「婚約破棄なんてできるはずがないだろう? 君が言った通り、私たちの婚約は家同士が決めたものだ。君の一存でどうにかなるものでもないだろう」
「それがどうにでもなりますの。なぜならこの婚約、そもそもわたくしがお父様にお願いしたことがキッカケで成立したんですから。そのわたくしが破棄を望んでいるのだから、お父様は了承して下さいますわ」
それを聞いたヴィルバルト様は、今度は呆れたような失望したような、そんな失礼な表情をわざとらしく作ってみせた。額に手を置き、首を横に振りながらため息をつくという、なんとも芝居がかったその態度に苛立ったものの、取り合えず黙って話を聞くことにする。
「侯爵は本当に君を甘やかしてきたんだな。箱入りだとは思っていたけれど、あまりにも物を知らなさすぎる」
「なにがおっしゃりたいの?」
「君の父上は優秀なわたしを手に入れるために、婚約という手段を取っただけなんだよ。君のお願いなんて関係ないんだ」
「あら、そうだったんですの? ではお聞きしますが、あなたの優秀さとは、一体どこを指していらっしゃるのかしら?」
わたくしは一枚の紙を取り出すと、それをヴィルバルト様の前に置いた。その紙を目にしたヴィルバルト様が、途端にバツの悪い顔をする。
「こ、これは……」
「それは一学年から二学年前期までのあなたの成績表です。確かに学園入学直後は優秀ですわね。でも、成績は落ちていくばかり。今ではほら、学年でもお尻から数えた方が早いくらいの成績ですわよ? これって本当に優秀と言えるんですの?」
「これは……その……ここしばらく勉強に身が入らなかっただけだ。本気を出せばすぐに上位成績者に戻れる!」
苦し紛れにそんなことを言っているが、世の中そう甘くないことは誰だって知っている。
この学園に在籍しているのは、貴族子弟と平民の中でも特に成績の優秀な者だけだ。家を継げない嫡子以外の子息子女たちは、より良い就職先を求めて皆死に物狂いで励んでいる。一時でも手を抜いた者が、毎日の努力を欠かさない者を追い抜いて巻き返しを図るなど、そう簡単にできることではないのだ。
しかも、ヴィルバルト様の成績低下は、キャリリン嬢との交際で頭が沸いたことも原因の一つだろうが、一番の原因は精神の弛みにある。そこまで頑張らなくとも、いずれはアクス侯爵家に婿入りできるという慢心。そういった気の弛みは立て直しが最も難しい。
「もし本当にお父様があなたを望んでいたとしても、その成績を見たら考えを変えるでしょうね」
「……うっ」
「ちょっとー、意地悪言わないでよ! 成績なんてね、良い時もあれば悪い時もあるのよ! 悪い時だけ見て責めるなんて、本当に性格が悪いわ。そんなだからバルトに愛されなかったのよ」
「っ!」
憎々し気に言い放ったキャリリン嬢の言葉に、わたくしの心が激しく軋んだ。
今はもうヴィルバルト様をなんとも思っていない。けれど、長い間本当に好きで、心から慕っていたのにも関わらず、結局は振り向いてもらえずに浮気されたの心の痛みは、今も胸の中に残っている。
幼い頃から彼を想い続けたわたくし初恋は、とても残酷な形で終わりを遂げた。そのことが悲しくて、わたくしの心が痛みのあまり今も悲鳴を上げ続けている。
恋する気持ちが失われたからと言って、心に負った傷がなくなるわけではない。
わたくしが顔を白くして黙り込むと、ラファリック殿下が震える指先をそっと握ってくれた。
とても温かくてホッとする。
「大丈夫か」
「……はい」
ハインツ殿下がキャリリン嬢の前に一枚の紙を滑らせた。
「随分偉そうなことを言っているが、お前の成績も入学時から見るとかなり下がっているぞ。このままでは明日にでも退学になりかねんな。特別奨学生とは思えない酷い成績だ」
「なっ?!」
一瞬焦った顔を見せたキャリリン嬢だったが、なにかを思いついたらしく、少し悪い顔で嗤った。
「ふんっ、退学になってもいいわよ。妊娠しているんだもの、どうせ家をもらったら、早々に辞めるつもりだったしね。あたしは学園を辞めてバルトの愛人になっていい暮らしをするんだから、なにも問題ないわ!」
まったく、特別奨学生の審査を行ったのは誰なのかしら。こんな愚かな思考の人間に民からの血税を使うなんて……。
先ほどまでの話を聞いていたなら分かる筈。ヴィルバルト様はわたくしから婚約破棄される。当然、侯爵にはなれず、三男だから子爵家も継げない。慰謝料や違約金の支払いもある。キャリリン嬢を囲う金などあるはずがない。
それをハインツ殿下から聞かされたキャリリン嬢が、大きく目を見開いた。
「ええ?!」
すごい目つきでヴィルバルト様を睨みつける。
「ちょっと、バルトったらどういうこと?! 殿下が言ったことは本当なの?!」
「キ、キャル、ちょっと落ち着いてっ」
「落ち着けるワケないでしょう! 囲えないの? お金ないの? どうするよのぉぉっ、キーッ!!」
二人はわたくしたちの前で、いきなり喧嘩を始めてしまった。
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