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 怯えていたハンナだったが、その後のカレヴィとの付き合いは思っていたよりヒドイことにはならなかった。
 いやそれどころか、むしろハンナはかなり幸せに過ごせるようになったのである。それこそ、実家の子爵家にいた頃よりも格段に豊かで満ち足りた暮らしができるようになっていた。

 とにかくカレヴィはハンナに優しい。

 カレヴィに婚約者がいるため、二人の付き合いは人目を忍んでのものだったが、いつだってカレヴィはハンナに優しく、過保護であり、でろでろに甘かった。まるでお姫様のようにハンナに敬意を払って尊重し、たくさんのプレゼントを頻繁に贈ってくれたし、愛の言葉も惜し気もなく会うたびごとに囁いた。

「大好きだよ、かわいいハンナ。君を誰よりも愛してる」

 誰もが見惚れるような美しい顔でカレヴィが囁く。
 付き合い始めの頃は、その優しい言葉の裏に隠された下心をハンナは必死になって探したものだ。

 実はなんらかの犯罪に自分を利用するつもりなんじゃないだろうか。
 本気でそう思い、いつも周囲を警戒していた。

 けれど、実際はそんなことはまったくなく。
 二人が学園を卒業する頃には、カレヴィの自分に対する愛情が本物であると、さすがのハンナも信じられるようになっていた。

 なにせ、いつだって蕩けるような甘い瞳でカレヴィはハンナを見つめるのだ。暇さえあれば、好きだ、愛していると言葉で気持ちを伝えてくれながらハンナを強く抱きしめてくれる。

 更には、欲しいのは体ではなく心だからと言って、ハンナが自分を好きになるまでは手を出さないと宣言し、それを実行してくれた。

 学園を卒業してすぐ、予定通りにカレヴィはリリシアと結婚し、その数年後にはリリシアの父親から侯爵の地位を譲り受けた。
 それと同時に、ハンナには貴族街に近い平民街の表通りに住宅込みの小さな本屋を持たせてくれた。ハンナが欲しがる本は、それがどんなに希少で高価なものでも、店の仕入れ商品という名目でカレヴィが必ず手に入れてくれた。

 おかげでハンナは大好きな本に囲まれて、毎日のんびりと店番をしつつ読書を楽しむという、まるで天国にいるかのような幸せな日々を送ることができた。

 それだけではない。
 カレヴィはハンナの実家である子爵家と共同で、将来性のある事業も展開してくれた。

 使用人を雇うこともできない貧乏貴族だったハンナの実家は、今では数人の使用人を雇えるようになっている。家族も昔とは比べ物にならないくらい余裕のある生活ができているらしい。生まれた甥っ子も元気にすくすく育っている。

 学園卒業したら高位貴族の愛人になる予定だとハンナが最初に話した時、家族は眉をしかめて反対した。
 家族を守るためだとは言わず、好きだから愛人になりたいのだと嘘をつき、家族の反対を押し切ってハンナはカレヴィの愛人になった。縁を切られるかもしれないとハンナが怯えるほど、家族との関係は険悪になった。

 そんな子爵家の家族たちも、今ではハンナの選択を大いに感謝してくれている。
 特に次期子爵である長兄は、涙ながらにハンナに頭を下げた。

「学園を卒業後、父上はおまえを娼館に売ることも考えるほど、ウチの資金繰りは火の車だった。もうどうにもならないほど借金がかさみ、一家で夜逃げか首を吊るしかないほどウチは困窮していたんだ」

 そのすべてがカレヴィによって回避されたと聞かされたハンナは、ああ、そうだったのか、と心の中で独り言ちた。

 あのカレヴィのことだ。
 自分が想いを寄せるハンナの実家について調べなかったはずはない。

 娘を娼館に売り払わなければならないほど子爵家が金に困っていたことに、カレヴィはすぐに気付いただろう。
 とはいえ、伯爵家の三男でしかないカレヴィは、それをどうにかする手段は持ち得なかった。

 学園の小談話室でカレヴィと話した時、確かに彼は言った。ハンナと幸せになるためには地位や財産が必要だと。そのために婿入りして侯爵になるのだと、自由に使える金を手に入れるのだと、そうカレヴィは言っていた。

 あれを聞いた時、ハンナは思ったものだ。

 別に地位も名誉も金も必要ない。
 欲しいのは心から信頼し、深く愛し合うことのできる相手なのだと。
 そういう人さえ傍にいてくれれば、金なんていらないし貴族であることにもこだわらないと、本気でそう思っていた。

 けれどもカルヴィンは、幸せになるためには地位や財産が必要だと言った。
 だからハンナは思ったのだ。そんなくだらないものを欲するカレヴィという人間は、自分の欲を満足させることしか考えない利己的で自分本位な人間なのだと。

 でも違った。
 好きでもない女性と結婚するという犠牲を強いられたのは、むしろカレヴィの方だった。ハンナの実家を助け、ハンナが娼婦にならなくてすむようにするために、カレヴィは当時の彼にでき得る全力を尽くしてれたのだ。

 そのことを知った時、ハンナは一人声をあげて泣いた。
 そして、その日の夜になって侯爵邸での執務を終えて遅い時間にハンナの家にやってきたカレヴィと、ハンナは初めて手を繋ぎ、愛を告げ、抱きしめ合い、ベッドで体を重ねた。


 愛人になれと言われた日から、十年という月日が流れていた。
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