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ハンナの顔を覗き込むようにして見るカレヴィが、楽しそうに目を細めた。かと思うと、突然こんなことを言い出した。
「ハンナ、君には僕の愛人になってもらうから」
「…………は?」
「断ってもいいけど、そうすると君の家族は困ったとこになると思うよ」
カレヴィは相変わらず穏やかな笑顔だ。
それなのに、ハンナの背中にはゾクッと悪寒が走った。
というか、なんだ、今のは。
愛人だとか家族が困ることになるだとか、カルヴィンの美しい唇から放たれる言葉は、そのすべてが意味不明で恐ろしい。
「あ、あの、なにをおっしゃって――」
「もし君が僕の愛人になることを断るのなら、僕はリリシアに言うつもりだよ。今日、この談話室に君から呼び出されて、体を使って誘惑されたってね」
「はあ?! なっ、なにを言って――」
「知っていると思うけど、リリシアは僕に夢中だ。君が僕を誘惑したと知ったら、絶対に君を許さない。侯爵である父親に泣きついて、きっと君の家なんて簡単に取り潰してしまうだろうね。下手したら君は暗殺されるかもしれないな。リリシアの父親、邪魔者は容赦なく消すタイプの人間だし、娘をなによりも溺愛しているから」
ハンナの顔から血の気が失せた。
これまで温和で物静かな美青年だと思っていたカレヴィの印象が、一瞬にしてがらりと変わった。
「な、なんで? どうしてわたしが愛人になんて……。よく分からないわ、どうしてそんな意味の分からないことを言うんですか?!」
「簡単なことだよ。この学園の入学式の時、僕は君に一目惚れした。だから絶対に手に入れようと思った。どんな手を使ってでもね」
ハンナと同じ空間にいたいから図書館に通い、打診されても断り続けていたリリシアとの婚約も、ハンナを手に入れる手段として利用するために受け入れることにしたのだとカレヴィは楽しそうに語る。
しかし、それを聞いたハンナはますます意味が分からなくなった。
ハンナの容姿は普通だ。
特に醜いということもないが、かなりの平凡顔であり、纏う色味も黒髪に茶色の瞳という地味極まりないものでしかない。銀髪にオレンジ色の瞳をした美しい見目のカレヴィに一目惚れされるような、そんな優れた容姿はしていないのだ。
「わ、わたしよりリリシア様の方が百倍くらいお美しいですけど。多分、百人に聞いたら九十九人はそう答えると思いますが」
「だったら、残った一人こそ僕なんだよ。美醜感は人によって違う。僕にとっては君が誰よりもかわいく見えるんだ」
視力が悪いか乱視なのでは、とハンナは思った。もちろん、口には出さないが。
「わ、わたしを手に入れるためにリリシア様と婚約したって、それはどういう意味なんですか? わたしを好きなら、家を通じて婚約を打診してくれればいいだけなのに……」
ハンナの家は子爵家でカレヴィの家は伯爵家だ。伯爵家から婚約の打診がくれば、ハンナの家は大喜びで受けたはず。しかし、そうはせずにカレヴィはリリシアと婚約した。それでいてハンナを愛人にするという。
やはり、まったく意味が分からない。
そうハンナが言うと、カレヴィは苦笑しながら肩を竦めた。
「僕は伯爵家の生まれだけれど三男だ。継ぐ爵位はないし、手柄を立てて叙爵しない限り将来は平民になるしかない。でも、君と生涯幸せに暮らすためには、それなりの地位や財産は必要だろう? 苦労させたくはないからね。だからリリシアの侯爵家に婿入りして、実質的な意味で家を乗っ取ってやろうと思ったわけさ。リリシアの家は歴史ある名門だし、数々の事業を成功させている資産家だ。僕が侯爵になって財産管理を引き受ければ、君を愛人としてこっそり囲って贅沢させるなんてことは朝飯前だ」
だから安心して僕に囲われるといい。愛する君を困窮させることは絶対にしないし、必ず幸せにしてあげるから。
そう言ってカレヴィはハンナを愛おしそうに見つめながら優しく微笑んだ。
あまりに美しいその笑顔には、腹黒さなど微塵も感じさせない清廉さがある。しかし、言っている内容は実に陰湿かつ狡猾で、あまりに利己的な考えをするカレヴィに、ハンナの身体が恐怖に震えた。
それに気付いたカレヴィが苦笑する。
「そんなに怖がらないでよ。さっきも言ったけど、もう君は僕の愛人になるしか道はないんだし、だったら僕と仲良く愛し合ったほうが君にとっても得だろう?」
「わ、わたしはカレヴィ様を誘惑なんてしてません! リリシア様だってきちんと説明すれば、わたしの言うことを信じてくれるんじゃ――――」
「無理だよ。今日、教室で君から僕に話しかけてきたところを何人もの生徒が見ていたはずだ。それに、リリシアは僕が言えば、なんだって信じてくれる」
そもそも、図書室で騒ぐリリシアをカレヴィが放置していたのは、ハンナから呼び出されるという状態を作るためだったという。
読書と図書館を心から愛するハンナは、空気を読めずに大声を出すリリシアに、いつかきっと我慢できなくなる。そうなると、リリシアの婚約者であり同じクラスの自分に必ず話しかけてくるだろうと思っていたと、そうカレヴィは言った。
「思った通り、君は僕に話しかけてきた。リリシアが誰に訊いても、婚約者のいる僕を君が放課後に呼び出したと証言するはずだ。それに、この談話室の予約をしたのも君だしね。ほら、誘惑の証拠はきちんと揃っている」
「そ、そんな……」
「彼女は嫉妬深い。僕を誘惑したと知ったら、君を絶対に許さないだろう。間違いなく君の家は取り潰ぶされるだろうね。確か君の兄上の奥方、妊娠中じゃなかった? いずれ生まれる君の甥っ子か姪っ子、生まれた途端に路頭に迷うことになってしまうよ? それでもいいのかい?」
いいわけがない。
結局、ハンナはカレヴィに従うしかなかった。
どれだけ考えてもカレヴィから逃れる方法が思いつかなかったからだ。
自分のせいで家族を不幸にするわけにはいかない。あきらめて愛人になより他に道はなかった。
なんで、どうして、なんでこんなことになったのか、とハンナは絶望する。
今日初めて話した人の、しかもかなりヤバそうな人の愛人になるだなんて、これから自分はどんな酷い目に合わされてしまうのか。
考えれば考えるほど、不安ばかりが募った。
「ハンナ、君には僕の愛人になってもらうから」
「…………は?」
「断ってもいいけど、そうすると君の家族は困ったとこになると思うよ」
カレヴィは相変わらず穏やかな笑顔だ。
それなのに、ハンナの背中にはゾクッと悪寒が走った。
というか、なんだ、今のは。
愛人だとか家族が困ることになるだとか、カルヴィンの美しい唇から放たれる言葉は、そのすべてが意味不明で恐ろしい。
「あ、あの、なにをおっしゃって――」
「もし君が僕の愛人になることを断るのなら、僕はリリシアに言うつもりだよ。今日、この談話室に君から呼び出されて、体を使って誘惑されたってね」
「はあ?! なっ、なにを言って――」
「知っていると思うけど、リリシアは僕に夢中だ。君が僕を誘惑したと知ったら、絶対に君を許さない。侯爵である父親に泣きついて、きっと君の家なんて簡単に取り潰してしまうだろうね。下手したら君は暗殺されるかもしれないな。リリシアの父親、邪魔者は容赦なく消すタイプの人間だし、娘をなによりも溺愛しているから」
ハンナの顔から血の気が失せた。
これまで温和で物静かな美青年だと思っていたカレヴィの印象が、一瞬にしてがらりと変わった。
「な、なんで? どうしてわたしが愛人になんて……。よく分からないわ、どうしてそんな意味の分からないことを言うんですか?!」
「簡単なことだよ。この学園の入学式の時、僕は君に一目惚れした。だから絶対に手に入れようと思った。どんな手を使ってでもね」
ハンナと同じ空間にいたいから図書館に通い、打診されても断り続けていたリリシアとの婚約も、ハンナを手に入れる手段として利用するために受け入れることにしたのだとカレヴィは楽しそうに語る。
しかし、それを聞いたハンナはますます意味が分からなくなった。
ハンナの容姿は普通だ。
特に醜いということもないが、かなりの平凡顔であり、纏う色味も黒髪に茶色の瞳という地味極まりないものでしかない。銀髪にオレンジ色の瞳をした美しい見目のカレヴィに一目惚れされるような、そんな優れた容姿はしていないのだ。
「わ、わたしよりリリシア様の方が百倍くらいお美しいですけど。多分、百人に聞いたら九十九人はそう答えると思いますが」
「だったら、残った一人こそ僕なんだよ。美醜感は人によって違う。僕にとっては君が誰よりもかわいく見えるんだ」
視力が悪いか乱視なのでは、とハンナは思った。もちろん、口には出さないが。
「わ、わたしを手に入れるためにリリシア様と婚約したって、それはどういう意味なんですか? わたしを好きなら、家を通じて婚約を打診してくれればいいだけなのに……」
ハンナの家は子爵家でカレヴィの家は伯爵家だ。伯爵家から婚約の打診がくれば、ハンナの家は大喜びで受けたはず。しかし、そうはせずにカレヴィはリリシアと婚約した。それでいてハンナを愛人にするという。
やはり、まったく意味が分からない。
そうハンナが言うと、カレヴィは苦笑しながら肩を竦めた。
「僕は伯爵家の生まれだけれど三男だ。継ぐ爵位はないし、手柄を立てて叙爵しない限り将来は平民になるしかない。でも、君と生涯幸せに暮らすためには、それなりの地位や財産は必要だろう? 苦労させたくはないからね。だからリリシアの侯爵家に婿入りして、実質的な意味で家を乗っ取ってやろうと思ったわけさ。リリシアの家は歴史ある名門だし、数々の事業を成功させている資産家だ。僕が侯爵になって財産管理を引き受ければ、君を愛人としてこっそり囲って贅沢させるなんてことは朝飯前だ」
だから安心して僕に囲われるといい。愛する君を困窮させることは絶対にしないし、必ず幸せにしてあげるから。
そう言ってカレヴィはハンナを愛おしそうに見つめながら優しく微笑んだ。
あまりに美しいその笑顔には、腹黒さなど微塵も感じさせない清廉さがある。しかし、言っている内容は実に陰湿かつ狡猾で、あまりに利己的な考えをするカレヴィに、ハンナの身体が恐怖に震えた。
それに気付いたカレヴィが苦笑する。
「そんなに怖がらないでよ。さっきも言ったけど、もう君は僕の愛人になるしか道はないんだし、だったら僕と仲良く愛し合ったほうが君にとっても得だろう?」
「わ、わたしはカレヴィ様を誘惑なんてしてません! リリシア様だってきちんと説明すれば、わたしの言うことを信じてくれるんじゃ――――」
「無理だよ。今日、教室で君から僕に話しかけてきたところを何人もの生徒が見ていたはずだ。それに、リリシアは僕が言えば、なんだって信じてくれる」
そもそも、図書室で騒ぐリリシアをカレヴィが放置していたのは、ハンナから呼び出されるという状態を作るためだったという。
読書と図書館を心から愛するハンナは、空気を読めずに大声を出すリリシアに、いつかきっと我慢できなくなる。そうなると、リリシアの婚約者であり同じクラスの自分に必ず話しかけてくるだろうと思っていたと、そうカレヴィは言った。
「思った通り、君は僕に話しかけてきた。リリシアが誰に訊いても、婚約者のいる僕を君が放課後に呼び出したと証言するはずだ。それに、この談話室の予約をしたのも君だしね。ほら、誘惑の証拠はきちんと揃っている」
「そ、そんな……」
「彼女は嫉妬深い。僕を誘惑したと知ったら、君を絶対に許さないだろう。間違いなく君の家は取り潰ぶされるだろうね。確か君の兄上の奥方、妊娠中じゃなかった? いずれ生まれる君の甥っ子か姪っ子、生まれた途端に路頭に迷うことになってしまうよ? それでもいいのかい?」
いいわけがない。
結局、ハンナはカレヴィに従うしかなかった。
どれだけ考えてもカレヴィから逃れる方法が思いつかなかったからだ。
自分のせいで家族を不幸にするわけにはいかない。あきらめて愛人になより他に道はなかった。
なんで、どうして、なんでこんなことになったのか、とハンナは絶望する。
今日初めて話した人の、しかもかなりヤバそうな人の愛人になるだなんて、これから自分はどんな酷い目に合わされてしまうのか。
考えれば考えるほど、不安ばかりが募った。
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