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 翌日の教室で、ハンナは緊張しながら初めてカレヴィに声をかけた。話があるから放課後に時間を取ってくれないか、と。

 多くの人が聞いている教室で格上の令息相手に文句を言うなんて恐ろしいこと、さすがのハンナにもできるはずがない。だから別室で話を聞いてもらおうと頼んでみたのだけれど、なぜかカレヴィは嫌な顔ひとつせず、にこやかに了承してくれた。

 ホッとしたハンナは、放課後に学園の小談話室が使えるようすぐに予約を取った。気密性が保たれている談話室でなら静かに落ちついて話を聞いてもらえると思ったからだ。


 そして放課後。

「それで、話ってなにかな?」

 会議室のテーブルの向こうからカレヴィに穏やかな声で質問されて、ハンナはゴクリと唾を飲み込んだ。
 いくら優しそうに見えても相手は格上の令息だ。もしも怒らせてしまったら実家に迷惑をかけることになるかもしれない。

 でも、ここまできたら、もう後には引けない。
 全部言ってしまうほうがいい。

 そう覚悟を決めたハンナは、図書室での不満をすべてぶちまけることにした。

 図書室でのリリシアの行動に皆が迷惑していること。
 彼女が図書室に来るのは明らかにカレヴィ目当て。婚約者なら彼女をきちんと諫めて欲しい。
 会話するなとは言わない。ただ声を少し小さくしてくれるだけでいい。
 それすらできないようなら、申し訳ないがカレヴィ自身、図書室を利用することを控えて欲しい。

 そういった内容のことを、カレヴィを怒らせないよう厳選に厳選を重ねて言葉を選び抜き、努めて柔らかい口調で腰を低くお願いしたのだった。

 実はハンナ、本が好きなおかげで賢くはあるが、いつも読書にばかりかまけているせいで、他人とあまり接してこなかった人見知りである。だから会話が得意ではなく、そんなハンナが自分より身分が上のカレヴィと話をすることは――その内容が苦情なだけに――かなりの精神的負担を強いられることなのだった。

 実際、話している最中のハンナの全身には脂汗が滲んでいたし、足と指先は冷えてずっと震えていたくらいだ。

「――ということなんです。どうかご一考いただけませんでしょうか?」

 だからやっとのことで全部話し終えた時、ハンナは緊張しすぎたあまり瞳には涙が滲んでいたし、気を抜けばその場に倒れてしまいそうなくらい疲れ果てていた。

 ともかく、言うべきことはすべて言った。
 後はカレヴィがどう判断するかである。

 ハンナは黙ってカレヴィからの返事を待った。

 カレヴィからすれば、クラスメイトとはいえ禄に話したこともない相手からいきなり婚約者に対する苦情を訴えられたのだ。戸惑って当然である。
 しかも、カレヴィ自身に悪いところがあるわけでもないのに、場合によっては図書館使用を控えて欲しいとまで言われたのだから、かなり理不尽なことを要求されたとも言える。

 優しく穏やかそうな人だけに、ハンナに対して怒り狂うなんてことはないだろうが、赤の他人からいきなり文句を言われて気分を害さないはずはない。
 きっと今、カレヴィはものすごく嫌な気分……もしかすると悲しい気持ちになっているかもしれない。

 そう思ったハンナは、なんだかカレヴィに申し訳ない気持ちになってしまった。

 自分が言った言葉でカレヴィが傷ついていたらどうしよう。
 できるだけ柔らかい言葉を選んで話したつもりだが、もしかすると、もっと優しい言い方があったかもしれない。

 それに本来なら悪いのはリリシアであり、カレヴィも被害者の一人なのだ。そんな彼に責任をすべて押し付けようとした自分は、もしかすると最低最悪の極悪人なのかもしれない。

 結局のところ、子爵令嬢であるハンナが超格上侯爵令嬢リリシアに文句を言えない代わりに、クラスメイトで声をかけやすいカレヴィに矛先を向け、理不尽に文句や怒りを伝えているだけなのだ。

 そのことにハッと気付いたハンナは、顔色を蒼白にした。

 自分はなにをやっているのだろう。
 なんて酷いことを、さも正義ぶってやってしまったのかと、ハンナは恐ろしくなってしまった。

 自己嫌悪におちいり、俯いてしまったハンナの耳にカレヴィの声が聞こえてきた。

「あー、もう待ちくたびれちゃったな。正直、もっと早く呼び出されると思っていよ。君、ずいぶん我慢強いんだね?」

 それは間違いなくカレヴィの声であり、内容はともかく、なぜか嬉しそうな響きの声色に、ハンナは驚いて顔を上げた。

 そこにはカレヴィの美しい満面の笑みがあった。
 気のせいか、その笑顔からは少しばかり不穏さが滲み出ている気がして、ハンナは無意識に一歩後退あとずさる。

 そんなハンナに、ずいとカレヴィが美しい顔を寄せてきた。
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