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 婚約式の一週間後から、すぐに王子妃教育が始まった。ベルティーアは朝から王宮に上がり、そこでこれまで以上に多岐にわたる様々な知識を植え付けられることになった。

 前世では可もなく不可もなくの平凡な人生だったが、この世界に生まれ変わってからのベルティーアは、既に学ぶことの楽しさに気付いている。この世界を知ることが楽しくて、自ら率先して色々なことを学んできた。おかげで勉強の仕方というか、コツのようなものも既に掴んでいる。

 だからだろう、王宮で受ける教育は嫌なものではなく、むしろ更なる知識の吸収が嬉しくて、ベルティーアは毎日楽しく元気よく、様々なことを学んでいった。

 そんなベルティーアの前向きな姿勢は、王子妃教育を受け持つ教師たちから好評で、そもそもが賢く、愛想もよく、見た目も美しく素直な性格のベルティーアの評判は、王宮でもうなぎ上りに良くなっていくばかりだった。

 勉強の合間のティーブレイクは、マナーの授業を兼ねて行われるのだが、いつの間にかイルミナートも毎日その場に同席するようになった。そこでお互いをよく知るために、色々なことは話しては少しずつ仲を深めていく。

 王子妃教育が始まって三年が経つ頃になると、このお茶の席に教師は同席しなくなった。それはベルティーアとイルミナートが勉強の合間にホッと一息ひといきつける、楽しいおしゃべりタイムと化していた。既に幼馴染と言っても過言ではないほど仲良くなっている二人は、思っていることをなんでも遠慮なく言い合えるようになっていた。

 乙女ゲームのことをベルティーアがイルミナートに話したのは、十三才になったくらいだっただろうか。その話を聞いた時、イルミナートはかなり不機嫌になってしまった。

「そんなこと、信じられないな」
「本当ですのよ。本当に殿下には運命のお相手が他にいらっしゃいますの」
「男爵家の庶子の娘を? 王族のわたしが? 公爵令嬢であるティアを差しおいて? しかも婚約解消ならいざ知らず、公衆の面前で破棄を? いやいやいや、ありえないよ、そんなこと」
「それがあるんですのよ。恋って不思議ですわねぇ、盲目とはよく言ったものですわ」

 八才の頃は天使のようだったイルミナートも、十三才になった今では、もう昔のような可愛らしさや愛らしさはない。まだまだ成長過程でありながらも身長はかなり伸び、鍛えられた身体は逞しく男らしさの片鱗を示している。
 相変わらず美しいその容貌も、以前とは違って凛々しさが増してきていた。毎日顔を合わせているベルティーアでさえ、会うたびに見惚れてしまうほどの眉目秀麗っぷりである。 

 その端正な顔に拗ねた色を浮かべて、イルミナートはベルティーアの言葉を否定する。

「いや、やはりあり得ないな。前から言っているだろう。わたしが好きなのは君だけだよ、ティア」
「そう言っていただけるのは嬉しいですわ、本当に心から嬉しく思います。ですけど……」
「ティアは嫌じゃないのか。わたしが長年の婚約者である君を捨て、他の娘を好きになってもかまわないのか、気にしないのか?!」
「それはもちろん嫌に決まってます。言いましたでしょう? わたくし、前世から殿下のことが大好きなのですわ。それこそ、神と仰ぐほどにお慕いしてます。でも、だからこそ、殿下には幸せになっていただきたいのです」

 持っていたティーカップを置き、寂し気に笑って見せたベルティーアの手を、イルミナートは握った。持ち上げてその甲にそっと唇をつける。

「初めて会った婚約式の日から、ずっと君だけを愛している。この気持ちは絶対に変わらない」
「そうであれば嬉しいとわたくしも思います。けれども、もし他に好きな人ができたなら、わたくしのことは気にせず、その方と幸せになって下さいませ。そして、わたくしのことは遠慮なく国外追放に!!」
「ティア……」
「ええ、本当にそうして下さってかまいませんのよ?」

 ベルティーアは緑色の瞳をきらきらと輝かせ始めた。

「その時になって困らないよう、魔法も色々と習得済みですの。わたくしは冒険者となって逞しく生きてまいりますので、どうかお気になさらず。これから約四年、国外追放される日までに市井にも頻繁に出かけて、平民として暮らしていくための知識も増やしていくつもりです。あ、料理も覚えるつもりですわ。冒険者ギルドにも登録しなくてはいけませんわね。そう考えると、やることは山積みですわ。今後はこれまで以上に忙しくなりそうですわね、うふふふふっ」
「……なんだか楽しそうだね」

 半目でジトリと見られて、ベルティーアはさっと目を反らした。

「そ、そんなことはありませんわ。わたくしとて、殿下の妃になりたいと心から願っていますもの」
「本当だろうね」
「もっ、勿論ですわ」

 疑わし気にベルティーアを見つめていたイルミナートだったが、やがて小さくため息をついた。

「まあいい。そろそろ次の授業の時間だな。わたしは行くよ」

 立ち上がり、イルミナートはベルティーアの傍まで歩み寄って腰を屈めた。慣れた様子でベルティーアが頬を傾けると、そこにイルミナートが軽く口付ける。

「それでは、お互いに残りの授業をがんばろう。また明日ここでね」
「はい、殿下。楽しい時間をありがとうございました」

 長い足を動かして、颯爽と立ち去るイルミナートの後ろ姿を見つめながら、ベルティーアは小さく独り言ちた。

「信じて裏切られるのが一番辛いから、どうしても予防線を張ってしまんです」

 ほぅっと悩まし気なため息をつく。

 乙女ゲームのことに気付いて以来、ベルティーアが最も気を付けてきたことは、イルミナートを絶対に好きにならない、これに尽きた。

 ゲームの中のベルティーアは、赤い髪に似合いの激しい情熱的な性格をしていて、プレイヤーの目から見ても分かりやすく、メイン攻略対象イルミナートを本気で愛していた。その愛の重さゆえにイルミナートから鬱陶しがられたし、ヒロインにひどい虐めも平気でやった。

 前世の記憶持ちである自分が、ゲームの悪役令嬢と同じことをするとは思えなかったが、どちらにしても、いずれヒロインに奪われるのであれば、イルミナートにはあまり深入りしない方がいい。

 そう思っていたのに……。

 ゲームとは違い、イルミナートがあまりにも優しいから、好きだ好きだと顔を合わせるたびに言ってくれるから、愛おしい者を見る目をいつも向けてくれるから、気が付けばベルティーアはイルミナートを好きになってしまっていた。

 そもそもが最推しキャラなのだ。好意を向けられたら嬉しいに決まっている。好きにならないワケがない。

 おかげでここ数年、ゲームのことは気になりつつも、とても幸せな日々を送っていた。

 なにせ両想いだし、将来の義父母である国王夫妻からは、実の娘のように可愛がってもらえている。公爵家の両親のことは言うまでもなく大好きだし、子供の頃に養子にきた義兄からもめちゃくちゃ溺愛されていた。

 まさに順風満帆!
 幸せ過ぎて怖いといった感じの日々を、近頃のベルティーアは過ごしていたのだった。

 けれど、このまま平穏が続くとは思えない。ここが乙女ゲームの世界である以上、必ずヒロインは現れるだろうし、その場合、メイン攻略対象であるイルミナートを選び、恋仲になる可能性が一番高い。

 国外追放は怖くない。
 前世は一般人として暮らしていただけに、市井での生活にもすぐに慣れると思う。そうなった時に持ち出す用の宝石も、幼い時から少しずつ貯めてきていた。

 魔法は得意中の得意だし、実は義兄と共に剣術の師にもついていたため、冒険者としても生きていけるだけの最低限の実力は、それなりに備えているつもりだ。
 足りない部分があるとしても、国外追放されるまでにはまだ数年ある。不足にはそれまでに対応すればいい。

 ではなにが問題なのかと言うと、これまで良い関係を築いてきている皆との別れ。それがなによりも辛かった。ゲームと同じ展開になるならば、ベルティーアは皆から憎まれ、嫌われ、蔑まれながら国から追い出されることになる。

 それを想像するだけで、泣きたくなるほど悲しくなってしまうのだ。

 ちなみにベルティーア、前世のことや乙女ゲームのことについて、家族にもすべて包み隠さず話してあった。
 話を聞いた家族の反応は「バカバカしい」の一択である。その「バカバカしい」の理由はと言うと、前世やゲームのことではない。ベルティーアの貴族籍の剥奪と国外追放がバカバカしいと、あまりにも現実的ではないと、そう言うのだった。

「いくら光属性を持っていようが、相手の娘はたかが男爵令嬢。低位貴族の娘を少しくらいイジメたからといって、ベルティの貴族籍が剥奪されるなど冗談ではない。しかも国外追放だと?」

 ベルティーアから話を聞いた時の、父公爵の怒りは凄まじかった。

「もしそんなことを王家が言ってこようものなら、よし分かった、受けて立とうじゃないか! ベルティ、安心するがいい。その場合、王家との戦争も止む無しだ。そして、いずれは領ごと国から離反してやる!」

 父の言葉に、国王陛下の従妹である母も大きく頷いた。

「その通りよ、わたくしたちの可愛いベルティ。王家の人間なんて皆殺しにしてやるわ。だからあなたはなにも心配することないのよ」
「殿下との婚約がなくなったら、その時は僕と結婚すればいい。あー、なんだかその方が僕としては嬉しいかもな」

 義兄はそんなことを言いながら、笑顔でベルティーアを抱きしめた。

 ベルティーアが家族の優しさ、温かさに感動していると、壁際で待機していた執事と侍女長が恭しく話しかけてきた。

「お嬢様、わたくしたち公爵家に務める使用人一同も、お嬢様のためならばたとえ相手が王家であろうと立ち向かってみせます」
「お嬢様は我が領の宝玉でございます。命に代えてでも、必ずやお守りしてみせますわ」
「ありがとう。とても心強いですわ」

 ベルティーアは涙ながらに皆に礼の言葉を伝えた。

 嬉しかった。皆の自分を想ってくれる気持ちが温かかった。

 もしもこの先、ゲームの強制力が働くことで皆が自分を憎むようになっても、今のこの記憶は自分の中に残る。素の状態の彼らが、いかに自分を大切に想ってくれていたか、愛してくれていたか、ずっと覚えていることができる。
 この記憶さえあれば、この先なにがあろうと、たとえ皆に憎まれて国外追放されたとしても、一人でだって強く生きていけるだろう。

 そう思いながら、ベルティーアは自分にできる最高の笑顔で、皆に微笑んで見せたのだった。


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