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第二章 地の底の緑
第十五話 わからない
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風の吹き荒ぶ青空の下、
猛々しい峰が続く永久雪山に四方を囲まれた、タラマウカ・ヒラクに、黒い煙が広がりはじめた。
灰色に染まっていく草原を、黒に、赤紫に彩る花々
轟音を上げて崩れた石造りの神殿
立ちのぼる黒い煙と共に姿を現したのは、異形の魔物たち。
無数のひらひらとした脚をもつ、巨大な大蛇のような魔物。
頭部に目はなく、乳白色の身体に、うっすら青みがかかっている。
蝙蝠のような6枚の翼を羽ばたかせる人型の魔物。
ヌメヌメとした黒い肌に、鋭く光る銀色の衣を纏っている。
ワニの頭に、ふさりとした毛皮を身体中に纏う二足歩行の砂色の魔物。
人の頭ほどある青玉を抱える白雲のような身体を引きずり進む魔物。
白枯れた大樹のような身体を持つ、青黒い長衣をまとった魔物。
稲妻のような2本の角を持つ、緑色の肌の巨人。
彼らは、馴染みのある力を持つ存在に視線を向けた。
黒刃の斧を片手に持つ人間。
彼らより、ずっと小さく、弱い人間。
人間は食糧だ。
そして、彼らを暗い地の底へ閉じ込めた敵。
魔物たちは、憎悪と殺意を身体中に廻らせながら、白雲浮かぶ青空へ、風に砂をまく大地へ、遠く険しい山脈へ視線を向ける。
人間が、灰色の髪を揺らして歩き始めた。
黒い煙の中、のたうち悲鳴を上げて魔物と化す人間たちを横目にして。
灰色の髪と、赤紫の目を持つ人間を、魔物たちは知っていた。
黒い煙に触れても魔物にならず、だが、ただの人間のままでもいられない。
魔力を持つようになるのだ。
手にある黒刃の斧は、そんな人間にしか扱えない。
魔物たちの悲願を叶えるその斧は。
魔物たちは、人間と共に街を進む。
人間は、魔物たちを見ると悲鳴を上げ、逃げだした。
魔物たちの威圧にその場から動けなくなった人間が、街に侵食した黒い煙を吸い込み、魔物と化し、人間を襲い始める。
魔物たちに飛びかかってくるものもいたが、魔物たちは、難なく引きちぎり潰した。
300年以上生きている彼らにとって、生まれたての赤子など敵ではない。
魔物たちは、街の城壁を抜けて、崩れた石柱のある場所に出た。
そこでは、黒い牛のような人面の魔獣と武装した人間たちが戦っていた。
街の外から、たくさんの魔獣が入りこんでくる。
殺戮の最中を、魔物たちは進んでいった。
魔獣を斬り伏せた人間が、魔物たちの先頭を行く灰色の髪の人間に声をかけたようだった。
魔物たちには、人間の言葉はわからない。
小さな灰色の髪の人間が言った言葉に、大きな人間は叫んだ。
何度も叫んでいた。
何を叫んでいるのか、魔物たちにはわからない。
人間たちは、黒い人面の魔獣に喰われていく。
灰色の髪の人間と魔物たちは、構わず進む。
黒い森の中へ。
ふと、一頭の人面の魔獣が動きを止めた。
赤い血と、青い血と、肉塊の転がる地面に佇みながら、森へと歩み去る魔物たちを見つめる。
感情のない黒い目が、魔物たちを見つめる。
そして、人面の魔獣たちは、魔物たちに襲いかかり始めた。
魔物たちは会話をし、そして歌っているようだった。
ルウスには、魔物たちの言葉はわからない。
魔物たちは歌いながら、襲ってくる黒い人面の魔獣を引きちぎり、地面に熟れた実のように叩き潰した。
魔獣の青い血が、地面を、森を彩る。
魔物たちは、実に愉快そうに歌いながら歩んだ。
そうやって進む先に、草木も生えていない、ぽかりと空いた場所にたどり着いた。
白い石像があった。
ルウスの背丈の2倍はある。
それは微笑みを浮かべた女神タラの像だった。
足元にまである長い髪、弓矢を構えた女神の足元には、虎が寄り添っている。
ルウスは、黒刃の斧を女神像の左足に振り下ろした。
斧が弾き返される。
女神像の周りを滝のように、金色の文字が浮かび流れ落ち始めた。
ルウスは、文字をひとつ、ひとつ、斧で打った。
音も無く、文字は砕けて消えていく。
ひとつ打つたびに、自分の中からも命が消えていくのをルウスは感じた。
すべての金色の文字が動きを止めて、砕けて消えると、女神像の上半身がぐにゃりと溶けた。
中には、夕焼けがあった。
美しいその赤い石は、真ん中から花のように割れて、ルウスに襲いかかった。
叫び声が上がった。
ルウスの後ろで、ワニの頭を持つ魔物が、8つに別れた赤い石に噛みつかれていた。
赤い石と思われたものは、生き物の頭のようで、魔物の毛深い身体にがしりと鋭い橙色の牙をたてている。
魔物の身体から青い血が吹き出す。
噛みつく赤石の頭からは、ふわふわとした金色の毛に覆われた細い身体が蛇のようにのびていた。
女神像の中から出てきた8匹の金色の蛇は、ぐねぐねと、蠢く。
ワニの頭の魔物は、その手に、黒みがかった青い玉を掴んでいた。
青い液体にまみれたソレは、魔物の縦に割かれた腹の中から取り出されたもののようだった。
魔物は、高く叫んだ。
どこかへ呼びかけているような声だった。
そうして、魔物は、女神像の中に青い玉を突っ込んだ。
金色の蛇は苦しみだし、ワニの頭の魔物は粉々になった。
青い血の雨の中、蛇は女神像の中に消えていく。
白い石の女神像は、黒い石の塊へと変わっていく。
魔物たちは叫んだ。
とても嬉しそうに。
ルウスは、魔物たちと森の中を進んだ。
黒刃の斧の導くまま。
ある日出会った、旅人。
今では、顔もわからなくなった旅人。
彼にもらった、一振りの斧。
『君にしか、扱えない代物だよ。』
禍々しく、けれど愛しささえ感じてしまうそれの使い方を、彼はルウスに教えてくれた。
『これで、君の大事なものを守るんだ。』
『守る……?』
『君の大事な神様を。』
『神様を…。』
2つめ、の女神像、
乳白色の大蛇の魔物は、襲いかかる黒い人面の魔獣を蹴散らしながら、金色の蛇がのびる女神像に、ひらひらとした無数の脚を巻きつける。
目も、口もない頭部が割れて、黒くて青い玉が現れた。
ひらひらとした脚は玉を包んで、ポトリと、溶けた女神像の空洞に落とした。
金色の蛇は消え、大蛇も粉々に砕けた。
女神像は黒い石へと変わった。
3つめ、の女神像、
黒い6枚の翼を持つ人型の魔物は、身体を青く光らせると、するり、女神像の中に潜りこんで消えた。
その素早さに、金色の蛇は右往左往しながら消えて、女神像は、黒い石へと変わった。
4つめ、の女神像、
白雲のような身体を動かして、身体の中にある黒みがかった青い玉を女神像に入れようとする魔物の身体に、鋼が突き刺さる。
赤い髪の異国人が、黒い人面獣の群れの中を走り抜けながら、鋭い目をしてこちらに向かってくる。
白雲の魔物は、パッと弾けた。
その場の喧騒を白霧が覆う。
すべての者が動きを止め、苦しみだす。
赤髪の男の身体から、赤い火花がほとばしった。
白霧が揺れる。
男は、突き刺した刀に飛び付くと同時に、女神像にへばりついて進む、小さくなった白雲の魔物の身体から青い玉を引きちぎった。
が、その赤髪の男は、黒い人面獣を巻き込みながら森の中に吹き飛んだ。
稲妻のような2本の角を持つ、緑色の肌の巨人が代わりに立っていた。
その手には、赤髪の男から取り返した青い玉がある。
ルウスの後ろから、青い血が降り注ぎ、地響きが立った。
2本角の黒い牛の頭を持つ人型の魔物が右上半身と左腕を失くし、倒れていた。
白枯れた大樹のような身体を持つ、黒い長衣をまとった魔物が、倒れた魔物を見ている。
緑色の肌の巨人は雄叫びを上げて、青い玉を、巻きつく金色蛇に構わず押し潰しながら女神像に突っ込んだ。
動かなくなった蛇は消え、女神像は黒い石へと変わった。
5つめ、の女神像、
あの赤い髪の異国人は、何者なのか。
彼は刀を持ち、炎を操り、緑色の巨人と戦っている。
巨人が腕を振れば、黒い森たちは、ぐにゃり頭を下げ、迫る赤髪の男の動きを邪魔しようとする。
それを避けた赤髪の男の膝を、草が緊縛する。
ルウスは、汗で滑る斧の柄を握り直し、女神像の周りを流れる金色の文字を打ち落とした。
金色の文字が動きを止めて、砕けて消え、女神像の上半身がぐにゃりと溶ける。
こちらを振り返った緑色の巨人の身体から、白が吹き出した。
巨人は絶叫を上げた。
巨人の腕を掴む赤髪の男の身体から、白い炎が吹き出していた。
白い炎に包まれた巨人の腕は、消え失せていく。
巨人は、まだ残る手で右目を抉り取り、その手を牙で噛みちぎった。
青い目玉を持つ手は、切り口からぶにゃりと胴体を足を生やし、素早く女神像の元へと走っていく。
赤髪の男が獣のように吼え、巨人の身体を消した白い炎が走る手に襲いかかった。
その白い炎の前に、黒い塊が現れた。
2本角の黒い牛の頭を持つ人型の魔物だった。
青い血にまみれ、両足を失っていた。
その魔物を前にして、白い炎は一瞬動きを止めた。
その一瞬で巨人の手には十分だった。
緑色の小人となった巨人の手は、女神像によじ登り、青い目玉を転がし入れた。
金色の蛇は消え、女神像は、黒い石へと変わった。
やり遂げて、誇らしげに笑う小人は、粉々に砕けた。
6つめ、の女神像、
大地が激しく揺れている。
もう、ルウスたちを邪魔する者はいない。
街の兵士も、黒い人面の魔獣も、
赤い髪の異国人も、倒れた。
ルウスは、女神像の周りを流れる金色の文字を黒刃の斧で打ち落とした。
金色の文字が動きを止めて、砕けて消え、女神像の上半身がぐにゃりと溶ける。
ルウスは、不思議に思った。
あんなに苦しかった身体が、とても軽い。
心が、水の中にいるように静かだった。
『人間よ、礼を言う。』
白枯れた大樹のような身体を持つ、青黒い長衣をまとった魔物が言った。
草原色の目が、ルウスを見つめる。
この魔物は、人間の言葉が話せたのか、とルウスは思った。
『我らを地底に封じた人間への憎しみは、果てがないが、おまえは、こうして我らと、我らの大切なサーチャーを解放する。』
「………。」
ルウスは、青い血に染まった魔物を見上げる。
その白く枯れた手の中にある青い玉は、陽の光の中で美しく艶めいていた。
何の感情も見当たらないルウスの赤紫の目に、魔物は笑い声を上げた。
『おまえたち人間は、変わらないな。やはり、愚かで不自由な生き物だ。その、魔物』
魔物は、もう動かない引き裂かれた黒い魔物を指差した。
『元は、人間か?』
「………。」
頭にあった2本の角は、頭が半分消えて、1本になってしまっている。
手を失っても、身体が半分失くなっても、両足を失っても、追ってきた。
人間ならば死ぬはずなのに、魔物だからだろうか、回復し追ってきた。
ルウスに何度も、何度も襲いかかってきた。
何度も、何度も、魔物たちに引きちぎられ、抉られ、潰されながら。
最後は、黒い人面の魔獣に胸を抉り喰われて、動かなくなった。
あの人面の魔獣は、ルウスを狙っていたのだ。
まぬけな魔物だ。
この牛頭半人の黒い魔物は、とてもうるさかった。
ずっと吼えていた。
ルウスには、魔物の言葉はわからないけれど、
『あきらめるな、と、言っていた。』
ずっと吼えていた。
『生きろ、と、言っていた。』
息絶える、その時まで。
「…ちがう。」
ルウスの目を見て、吼えていた。
ルウスには、わからないのに、
『オレは、オマエと生きたい、と、言っていた。』
ルウスには、魔物の言葉はわからないのに、
「嘘だ」
焦げ茶色の髪と目をした少年が、腹を抱えて笑っていた。
ずっと、一緒に、
食べた、遊んで、学んで、喧嘩した。
笑った、泣いた。
友と呼んだ。
ルウスは、動かないコレウセを見下ろす。
『嘘つきは、誰か?』
白枯れの魔物は、少し右へ首を傾げる。
『憎い人間を殺さずに、感謝をほざく、このオレだろうか?』
白枯れの魔物は、少し左へ首を傾げる。
『それとも、共に生きようと言いながら、死んでしまったその哀れな人間のことだろうか?』
黒い魔物は、もうルウスの手を掴もうとしない。
『フッ、ハハハハハハ!!ハハハハハハ!!ハハハハハハ!!ハハハハハハ!!ハハハ!!』
魔物は笑った、高らかに。
そして、女神像に青い玉を落とすと、他の魔物たちと同じ言葉を叫びながら、砕けて散った。
金色の蛇は消え、女神像は、黒い石へと変わる。
「…どうして」
地の底から、恐ろしい音がする。
憤怒の音、憎悪の声だ。
魔物たちの愛する神の声がする。
「僕は、君を裏切ったんだ、コレウセ。」
半牛半人の魔物の、瞬きもしない黒い目を見つめる。
「神様を救うために?本当さ。」
人間に騙され、地底に閉じ込められた神様、
悲しい神様を、解放したかった。
「全部壊してしまいたかったから?本当さ。」
血を分けた実の子でありながら、父親から、女の役割を求められた。
道具なのだ。
ただの道具でしかない。
愛されてなどいない。
汚れていく自分に、搾取され続ける立場に耐えられなかった。
「本当なんだ。もう全部、僕は、僕が、街を、みんなを、君のお母さんだって、死ぬ、僕のせいだ。僕がやった。何で追いかけた。僕を何で追いかけた。君は馬鹿だ。何で死ぬんだ。何で、」
ルウスの手から、黒刃の斧がすべり落ちた。
揺らいだルウスの身体は、黒い魔物の上に倒れる。
「…答えてくれよ、コレウセ…。」
ルウスは、もう上手く動かない身体で首を動かした。
人形のようにぴくりとも動かない魔物の身体、
冷たくなっていく魔物の身体に、
「誰か、お願いだ」
ポタポタと
「コレウセを助けて」
雨が降る
「お願いだ、彼を助けて」
ポタポタと
「なにも、いらない、命もいらない」
とまらない
「コレウセを助けてくれ」
「神様…」
6つの女神像は、巨神の身体を地の底へ封じ込める。
1つめの女神像は、巨神の頭を、
2つめの女神像は、巨神の右手を、
3つめの女神像は、巨神の左手を、
4つめの女神像は、巨神の胴体を
5つめの女神像は、巨神の右足を、
6つめの女神像は、巨神の左足を、
金色の糸で封じ込める。
切れた封印の糸を纏いながら、巨神の左足が、空間を突き抜け現れる。
『…最後の封印が、解けた。』
闇の中、自由を得た巨神は、
小さな黒鬼の前で、わらっている。
猛々しい峰が続く永久雪山に四方を囲まれた、タラマウカ・ヒラクに、黒い煙が広がりはじめた。
灰色に染まっていく草原を、黒に、赤紫に彩る花々
轟音を上げて崩れた石造りの神殿
立ちのぼる黒い煙と共に姿を現したのは、異形の魔物たち。
無数のひらひらとした脚をもつ、巨大な大蛇のような魔物。
頭部に目はなく、乳白色の身体に、うっすら青みがかかっている。
蝙蝠のような6枚の翼を羽ばたかせる人型の魔物。
ヌメヌメとした黒い肌に、鋭く光る銀色の衣を纏っている。
ワニの頭に、ふさりとした毛皮を身体中に纏う二足歩行の砂色の魔物。
人の頭ほどある青玉を抱える白雲のような身体を引きずり進む魔物。
白枯れた大樹のような身体を持つ、青黒い長衣をまとった魔物。
稲妻のような2本の角を持つ、緑色の肌の巨人。
彼らは、馴染みのある力を持つ存在に視線を向けた。
黒刃の斧を片手に持つ人間。
彼らより、ずっと小さく、弱い人間。
人間は食糧だ。
そして、彼らを暗い地の底へ閉じ込めた敵。
魔物たちは、憎悪と殺意を身体中に廻らせながら、白雲浮かぶ青空へ、風に砂をまく大地へ、遠く険しい山脈へ視線を向ける。
人間が、灰色の髪を揺らして歩き始めた。
黒い煙の中、のたうち悲鳴を上げて魔物と化す人間たちを横目にして。
灰色の髪と、赤紫の目を持つ人間を、魔物たちは知っていた。
黒い煙に触れても魔物にならず、だが、ただの人間のままでもいられない。
魔力を持つようになるのだ。
手にある黒刃の斧は、そんな人間にしか扱えない。
魔物たちの悲願を叶えるその斧は。
魔物たちは、人間と共に街を進む。
人間は、魔物たちを見ると悲鳴を上げ、逃げだした。
魔物たちの威圧にその場から動けなくなった人間が、街に侵食した黒い煙を吸い込み、魔物と化し、人間を襲い始める。
魔物たちに飛びかかってくるものもいたが、魔物たちは、難なく引きちぎり潰した。
300年以上生きている彼らにとって、生まれたての赤子など敵ではない。
魔物たちは、街の城壁を抜けて、崩れた石柱のある場所に出た。
そこでは、黒い牛のような人面の魔獣と武装した人間たちが戦っていた。
街の外から、たくさんの魔獣が入りこんでくる。
殺戮の最中を、魔物たちは進んでいった。
魔獣を斬り伏せた人間が、魔物たちの先頭を行く灰色の髪の人間に声をかけたようだった。
魔物たちには、人間の言葉はわからない。
小さな灰色の髪の人間が言った言葉に、大きな人間は叫んだ。
何度も叫んでいた。
何を叫んでいるのか、魔物たちにはわからない。
人間たちは、黒い人面の魔獣に喰われていく。
灰色の髪の人間と魔物たちは、構わず進む。
黒い森の中へ。
ふと、一頭の人面の魔獣が動きを止めた。
赤い血と、青い血と、肉塊の転がる地面に佇みながら、森へと歩み去る魔物たちを見つめる。
感情のない黒い目が、魔物たちを見つめる。
そして、人面の魔獣たちは、魔物たちに襲いかかり始めた。
魔物たちは会話をし、そして歌っているようだった。
ルウスには、魔物たちの言葉はわからない。
魔物たちは歌いながら、襲ってくる黒い人面の魔獣を引きちぎり、地面に熟れた実のように叩き潰した。
魔獣の青い血が、地面を、森を彩る。
魔物たちは、実に愉快そうに歌いながら歩んだ。
そうやって進む先に、草木も生えていない、ぽかりと空いた場所にたどり着いた。
白い石像があった。
ルウスの背丈の2倍はある。
それは微笑みを浮かべた女神タラの像だった。
足元にまである長い髪、弓矢を構えた女神の足元には、虎が寄り添っている。
ルウスは、黒刃の斧を女神像の左足に振り下ろした。
斧が弾き返される。
女神像の周りを滝のように、金色の文字が浮かび流れ落ち始めた。
ルウスは、文字をひとつ、ひとつ、斧で打った。
音も無く、文字は砕けて消えていく。
ひとつ打つたびに、自分の中からも命が消えていくのをルウスは感じた。
すべての金色の文字が動きを止めて、砕けて消えると、女神像の上半身がぐにゃりと溶けた。
中には、夕焼けがあった。
美しいその赤い石は、真ん中から花のように割れて、ルウスに襲いかかった。
叫び声が上がった。
ルウスの後ろで、ワニの頭を持つ魔物が、8つに別れた赤い石に噛みつかれていた。
赤い石と思われたものは、生き物の頭のようで、魔物の毛深い身体にがしりと鋭い橙色の牙をたてている。
魔物の身体から青い血が吹き出す。
噛みつく赤石の頭からは、ふわふわとした金色の毛に覆われた細い身体が蛇のようにのびていた。
女神像の中から出てきた8匹の金色の蛇は、ぐねぐねと、蠢く。
ワニの頭の魔物は、その手に、黒みがかった青い玉を掴んでいた。
青い液体にまみれたソレは、魔物の縦に割かれた腹の中から取り出されたもののようだった。
魔物は、高く叫んだ。
どこかへ呼びかけているような声だった。
そうして、魔物は、女神像の中に青い玉を突っ込んだ。
金色の蛇は苦しみだし、ワニの頭の魔物は粉々になった。
青い血の雨の中、蛇は女神像の中に消えていく。
白い石の女神像は、黒い石の塊へと変わっていく。
魔物たちは叫んだ。
とても嬉しそうに。
ルウスは、魔物たちと森の中を進んだ。
黒刃の斧の導くまま。
ある日出会った、旅人。
今では、顔もわからなくなった旅人。
彼にもらった、一振りの斧。
『君にしか、扱えない代物だよ。』
禍々しく、けれど愛しささえ感じてしまうそれの使い方を、彼はルウスに教えてくれた。
『これで、君の大事なものを守るんだ。』
『守る……?』
『君の大事な神様を。』
『神様を…。』
2つめ、の女神像、
乳白色の大蛇の魔物は、襲いかかる黒い人面の魔獣を蹴散らしながら、金色の蛇がのびる女神像に、ひらひらとした無数の脚を巻きつける。
目も、口もない頭部が割れて、黒くて青い玉が現れた。
ひらひらとした脚は玉を包んで、ポトリと、溶けた女神像の空洞に落とした。
金色の蛇は消え、大蛇も粉々に砕けた。
女神像は黒い石へと変わった。
3つめ、の女神像、
黒い6枚の翼を持つ人型の魔物は、身体を青く光らせると、するり、女神像の中に潜りこんで消えた。
その素早さに、金色の蛇は右往左往しながら消えて、女神像は、黒い石へと変わった。
4つめ、の女神像、
白雲のような身体を動かして、身体の中にある黒みがかった青い玉を女神像に入れようとする魔物の身体に、鋼が突き刺さる。
赤い髪の異国人が、黒い人面獣の群れの中を走り抜けながら、鋭い目をしてこちらに向かってくる。
白雲の魔物は、パッと弾けた。
その場の喧騒を白霧が覆う。
すべての者が動きを止め、苦しみだす。
赤髪の男の身体から、赤い火花がほとばしった。
白霧が揺れる。
男は、突き刺した刀に飛び付くと同時に、女神像にへばりついて進む、小さくなった白雲の魔物の身体から青い玉を引きちぎった。
が、その赤髪の男は、黒い人面獣を巻き込みながら森の中に吹き飛んだ。
稲妻のような2本の角を持つ、緑色の肌の巨人が代わりに立っていた。
その手には、赤髪の男から取り返した青い玉がある。
ルウスの後ろから、青い血が降り注ぎ、地響きが立った。
2本角の黒い牛の頭を持つ人型の魔物が右上半身と左腕を失くし、倒れていた。
白枯れた大樹のような身体を持つ、黒い長衣をまとった魔物が、倒れた魔物を見ている。
緑色の肌の巨人は雄叫びを上げて、青い玉を、巻きつく金色蛇に構わず押し潰しながら女神像に突っ込んだ。
動かなくなった蛇は消え、女神像は黒い石へと変わった。
5つめ、の女神像、
あの赤い髪の異国人は、何者なのか。
彼は刀を持ち、炎を操り、緑色の巨人と戦っている。
巨人が腕を振れば、黒い森たちは、ぐにゃり頭を下げ、迫る赤髪の男の動きを邪魔しようとする。
それを避けた赤髪の男の膝を、草が緊縛する。
ルウスは、汗で滑る斧の柄を握り直し、女神像の周りを流れる金色の文字を打ち落とした。
金色の文字が動きを止めて、砕けて消え、女神像の上半身がぐにゃりと溶ける。
こちらを振り返った緑色の巨人の身体から、白が吹き出した。
巨人は絶叫を上げた。
巨人の腕を掴む赤髪の男の身体から、白い炎が吹き出していた。
白い炎に包まれた巨人の腕は、消え失せていく。
巨人は、まだ残る手で右目を抉り取り、その手を牙で噛みちぎった。
青い目玉を持つ手は、切り口からぶにゃりと胴体を足を生やし、素早く女神像の元へと走っていく。
赤髪の男が獣のように吼え、巨人の身体を消した白い炎が走る手に襲いかかった。
その白い炎の前に、黒い塊が現れた。
2本角の黒い牛の頭を持つ人型の魔物だった。
青い血にまみれ、両足を失っていた。
その魔物を前にして、白い炎は一瞬動きを止めた。
その一瞬で巨人の手には十分だった。
緑色の小人となった巨人の手は、女神像によじ登り、青い目玉を転がし入れた。
金色の蛇は消え、女神像は、黒い石へと変わった。
やり遂げて、誇らしげに笑う小人は、粉々に砕けた。
6つめ、の女神像、
大地が激しく揺れている。
もう、ルウスたちを邪魔する者はいない。
街の兵士も、黒い人面の魔獣も、
赤い髪の異国人も、倒れた。
ルウスは、女神像の周りを流れる金色の文字を黒刃の斧で打ち落とした。
金色の文字が動きを止めて、砕けて消え、女神像の上半身がぐにゃりと溶ける。
ルウスは、不思議に思った。
あんなに苦しかった身体が、とても軽い。
心が、水の中にいるように静かだった。
『人間よ、礼を言う。』
白枯れた大樹のような身体を持つ、青黒い長衣をまとった魔物が言った。
草原色の目が、ルウスを見つめる。
この魔物は、人間の言葉が話せたのか、とルウスは思った。
『我らを地底に封じた人間への憎しみは、果てがないが、おまえは、こうして我らと、我らの大切なサーチャーを解放する。』
「………。」
ルウスは、青い血に染まった魔物を見上げる。
その白く枯れた手の中にある青い玉は、陽の光の中で美しく艶めいていた。
何の感情も見当たらないルウスの赤紫の目に、魔物は笑い声を上げた。
『おまえたち人間は、変わらないな。やはり、愚かで不自由な生き物だ。その、魔物』
魔物は、もう動かない引き裂かれた黒い魔物を指差した。
『元は、人間か?』
「………。」
頭にあった2本の角は、頭が半分消えて、1本になってしまっている。
手を失っても、身体が半分失くなっても、両足を失っても、追ってきた。
人間ならば死ぬはずなのに、魔物だからだろうか、回復し追ってきた。
ルウスに何度も、何度も襲いかかってきた。
何度も、何度も、魔物たちに引きちぎられ、抉られ、潰されながら。
最後は、黒い人面の魔獣に胸を抉り喰われて、動かなくなった。
あの人面の魔獣は、ルウスを狙っていたのだ。
まぬけな魔物だ。
この牛頭半人の黒い魔物は、とてもうるさかった。
ずっと吼えていた。
ルウスには、魔物の言葉はわからないけれど、
『あきらめるな、と、言っていた。』
ずっと吼えていた。
『生きろ、と、言っていた。』
息絶える、その時まで。
「…ちがう。」
ルウスの目を見て、吼えていた。
ルウスには、わからないのに、
『オレは、オマエと生きたい、と、言っていた。』
ルウスには、魔物の言葉はわからないのに、
「嘘だ」
焦げ茶色の髪と目をした少年が、腹を抱えて笑っていた。
ずっと、一緒に、
食べた、遊んで、学んで、喧嘩した。
笑った、泣いた。
友と呼んだ。
ルウスは、動かないコレウセを見下ろす。
『嘘つきは、誰か?』
白枯れの魔物は、少し右へ首を傾げる。
『憎い人間を殺さずに、感謝をほざく、このオレだろうか?』
白枯れの魔物は、少し左へ首を傾げる。
『それとも、共に生きようと言いながら、死んでしまったその哀れな人間のことだろうか?』
黒い魔物は、もうルウスの手を掴もうとしない。
『フッ、ハハハハハハ!!ハハハハハハ!!ハハハハハハ!!ハハハハハハ!!ハハハ!!』
魔物は笑った、高らかに。
そして、女神像に青い玉を落とすと、他の魔物たちと同じ言葉を叫びながら、砕けて散った。
金色の蛇は消え、女神像は、黒い石へと変わる。
「…どうして」
地の底から、恐ろしい音がする。
憤怒の音、憎悪の声だ。
魔物たちの愛する神の声がする。
「僕は、君を裏切ったんだ、コレウセ。」
半牛半人の魔物の、瞬きもしない黒い目を見つめる。
「神様を救うために?本当さ。」
人間に騙され、地底に閉じ込められた神様、
悲しい神様を、解放したかった。
「全部壊してしまいたかったから?本当さ。」
血を分けた実の子でありながら、父親から、女の役割を求められた。
道具なのだ。
ただの道具でしかない。
愛されてなどいない。
汚れていく自分に、搾取され続ける立場に耐えられなかった。
「本当なんだ。もう全部、僕は、僕が、街を、みんなを、君のお母さんだって、死ぬ、僕のせいだ。僕がやった。何で追いかけた。僕を何で追いかけた。君は馬鹿だ。何で死ぬんだ。何で、」
ルウスの手から、黒刃の斧がすべり落ちた。
揺らいだルウスの身体は、黒い魔物の上に倒れる。
「…答えてくれよ、コレウセ…。」
ルウスは、もう上手く動かない身体で首を動かした。
人形のようにぴくりとも動かない魔物の身体、
冷たくなっていく魔物の身体に、
「誰か、お願いだ」
ポタポタと
「コレウセを助けて」
雨が降る
「お願いだ、彼を助けて」
ポタポタと
「なにも、いらない、命もいらない」
とまらない
「コレウセを助けてくれ」
「神様…」
6つの女神像は、巨神の身体を地の底へ封じ込める。
1つめの女神像は、巨神の頭を、
2つめの女神像は、巨神の右手を、
3つめの女神像は、巨神の左手を、
4つめの女神像は、巨神の胴体を
5つめの女神像は、巨神の右足を、
6つめの女神像は、巨神の左足を、
金色の糸で封じ込める。
切れた封印の糸を纏いながら、巨神の左足が、空間を突き抜け現れる。
『…最後の封印が、解けた。』
闇の中、自由を得た巨神は、
小さな黒鬼の前で、わらっている。
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