今度は絶対死なないように

溯蓮

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36話

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 ミーシャが物心着いた時には、既にミーシャの遊び場は父と共に訪れる工房だった。多種多様なものづくりで溢れた工房を嬉しそうに見て周り、ミーシャの持つものはこうやってできるのだ、と説明していく父のことが、ミーシャは大好きだった。

「ドレス?」

「そう、ミーシャのことをお姫様にしてくれる、魔法のお洋服のことだよ。」

「興味無い!」

 ミーシャは絵本の中のお姫様に興味はなかった。それよりも、兄の勉強の傍ら数学の問題を解いたり、新しい輸入ルートを考える父と一緒に地図を見比べたり、母と共により売れる戦略を立てる方が楽しかった。

「そんなことよりも、このドレスはいくらにするの?基本的にドレスなら金貨4枚が最低ラインでしょ?」

「そんなことって…まぁ、メアのは出来もいいし生地にも拘ってるから5枚とか?」

「だめ!お父さんが言ってた、相手はお貴族様だって!なら7でいいのよ!」

「ミーシャ、それじゃあとりすぎだ。このドレスを気に入ってもらえるのか分からないんだから、金貨5枚のアレフが正解だな。」

 商品につける値段を決める役割は、主に兄とミーシャだった。もちろん、金額に問題があれば、こうして父親が相場を教える。朗らかな笑顔をうかべそう伝える父に、ミーシャは口を尖らせ反論する。

「でもそれじゃあ、リーズナブルを自称する向こうのドレス工房と一緒だわ!」

「ミーシャこの前勉強しただろ。リーズナブルは安いって意味に取られがちだけど、価値が値段に見合ってるって意味でもあるって。」

「違うよ兄さんそうじゃない!メアのドレスは向こうのドレスよりも価値があるって言ってるの!」

 ミーシャの言い分に思わず兄のアレフと父親は目を剥いた。幼い頃から工房に出入りし、その工房のものたちに猫可愛がりされたミーシャは言葉通りに自分の商会が一番と信じて疑っていなかった。

 その当時はまだ駆け出しで、たくさんの工房を抱えているとはいえその取引先はせいぜいほかよりもお金を持っている中流階級。これから先貴族に売り出していこうと目論む両親はそれだけで収めるつもりはなかったが、ミーシャはそういうのを抜きにして、ただ世間知らずに自分の商会が一番と決めつけていたのだ。

「ミーシャ、確かにメアのドレスは凄いけど、でも向こうのデザイナーだって貴族御用達の名のあるデザイナーだよ。」

「だから何?私はあのドレスがメアより凄いと思わないわ!」

「ミーシャ。」

 兄が何を言おうと聞き入れようとしないミーシャに対して、周りもほとほと困り果てていると、ピシャリと冷たい声がミーシャを呼ぶ。

 思わずミーシャが肩をビクつかせ、恐る恐る後ろを向けば、嫌に無表情な父がミーシャを見下ろしていた。

「ミーシャ、自分の商品に自信を持つのはとてもいい事だ。」

「そ、そりゃあ、そうでしょ?だってメアは……」

「もちろん。メアの腕は貴族にも匹敵するだろう。私はそう見込んで彼女をスカウトした。けれどね?」

 普段優しい父が、温厚な父が、ここまで冷たい威圧をミーシャに向けることが今まで無かったためか、ミーシャはその時もはや泣きそうになっていた。隣に立っている怒られている訳でもない兄も、身を強ばらせるものだからその恐怖はよりいっそうだった。

「他の商品の価値を認められない、そんな盲目な者の商品など、どれだけ素晴らしくても誰も買わない。」

「ひ……っう……」

「自分がしなきゃいけないことがわかったね?ミーシャ。」

 にこり、と未だ冷たい表情のまま笑う父に耐えきれず、ミーシャは店を飛び出す。そして向かうは先程ミーシャが謗ったドレス工房だった。

 カランカラン、とドアベルを流しながらドレス工房に入れば、明らかにドレスを買いに来たミーシャでなくても、店員がにこりと笑いかけてくる。

 いい店は冷やかしすらも受け入れる。父の言葉だった。

「お父様!今度はどんなドレスを買ってくれるの?私今度は赤がいいわ!」

 中には貴族が居た。父親にドレスをねだる金色の髪を持つ彼女はまるでお人形のような美しさだった。

 けれど、商品を見る目はどこが冷たく、まるで好みに会うものがない、そうありありと示していた。ミーシャはほら見ろ、期待に応えられていないじゃないかと店内を見渡す。

 確かに見た目は綺麗なドレスが並んでいる。デザインだって素敵だ。けれど、ドレスの生地はやはり自分たちの方が上等で、メアならこれくらい赤子の手をひねるように作ってくるだろう。

「アリアお嬢様。こちらのドレスには、こちらの髪飾りをお付けしてはどうでしょう。」

 店員であろうか、デザイナーであろうか、けれど貴族を応対しているということはそれだけのマナーが叩き込まれているのであろうその人が、恭しい態度で髪飾りを持ってくる。その髪飾りは驚くほど美しい意匠だった。ドレスのために作られた、そんなに意匠の髪飾り。

 一瞬目を奪われたミーシャはハッとして周りを見渡した。ドレスは確かにメアの方が素晴らしいだろう。けれどどうだ、よく見てみればそのドレスに合わせて作られた小物達はどれも自分たちが出せない渾身の出来をしているじゃないか。

「いや、そんな地味な髪飾り、つけたくもないわ。それに、髪飾りはお父様がもうくれたの!それをつけるのよ!」

 初めて見る自分たちの商品以上の商品にミーシャがとこか打ちのめされていると、先程の令嬢の声が聞こえてきた。

「んー…ここは嫌!好きじゃないわ!あ!お父様!私あそこに行きたいの!来る途中に見た素敵なドレスのお店!」

「あそこかい?あそこで貴族がドレスを買った話など聞いたことがないが…」

「関係ないわ!私が行きたいの!」

 自分勝手なそんな言葉に、けれどミーシャはぴくりと反応する。ここらでドレスを売る店と言えば、ここか自分の店だ。ならきっと、彼女が言うのは自分の店のことだろう。

「お、お嬢様!私、そのお店の者です!見たいとおっしゃるのならば、私がご案内致しましょう!」

「あら?随分と気が利くのね!なら遠慮なく、案内してちょうだい!」

 ふふん!と胸を張る人形のような少女は、拙いミーシャの敬い言葉は気にもとめずに、早く連れていけと催促する。店のものがまるではた迷惑だと言わんばかりにミーシャを睨むけれど、やはり自分の商品に自信の持つミーシャは逆にしてやったりと笑って見せた。

「お嬢様はおつけになりたい髪飾りがございますのでしょう?見せていただけましたら、きっとそれにあったものをお作り致しましょう!」

「まぁそれは素敵!セバス!あの髪飾りを出して!」

 自分は立派な貴族なのだ!と言わんばかりの態度をとるのに、こうして年相応の姿を見せる、おそらくミーシャよりも少し年下の令嬢の一挙手一投足にミーシャは目を奪われる。

 セバスと呼ばれたお付が出した髪飾りを付けた令嬢に、どうかしら?と少し不安げな表情を向けられた時には、もうミーシャの心は奪われてしまっていた。

「とっても素敵です!…っメアを呼んできて!私もドレスを考えるのに協力したいの!」

 転がるように店に入り込み、そして驚く父に令嬢たちを案内させる。そしてさらにドレス工房の方に転がりこめば驚きに目を見開くメアがミーシャを迎え入れた。

 その隣には兄もいた。

「兄さん!私やっぱり興味があったわ!私、お姫様に魔法をかける魔法使いになるの!」

 唯一自分だけのお姫様を見つけたミーシャに迷いはこれっぽっちもなかった。
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