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20話
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「……起きねぇ。」
ヴィノスは目の前で眠る自分の主人を眺めていた。別に、遠くもなく近くもない場所に位置する、王都のクラレンス家邸宅は存外すぐに着く。もうあと十数分もすれば邸宅に着いたことを御者が知らせて、自分がアリアを起こさなければいけないだろう。
『その時一番従順に働く可能性があったのが、ヴィノスだっただけよ。』
「随分と嘘つきだな、お嬢。」
あの時、アリアの専属候補の侍従は大量にいた。もちろん、その中にはミーシャだっていた。その全員が基本的にアリアと歳の近い、けれど働いてる年数が3年は超えているものだった。
新米と言われるものたちがいる、けれど業務は申し分ない候補者が沢山いた中から、アリアが選んだのは身分も何も無い、ただ迷い込んだ先で見つけたクソガキが一人だった。
『私の専属はヴィノスじゃなきゃダメよ!そう約束したの!』
小さくて白い、何も苦しみなど知らないようなまろい手に、一枚、輝く銀貨を掴んで差し出すその手をヴィノスは取った。内心、貴族なのに金貨じゃねーのか、シケてんな。なんて無礼なことを思いはしたけど欲があるものほど先に死んでいくのがスラムだ。だったら目の前の銀貨に食らいつくことの方がヴィノスにとって大切だった。
「なぁお嬢。なんで俺にしたんだ?」
ヴィノスはそっと、あの時とは変わらない、白く細い、柔らかそうな肌に包まれた首に手を添える。そこには確かに生きていることを感じさせる熱と、脈があった。
ヴィノスはずっと疑っている。あんな路地の奥深くに入ってきた幼い公爵令嬢のことを、そして急になにかに怯え逃げ出そうとしている公爵令嬢を、ずっとずっとヴィノスは疑っていた。
ただの公爵令嬢が、自分のようなスラム生まれの何も持たないガキを殺すようなことをしないのは分かっている。じゃあこの公爵令嬢はどうだ。貴族の命を狙うものなんて、ヴィノスは腐るほど見てきた。あの日も、あそこまで奥に入り込んできたのは金か、もしくは命を狙ったものに連れてこられたのだろう。
今だって、時折死人のような顔をする。ヴィノスは正直あの顔が苦手だった。スラムで散々みてきた、命乞いをする子供と被るから。必死に死にたくない、嫌だと嘆く子供と重なるから。
「お嬢が死ぬところ、見たくねぇな。」
そんな光景を見てしまったら、ヴィノスはきっと、自分が死んでしまったように思うだろう。まるで、自分があの時、アリアに拾われずスラムでただ無価値な命として死んだのだと思い込んでしまうだろう。
きっと“今の”アリアを殺せば自分を殺すことになるのだろう。ヴィノスはそれが本能的にわかって、そして心の底からそれが嫌だった。“前の”アリアであれば、きっとこんなことを思わずに済んだのに。
自分は恋なんてしないだろうから。恋をして振り回されて、盲目になるなんて馬鹿な事しないだろうから。でもきっと、自分の命が危ぶまれたら必死に逃げるだろう。怯えるだろう。恐怖するだろう。アリアのように。
「アリアお嬢様。お屋敷に着きました。」
「……ん、あら…ヴィノス、私寝てたのかしら?」
「あー…うん。寝てたよお嬢。ちょうど、着いたところ。」
ヴィノスが声をかけるよりも先にアリアが目を覚ます。思考の海に溺れていたヴィノスはそこから這い上がってアリアを馬車から下ろす。すると直ぐに、姦しいミーシャが駆け込んできた。
「お帰りなさいませお嬢さまぁ!!お帰りが遅いので、ミーシャ心より心配をしておりました!!」
「み、ミーシャ…えぇ、ただいま。心配をかけたようでごめんなさいね。」
「いえ!…いえ!お嬢様が謝る必要などございません!!悪いのは全て、連絡も何もしないこのダメ従者のせいですわ!この距離なら早馬程度飛ばせたでしょうに!」
ビシっ!とヴィノスを指さして睨みつけるミーシャ。しかし、それを無視するヴィノスに対して、ミーシャは地団駄を踏む。似たような光景をさっき見たな、と思いながらヴィノスはさっさと屋敷に入るように二人に声をかけた。
そして直ぐに思い出したかのようにアリアの背中に向かって声をかける。
「なぁお嬢…」
「何かしら?」
「お嬢はさ、俺の前で死なないでね。お嬢が目の前で死ぬとか、夢見悪くてこれから先飯が不味くなりそうだから。」
だからせいぜい、俺の知らないところで死んでくれ。その言葉にアリアは心底驚いたように目を見開いた。そしてまた、いつものように死人のような顔をする。その瞳は疑いと恐怖に染っていた。そして声も出さないその口が、どうしてと動く。
「頼んだよ、お嬢。」
「……私を殺すのは、貴方でしょうに…」
苦しそうに、まるで息すらも出来ないと言わんばかりの表情でアリアが呟いた。ヴィノスの耳には届かない。だってヴィノスは自分の言いたいことを言って満足してしまったから。アリアの様子なんてどうでもいい、そんな無礼な従者だったから。これに気づいていれば、ヴィノスは一歩、自分の持つ違和感の正体に、近づけたのかもしれないのに。
「一体何を考えているの?」
そしてアリアに、強い警戒心を再び抱かせることもなかったのに。
ヴィノスは目の前で眠る自分の主人を眺めていた。別に、遠くもなく近くもない場所に位置する、王都のクラレンス家邸宅は存外すぐに着く。もうあと十数分もすれば邸宅に着いたことを御者が知らせて、自分がアリアを起こさなければいけないだろう。
『その時一番従順に働く可能性があったのが、ヴィノスだっただけよ。』
「随分と嘘つきだな、お嬢。」
あの時、アリアの専属候補の侍従は大量にいた。もちろん、その中にはミーシャだっていた。その全員が基本的にアリアと歳の近い、けれど働いてる年数が3年は超えているものだった。
新米と言われるものたちがいる、けれど業務は申し分ない候補者が沢山いた中から、アリアが選んだのは身分も何も無い、ただ迷い込んだ先で見つけたクソガキが一人だった。
『私の専属はヴィノスじゃなきゃダメよ!そう約束したの!』
小さくて白い、何も苦しみなど知らないようなまろい手に、一枚、輝く銀貨を掴んで差し出すその手をヴィノスは取った。内心、貴族なのに金貨じゃねーのか、シケてんな。なんて無礼なことを思いはしたけど欲があるものほど先に死んでいくのがスラムだ。だったら目の前の銀貨に食らいつくことの方がヴィノスにとって大切だった。
「なぁお嬢。なんで俺にしたんだ?」
ヴィノスはそっと、あの時とは変わらない、白く細い、柔らかそうな肌に包まれた首に手を添える。そこには確かに生きていることを感じさせる熱と、脈があった。
ヴィノスはずっと疑っている。あんな路地の奥深くに入ってきた幼い公爵令嬢のことを、そして急になにかに怯え逃げ出そうとしている公爵令嬢を、ずっとずっとヴィノスは疑っていた。
ただの公爵令嬢が、自分のようなスラム生まれの何も持たないガキを殺すようなことをしないのは分かっている。じゃあこの公爵令嬢はどうだ。貴族の命を狙うものなんて、ヴィノスは腐るほど見てきた。あの日も、あそこまで奥に入り込んできたのは金か、もしくは命を狙ったものに連れてこられたのだろう。
今だって、時折死人のような顔をする。ヴィノスは正直あの顔が苦手だった。スラムで散々みてきた、命乞いをする子供と被るから。必死に死にたくない、嫌だと嘆く子供と重なるから。
「お嬢が死ぬところ、見たくねぇな。」
そんな光景を見てしまったら、ヴィノスはきっと、自分が死んでしまったように思うだろう。まるで、自分があの時、アリアに拾われずスラムでただ無価値な命として死んだのだと思い込んでしまうだろう。
きっと“今の”アリアを殺せば自分を殺すことになるのだろう。ヴィノスはそれが本能的にわかって、そして心の底からそれが嫌だった。“前の”アリアであれば、きっとこんなことを思わずに済んだのに。
自分は恋なんてしないだろうから。恋をして振り回されて、盲目になるなんて馬鹿な事しないだろうから。でもきっと、自分の命が危ぶまれたら必死に逃げるだろう。怯えるだろう。恐怖するだろう。アリアのように。
「アリアお嬢様。お屋敷に着きました。」
「……ん、あら…ヴィノス、私寝てたのかしら?」
「あー…うん。寝てたよお嬢。ちょうど、着いたところ。」
ヴィノスが声をかけるよりも先にアリアが目を覚ます。思考の海に溺れていたヴィノスはそこから這い上がってアリアを馬車から下ろす。すると直ぐに、姦しいミーシャが駆け込んできた。
「お帰りなさいませお嬢さまぁ!!お帰りが遅いので、ミーシャ心より心配をしておりました!!」
「み、ミーシャ…えぇ、ただいま。心配をかけたようでごめんなさいね。」
「いえ!…いえ!お嬢様が謝る必要などございません!!悪いのは全て、連絡も何もしないこのダメ従者のせいですわ!この距離なら早馬程度飛ばせたでしょうに!」
ビシっ!とヴィノスを指さして睨みつけるミーシャ。しかし、それを無視するヴィノスに対して、ミーシャは地団駄を踏む。似たような光景をさっき見たな、と思いながらヴィノスはさっさと屋敷に入るように二人に声をかけた。
そして直ぐに思い出したかのようにアリアの背中に向かって声をかける。
「なぁお嬢…」
「何かしら?」
「お嬢はさ、俺の前で死なないでね。お嬢が目の前で死ぬとか、夢見悪くてこれから先飯が不味くなりそうだから。」
だからせいぜい、俺の知らないところで死んでくれ。その言葉にアリアは心底驚いたように目を見開いた。そしてまた、いつものように死人のような顔をする。その瞳は疑いと恐怖に染っていた。そして声も出さないその口が、どうしてと動く。
「頼んだよ、お嬢。」
「……私を殺すのは、貴方でしょうに…」
苦しそうに、まるで息すらも出来ないと言わんばかりの表情でアリアが呟いた。ヴィノスの耳には届かない。だってヴィノスは自分の言いたいことを言って満足してしまったから。アリアの様子なんてどうでもいい、そんな無礼な従者だったから。これに気づいていれば、ヴィノスは一歩、自分の持つ違和感の正体に、近づけたのかもしれないのに。
「一体何を考えているの?」
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