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19話
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「……アリア様は、一体どうしてその方を連れているのですか。」
喧嘩をユーリによってとめられたリリーは、やっと冷静さを取り戻したのか、憎々しげにヴィノスを睨みつけながら、地を這うような声でアリアに問いかける。
そんな声を聞いたことの無いアリアは心底驚いた。そのため、一拍アリアの質問を理解するのに時間を要してしまった。
「どうして、とは?」
「アリア様は公爵令嬢です。それならもっと身分も、学も、礼儀も揃えた者がいるでしょう。どうして彼なのです?」
そのリリーの問いに、再びアリアは面を食らう。確かに、考えたことがなかった。アリアは前回、と言うよりも随分と幼い時にヴィノスを拾った。
拾ったという言葉が相応しいほど、その時の彼はボロボロだった。
『貴方、そんなところで何しているの?』
『あ?……そっちこそ貴族のガキが、こんなところで何してんだよ。目障りなんだよ。』
まるで飢えたハイエナのように目をギラギラとさせ、ボロボロの姿をした彼は、街の裏、隅と言ってもいいような入り組んだ路地裏の先で座って身を潜めていた。
『お父様が迷子になったのよ。』
『どうやったらここで貴族が迷子になんだよ。』
『お父様を知ってるって人に案内されてきたのよ!でもその人も迷子になってしまったの。』
『馬鹿か。……金がねぇなら帰れよ。』
パリンっと、誰が飲んだかも分からない酒瓶を投げれば、まだ幼いアリアの足元で割れる。けれど、その行為が一体何なのか、そもそも割れた酒瓶が危ないということさえ、大切に育てられたアリアは知らなかった。アリアにわかるのは、自分にはお金があるということだけだった。
『お金ならあるよ!お父様がお小遣いをくれたの。』
善意も悪意も分からない。そんな幼いアリアは、自分が持つ上等な皮袋に入ったコインの価値もまだ正確には知らなかった。
『は?…おいガキそれよこせよ。』
『欲しいの?』
『ったり前だろ!ここらじゃんなもん喉から手が出るほど誰もが欲してる、なぁいいだろ?腐るほどあるそれ、俺に一枚よこせ。』
さっきとは違う必死の形相で手を伸ばした皮袋。その時の彼の腕はどれだけ細かっただろうか。その頬はどれだけコケていただろうか。もう朧気なアリアの記憶は、そこまで鮮明には分からない。ただ、ギラギラとした肉食動物のような瞳に、アリアは何かを感じたはずだった。
『いいよ、一枚あげる。その代わりに貴方、私の従者になって!』
幼いアリアは一体あの時、どうしてヴィノスを従者になんてしたのだろうか。
「なんだよ、お嬢。」
気づけばアリアは、無意識にヴィノスの顔を凝視していた。しかし、記憶のはるか遠くに追いやられてしまった、さして重要でも無い記憶はいくら記憶力のいいアリアでも、思い出すことは出来なかった。
「……別に、これといった理由はないわ。その時一番従順に働く可能性があったのが、ヴィノスだっただけよ。」
「まぁたしかに、ヴィノスは金さえありゃ従順だもんな。」
「っだから、その態度が問題だと思うのだけれど?」
ユーリが付け足した情報にリリーが噛み付く。リリーは誇りが重要だという。働きがいが重要だという。必死に働いて、それに価値を見出すことが幸せで、その仕事を続けることで持つ誇りは、命と同じくらいに尊いのだと言う。
「だからこそ、私はアリア様が誇りを持って貴族としてのお役目を果たすことを尊敬致します!」
「ノブレス・オブリージュってやつな…本当、貧乏男爵には無茶なやつ。」
「なんだっけ、貴族の義務?俺はくだらねーとしか思えねぇわ。誇りで飯が食えたら苦労しねーのよ。」
今度はヴィノスも加わった否定に、リリーはいっそう頬を膨らませた。けれど、今回ばかりはアリアはヴィノス側だった。
だってそうだろう、誇りは前回持っていたはずだ。貴族であることに誇りを持ち、確かにそれにふさわしくない行動を取った時もあった。けれど、結局誇りは別に何も助けてくれない。もはやアリアの中で、“誇り”は“誇り”に変わっていた。
「リリー様、確かに誇りは大切ですわ。でもきっと、人の考えはそれぞれですわ。時として誇りよりも大切なものがきっと出てくるのでしょう。」
「アリア様……!」
「そ、そんな感激されることかしら…」
「いや?お嬢らしからぬ、反吐が出るほどに気持ちわりぃ綺麗事だったよ。」
見ろよこの鳥肌、と隣に立つユーリに肌を見せるヴィノス。その態度にアリアは一瞬イラつくが、直ぐに気を張っていないヴィノスが新鮮でそちらの方に意識がズレる。
「…そろそろ、私は帰らせて頂くわ。またお話しましょうね、リリー様。」
「はい!是非!!」
社交辞令を知らない彼女は純粋にアリアの言葉に返す。先程までは意地でも帰そうとしていなかったのに、当初の目的をアリアとの会話とヴィノスとの喧嘩で忘れた彼女は、彼女を止めることすら忘れていた。
「それでは…デイモンド様もまたの機会がございましたら。」
「あ、はい。こちらもよろしくお願いします、クラレンス公爵令嬢。……って、俺のこと知ってんのかよ。」
アリアはユーリにも挨拶をしてヴィノスを連れて馬車に乗り込む。そこでやっと自分の天敵である人物から離れ、全ての警戒を取り除いたような安堵のため息がアリアから漏れた。その疲れからか、普段は絶対にありえない事だが、馬車の中でアリアは意識を飛ばした。
喧嘩をユーリによってとめられたリリーは、やっと冷静さを取り戻したのか、憎々しげにヴィノスを睨みつけながら、地を這うような声でアリアに問いかける。
そんな声を聞いたことの無いアリアは心底驚いた。そのため、一拍アリアの質問を理解するのに時間を要してしまった。
「どうして、とは?」
「アリア様は公爵令嬢です。それならもっと身分も、学も、礼儀も揃えた者がいるでしょう。どうして彼なのです?」
そのリリーの問いに、再びアリアは面を食らう。確かに、考えたことがなかった。アリアは前回、と言うよりも随分と幼い時にヴィノスを拾った。
拾ったという言葉が相応しいほど、その時の彼はボロボロだった。
『貴方、そんなところで何しているの?』
『あ?……そっちこそ貴族のガキが、こんなところで何してんだよ。目障りなんだよ。』
まるで飢えたハイエナのように目をギラギラとさせ、ボロボロの姿をした彼は、街の裏、隅と言ってもいいような入り組んだ路地裏の先で座って身を潜めていた。
『お父様が迷子になったのよ。』
『どうやったらここで貴族が迷子になんだよ。』
『お父様を知ってるって人に案内されてきたのよ!でもその人も迷子になってしまったの。』
『馬鹿か。……金がねぇなら帰れよ。』
パリンっと、誰が飲んだかも分からない酒瓶を投げれば、まだ幼いアリアの足元で割れる。けれど、その行為が一体何なのか、そもそも割れた酒瓶が危ないということさえ、大切に育てられたアリアは知らなかった。アリアにわかるのは、自分にはお金があるということだけだった。
『お金ならあるよ!お父様がお小遣いをくれたの。』
善意も悪意も分からない。そんな幼いアリアは、自分が持つ上等な皮袋に入ったコインの価値もまだ正確には知らなかった。
『は?…おいガキそれよこせよ。』
『欲しいの?』
『ったり前だろ!ここらじゃんなもん喉から手が出るほど誰もが欲してる、なぁいいだろ?腐るほどあるそれ、俺に一枚よこせ。』
さっきとは違う必死の形相で手を伸ばした皮袋。その時の彼の腕はどれだけ細かっただろうか。その頬はどれだけコケていただろうか。もう朧気なアリアの記憶は、そこまで鮮明には分からない。ただ、ギラギラとした肉食動物のような瞳に、アリアは何かを感じたはずだった。
『いいよ、一枚あげる。その代わりに貴方、私の従者になって!』
幼いアリアは一体あの時、どうしてヴィノスを従者になんてしたのだろうか。
「なんだよ、お嬢。」
気づけばアリアは、無意識にヴィノスの顔を凝視していた。しかし、記憶のはるか遠くに追いやられてしまった、さして重要でも無い記憶はいくら記憶力のいいアリアでも、思い出すことは出来なかった。
「……別に、これといった理由はないわ。その時一番従順に働く可能性があったのが、ヴィノスだっただけよ。」
「まぁたしかに、ヴィノスは金さえありゃ従順だもんな。」
「っだから、その態度が問題だと思うのだけれど?」
ユーリが付け足した情報にリリーが噛み付く。リリーは誇りが重要だという。働きがいが重要だという。必死に働いて、それに価値を見出すことが幸せで、その仕事を続けることで持つ誇りは、命と同じくらいに尊いのだと言う。
「だからこそ、私はアリア様が誇りを持って貴族としてのお役目を果たすことを尊敬致します!」
「ノブレス・オブリージュってやつな…本当、貧乏男爵には無茶なやつ。」
「なんだっけ、貴族の義務?俺はくだらねーとしか思えねぇわ。誇りで飯が食えたら苦労しねーのよ。」
今度はヴィノスも加わった否定に、リリーはいっそう頬を膨らませた。けれど、今回ばかりはアリアはヴィノス側だった。
だってそうだろう、誇りは前回持っていたはずだ。貴族であることに誇りを持ち、確かにそれにふさわしくない行動を取った時もあった。けれど、結局誇りは別に何も助けてくれない。もはやアリアの中で、“誇り”は“誇り”に変わっていた。
「リリー様、確かに誇りは大切ですわ。でもきっと、人の考えはそれぞれですわ。時として誇りよりも大切なものがきっと出てくるのでしょう。」
「アリア様……!」
「そ、そんな感激されることかしら…」
「いや?お嬢らしからぬ、反吐が出るほどに気持ちわりぃ綺麗事だったよ。」
見ろよこの鳥肌、と隣に立つユーリに肌を見せるヴィノス。その態度にアリアは一瞬イラつくが、直ぐに気を張っていないヴィノスが新鮮でそちらの方に意識がズレる。
「…そろそろ、私は帰らせて頂くわ。またお話しましょうね、リリー様。」
「はい!是非!!」
社交辞令を知らない彼女は純粋にアリアの言葉に返す。先程までは意地でも帰そうとしていなかったのに、当初の目的をアリアとの会話とヴィノスとの喧嘩で忘れた彼女は、彼女を止めることすら忘れていた。
「それでは…デイモンド様もまたの機会がございましたら。」
「あ、はい。こちらもよろしくお願いします、クラレンス公爵令嬢。……って、俺のこと知ってんのかよ。」
アリアはユーリにも挨拶をしてヴィノスを連れて馬車に乗り込む。そこでやっと自分の天敵である人物から離れ、全ての警戒を取り除いたような安堵のため息がアリアから漏れた。その疲れからか、普段は絶対にありえない事だが、馬車の中でアリアは意識を飛ばした。
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