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辞めてからの日々

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あの野郎……。
俺は痛む身体に伊月への恨み言をひたすらに心の中で唱える。

たまにならシてもいいと言ってから。
伊月は薬を仕込まなくなった代わりに頻繁にシてくるようになった。
たまにの意味わかってる?
そう言おうと思ったが、俺の留学が近いこともあり、伊月なりの不安の表れ故なのだろう。留学を取り辞めることなどできない俺は何も言えなくなった。

それでも、だからといって、加減があるだろ。伊月は本っ当に加減というものを知らない。
そして俺が現在仕事を抱えていないこともあって、伊月はしたい放題に痕を残していた。首元どころか身体中、痛々しい赤紫色の鬱血痕や内出血で大惨事だった。全部、伊月が俺の全身を隈なく舐め回しながら付けたものである。
おかげで俺は首元や肌が隠れる服を着ざるえなかった。
普段ならセットアップのジャージを首元まで上げれば簡単に隠すことができるが、生憎今日はジャージというわけにはいかなかった。


今日は社長と食事に行く日。どんな店に連れて行かれるのか、高級的な意味で正直わかったものじゃない。只でさえ、いつも社長との食事は服装に悩むというのに……。
手持ちの服の中から首元が隠れ、且つ食事の店に見合う服を探し出すのに苦労した。
黒の薄手のハイネックの上から同じく薄手のグレーのカーディガンを羽織り、少しもたついて見える上半身のシルエットを引き締める為に下は黒のスキニーパンツを選んだ。
部屋着と練習着以外、上下共にダボッっとしたシルエットがあまり好きではない俺はよくスキニーパンツでバランスを取る。どちらかと言うと足はすっきりして見える方が好きなのだ。

事前に確認したところスニーカーでも大丈夫だとのことで、ちょっとカジュアルめにしてカーディガンが店の場にそぐわないようならすぐに脱げるようにしている。その場合、黒×黒になってしまうが腕に付けている時計やアクセサリーもあるし、多分変ではないだろう。
そして俺は本日、何となく気分で大きめの丸い伊達眼鏡を掛けている。
着替え終えて家から出るまで伊月から大量に写真を撮られ、社長からも好評で、まあ、悪くないと思っている。若干親バカ2人の贔屓目かもと不安だが、変ではないと思いたい。


今日は社長と食事に行くついでに留学の際に必要なものも買いに来ていた。
……いや、それ留学に絶対必要ないよね?って物までも社長は留学する本人の意見を無視して迷いなく次々に購入していく。
大きすぎて持って帰れないし、量が多くて向こうに持っていけないぞ……?と品物を見て思っていたら、そのまま送ると言って発送の手続きまでしだした。海外便である。
社長の豪快さに俺は苦笑するしかなかった。


その後、社長と久しぶりの食事をした。
事務所の外に出た社長は普段よりもっと気さくな人になる。
「莉音が事務所に居ないと寂しい」「中々顔を出してくれないから死にそうだ」「寂しいから本当は留学に行かせたくないけれど、莉音のしたいことだから応援する」と拗ねた子供みたいな表情をしながら、結構ストレートに感情を表現する。
割と会ってると思うんだけどな……?
それでも毎日練習室に居た頃に比べたらそう感じるものなんだろう。俺が練習室に居ると社長は事務所に居たら必ず顔を出してくれた。仕事をサボりに来たと言って俺を笑わせてくれて、そういうところも社長は少年心を持ち続けている人だった。



「そういえば、留学が終わった後のことを話してなかったな」
「はい。決まってるんですか?」
「丁度帰ってくる時期が事務所主催のイベントと被るだろ?」
「そうですね。それの2週間前くらい?」


事務所主催のイベントとは、うちの事務所に所属するアーティスト、俳優、タレント、芸人、アイドルたちが本来の業種や音楽性の枠を越えて同じステージに立ってコラボをするイベントだ。もちろん本来の自分たちの曲や芸の披露もある。開催期間は2日間。
初日は本来の活動メインでのライブやステージ。
2日目はコラボである。

去年のコラボはイケメンと呼ばれるうちの事務所の芸人が伊月とコラボをして歌って踊ったり、俺と柚葉がミュージカル俳優の人たちと殺陣を披露し、伊佐山がDJラップグループのボーカルに参入、殿岡と須美は大御所バンドのギターボーカルとドラムにそれぞれ挑戦し、橘と森本は後輩のアイドルグループの中に入ってそのグループの曲を歌って踊った。
俺らのグループにはロックバンドで活動しているボーカル担当の人とキレッキレダンスでバズって引っ張りだこになった芸人さんが参入して曲を披露した。
後日事務所の公式サブスクで有料配信されるが、その年そこでしか見られない、普段なら有り得ない1日限りの夢を謳ったコラボレーションイベントである。
その分練習はクッッッソ大変なのでやってる側からしたら地獄のイベントでもある。

何故そんな話を?
そう思って首を傾げるが、答えは1つしかない。


「まさか……」
「シークレットゲストだ」
「……2日目オンリー?」
「2DAYSに決まってるだろう」
「俺1日目披露する曲とか無いですけど!?」
事務所うちの卒業したグループの曲とか伊月のグループの曲をやればいい。バックダンサーも研修生から何人か付ける」
「ええ……」

思ったより壮大すぎるステージが待っていた。


「2日目は伊月とのコラボだな」
「え!ついに解禁ですか!?」
「今後についてはそれを見て考えよう」
「わー、伊月喜ぶだろうなぁ」


俺と伊月は同じオーディションを受け、同時期に事務所の養成スクールに入り、研修生としての期間を経て、それぞれのグループからデビューした。
当時俺たちは同じグループになると疑ってなかったが、デビューが決まると結果として別々になってしまった。
何故なのか。社長曰く、伊月に問題があったらしい。これは社長と伊月の間だけで交わされた話で、俺はその問題とやらの具体的なことは教えてもらえなかったが、伊月は結構な問題児でもあったので俺はそれが原因だと勝手に思っている。

それが解禁。さすがに伊月も大人になって多少は協調性というものを身に着け、落ち着いてきたことからお許しが出たのだろう。
このコラボイベントですら俺たちは共演したことがなかった。
それでも俺とのユニットを諦めなかった伊月だ。この報せを聞いたら歓喜して転げ回るだろうことが簡単に想像できた。


「伊月とのコラボはオリジナルで3曲を考えている」
「えっ……」
「レコーディングもするぞ。曲が出来次第、送るから向こうで覚えておくように」
「……ちなみに振りは?」
「練習期間を設けているが、動画も送るから向こうで覚えたらいい。留学後の力を見せる為にも結構激しいやつにしてもらうから」

さよなら、俺の平穏な留学生活。
帰国してからのことは未来の帰国した俺に託すけど、忙しさでどうか死なないでほしい。


「大変だろうが頑張れよ」

留学から帰国後、俺の超過密スケジュールが確定した。
社長はとてもいい笑顔で俺を激励するが、とんでもないことを言っている自覚はあるのだろうか。
普段俺に甘いと言われている社長だが、こういう所は厳しくて、ちゃんと公私を分けてる人だと思う。


「あとシークレットゲストと言っても莉音のファンが後から知って参戦できないのもアレだから、チケット発売される時期辺りからSNSにて積極的に匂わせていくぞ」


更に留学中からもSNS活動を頻繁にやれとのトドメを喰らった。



その後、社長とは事務所の前で別れた。
社長は伊月の家まで送ると言ってくれたが、伊月が事務所に寄る用事があるらしいので、事務所で合流して一緒に帰ることになっていた。
尚、今日のこの食事は伊月に内緒でとのことだったが当然本人にはバレている。
誰とどこへ行くとも伝えていなかったのに、家を出る瞬間に「社長によろしくね?」と背後から感情の無い声で言われた恐怖がわかるだろうか。浮気がバレた人の焦りの心境がわかった気がした。別に浮気してるわけではないのでやましいことはないのだが。



それにしても、まさか再出発のスタートがコラボイベントだとはなぁ…。全くもって予想外だった。
俺は腕を組み、そんなことを考えながら事務所へ入っていく。

留学してからなるべくこまめに伊月と連絡を取るつもりではいたが、これは進捗の確認や連携を取る為にも嫌でも連絡を取らざるえない。問題無いからいいとしても、仕事の話ばかりしてしまいそうだ。

だけど俺は留学と同じくらいにこのコラボが楽しみになっていた。伊月とずっとお互いに頑張ってきたのだ。俺だって何かやりたいなと思っていたことくらいはある。同じステージで踊るのは研修生時代以来。だからこそ俺はこのコラボに対して殊更に喜び、期待に胸を弾ませている。


伊月はまだこのことを知らないらしい。
1番喜ぶだろうからと俺の口から言うことになったのだが、どのタイミングでどう言うべきか。ついでに機嫌が直ってくれるとありがたい。
どうせならドッキリレベルでびっくりさせたいが、やっぱり伝えた瞬間に笑顔にさせたいなとも思ってしまう。
フッと口元がニヤけた後に我に返る。
なんというか、これではまるでプロポーズを考えているみたいだ、と俺は1人で恥ずかしくなった。


「リオン……?」
「え?」

テンションが上がって浮かれすぎていたのだろう。名前を呼ばれてほぼ反射的に振り返る。
そこには森本がいた。


「ちょ、なに……っ!」
「……来て」

素早い動きで手を掴まれ、強引に引っ張られる。抵抗しようにも怪力の森本に対して下手に抵抗したら、こちらの肩か腕、もしくは手の関節が外れてしまうだろう。大げさじゃなく。冗談でもなく。
留学前なのだ。怪我は避けたい。俺は森本の足の進むまま連れて行かれた。



連れて来られた場所はトイレだった。しかも個室である。
鍵を閉められ、壁に押し付けられ、逃げられないよう森本の手が両肩に置かれる。
大して身長の変わらない森本はぐっと顔を近付けた。鼻と鼻が触れそうな距離。圧の強い森本の瞳が至近距離から俺を真っ直ぐに見つめる。


「ち……近いんだけど……」
「リオン、こっち、見て」
「き、聞いてる?逃げないからもうちょっと離れてほしいんだが……」


森本の眼光の圧が強すぎて、俺は顔を逸らしながら言うと、肩から手が離れる感触があった。距離が開いた安心感からそっと息を吐こうとした寸前。グイッと顎を持ち上げられた。嫌でも森本と視線が合わさる。森本のその瞳はどこか虚ろのように暗かった。


「淋しい……」
「え?」
「リオンが、居ない家は、淋しい……」


突然何を……?
俺は顎を掴んでいる手を退けようと力を入れるがビクともしない。それどころか、顎に食い込んでいき、若干の息苦しさを覚える。


「もりも…と……」
「ねぇ、戻って、きてよ」
「無理なこと言うな……っ」
「何で……?あの部屋に、戻ってきて、くれるだけで、いいんだ。グループに、戻って来い、なんて、言わないから」
「無理だって…!とりあえず離せ……っ!」


森本は普段より饒舌で、そして強引だった。必要以上に人に触れようとしない森本がやたらに引っ付いて触ってくる。様子のおかしさに気付きつつも、俺は抵抗らしい抵抗すらできない状態だった。


「俺を捨てないで……」


そう言って森本は俺を抱き寄せた。肩口に頭を擦り寄せる。その行動に俺はゾワッと鳥肌が立つのを感じた。



「森本!お願いだからやめてくれ!」
「何で?」
「話はちゃんと聞くから!距離をとってほしい」
「ダメ。だって、リオン、俺を、捨てる、もん……」


どこまで話が通じないのだコイツは。


「リオンが、俺たちを、捨てようと、しても、ね?俺は、捨てられて、あげない」


鼻先が触れ合う距離までまた顔を近付けられたと思えば、森本の手が俺の頬をそっと撫でる。柔らかく触れる指先とは裏腹に、その眼は逃さないとでも言わんばかりにギラリと光って、据わりきっていた。


「もう俺たちはお互いに関係ないんだ」
「リオンが、レゾブンを、辞めたから?」
「そうだ。接点すらない」
「なら、新しく、作ればいいんだね?」
「……は?」


森本は納得したようにそう言った。
身体に包まれていた圧迫感が解放されたと同時に顎を再び掴まれ、上を向かされたと思った瞬間。
森本の唇が俺の唇に触れた。
森本のあまりに突然の予想しなかった行動に俺は動けなかった。
頭の中は、はあああああ!?でいっぱいだった。
苦手な森本の瞳が閉じられ、代わりに長い睫毛が視界いっぱいに映る。


「んんっ……!」


チュッ、と音を鳴らして僅かに離れたと思ったら、今度は角度を変えてまた唇が触れた。森本は俺の唇を軽く吸い、舌で擽ってくる。


「やっ……」

やだ、とはっきり伝えようとした時。
にゅるりと森本の舌が俺の口内に入ってきた。
顔を背けたくてもがっちり顎を掴まれているので動けなかった。


「んんっ……やっ、んぅ……!!」


おっとりとした人柄の森本の舌は荒々しく、俺の口内を無遠慮に犯していく。
嫌なのに。歯列を舌で擽られ、ゾクッと身体が震えた。伊月にすっかり快楽に慣らされた身体が仇となっている。
無意味な抵抗と理解しつつも、森本の胸や背中をドンドンとど突くように叩く。今度こそようやく唇が完全に離れた。と思えば。
森本の手が服をまさぐって侵入してきた。


「森本!!やめろ!!っ、おい!!」


冗談じゃ済まされないことに俺は血の気が引いていく。押し退けようにも手で押したところで微動だにしなかった。だが森本の手が俺の服を捲り上げた瞬間、ピタリと動きが止まった。
その隙をチャンス!と思った俺は逃げようとするが、肩を壁に押し付けられ、そのまま胸元まで服をたくし上げられた。


「ねえ、リオン?なに?これ……?」


森本が指すソレは。夥しいほど、全身の至る所に伊月によって付けられた鬱血痕、つまりキスマークだった。
マジマジと見られてしまったことに俺は顔に熱が集まったのを感じた。


「こ、これは……」


上手い言い訳が何も思い付かない。


「アイドル、辞めて、羽目、外しちゃった?リオンって、とっても、えっち、だったんだ?」
「はぁ!???」


前から思っていたが、森本の俺に対する言葉選びはかなりの悪意がないだろうか。
恥ずかしさと怒りからわなわなと震える俺に森本は耳元で囁いた。


「淫乱、だね?」
「お前っ……!!」
「誰が、付けたか、なんて、聞かないでも、わかる」
「ひあっ……!!」


キュウッと胸の飾りを抓まれて、咄嗟のことに声が漏れ出た。
森本はそれを見て意地の悪い笑みを浮かべる。


「っ、触んな……!!」
「ねぇ、あの人が、いいなら、俺でも、いい、でしょ?」
「だから……ッ!人の!話をッ!!」
「えっちな、リオンを、毎日、満足、させて、あげるから、戻って、きてよ」


本気で言っているなら頭がおかしいとしか思えない。話の噛み合わなさに、整合性のない言い分。どうしてそれで俺が頷くと思うのか。

しかも相手は誰でもいいみたいに失礼なことを言ってくれる。
そんなわけがない。伊月すら最初は受け入れられなくてノーカンにして拗れかけたというのに。
そもそもの前提として、何故、伊月がいいなら森本もOKということになるのか。どんな思考回路をしているんだ。
事実として伊月とはなし崩しだったけど。けれど。伊月以外とこんなことをするのは嫌だ。できない。できるわけがない。こんなことを許すのは伊月だからだ。
そう思ったら俺は冷え切った声を喉から出していた。


「森本。これ以上嫌がらせをするならお前の顔を殴る」


その低い声音にビクッと森本が肩を揺らし、俺の身体から手を離して僅かに後退った。


「嫌、がらせ、じゃ、ない」
「いいや、俺のことが嫌いだからいつも嫌がらせをするんだろ」
「嫌って、なんか……!」
「人の話は全く聞かねぇし、何かとガンつけてくるし、いじめの加害者に仕立て上げておいて、嫌いじゃないなら何なんだ?」
「い、じめ……?」


訳がわからなさそうに森本は首を傾げた。惚けた振りなのか、本当に心当たりがないのか。どちらだとしても最早俺にはどうでもいいことだった。


「性的な嫌がらせなんて最低だよ」


唇を袖で擦りながら、軽蔑の目を向け、吐き捨てる。


「リオン、話を、聞いて……ッ」
「お前は俺の話を聞いたことがあったか?何で俺だけ聞かなきゃいけないんだよ」
「っ、リオン……」
「俺はお前と居る時が苦痛で仕方なかった。あの部屋を出て清々してるのに戻るわけないだろ」
「な、んで……」


森本の目からボタボタと涙が流れていく。



「リオン、だけ、なんだ……俺を、見て、俺の、話を、聞いて、くれるのは……」
「知らねぇよ」
「だって……俺のこと、誰も、見てくれない……リオン、だけが……リオン、しか……」


泣きながら、虚ろな瞳で森本はそう呟いた。頬に伝う涙をぐしぐしと袖で拭っている。



「お願い、だから、俺を、捨てないで……」


俺は結局コイツのことは昔も今も何1つわからない。
悪様に罵ってきたかと思えば、こうやってよくわからないことを言いながら縋って来たりして。森本の言動は冷静に考えてみると、情緒不安定すぎて普通に怖い。
そしてどう考えても俺に依存しかかっている。


「捨てるも何も、最初から俺とお前は無関係だ」
「そんなっ……こと、言わないで……」
「なあ、お前を見てくれるのは本当に俺以外居ないのか?違うだろ。ファンはお前を見てるだろ?」
「でもっ、ファンは、本当の、俺をっ、知らない、から……」
「俺だって知らないよ」
「っ、」
「本当のお前を知らないかもしれないけど、ずっとお前を支えてくれてる人たちなんだぞ。そんな人たちが居るのに誰も見てくれないってのは失礼だろ」
「でも、ファンは、リオンみたい、に、俺の、話を、聞いてほしい、時に、聞いて、くれない……」


森本は目を伏せて睫毛を震わせた。
その弱々しい姿はこちらが一方的に責めているようで罪悪感を刺激されるが、俺はさっき実力行使で最低なことをされた。だから気後れする必要はない。
今回ばかりは縁を切る為にも、森本の為にも、はっきり伝えなければならない。
俺は森本に向き合って、圧の強いその瞳に怯まないように正面から見据えた。



「お前さ、前に俺にもっと上手くやれって言ったの覚えてるか?」
「……?うん、覚えて、る」
「その言葉そっくりそのまま返すわ」
「え……?」
「メンバーに見てもらえるように、話を聞いてもらえるように、お前が上手くやれよ。今まで甘えてたんだ。今度は気に掛けてもらう努力をお前がする番だろ」
「なん、で……」


森本はショックを受けたのか、裏切られたみたいな絶望した表情を浮かべ、震える唇からかろうじてそう言った。


何で?
俺も言われた時は同じようなことを感じた。
けれど、森本はある意味正しかったと今では思う。
何だか意趣返しのようで、揚げ足を取るみたいで気が引けるが、確かにあの時に森本は言ったのだ。



「"みんな"と上手くやりたいんだろ?」

俺以外の"みんなメンバー"と。



「みんな変わろうとしてる。お前たちならできるよ」


俺にそう言ったんだから、お前ならできるだろ?と暗にそういう意味を含ませて俺は笑顔で言った。


その意図が伝わっているかはわからないが、森本は粒みたいな涙を瞳からポロポロ溢した。
何か言い返してくるかと思ったが、森本はそのまま個室のドアを勢いよく開け、走り去るようにトイレから出て行った。


シン……と静かになった1人の空間。
俺は深い溜息と共に壁に凭れてしゃがみ込む。どっと疲れが出たような気がして顔を手で覆った。


レゾブンは俺が抜けたことによって少なからず変わらざる得ない状況になっている。そして前向きに変わろうとしている。
殻に籠り続けていた森本も変わる時が来たのだ。
変わることがプラスになりやすい今が森本にとっても良いタイミングだろう。
だから言ったことに後悔は無いが、やはり後味は悪い。思い返せば本当に泣かせてしまったのは初めてかもしれない。

何で辞めた俺がこんなことしなくちゃいけないんだと思う一方で、成行きでここまでしたからこそレゾブンというグループに未練や思い残し無く留学へと旅立てる気がした。
俺は疲労感でしばらくそのまま動けないでいた。



「莉音?何してんの?」


どれくらいしゃがみ込んでいたのか。上から降ってくる伊月の声に顔を上げる。心配そうな顔で頭上から覗き込む伊月にひどく安心感を覚えた。
こうやっていつも心配して気付いてくれるのはグループのメンバーでもない、伊月なのだ。
俺は口元を袖でぐいっと拭い、「何でもない」と立ち上がる。



「探したか?」
「まあね」
「悪かったな」
「全然。すぐに見つけたし」
「伊月」


俺たち以外に誰も居ないトイレ。
個室から出る前に俺は伊月の襟元を掴んでグッと引き寄せた。
驚いた顔の伊月に軽く唇を重ねる。
触れ合った唇を離すとリップ音が響いた。
伊月は俺の腰に手を回し、嬉しそうに少し頬を赤くして甘く微笑んだ。


「なに可愛いことしちゃってんの?」
「ダメだったか?」
「まさか!最っっっ高に幸せだよ♡」


そう言って目元をデレデレに綻ばせる伊月にもう1度唇を寄せる。そして直ぐに離すと、深めにしようと伊月の顔が迫ってきたのでそれを手で押し退けた。


「続きは家でな」
「続きはWebでみたいに言うね?」
「あ、そういえばいい話があるぞ」
「え、何だろ?ついに社長交代とか?」
「それはお前にとっていい話なのか…?」

伊月は意味深に微笑んだ。
仲が良いのか悪いのかよくわからない2人である。
俺は少し背伸びをして伊月に耳打ちする。
するとそれを聞いた伊月は喜びに感極まったのか、俺にギュウッと引っ付いて離れなかった。


「どうしよう、莉音……俺、嬉しすぎて泣きそう……」
「もう泣いてんだろ」
「だってぇ……ずっと莉音と組むの夢だったんだよ……」
「これで安心して待てるだろ?頑張ろうな、俺たち」
「うんっ……!」


肩越しに力強く頷く伊月が微笑ましくて、俺はついつい笑い声を上げてしまう。
想像以上の喜びように俺まで嬉しくなった。



俺の旅立ちの日は目前まで来ていた。





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