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辞めてからの日々
03
しおりを挟むそれは伊月の唐突な問い掛けから始まった。
「莉音、いちご食べたくない?」
俺はそれを仕事終わりに買ってきてくれるのかな?と解釈した。
「食べれるなら食べたい」
「おっけー。じゃあ楽しみにしてて」
俺の返答に伊月はやけにご機嫌な様子でそう言った。
俺はそれを見て、とても高いいちごでも買うのか、もらってくるのかな?と軽く考えていた。
そして、その日の日付を越えた早朝。
俺は伊月に叩き起こされた。
突然の襲撃に酔っ払ってんのかとイラッとするも、伊月は至って普通。
そして早く着替えて出掛ける準備をしろと急かされる。俺は眠すぎて起き上がれなかった。すると伊月は俺の服を剥ぎ取りに掛かり、俺を全裸に剥こうとする。さすがに下を脱がされに掛かった時に目が覚め、渋々シャワーに向かって着替え終えると、スタイリスト伊月のドライヤーとヘアセットが待っていた。俺はスタイリストに身を委ね、ドライヤーの温風の心地よさから再びウトウトと微睡み始める。
半分夢の中の間にどうやら終わったらしく、セットが完成した頃には俺は眠気がクライマックスに突入していた。こうなると俺は中々動かない。
俺に動く気がないとわかると伊月は何て事ないみたいに軽々と俺を肩に担ぎ上げた。急な浮遊感と伊月の肩が腹に当たる圧迫感の苦しさから意識が覚醒するも、抵抗虚しく、伊月はそのまま俺を外に連れ出した。俺とほぼ変わらない細身の体格のくせにどこにそんな力があるのか。俺は伊月の底知れないスペックに少し恐怖を感じながら運ばれた。
伊月は俺をいつでも迎えに行って拉致できるように車を所持している。俺はその車の莉音専用と指定される助手席に問答無用で乗せられた。
そして何も情報を与えられることなく車は発進する。俺は状況を理解できず、流れゆく景色に???という反応しかできなかった。
いつの間にか車は流れるように高速に入っていた。
「え、なに?これどこ向かってる?」
「いちご農園」
「は?」
「莉音いちご食べたいって言ったろ?」
そこでようやく俺はあの会話を思い出すのだった。
「え、え?確かにそんな話はしたけど……?」
「だからいちごを食べに行く」
「は?食べに?……行く?」
「いちご狩りデートだよ♡」
「今から!?」
俺はあのどこにでもあるような何気ない会話を甘く見すぎていた。頭を抱えて後悔するも既に車に乗せられている。引き返す術はない。
「お前ふっざけんなよ!」
お前って奴は!!!!
一体、誰が「いちご食べたくない?」の問い掛けから、翌日早朝にいちご狩りに連れて行かれると予想できるというのか。普通に誘えや!!
伊月は昔からこういうブッ飛んだことを定期的にしでかす、無駄に行動力が高い男だった。そこはもう諦めてるとはいえ、せめてあの会話の時に「朝4時に起きてね」と俺に伝えておくべきだろう。
それなら俺だって突然身包み剥がされる恐怖にパニックを起こすことなく準備をしていた。いくら俺が休暇中でヒマを持て余してるとはいえ、普通に言ってくれればいいものを。俺は伊月の頭のねじの緩み具合を本気で心配した。
「驚かせたくて♡」
「それは叩き起こされた時に達成してたわ」
「まあまあ、そう怒んないで?寝てていいから」
「もう目が覚めたっての」
呆れすぎて怒る気にもなれなかった。
俺は行くからにはそれなりに楽しみたい派なので、音楽に合わせて鼻歌を歌いながら運転する伊月の横で、スマホを使って目的地までのルートの詳細を調べ出す。立ち寄れる所はそれなりにありそうで、伊月と談笑しながらどこに寄るか決めていく。
そこからはドライブも兼ねた日帰りツアーとなった。
人気のサービスエリアや通り道付近にある観光名所に立ち寄って、コーヒーやグルメを堪能したり、お土産を買ったり、写真を撮ったりと、年甲斐もなくはしゃぎ回るくらいには充分に満喫していた。
伊月とは休みの日は強制的に一緒に過ごさせられているが、こういう2人での遠出は久しぶりだった。
連れ出し方は本っ当に最悪の一言だが、実際楽しかったので相殺して不問にしようと思う。
そして寄り道を経て、元々の目的地だったいちご農園に到着した。
いちご狩りは時間制だ。俺は練乳を、伊月は安定のスマホを持って狩りに挑むことになった。
「いちごいっぱい……!!」
まるで宝石のようにツヤツヤピカピカしたいちごに俺は感動する。
伊月は隣でハァハァ息を荒くしながらスマホで俺を撮っていて、通常運転だった。
俺は早速いちごをもぎ取って口に含み、いちごのそのままの味を堪能する。
「美味い?」
「ん!美味い!」
「きゃわわわわ……!!こんなにいちごが似合うのは世界で莉音だけだね♡」
「……お前ね、こんなところまで来てそれやめろよ」
「嫌だ!俺はいちごを食べる莉音を見にここまで来たんだ!」
「お前ほんと何しに来てんの?それは家でもできたろ」
「莉音はわかってない!この輝く太陽の下の自然の中で莉音がエロいカンジに食べるのがいいんだよ!」
「ちょっと黙ろうか?」
「──むぐっ」
キャンキャン喧しく恥ずかしいので伊月の口にいちごを突っ込んで黙らせる。伊月は咀嚼を終えると、胸やけしそうな程にトロッと甘い笑みを浮かべた。
「美味い?」
「莉音に食べさせてもらったから最っっ高に美味い♡」
「はいはい、そういうのいいから。あ、練乳要るか?」
「莉音のいっぱい掛けて♡」
「お前にはもう絶対にやってやらん」
昼間から下ネタをぶちかましてくる伊月を放置して、俺はいちご狩りに徹することにした。
時間制なので時間いっぱい堪能しなければ、せっかく来たのだからもったいない。
俺はパクパクといちごを食べていく。
この農園は数種類の銘柄を育てているので、俺たちは違う銘柄のいちごの元へと移動した。
むぐむぐ紅ほっぺを食べてる俺を、伊月はうっとり見つめながらずっと撮り続けている。
「珍しく結構食べるじゃん?」
「美味いから止まらない」
「それ後で罪悪感が凄くなるやつじゃない?」
「大丈夫。フルーツは野菜だからカロリーゼロ」
「莉音が言うならその通りだね♡」
「ツッコめよ」
俺を全肯定してしまうモンペのおかげで俺の渾身のボケは滑りまくりである。
「伊月!見てー!デカいの見つけた!!」
かおり野ゾーンで俺は伊月に駆け寄って、スマホへ向かって見つけたいちごを掲げてみせた。
「本当だ。莉音の顔くらいあるいちごだね」
「そこまでじゃねぇわ」
「じゃあ莉音のお口くらいかな?」
「ねぇ、お前の目には世界ってどう映ってんの?」
俺はいちごにぶちゅっと練乳を掛けながら白けた目を伊月に向ける。すると伊月は何を勘違いしたのか口をパカッと開けて、あーん待ちをしていた。
俺は冷ややかな視線を伊月に送る。
「なに?」
「食べさせて♡」
「自分で食べろ」
「俺撮影してるんだからいいじゃんかー。お願い♡」
「スマホをしまえ」
「お願い、莉音……」
うるうると瞳を潤わせ、伊月は甘えるように首をコテンと傾けた。騙されてはいけない、と俺はグッと喉を鳴らす。伊月は俺がその顔に弱いことを知った上での確信犯である。しかも伊月は現在バラエティ方面に多忙だが、俳優としての仕事も多く、演技はお手の物。絶対にわかっていてやっている。
ここで屈してはいけない。
そう思うが、最後にいつも負けるのは俺なのだった。
「莉音……」
「……その目やめろ」
「ねぇ、どうしても……ダメ?」
「ああもう!わかったよ!」
「フフフ、あーん♡」
「ほら」
持っていたいちごを伊月の口に運ぶ。伊月の口に渡る際、いちごに掛けていた練乳が俺の指に溢れた。伊月はそれに気付いて俺の指ごと練乳に吸いついた。チュッとリップ音を鳴らして、不敵に笑った伊月の唇が離れていく。
コイツ……!と若干苛ついたが、ここで反応を見せれば伊月は絶対に「莉音は甘いね♡」とスパダリ面して揶揄ってくるだろう。
その甘いは、練乳が付着した指と俺の伊月に対する甘さを2重の意味で掛けている。
やられっぱなしはムカつくので、仕返しとして練乳と伊月の唾液でベタついた指を伊月の服でゴシゴシと拭ってやった。
伊月は俺の行動を咎めるわけでもなく、嫌な顔をするわけでもなく、「莉音の汚れを拭いて莉音が綺麗になるなら、この服は雑巾になれて幸せだね♡」と自身の着ている某ブランドの服を自ら平然と雑巾扱いし、剰え良い事みたいに言ってのけた。まるで大義を全うしたみたいに。
俺はあまりの言い様にドン引いた。
もう矯正しようが無いほど既に手遅れで、幾ら俺至上主義だからといっても、だ。どんな物だろうが、どれだけ高価だろうが、俺の役に立てるならゴミになっても構わない、寧ろそれは幸せな事♡と言い切る伊月の逸脱し過ぎな価値観に、俺は久しぶりに寒気を感じて身震いした。それを当たり前のようにサラリと零す辺り、これまた根が深く、闇の深さも窺える。
世間で伊月が莉音大好き芸人として認知されていても、ここまで倫理観の狂った闇の部分は絶対に見せてはいけないやつだ。イメージの問題にも繋がる。特に配慮の面で。俺以外への配慮なんて皆無なのはわかりきっているが、これを世間に知られたら人間としてマズい。
俺は「今の発言は絶対にSNSに上げるなよ?」と念を押す以外に言えることはなかった。
その後、俺たちは気分を切り替えて園内の銘柄を順調に制覇していった。
俺はどうやら紅ほっぺが思いの外、気に入ったらしい。制覇した後は紅ほっぺゾーンへ戻り、残りの時間は紅ほっぺを心行くまで味わっていた。
「こんなにいちごを食べるの初めてだな」
「また来ようか」
「今度は普通に日程を言えよ?」
「善処する♡」
「善処で済ますな。必ず報告だ」
そうしている内に制限時間になってしまい、俺たちは帰る際にお土産用に箱入りいちごを数箱購入した。
社長用と事務所用、自分たちの分とで結構な量になってしまった。
「今日は楽しめた?」
「楽しかった!ありがとな伊月!」
「莉音の笑顔の為なら何だってやるよ。次回も楽しみにしてて♡」
「あの、程々でいいからな……?」
俺は今朝の襲撃を思い出して不安に駆られる。あれだけは本当に、2度と、絶対にしないでほしい。
農園からの帰りは俺の運転で帰宅することになったのだが、助手席の伊月は「運転する推しの横とか……これって彼女視点では!?」などと、とんでもないことに気付いてしまったとばかりにうるさかった。
何回も運転しているというのにどうしてこんなに騒げるのか。飽きないのか不思議だ。
伊月は運転中の彼氏にしてほしいこと、言ってほしいことを自分のアカウントからファンに問い掛け、募集した中で自分の性癖に刺さったものを俺にやらせ始めた。もちろんそれも動画で撮られている。
俺は遊びだと割り切って嫌々リクエストに応えていくが、なんだか仕事をしているような気分が抜けきらなかった。
「運転してくれる莉音を彼女視点で見れるとか、どこにお金を払えばいいと思う?」
「事務所じゃね?」
俺はげんなりしながらも、テンションの高い伊月に何だかんだ付き合うのだった。
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