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#幕間

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「劇場街で相当やられたらしいぞ」
「ああ、聞いた聞いた。観阿弥座と世阿弥座はほぼ壊滅らしい」
「まじかよ、今年の阿国祭りはどうなっちゃうんだ? 『阿国』の候補のほとんどがそのあたりだっただろ」
「こらおまえたち、人手がないんだ。さくさく働けよ!」

 窓格子の外から人夫たちの声が聞こえる。夜間のみの活動と思われていた吸血鬼が白昼堂々現れるようになり、彼らもまたおびえていたのだが、彼らがほかと同じように家に閉じこもれば洛土の人々はたちまち飢え死にすることになってしまう。彼らは武装することも吸血鬼と戦うこともないが、都の流通を支えるために日々命がけで戦っているのだった。

(阿国祭りか……例年であればそろそろ『阿国』が選出される頃合いですが)
 護国豊穣を祈願する「再生」の神事。ヤマトタケルがヤマタノオロチを倒し、幕府を興すに至った古事を再現したものとも言われている。阿国がメインなのは彼女が歌い、舞うことによって世界が再生されたからだ。そのため「阿国」の役には舞と歌両方に卓越した者が選ばれるのだが、吸血鬼なる者たちは劇場街を狙いパフォーマーを優先的に襲っているという。「阿国」になりえる者を徹底的に潰すつもりなのかもしれない。

 顕典は胸元から小さな袋をとりだした。口紐をとくと中から球体の金属が出てくる。大きさは鶏卵の黄身ほど、金属であることは間違いないはずなのだが、不思議とこれにはそれ特有のずしりとした存在感がない。錆びか汚れかはたまた元からそういう素材なのか、全体を覆う黒とも緑ともつかないそれを落とすことはついにできなかった。
 アバルの手からこれが現れたとき顕典がどれほど驚いたか、幸運な彼は一生知ることはあるまい。この一見汚らしい金属の塊は将軍家の所持する三つの宝、すなわち「神宝」の一つにして怪物ヤマタノオロチの魂の欠片であった。もっとも、顕典の知るそれは新鮮な血を固めたような鮮やかな赤色であったはずだが。
 顕典は玉の表面をつるりと指の腹でなでる。

(運命のいたずら、などとうまいことを考えるものですねえ。このようなめぐりあわせをほかにどう表現するべきか、神々とて持ちますまい)
 あの日――今でも昨日のことのように覚えている、アバルと出会った日のことだ。顕典はたまたまあの場に立ち寄っただけだった。たまたま立ち寄った場にたまたまアバルがいて、そのアバルからこの宝玉をあずけられた。
「顕典様」
 トントンとひかえめに戸を叩く音が顕典の魂を現代へと引き戻す。宝玉を袋へとしまい、顕典は声を返した。

「はいはい、どうしました」
「はい、あのう……」

 声の主は顕典の世話を担当している若い下女なのだが、平素であればはきはきと物を言うくせに、時々このようにして突然しおらしくなる。顕典はくすりと笑った。
「兄ですか?」
「あ――」
 申し訳ありません、と恥じ入るような声が即座に詫びる。反射的に頭を下げてどこかにぶつけたらしい、「痛っ」という声が聞こえたが、顕典は彼女の名誉のために聞かなかったことにしてやった。

「すぐに参りますと、そのように」
「……。かしこまりました」

 溜めが長いですよ未熟者、なんてわざわざ顕典は言ってやらない。ぷるぷると懸命に何かをこらえているらしい彼女の前、ぱらりと扇をひろげ、優雅にその場を後にする。ふと北辰寺にいる活きのいい仔犬を思い出した。
(久しぶりに須王くんをからかって遊びたいですねえ)
 改築に改築を重ねてきた財前本家は下男下女たちがひそかに「御所」と呼ぶ程度には広い。迷子になっていたらしい奉公の子どもたちに道中場所を教えてやりながら、顕典はのんびりと兄たちのいる母屋へ向かった。

「愚弟顕典が参りました」
 将軍家でも商家でも「長」を除けば「長男」は別格に扱われる。ゆえに顕典もまた兄の待つ広間にそのまま入らず、下々の者がするように敷居の前で額づいた。その顕典の頭部を次兄の足裏が踏む。
「長らくの蟄居、大儀であった。よろこべ顕典。貴様の身柄はこれより侍所へ引き渡され、将軍御自ら大々的に裁きの場を設けるとのことだ」
「はあ、……そうですね、『パライソ』なる危険薬物の製造および撒散さんさんの」
「ん、他人事のようにそらんじよって、どうやら貴様、事の重大さがわかってはおらぬようだ。一族の恥さらしが」
 足裏に体重がかけられたことでさらに深く額をつけながら、この人また太ったな、などと顕典は考える。
 他人事もなにも実際他人事なのだからしかたあるまい。どうやら財前家は顕典の知らない間に将軍家をおびやかさんとくわだてているようだ。

(やれやれ、ご先祖様たちは今頃墓の下でさぞお怒りでいらっしゃることでしょう)
 財前家はヤマトタケルに力を貸したことで以下御用達となり、現在まで大きくなったと聞いている。その恩を忘れて掌を返そうというのだから本当にとんでもない話である。しかも推察するに侍所の働きによっていよいよ追い込まれ、顕典を人身御供にすることですでに先方と話がついているらしい。
 すべて顕典個人の企てであり、財前家はそこに一切のかかわりはなし、と。
 いっそご先祖が呪い殺してくれたならどれほど楽だったろうと顕典は現実逃避する。が、残念ながら死者にそんな力はない。

(しかし、……父上にそのような卑小な野心があったようには思えませんが)
 先祖代々の志を受け継ぎ、水穂国発展のため堅実な商いをおこなう。父は己の仕事に誇りをもっていた。少なくとも顕典にはそう見えていた。
 その父の望みを知りながら逃げ出した親不孝者ではあるが。
「ところで、父上はご健在で?」
「くくく……そうか。そういえば、そんなものもいたな。すっかり忘れておったわ!」
 次兄が足を外した。顕典から見て左手のふすまが開き、そこからよたよたとおぼつかない足取りで何かが入ってくる。
 『何か』と評するしかない、父の面影を残した動く屍。すなわち。

「吸血鬼、ですよね」
「さよう、父よ」

 顕典の反応がとぼしいのは驚愕の大きさゆえと思っているらしい。次兄が顕典を憐れむように嘲笑する。
 顕典は次兄の奥にいる長兄にたずねた。
「不死なる兵は武家様方にとってはまさに夢のようなお品に相違ありますまい。御用商人の名誉をいただいておりますれば将軍家のご期待に添うが役目なれど、お国は今このありさま。どれほどの戦にゆかれるおつもりなのか、この愚弟、聞きとうございます」
「頭が高いぞ、顕典!」
 次兄が顕典を蹴ろうと足をあげたが、幼稚な殿様ごっこにつきあってやる義理はない。顕典はひょいとこれをかわし、勢いのぶんだけ次兄が勢いよく尻をうった。

「すべて」
 無様な悲鳴をあげる弟を一瞥だにせず長兄が答える。脇息に体をあずけ、心もちうつむくような姿勢のそこから彼の胸中をはかることは難しい。もとより顕典には彼と会話をかわした記憶がないので勝算のない試みではあったのだが、違和感が顕典に警告を出した。
 兄から生きている人間の呼吸を感じないのである。財前家の後継ぎとして顕典たちとは一線を画した扱いを受け、厳しい教育を受けていたことは知っているが、父だってもう少し人間味があったものを。

「ぎゃあああああ!?」

 先に人間らしい反応をしたのは次兄だった。顔をあげたと思ったら両目が「ぼろん」と飛び出したのだから、そりゃあ驚きもしますよね、と顕典は出遅れて考える。
「この世のすべてヲ救済スる……」
 長兄がおよそ人体の関節と構造ではありえない動きで立ち上がった。さいわいにもこれと同じ動きを次兄が事前に見せてくれたので、顕典は驚かずに済んでいる。生まれて初めて次兄には感謝をしなければならないが、残念なことに本人は泡を吹いて気絶していた。

「こんちは。やっと見つけたぜ、大精霊サマ」
「あいにくと不法侵入者に返す礼など持ち合わせておりません」

 ぷい、と顕典は顔をそむける。
 広間の中央。二体の吸血鬼をしたがえ、男はあぐらをかいていた。黒い修道服と容貌を見るに異国の者であろう。痩せてみすぼらしく、素人の顕典にも死相が見えるような男だ。
(否、死相というよりも)
 顕典は目をすがめるようにした。
 この人間はすでに死んでいる。尋常ならざる執念かあるいはそういう契約なのか。死んでいるにもかかわらずアスモデウスという致死量以上の猛毒を抱え、かつ魂を食われることなく活動しているのだった。

 これは面白い。
 顕典は昔から人間という生き物が好きだった。彼らの織りなす矛盾や時に自ら破滅へ進んでいくさまが好きだった。人間の子どもがときに虫の行動を観察するようなものだ。あるいは人間が舞台で展開される物語を観客席で楽しむような感覚である。
 演目に興味を惹かれれば立ち入って着席する観客。それが顕典だった。
「さすがですねえ、気配はあるのに肝心の本体が見つからねえときた。まさか文字通り将軍サマのお膝元にいるとは思いませんでした。灯台下暗しってヤツは本当ですねえ」
 ペアト、と死者は名乗った。
 かんざしを抜き、顕典は次兄に乱された髪を結いなおす。このまま戻っては家の者たちに心配をかけてしまうからだ。もっとも、彼らが無事に人間であることを維持していればの話だが。

「しかし、困りました。おおかた父上をまるめこんでの悪さだろうと目星はつけていましたが、まさかまさか財前屋そのものが食われていたとは」
「何も困ることなんかないでしょ。あるべき者の手にあるべきものが戻っただけです。むしろお礼を言われてもいいくらいでは?」

 ペアトなる男が悪びれもせずに言う。顕典は額にこぼれた毛を払った。
「さあ、僕にはとんと。何しろ父上はすでに物言うことができませんしね」
 言いながら、ぽい、と顕典は無造作に放るしぐさをする。アバルから預かったままの汚らしい金属の塊。受け取り、ペアトが要領を得ない顔で首をかしげた。
「なんですか、このきたねー玉――……」
 袋から玉をとりだして、しばし。うさんくさそうだったそれがはっきりと驚愕の表情へと変わったのはさすがだった。

「えっ!? ちょ、これ!?」
「あなたなら偽物と替えておくことなど造作もないでしょう。むろん、そのあとは僕にはかかわりのないことです」

 好きにしろと顕典は暗に告げる。
 ジーランディアが九つの悪魔を手に入れ再び国威をとりもどそうと画策していたことは知っている。この男がどのようにしてシャツキに取り入ったかは知らないが、血を流さずに「国」を得ることができるとささやかれて揺れぬ王がどれほどいるかということだ。幼子にすら可能な簡単で単純な手口。ただ裏口からこっそりと新薬を流すだけで、その国の民がまるごと「殺されても死なない、しかも従順な兵士」となって手に入る、と。
 ペアトが頭を掻いた。

「ありがたいっちゃありがたいですけどこっちに都合よすぎで逆にこえーっすわ。もらえるもんはもらっときますけどね」
「どうぞどうぞ。僕には用のないものですので。よい見世物を期待しています」
「だったらもう一つおひねりをいただきますかね。俺としちゃあこっちが本題だったんですが、昔あんたが気まぐれ起こして命を救った若者を、うちの王様に譲ってちゃあくれませんか」

 アバルのことを言っているらしい。顕典はくすりと笑う。
「頼む相手を間違えているのでは?」
「まあ、……一応おうかがいをね」
 憮然としたのち、ペアトが具合悪そうに目をそらした。顕典は彼のひどく人間臭いしぐさを面白く思う。あるいはアスモデウスも彼のそういうところを見込んだのかもしれなかった。
 だから顕典もうちあけてやることにする。「財前顕典」として生きるよりずっと昔にした、とある男との賭けの話を。

「なんですか、懺悔ですか?」

 ペアトが自身の修道服をつまんで見せた。首元からロザリオをひっぱりだして祈るしぐさをする。
「調子が狂うな。ここに来るまでもっとぶっとんだ感じで想像してて内心びびってたんですけど、それって実質相手さんを助けてやったってことでしょ? 命だけでなくそいつの名誉までさ」
「……なるほど」
 ペアトの解釈は顕典にとって意外な視点だったが、けして不快ではなかった。なるほど、そういうふうにもとることができるのか。
「まあ、どうでもいいですけど。そんなに退屈でしょうがないならこの際うちの王様の養分になってみません? ここらでその無駄にあふれてるアニマ、いっちょ有効に活用してみません?」
「遠慮しておきます」
 抜け目なく営業するペアトに、顕典は笑顔でしかしきっぱりと断りを入れた。
「僕、めんくいなので」
「うわあ、それを言われちゃうと何も言えねえですわあ」
 ペアトが肩をすくめた。


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