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#8 悪魔の考えてることなんて考えたってわからない
しおりを挟む「俺が何を言いたいのかわかるな、アバル」
「はい」
アバルは素直に返事をする。自主的に正座をしているのは別に一郎太から怒り心頭な空気を感じてのことではない。いっそ頭から怒鳴ってくれればよかったのになんて思っていない。
「それで」
いつものように煙草に手を伸ばそうとして、一郎太が気づいたように止めた。参考人として須王が同じ席にいることに思い至ったのだろう。察した須王が「おかまいなく」と首を横に振ったが、一郎太は不愛想に茶をすすっただけだった。
「おめえが俺の忠告を無視してあんな時間に、それも一人で出歩かなきゃならなかった理由は菊花先生とそこの須王に聞いた。おめえはチビどもを守るためにそうしたんだ、おめえに限らず人の親なら誰だってそうするだろうさ。俺はこの通り気楽な独り身だからな、立派だったとたたえこそすれ、ハナから責めることなんかできるわけねえのさ」
それに、と一郎太が片目を開く。
「ガキどもにさんざ泣かれて懲りただろ」
「お気遣い痛み入ります」
アバルは一郎太の温情に衷心より感謝を述べた。「安静に」という菊花の言いつけを忠実に守ってくれた分、目覚めた後の子どもたちは容赦がなかった。のこのこと本堂に顔を出したアバルを見つけたとたん一斉に泣きだし、一日中離してくれなかった。本来昨日行われるはずだった事情聴取が今日に延びたのはそのためである。
ちなみにアザゼルは姿を変えるまでしたのに結局アバルに行為を求めることはせず、どころかアバルがなでているうちに眠ってしまった。昔もこうやって須王を寝かしつけてやったなあなどと思いながらアバルも眠りについたのだが、そのくせ朝になると彼の姿はなくて、アバルはいまいちアザゼルの意図をつかみかねている。
(だって二度目だぞ)
悪魔の性質として、自らが楽しむためならば平気で人間をだまし、嘘をつき、混乱に落とし込むという。彼らは自分たちの言葉で右往左往する人間のおろかな姿が楽しくてたまらないのだ。
アザゼルが自らを悪魔と称した以上、その言葉のすべてを頭から真に受けるのは危険ということはアバルにもよくわかっている。わかってはいるのだが、須王の姿のせいだろうか、どうも彼がでたらめを言っているようには思えない。
(意外と紳士、とか?)
自然と目が隣の須王へと流れた。何かのサインととったのか、須王がきりりと述べる。
「確認をすると、俺と一郎太さんが現場に到着したとき、すでにアバルは吸血鬼に噛まれた状態で気を失っていた。そして吸血鬼のものらしき血痕、それも複数が確認された」
「そうだ」
一郎太がうなずいた。真剣な面持ちで続きをひきとる。
「アバル、菊花先生の家を出て、おめえは複数の吸血鬼に遭遇し、襲われたにもかかわらずこうして生きている。言葉にすれば簡単だが、こいつはとんでもねえことなんだ。何しろ連中に出くわしたと思われる被害者はみんな物言わぬ肉塊になっちまってるんだからな。俺たちが駆けつけるほんの短い時間にいったい何があったのか、なんでもいい、覚えていることを話してくれ」
一郎太の瞳に悲痛な色がはしった刹那、一郎太が身を乗り出した。がしりとアバルの両肩をつかむと、懇願するような声音が頼む、とせつなげに揺れる。
(そりゃあ、俺だって――)
こんな色男にこんな声で乞われて、もしもアバルが女だったなら身も世もなく泣きだし、すべてをうちあけるのだろう。
だけど。
うつむいた一郎太の形のよい頭を見、アバルは唇を噛む。言われずとも侍所および夜廻り組の人々がアバルの目覚めを今か今かと待っていただろうことは想像がついた。もしも菊花の「面会謝絶」命令がなかったらアバルはきっと叩き起こされ、質問責めにあっていたことだろう。実際一郎太は上司から三日ほど夜廻り組の仕事を免除されているそうである。
アバルという生存者にはそれだけの価値があるとみなされているのだ。なにしろ現在吸血鬼を駆除するための現実的な手段を、一郎太たちはまだ得ることができていない。熱が入るのは当然のことだった。
けれど。
――だめだ、死ぬな、死ぬな――!
アザゼルの悲痛な声がアバルの脳裏をよぎる。一郎太に協力してやりたい。洛土の人々のためにも力になってやりたい。
(でも、アザゼルの――「悪魔」のことを話して、大丈夫なのか? もしも吸血鬼についてもっと調査が進んだとき、須王にとってよくない結果になりはしないだろうか?)
一郎太が深いため息をついた。
「やつらは基本的に死なん。火が怖ェのか、火を近づけると逃げるが、やっかいなことに火を持っている人間の背後から襲い掛かる程度の知恵を持っている」
「!」
ゆっくりと上げられた瞳によどんだ影を見つけて、アバルは肩をふるわせる。たった数日の間に友はいったいどれほどのむごい景色を見たのだろう。下町育ちらしいカラリとした性格で少年のように笑う一郎太しか知らないアバルは泣きたい気持ちになってしまう。
「一郎太――」
「一郎太さん」
須王が教えるように一郎太の手をつついた。一郎太が自分の行動におどろいたように自身の手を見、それからもとの場所に戻る。軽く首を横に振ると表情を変えた。
「斎宮の巫女さんたちが作ってる神酒をふりまくと連中が灰になるっていう噂があるが、聞いたことは?」
まずアバルが首を横に振る。
浄御原にある斎宮は出雲阿国の子孫である天皇のまします場所で、身分の高い貴族の娘たちが巫女として仕えており、阿国祭りなどの祭祀を取り扱っている。天皇も相当の舞上手で、その舞は意のままに雨雲を呼び、あるいは陽を地上に恵むそうだが、あまりにも高い神通力は天皇自身の生命をむしばむため、ごく一部の重要な祭りでしか披露されないという話だ。言うまでもなく非公開である。
「知らない」
続いて須王が言うのへ、一郎太が喉奥で笑った。
「そりゃあそうだ、尊いご身分の間だけでささやかれてる噂だからな。よしんば知ったところでそんなありがたいもんが俺らに回ってくることなんかねえだろうよ。やつらは俺らみたいな有象無象がいくら死のうが、補充すりゃいいってハラらしいしな」
だから、と一郎太がにわかに居住まいを改める。抜き身の刀のような瞳がアバルに向いた。
「だからアバル。頼む。なんでもいい、どんなささいなことでもいいから、思い出してくれ。いったい何が起こって吸血鬼の野郎が死んだのか」
頼む、と一郎太がそのまま頭を下げる。アバルは須王を見ようとしてやめ、それからゆっくりと口を開いた。
*
「悠里? 『パライソ』で亡くなった楽一の女の子だったよな?」
「うん……」
結局アバルは「なぜ助かったのか」について多くを語ることはできなかったが、「気を失う直前に銀色の光が見えた」というアバルの証言に、一郎太は表情をパッと明るくした。
本当に「なんでもいいから」ヒントがほしいのだ。罪悪感のようなものにおされ、アバルは悠里に似た吸血鬼についてくわしく証言した。
「現場の遺留品については今鑑識で分析中だからそのうち結果が下りてくるだろうが……どうだ、見覚えは?」
「それ!」
一郎太が懐からとりだしたのはまさに悠里の髪飾りだった。一郎太から髪飾りをうけとり、アバルはじっと見つめる。
(……悠里)
特別仲がいいわけじゃなかったけれど朗らな性格の彼女は楽一のムードメーカーだった。彼女は自分に似合う色をよく知っていた。それが彼女の好んで身に着けていた赤だ。
――せっかく美形なんだから、アバルももっと自己主張すればいいのに
悠里の夢は阿国祭で阿国役として舞台に上がることだった。悠里だけじゃない、おそらくそれは洛土中のパフォーマーが抱いている夢だ。アバルとて例外ではない。そしてその阿国役の今年の有力候補の一人として悠里はささやかれていたのだった。
「それから」
アバルを気遣うような間をはさんで、一郎太が手のひらを開いた。
「おめえが最後に見た銀色の光っていうのは、おそらくこれじゃねえのか?」
大きさは大豆ほど。なるほど銀色をしている。アザゼルはあのとき何発か撃ったはずだから、これはそのうちの一つだろう。
「成分はまあ、見ての通り銀だ、まるっとな。こいつを撃つことができる本体も、財前のせがれに言えば三日もかからず用意してくれるだろう」
「どれくらいするんだろ……。一口に銀って言ってもピンキリだと思うけど、座長が前に見せてくれた銀のかんざしは、これを売ったら先五年は飯に困らなくていいなって思った気がする」
くだんの弾はとても吸血鬼を射抜いたとは思えないほどの輝きを放っていて、やんごとない身分の姫の装飾品の一部と言われても納得してしまいそうなほどだ。これを見たあとでは座長のかんざしがくすんで見えてしまうかもしれない。
「そうだな、かりにこいつが吸血鬼の野郎を殺ったとして――俺みたいなケチな公務員が使うにはなかなか勇気が必要だろうぜ。小心なやつなら一発外したら真っ青になって気絶しちまうかもしれねえ」
「うーん、キスケの家で住み込みで一生タダ働きすれば……」
「アバルがそんなことしなくても俺がアバルを守るし」
ぶつぶつと考え込むアバルの手を、隣から須王がきゅっと握った。濡れた子犬のような瞳に刹那、あやしげな氷色がひらめいたような気がして、アバルはどきりとする。
「よしよし。おめえも立派な男だな。稽古をつけてほしくなったらいつでも言えよ」
同じことをたとえばキスケが須王にしたら須王は全身の毛を逆立てて威嚇するところだが、一郎太にはおとなしく許している。「本当ですか?」と表情を明るくし、太刀を見せてほしいとせがんだ。外観こそ地味だが、その優美な姿と美しい波紋は、こと少年たちの心をつかんで離さないようだった。
「知り合いに腕のいい刀鍛冶がいるんだ。俺がおめえに教えることは何もないってなったとき、俺から一等いい刀を贈ろう」
「やったあ、約束だぞ!」
須王がめずらしく頬を紅潮させる。刃物に興味のないアバルは内心ちょっぴりジェラシーをくすぶらせた。
コホン、とわざとらしく咳ばらいをする。
「一郎太はさ、俺が助かったのはそれのおかげだって思うんだ?」
「さあな、だが、ほかにねえ。それから、さっき思い出したんだが、おめえと知り合う前だったかな、世話してやったパードレの郷では銀の装飾品を身に着けるんだって話をしてくれたことがあった。伝説の勇者様が女神さまにもらった銀の槍で化け物退治をしたことにあやかってのことらしい」
「アバルの国か?」
須王がたずねるのへ、アバルは首を横に振った。そういう話は教養のある大人が子どもにするものだから、単にアバルに縁がなかっただけかもしれないが。
「病み上がりに長居して悪かったな」
一郎太が腰を上げる。銀の弾へ物思うように目を落とし、握りこんだ。
「ま、こいつを試すかどうかについてはお偉方が帳簿を見ながら考えるだろうさ。文庫蔵の開け方は連中しか知らねえからな。もっとも、こいつの持ち主が陰陽師の類だったらお手上げだが」
「あんまり参考になること話せなくてごめん」
「何言ってやがる。じゅうぶんだ。また何か思い出したことがあったら言ってくれ」
じゃあな、と去り際に須王の頭をなでていく。まもなく子どもたちのものだろう、一郎太を見送る声が聞こえた。
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