ハッピーエンドはカーテンコールのあとで

おく

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#6 祖父の遺品

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 アバルの祖父はおよそ子どもを育てるのに向かない人間だった。ケチで偏屈、そのうえ酒癖が悪く、同じ貧民街の者たちに煙たがられていたように思う。そんなアバルに同情をしたのは女たちで、あれこれと世話を焼いてくれたものだった。おかげでアバルは飢え死ぬことなく日々を生きながらえることができたが、これにはあるひとつの幸運が大きく作用している。

 アバルの母親はたいそう美しい娼婦で、アバルは彼女の異性でありながら生き写しといわれるほどにその恩恵を受けた。腹をふくらませては糞尿のように胎児を産み捨てる女たちがアバルをかわいがったのはそのためだ。ちなみにその母はといえば、乳飲み子だったアバルを置いて父親と失踪してしまったそうである。

 どういう意図で子ども嫌いを公言する祖父が自分を引き取ったのかを、アバルは知らない。祖父は最後病を患い、ドラッグ中毒者とドラッグを奪い合い、殴られて死んだ。
 アバルに残ったのは祖父が身に着けていた古い錆びた玉とインスラと呼ばれる高層集合住宅の一室だった。その一室も、持ち主である祖父の死亡と同時大家に没収されてしまったが。

『おれたちは、さる王族の末裔なのよ』

 酔うと周りに乱暴ばかりした祖父だったが、まれに機嫌がいいときがあって、玉をとりだしながらアバルに聞かせたものだった。曰く、その王族というのは水穂国第何代何某という王で、なんでも政争にやぶれてひそかに国外逃亡をはかったのだそうだ。そのとき、神宝と呼ばれる三つの宝物の一つを持って逃げた。
『それが、これだ』

 何か手に入ればすぐに酒代へかえてしまう祖父も、この玉だけはけして手放さなかった。肌身離さず身に着け、おそらくアバル以外に見せることはなかったろう。アバルには垢にまみれた汚い金属にしか見えなかったので、アバルは幼心に祖父をあわれに思ったものだった。
 祖父の話は真実かもしれない。本当に自分たちには遠い異国の尊い血が流れているのかもしれない。だが、だから何だというのか。

 結局誰も名乗り出なかった。それが答えなのではないかとアバルは思う。誰もそれを本物だと信じていなかったのだ。だから後生大事に身に着けて、「王族の末裔」である己に陶酔していられた。己の身の不遇を嘆き憐れんで、悲劇の王という空想遊びをすることで己を慰めていたのだろう。

 思い至った瞬間、アバルは反射的に玉を地面へ叩き付けたが、鈍い音を立てて跳ねただけだった。
(気持ちが悪い)
 自分はけして同じものになるまいと思った。この汚らしい金属の塊が本物か偽物かなんてどうでもいい。ただ、ここにいてはいけないと思った。

 俺はそんなふうに自分を憐れまない。そんなふうにむなしい生き方はしない。
 だからアバルは故郷を出た。それで輝かしい何かを得たというわけではないしむしろ非情な現実を思い知ったくらいだが、一郎さんに出会い、キスケに命を救われた。一郎太や慈安、須王をはじめとする子どもたちという出会いがあって、楽一という夢もある。いずれも玉をめでているだけの人生では絶対に得られなかっただろう。
 あるいは水穂国の王族――室町幕府の将軍だったとしても。

 その玉は現在、アバルの手を経てキスケのもとにある。試しにアバルは価値をたずねてみたが、まずは汚れを落とさないことにはどうにも、とキスケは言葉を濁した。
 ビジネスライクなようで情に厚い男だからきっと気を遣ってくれたのだろう。そう理解し、以降アバルは玉についての話題を彼に振っていない。

「はい、おかえりなさい」
「!?」

 アバルは自分の目が覚めたことに驚き、それからキスケの顔がすぐ間近にあったことに驚いた。いつもと同じ、落ち着いた色合いの袍と呼ばれる裾の長い上衣に身を包み、アバルをのぞき込んでいる。
 その向こうにあるのは北辰寺の見慣れた自分の部屋だ。最後に覚えているのは雨の地面を打つ音だったのでアバルは混乱した。

「え、俺、なんで」
「気分はどうです」

 キスケが問うた。気分? いや、気分なんかよりも。
(なんで俺、ここに? 須王は? 百葉は?)
 怒涛のように押し寄せてくる疑問はアバルを混乱させたが、落ち着き払ったキスケの態度につられてアバルは素直に欲求を口にする。
「えっと、……喉乾いてる? かも?」
「僕は体調についてたずねたのですけれどもねえ。まあ、いいでしょう。良好のようでけっこうです」

 喉奥で笑い、キスケが後ろから真鍮製の碗と水差しを出した。いつものことながら用意のいい男である。アバルの上体を支え、起こす手伝いをしながらキスケが忠告した。
「右手をつかないように」
「あー、どうりで痛いと思った」
 そういえば噛まれたのだっけとアバルは記憶を振りかえった。雨。夜。吸血鬼となって現れた楽一の仲間。

「菊花先生から痛み止めを預かっています。飲みますか?」
「その前に一口ちょうだい。ほんと喉、カラカラでさ」

 ため息をつき、キスケが碗に水をそそぐ。アバルは自分では持つことができないので、口元へ運ばれたそれをゆっくりと口に含んだ。初めてキスケに命を救われたときのことを思い出して、アバルはくすっと笑う。
「こら、体重をかけるんじゃありません。僕は帳簿とそろばんより重いものを持ったことがないんですよ」
「とか言いつつ、ちゃんと薬を飲ませてくれるキスケくんなのであったー」
「……離しますよ、手」
「冗談だって。感謝してますってぇ」

 ね? とアバルは左手をキスケの碗を持つ手へと添える。アバルのようなパフォーマーにとって容姿は武器である。なるべく殊勝そうに表情をつくり、キスケをのぞきこんだ。
(とはいっても、細目すぎて見えてるんだか見えてないんだかわかんねえんだけど)
 一応効果はあったようである。肩をすくめ、キスケがアバルから目をそらした。アバルに菊花の煎じてくれた薬を飲ませると、アバルの体を床に戻す。仕返しに落とされやしないかとアバルは内心ひやひやしていたのだが、キスケのサポートは丁寧で完ぺきだった。

「それで俺、なんでここに?」

 いつもの調子をとりもどしたところで、アバルはキスケに経緯を問う。おそらくだがこの場にいる人材としてキスケが選抜されたのは、彼が最も冷静で客観的な説明ができると判断されたからではなかろうか。
 問題はその判断を「誰」がしたかなのだが。
「よろしい」
 改めて座りなおしたキスケが帳簿の数字を読み上げるような声で説明をはじめた。曰く、アバルをここまで運んだのは一郎太であること。傷を診たのは菊花で、アバルと一緒にいた須王にはけがはないこと。百葉はすでに回復し、北辰寺に戻っていること。あれから三日が経過していること。

「それから、きみを襲った吸血鬼ですが、一郎太がくわしく話を聞きたがっています。彼らに襲われて生き残った人間は少ないですからね」
「お、……怒ってた? よな?」

 『アザゼル』であった須王が一郎太を呼びに行ったとは考えられないから、巡回中だった一郎太がアバルたちを見つけたのだろう。どうせなら吸血鬼に遭遇する前に来てくれればいいのに、なんて思っていない。
 忠告を破った上に大けがなんて、絶対絶対怒られるにきまってる。今からでも逃げ出してしまおうかとアバルはたくらむが、キスケがいる時点で結末は決定していた。なぜならキスケをここに配置したのは間違いなく一郎太のはずだからだ。

「えっと、一郎太は今は仕事――」
「本堂にいますよ。警備もかねて泊まり込んでいますから」
「あああ」

 アバルは頭を抱えた。逃げられない。
「そうだ、須王の様子はどう?」
「どう、とは?」
 キスケが首をかしげる。アバルは半端に口を開けたままぱちりをしばたたいた。
(心配かけちゃったみたいだからなあ)
 「アザゼル」が活動するのは「須王」が眠っている間だけ、とアザゼルは言った。あの場にアザゼルが現れたのは須王が寝落ちてしまったからなのだろう。

 ――だめだ、死ぬな、死ぬな――!

 あんなふうに取り乱したのが、アバルには意外だったのだ。だってアザゼル曰く須王の肉体はもともとアザゼルのもので、精気提供はあくまでも、須王の魂を維持してほしいというアバルの要求に対する交換条件だったはずだ。
 アザゼルがアバルの死を惜しむ理由なんかひとつもないわけである。なのに。

(まるで、須王がするみたいに)

 それとも記憶が混乱しているのだろうか。たとえば、たしかにあの場に須王はいたけれど吸血鬼を倒したのは現場にかけつけた一郎太たちだったとか。
 アバルは言い直した。
「えっと、こわい思いさせちゃっただろ? 落ち込んでないかなって」
「僕が見る限りでは普通、いつも通りの彼でしたよ。きみの眠りをさまたげないようにと子どもたちを遠ざけているのも彼ですしね」
 くすくすとキスケが笑う。曰く、アバルが北辰寺に運び込まれてきた当時、大騒ぎだったのだそうだ。小さな子どもを中心に泣き叫び、アバルのそばにいると言ってごねるのを須王が一喝して収めた。

「僕はその場にいなかったので一郎太からのまた聞きですがね。自分だって子どもなのにと感心していましたよ」
「須王が……」

 改めて、アバルは本堂のほうへ意識を向ける。あまりに静まり返っているので誰もいないのではないかと思ったほどだが、そうか、須王が。
「そろそろ薬が効いてくる頃でしょう。一郎太には僕から言っておいてあげますから、もうひと眠りなさい」

 衣擦れの音が近づく。ひやりとしたキスケの手のひらに視界をおおわれ、アバルは目を閉じた。戸が開いたような気配を感じたが、すぐにふわふわとやわらかい何かに包まれて手放してしまう。
 カラカラと葉擦れを連れた風がアバルの髪をそよがせた。気持ちがいいなあと思いながら、アバルはふと、「ふわふわとあたたかい何か」に一郎さんを重ねる。
「助けてくれてありがとう、一郎さん……」
 いえいえ、と一郎さんが笑んだような気がした。


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