ハッピーエンドはカーテンコールのあとで

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#3 推しへの投資はご褒美です

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『パライソ』?」
「ああ」

 煙草をふかしながら一郎太いちろうたが答える。
 濡れたような長い黒髪を赤い紐で無造作にくくり、モノクロ色調の公務服に身を包んだ一郎太は、一言でいえば「色男」である。役者じゃないのが逆に不思議なくらいの美男子のくせに仕事が恋人の気質で、さっきから頼んでもいない茶と団子が五つを数えても愛想のひとつもふりまかない。

 理不尽なのは、当の娘たちが一郎太のつれない態度に腹を立てるどころかごほうびですとばかりにでうっとりとため息をついていることだ。アバルの羨望と妬みをこめた半眼をものともせず、一郎太が続ける。
「楽しいトビができるって半年くらい前から裏で出回り始めた南蛮もののクスリだな。風船みたいに破裂して死ぬだとか人を殺りたくてたまらなくなるとかそういう類じゃないってんで、うちでは様子見枠だったんだが」

 一郎太は侍所さむらいどころに勤務しており、以前北辰寺に物取りが入ったのを縁に知り合った公務員の男だ。ほとんど笑わない、しゃべらないくせに子どもたちに懐かれていて、アバルとも個人的なつきあいが続いている。
 一郎太は甘いものが苦手なので、ちなみに運ばれてきた団子はすべてアバルの腹のなかだ。一郎太が思案げに煙を吐きだす。

「よくよく調べてみるとなかなかうさんくせえ。まあ、うさんくさくねえクスリなんざねえんだが、個人的な感想をいうなら悪魔だな」
「悪魔?」

 そのときアバルが連想したのは氷色のひとみの自称悪魔である。アバルはふるふると首を横に振って払い、一郎太の話の続きを待ったが、一郎太は黙って太刀の柄を撫でている。
 華やかな刃紋の美しい無銘の太刀で、とある豪族の娘から贈られたのだという。女からの贈り物はたいがい人にやってしまう一郎太もこればかりは手元に残し、大切にしているようだった。
「もしあれを作ろうとして作ったのだとしたら、そいつの血は赤い色をしてないだろうぜ」
 携帯用灰皿にタバコをおさめ、一郎太が腰を上げる。立ち上がりしなに低い位置で結んだ黒髪がさらりと一郎太の背中を流れ、周囲がすばらしいパフォーマンスを見たときのようなため息をもらした。

「明日から俺も夜廻り組の一員だ。日が落ちたら外に出ねえように、ガキどもにもよく言っておけよ」
「それなら心配無用だ。うちの子たちはみんな、おりこうさんだからな。おまえこそ気をつけろよ、一郎太。おまえが強いのは知ってるけど、相手は化け物なんだし、何人もやられてるんだろ」
「まあな。もともと前から要請はあったんだが……」

 一郎太が言葉を濁す。
 夜廻り組とは対吸血鬼討伐のために組まれた、いわば特殊部隊のことで、夜間の治安維持を任務とするためそう呼ばれている。いよいよ欠員が深刻になり承諾せざるをえない状況になったのだろうとアバルは推測をした。
 一郎太は腕が立つ。ようやく一郎太が首を縦に振ったことで胸をなでおろした者も少なくないに違いないが、一郎太の心中を思うとアバルの胸が痛んだ。
 顔をあげ、一郎太が往来に視線をやった。

「同じ走り回るなら、おてんとさんの下の方が好きなんだがな……」
 一郎太の夜廻り組の仕事を断っていた理由がけして吸血鬼という得体のしれない化け物への恐怖からではないことを、アバルは知っている。不愛想で気の利いた話一つできないような男だが、仕事を通して人々とふれあうのが好きなのだ。
 人々の寝静まった夜間での仕事は、そんな一郎太のやりがいの一つを確実に奪う。だから彼は求められながらもなかなか決意できずにいたのだろう。

「だが、そうも言っていられない状況になってきたのは確かだ。俺一人加わったところでどこまで貢献できるかわからんが、これ以上六波羅を寂しくしたらじいさんたちの生きがいがなくなっちまうからな」
「ほんとに、気をつけろよ。やばくなったらうちに逃げ込んで来い。隠れる場所ならいくらでもあるから」

 「吸血鬼」による被害者の数増加にともなって、朝方まで人通りと提燈の明かりの絶えなかった六波羅は、今や日が落ちるとすっかり夜闇に沈むようになってしまった。皓々とライトアップされたステージと色とりどりのライトやネオンでこれでもかと装飾した夜のショーこそ、人々を憂世から連れ出しひとときの夢を見せる六波羅の華だというのに。

「ありがとよ、アバル。気持ちだけもらっておくぜ」

 一郎太がうなずいた。そうして雑踏へ消えていく一郎太の背中を見送り、アバルはため息をつく。
(死ぬなよ、一郎太)
 日が落ちるとどこからともなく表れて生きている人間を食い荒らす化け物。誰が言い始めたのか人々はそれを「マルチリヨ」とも呼ぶ。夜廻り組の奮闘をあざ笑うかのように、吸血鬼による被害者は増えていく一方だった。北辰寺を頼ってやってくる子どもたちにも、そうやって親を失った者は少なくない。

 アバルは空を仰ぐ。一郎太によれば吸血鬼は光を嫌うのか、日中の活動報告は届いていないのだそうだ。だからこうしてアバルも往来の人々も平気で出歩いている。たとえ日が傾くの同時に足早に帰っていくのだとしても。
(稽古の時間もとれないし……)
 悠里が死んだことで楽一の座員たちはすっかり消沈してしまっている。悠里が『パライソ』を所有していたことでその聴取もあり、公演は中止か延期せざるを得ない状況だ。

 いったい吸血鬼とはどこから現れ、日中は何を思いながらひそんでいるのだろうか。
 ほつれて頬に落ちた髪を指でよけ、アバルは店の娘を呼ぶ。彼女たちが一郎太に贈った皿は結局アバルが全部食べてしまったし、その代金を支払おうと思ったのだが、娘たちは首を横に振った。
「だって、自腹だろ」
「いいえ、いいんです。それよりアバルさん、またぜひ一郎太さんと寄ってください。黒髪のつややかな美丈夫と金の髪の美しい美青年が並んでいるだけで寿命が延びますので」
「推しへの投資はごほうびです!」

 店長は了承済みですので、と娘たちが声をそろえて言う。一郎太は役者じゃないんだけどな、と思いながら、アバルは彼女たちの好意に甘えることにした。そのかわり次からは払わせてね、と約束をする。
 パフォーマーとしてはファンからの後援や応援はうれしいしありがたいが、客の感情としてはやっぱりいいサービスや味にはきちんと代価を支払いたい。

 それから。
 アバルは店を出ながら考える。
 一郎太にはファンサービスの一つくらい覚えさせるべきだなと思った。
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