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#11-2
しおりを挟む俺たちはなおも空へと目を凝らす。時計的には昼の真っただ中であるはずのそこに訪れたもの。あっという間に裾をひろげた闇のカーテンの内側で、太陽がひと口、またひと口とその輪郭を食われている。
(日食?)
ぶきみな緑色をともなった闇。湿った臭いのする冷たい風が、背後からすべりこむように俺たちの間を吹いてゆく。
「太陽が……光が食われていく…」
ワイゼン兵が震える声で呟いた。
「言い伝えのままじゃねえか…闇の精霊に命じて光を奪い、冷たく暗い世界の中で次々と人が死んでいったっていう…」
「うわあああ、魔王だ! マリー・カンタビレの魔王が目覚めたんだあああ!」
「ちくしょう、マリー・カンタビレのやつらめ! 気が狂ったのか!」
「滅びるんだ! 俺たちはここで、あいつに殺されるんだ! 世界はもうおしまいだ!」
一人、また一人と悲鳴が増えて、あっという間に軍全体へと感染する。それはワイゼン兵だけではなく、恐慌はカプリース側でも起こっているようだった。
「……」
俺は動けない。ただ口腔内のひあがっていることに気づいてぎこちなく喉を動かす。
日食。そう、これはただの天体現象だ。そのうちに月が太陽の上を通過しきって、再びに元の昼間へと戻るだろう。だけど地表にゆっくりと蓋をしていくような闇は、そうと知っていてもさえ原始的な恐怖を呼び起こす。
「…ミシェル」
俺は肩口でかたまっているミシェルをふりむいた。
「これ、グローリアがやってるのか?」
「わからない」
ミシェルがはっきりと返す。彼が冷静を保っていることに、俺は少なからず安堵した。ただ、とミシェルが続ける。
「僕たちの暦は、“これ”を今日に日付てはいない」
「!」
脳裏をひらめたいたのが、カプリースの兵舎のベッドで夜な夜なうなされていた子どもの姿。自らの放った魔法に驚愕していたひとみ。グローリア。
俺の声をかきけすようにそのとき、前方で火柱が上がった。一本、また一本。それから真夏の落雷のような光熱量。
やめろ、と指揮官が魔法兵たちを怒鳴りつける。
「魔王を刺激するな!」
魔法兵たちはきかない。自らの恐怖をぶつけるように、グローリアにむかって魔法攻撃を唱え続ける。
「やめろ、わからないのか!」
爆音が響くたびに地面がえぐられて、かきまぜられた視界が闇を深めていく。恐怖がついに精神をおかしはじめたのか、味方を攻撃する兵士まで出始めた。
「ミシェル」
剣を向けてきた兵士を拳でしずめて、俺はひとり傍観態勢をまもり続けるミシェルを呼ぶ。顔色こそ悪いものの、ミシェルの眼は正気だった。独白するような声が短く詠唱すると、ミシェルを起点としたドミノ倒しなさがらに、錯乱していた兵士たちがその場に崩れていく。
「…行くかい?」
前方から鉄砲水のような風が襲いかかってきた。ミシェルがすかさず防御壁を強化したけど、壁をすりぬけてくる風の量がさっきよりも増えていることに俺は気づく。そして度重なる魔力の行使で、はっきりと衰弱している彼にも。
「ミシェル、」
「行くかい、ユースケ」
金色の軌跡が華やかにダンスする妖精たちのように闇の中を跳ねまわっている。そのたびに光と炎が火力発電的なエネルギー量を放出して、爆風を起こした。小さく、ミシェルが苦痛をかみ殺す。
「…どうして僕は、あの子じゃなかったんだろう」
ミシェルの青灰色の目が、やわらかくたわんで俺を見た。
「どうしてきみと先に出会ったのが、僕じゃなかったんだろう」
うすく微笑をにじませた唇が短く言葉をつぶやいて、俺のそこに重なる。喉から胃に落ちたそれがまもなく熱をもって、俺のからだじゅうへとなじんでいく。
「きみにしかできない」
好きだよと、ひみつを打ち明けるような声が言った。
「僕の魔力をきみに移した。少しの間なら、きみの身を護るだろう。…魔王を殺して古いおとぎ話に幕をおろせ、ユースケ。きみが英雄になるんだ」
はは、とミシェルがわらった。ぐらりとその体がかたむく。
「べつに、血じゃなくたっていいんだ。魔力の成分を、うつすだけ、なんだから…」
とっさに抱きとめると、完全に気を失っていた。自分の限界に気づいていたから、俺に魔力を分けてくれたのかもしれない。
(…ミシェル)
どこまでも気のつく奴だなあと思うと同時、ミシェルを少しかわいそうにも思う。けど、感傷に浸っている時間はなかった。ミシェルが気絶したってことは、ミシェルがつくっていた防御壁が消えるってことで。
「っわあああああ無理無理無理無理!」
それまで壁の向こうにあった暴風が炎をともない、咆哮を上げながら目前にせまっていた。死ぬ死ぬ、死んじゃう!
「…何をしている」
死を覚悟して身を硬くした頭上、低い声がとがめるように言った。女の人が好きそうなビターなテノール。俺はびっくりして顔を上げる。
「アーサー」
「こんなところで、何をしている」
金がかったひとみが観察するように動いた。自分がロマネ・ワイゼン側にいることに俺が驚かないからだろう。けれど表情には出さず、アーサーは指先を黙って振る。ミシェルの防御壁を引き継いでくれるつもりらしい。
「あんたすごいな」
たとえるなら、コンクリートで補強されたような頑丈さ。さっきまであった隙間風もぴたっとなくなっている。魔法のことはわからないけど、これがそのままアーサーの魔力の強さなんだろう。いまさらだけど異世界に人間一人送るってのも相当チートだよな。
「……」
素直に褒めたのに、アーサーが気持ち悪そうに俺を見た。それをちょっとだけ痛快に感じながら、俺はアーサーにこの場を任せることにする。
「…マリー、」
呼ばれてふりむくと、女の子がアーサーと並ぶように立っていた。綺麗な黒髪。あおい瞳はアーサーと同じ色だ。兄妹ですか? っていうくらい雰囲気やたたずまいが似てるけど、ちょっと違う。でも確実に血のつながりはあるんだろうなって、そんな感じだ。
(俺、この子にどこかで会ったことがある?)
あれ、と思ったのもつかのま、女の子の姿が空気に溶けるように消えた。女の子の目は涙にぬれていて、深々と俺に頭をさげていた。
「…行ってくるよ」
アーサーは何も言わなかった。俺は背中を向けて走り出す。
「まじか!」
壁の向こうは魔物だらけでした。くじけそうになる心を叱咤して、俺はとにかく剣をふるい、足技をくりだす。ときどき魔法攻撃が飛んできたけど、ミシェルのくれた魔法が俺をまもってくれた。
「グローリア!」
俺は腹の底から叫ぶ。叫びながら前に進む。
「グローリア! 聞こえないのか!? どうしたんだ、何があった!」
俺は思い出す。
――むかしむかし、精霊と人間は一緒に暮らしていたのです
グローリアと行った遊園地できいたものがたり。てっきりショーの演出だと思っていたけど、あれはもしかして。
(“精霊は人間を友と呼び、人間は精霊を友と呼んでいた”。“友情の証に、精霊は自分の魔力を人間の血に注ぎ”――)
とにかく魔物の数が多い。爆発が爆発を呼んでるような炸裂音は続いてるし、風だってちっとも弱まる気配はない。まるで俺にそこへ行かせまいとするように、魔物たちがあとからあとから俺におそいかかってくる。
「どけ!」
返り血をぬぐって、俺は吼える。
「用があるのはグローリアだ! 邪魔すんな!」
魔物たちがびっくりしたように動きをとめた。それからしずしずと道をあけるので、今度は俺がびっくりする。え、何。きょとんとした次の瞬間、すさまじい殺気に圧された。
冗談抜きで身震いするほどの殺意。いすくまされそうになるのをかろうじてこらえて、俺は経験の命じるままに腕を動かす。
(グローリア!)
宙を射抜くような音とともに斬りかかってきたのはグローリアだった。男五人以上の剣を一度に受けたような力と勢いに、俺の下半身が悲鳴を上げる。
非力ではないけど、グローリアと俺でまともに力勝負をすればどうしても体格差で俺が勝ってしまう。くやしがるグローリアに、俺は諭したものだ。成長して体が大きくなればもっと力を使えるようになるよって。
俺はにやりと笑った。
「一瞬目を離したすきに、ずいぶん大きくなったな、グローリア」
「……」
俺よりも頭一個分上に伸びた背丈。外見だけの年齢でいうなら俺と同じくらいだろう。少年の面影を残しながらも、肩幅も足腰もカプリース兵たちと遜色なく育っている。
「グローリア?」
すなおな好意をたたえて俺を見上げていたひとみは赤々と憎しみに燃えて俺を睨んでいる。髪は子どものときと同じプラチナ色でやわらかそうなのにな。
「っ!」
グローリアが犬歯を剥くと、炎が俺とグローリアを遮断した。あやうく利き腕を焼かれそうになって俺は内心で冷や汗を流す。
(俺、かなり分が悪くない?)
ミシェルは少しの間って言ってたけど、それって具体的にはどれくらいなんだろう。
「…人間が憎いか?」
とりあえずグローリアを正気に戻さないことには、話し合いもできなさそうだ。グローリア。俺は根気強く呼びかける。
「精霊の力を使って戦争をする人間が憎いか? 滅ぼしたいか? ランドルやアデアルドたちを守るために魔法を使おうとしたんじゃないのか、グローリア!」
俺はじーちゃんがかつて世界を制した七つの技の一つを解放した。ひとつめ、火花散らし。宙返りするように飛んだグローリアを、けれど風がクッションを作ってうけとめる。
「っあ!」
グローリアをおろした風がそのまま枝分かれして俺に巻きついた。呼吸を奪われるように喉をしめあげられるけど、ミシェルの魔法で難を逃れる。ふたつめ、祠崩し。みっつめ、猫じゃらし。
続けてしかけてみるけど、案の定魔法によって阻まれたり逆にカウンターをくらってしまう。せめて魔法を封じることができればなあ。
(マリー姫ってどうやって魔王倒したんだろう…)
アーサーなら知ってただろうか。もっと話を聞いておけばよかった。魔法の使い方とか。
「うわっ!?」
攻めあぐねる俺に時間を与えまいと、グローリアの魔法攻撃が続く。さすがというかなんというかいちいち規模が大きくて、しのぐにしろ避けるにしろ、俺の体力ゲージはガンガン削られていった。むしろ、俺よく生きてるなって…。
(回復アイテムくらいほしかった…)
教えてください。なぜ俺は対魔王戦においてほぼ初期装備ノーアイテム、心強い仲間もなしに挑んでいるのでしょうか。
「ぎゃー! 気持ち悪い!」
利き足に小鬼の魔物がまとわりつく。ふくらはぎにかみつかれて、俺の動きが停まった。そこへうずまいた風の砲弾が数発飛んできて、俺はまともに喰らってしまう。咳き込む俺を、グローリアは何の感情もない冷たい目で見ていた。
(殺させてたまるか)
俺はグローリアの言葉を思い出す。魔王様の意識にのまれて、知らないうちに俺を殺すことをおそれていたグローリア。もし少しでもグローリアの意識がこいつのなかに残っているなら、俺は絶対にここで死ぬわけにはいかない。
へら、と俺はグローリアに笑いかける。
「体力はないけど、結構しぶといから大丈夫だぞ。でも、もし意識が残ってるなら、そっちでもふんばってくれると助かる」
「……」
グローリアは答えない。そこから再び、俺をなぶるような魔法攻撃が続く。着地した利き足の激痛に気づいて見ると、すねから足首にかけて火傷していた。肩も背中も火傷や切り傷だらけだ。
はあ、と俺は大きく息を吐きだす。
(せめて、近づければなあ)
魔法攻撃の規模こそ派手だけど、ぎりぎり直撃しないようにされてる気がするんだよね。急所が避けられてるというか。
でなきゃ初期装備でノーアイテムな俺が、この魔王様相手にここまで生き延びてられるはずがない。説明がつかない。
(でも、そろそろ限界だ)
膝が痙攣してる。足に力が入らない。吐き気までするし。
(死ぬわけには、いかないんだけど…)
とうとう動かなくなった俺を、魔王様が生死を確認するみたいに蹴った。魔力で遠隔操作されたグローリアの剣が俺に近づいて、俺のなけなしの防具と上着を器用に切り裂いていく。
心臓と内臓が皮一枚。トクトクとせっかちな緊張をうったえる胸の上を、魔王様の指先が縦になぞる。冷たいのかと思ったらちゃんと体温があった。切りこまれた爪と柄にけずられてかたくなった皮膚。
グローリアのやわらかい髪が裸の皮膚にふわふわとあたる。何をしているのかと思ったら、魔王様が俺のへそを舐めていた。
(…味見?)
首をかしげたのもつかのま、脇腹の傷を不意に舌先でえぐられて、俺は反射的に悲鳴をあげる。
「…殺して」
えぐった場所を次にはいたわるように舐めながら、魔王様が言った。ユースケと呼ばれて、俺はまぶたを開く。
「…グローリア?」
「おれを、殺して。ユースケ」
澄んだ夕焼け色が俺を映す。そのひとみは悲しみと絶望に満ちて、ほたほたと涙を落としていた。
「だめだ、おれ、これが精一杯だ。おれじゃ『こいつ』を抑えられない。『こいつ』はあんたを食うつもりなんだ、ユースケ」
「え、“食う”って、R18G的な意味? ガチで食べちゃうやつ?」
おおまじめに聞いてるのに、なぜかグローリアに「ばか」って言われた。俺は頬をふくらませる。
「みんなを、守りたいって思ったんだ。だから話をして、…アデアルドに魔法の制御の仕方聞いて…でも、そこで昔の、五〇〇年まえのこととか思いだして、…あいつが」
グローリアが苦痛をこらえるように眉根を寄せた。早く、と俺をせかす。
「おれは生きてちゃだめなんだよ。…好きだって言っただろ、やだよ、おれ、ユースケのこと殺したくない」
「じゃあ、あきらめるなよ」
戦え。
えずくように咳き込みながら言った。何度か失敗しながらも、力の入らない腕でやっと起き上がる。焼けた手でグローリアの肩をつかむ。言い聞かせる。
「戦え。俺はグローリアに殺されない。こんなところで死なない。だから、戦え。俺を殺したくないって思うなら、みんなを守りたいって思うなら、戦え」
「……」
何かを言いたそうに俺を睨んで、けれどグローリアは言葉を飲むように口をとじる。その表情が子どもだったときと同じで、思わず俺はわらった。
「俺だって怖いよ」
『俺が予言する』。大勢のひとたちの前でそう言い放った、あのときだって。
「ずっと怖かった。今だって怖い。怖くてたまらない。けど、…負けるために戻ってきたわけじゃないからさ」
「…うん」
グローリアがうなずく。涙を払うように閉じてひらいたひとみは強い意思をたたえていた。戦う男の顔。子どもっぽい危うさを脱ぎ払った精悍な眼にまっすぐに見つめられて、俺はどきっとする。ひとりごちる。
「そんな頼もしい顔されたら、いよいよもう仔犬なんて呼べなくなっちゃうな」
剣はもう握れそうにない。俺は手ぶらで立ち上がる。大丈夫。俺に発破なんかかけられなくたって、おまえは充分戦えるよ、グローリア。
(なんたってあのヘルム野郎が認めたくらいなんだから)
再び魔王様に戻ったグローリアが動物のように俺と間合いをとった。勢いよく広げた両腕にうずまく風が生じて、さらに炎と光をまとう。
これが最後だ。俺はじーちゃん直伝の七つ目の技を構える。不思議だなと思った。
予言の魔王。どうしてグローリアの未来を奪おうとする世界にたいして、俺はこんなにも強い嫌悪を覚えるんだろうって。この子を殺さなければしあわせになれない、人々は笑うことができないのなら、そんな世界しかないのなら、世界がそれを望むというのなら、消えてなくなってしまえと思うのか。
心のうちがわをひりひりと痛めるような切なさや、こんなにも息苦しいような気持ちになるのか。
自分でも、ずっと不思議だったんだけど。
「俺も、すきだよ」
カチ、と耳元で、音が空耳のように鳴った。ずいぶん前に途絶えていたミシェルの魔法が今度は別の色合いをともなって俺の中にふくらんでくる。ずっと昔から知っているようになじむ気配。我知らず、俺は息を漏らす。
(なんだ、そこにいたのか)
俺、本当にあなたの生まれ変わりだったんだな、マリー姫。
自覚した瞬間、両の手に不思議な重みと熱が加わった。魔王様と俺、二人ほぼ同時に地面を蹴る。
同等の魔力が烈しい閃光を生んだ。一瞬のうちに指数関数的な光量を爆発させながら、風のふきすさぶ闇の八方へのびていく。不気味な緑色をともなった深い深い夜がひびわれて、やがて光をのぞかせた。
金色に輝く神秘的な光。内側から叩き割るようにあふれだしたそれがさらに勢いと量を増しながら闇をかき消していく。
「ユースケ、」
声に呼ばれて、俺は視線を動かした。俺は地面に大の字になって倒れていた。痛覚が全部壊れたみたいに何も感じない。だから心の中で彼に応える。
(グローリア)
光の粒子にふちどられた小柄な輪郭をまぶしい思いで目に入れた。ふわふわと風にゆれるプラチナ色の髪、そのうしろにまばゆいばかりの太陽を戴いた空がある。きれいだなと思って、俺は微笑する。
「…ユースケ」
次に俺を呼んだのは、耳馴染んだ子どもの声ではなかった。ぼろぼろの甲冑を身に着けたニコラ様が、ワイゼン兵をともなって俺たちを囲んでいた。元の子どもに戻ったグローリアの喉元と心臓へふれんばかりに、兵士たちが剣をつきつけている。
「“古いおとぎ話に決着を”。…勇者ユースケ」
黒ずんで刃の欠けた剣を俺にさしだしながら、ニコラ様が言った。
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