仔犬だと思ってたのに

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#11-1 仔犬だと思ってたのに

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 棚と棚の間を抜けざま、風がぱらりと本のページを繰った。乾いたそれに頬をなでられて、俺は視線を上げる。
 自然光をとりいれるように設計されたロマネ・ワイゼン王城の書庫。戻ってきたのだと、俺は実感する。

(やっぱり、いないんだな)

 なんとなく予想はしていたので、グローリアがそばにいないことには驚かなかった。俺たちをとりまくさまざまな思惑を考えればその方がいいんだろう。
(時間的にはアーサーに会う少し前ってところか…)
 どういう仕組みでそうなってるのかはわからないけど、実のところ俺はほっとしている。
 マリー姫と魔王を引き離すために魔王の血を飲んだとか、マリー姫の魂を異世界に送ったとか。

(500年も、『マリー姫』を待っていたとか)
 そんなこと聞かされたって、俺は『マリー姫』じゃないんだから知らない。どうしてやることもできない。
 し、だいたいそれだってあいつ自身がやったことじゃないだろうに。
(ずっとそうやって生きてきたのかな)

 俺は元の世界への帰り際に聞いた、アーサーの血を吐くような声を思い出す。500年。それはどれほどの年月だったろう。
 開いていた本を元の位置に戻して、俺は足早に書庫を出る。カプリースに帰る計画はひとまず中止して、ミシェルのにいちゃんを探した。ええとそうだ、ニコラ様。

「やあ、いらっしゃい」

 いつもは街でボランティア活動をしているというニコラ様は、部屋で仕事をしていたようだった。執務室と呼ばれるそこは、広すぎない広さで、置いてあるものも必要最低限といった風だ。わざわざ机から立って、ニコラ様は俺を迎えてくれた。
「一度きみと話をしたいと思っていたんだ、ユースケ」
 雰囲気だけで判断するなら、年はアーサーよりやや上くらいだろうか。黒い髪をおかっぱに切りそろえている。髪質なのか寝癖なのか、頭のあちこちで毛がはねてるのが地味に気になる。本人は気にならないんだろうか。

「きみの眼は正直だな」

 他愛ないいたずらに気づいたような顔で、ニコラ様が笑んだ。
「髪質なんだ。特に雨が近いとどうにもならない」
 でも伸ばしたり短くしたりする気はないらしい。こだわりの髪型ってやつなんだろう。

「“勇者”がいる方が士気があがると思うんです」

 簡単な世間話を挟んでからニコラ様が引きだしてくれたので、俺はすんなりと言うことができた。返せばこれは、明かすつもりのない腹の中もうっかり吐いてしまいかねないということだ。
 手づからお茶までいれられてしまい、俺は踏ん張るような思いで肺をふくらませる。

「俺は、マリー・カンタビレのおとぎ話を終わらせたい。今度の戦いでは、俺を先陣の隊に入れてほしいんです」
「積極的な意思は歓迎したいところだが、それは許可しかねるな。万が一きみの身に何かがあろうものなら、私はミシェルに八つ切りにされてしまう」
「かといって、それまで後方で守られてたくせに、おいしいところだけ持っていく“勇者”もどうかとは思いませんか」

 俺ならそんな小物を勇者なんて呼ばない。誰よりも前に立って剣をふるうから、皆が認める。だからその人は英雄と呼ばれるんだ。

「きみは人を殺したことがあるか?」

 ニコラ様がカップを置いた。上から圧するのでもなく押しつけがましくも感じさせない、真摯な声音で問う。
「相手の目と顔を見ながら殺すことができるか? 国のためでも名誉のためでもなく、ただ己がそこで生き残るためだけに他者の命を奪うことができるか?」

「だけど俺にグローリアを殺せっていうんですね?」

 俺はニコラ様を見据える。相手の間合いへ踏みこんで呼気を吐きだす自分をイメージした。
「“魔王”を殺せというなら、やります。俺の目的は古いおとぎ話に幕を下ろすこと、そしてたくさんの人たちにその瞬間を見てもらうことです」
 そして、グローリアと俺をそこから解放すること。

「必要なら、“魔王”を殺したあと、俺を殺してもらってもかまいません。500年前、マリー・カンタビレの王がそうしたように」

 そこで初めてニコラ様の表情が変わった。知っていたのか、とひとりごちるような声が言う。
(え、そうだったんだ)
 完全にハッタリというかでまかせのつもりだったから、肯定されて逆にびっくりした。てか、否定しないってことは、少なからずニコラ様のなかでは“そういう”ルートもありえたってことでいいのかな?
(人間不信になりそうなんだけど…)
 王位継承者だなんだ持ち上げたところで俺なんかただの学生だし、せいぜい名前だけなのかなとか思ってたけど、結構えげつないんですね。
 思いながら、俺は右手を心臓のあたりに沿える。さあ、ここからだ。あたかもそこに誰かがいるように、俺は声をつくる。

「俺の中の『マリー姫』が教えてくれました。そうやってマリー・カンタビレという国が建てられたんだって」

 先に言っておくけどいないからね、マリー様。胸に手をやったところで、ウンともスンとも聞いてないし言われてないからね。てか、いるなら最初からもっとチートできたはずだし、こんな状況に追い込まれてないからね。
 でも、俺の使えるカードってこれしかないからさ。

「…いいだろう」

 俺の背中は冷や汗とか脂汗でビッショリだったけど、表側だけはどうにか繕いきることに成功したようだった。
 張りつめていた空気が、ニコラ様のひとことでわずかにゆるむ。
「きみの望む透りに。覚悟ができていると、そう言いたいんだろう。だが、守護をつけさせてもらう。魔王を倒すことができる存在はきみ一人のみだが、きみの命についてはそうではないから」
「はい。それで構わないです」
 ふう、と俺は内心で息をつく。これでまず、舞台に上がる権利を獲得したぞー。
(戦うために戻ってきたんだ)

 誰かの思惑が作った大きな流れの中でおろおろすることしかできなかった、何も知らなかったけど、今はいくつかでも知っていることがある。皆が俺を素材として求めるなら、俺はそれを武器にして最大に利用する。

「…ふふ、」

 ニコラ様がカップをとった。湯気も絶えて久しいのに、さもいれたてを口に含んだように微笑する。腰をあげる。
「なるほど、弟の眼は確かだったようだ。非礼を詫びよう、勇者ユースケ。きみの意思は必ず、二つの国をおおう旧い夜を切り裂いてくれるだろう」
 そういって、ニコラ様が俺に体を折った。ここが社交場なら誰もが感嘆の息をついただろう、華やかさのあるやわらかな所作は、全力を尽くして戦った相手に贈るような、剣士の礼だった。



      *


 対マリー・カンタビレとの戦争のために集められた兵士は約500。それらは予定されていた日程でロマネ・ワイゼンを発ち、約一日半後に同国領内にある平原でマリー・カンタビレ兵に遭遇、先制攻撃を受けた。
 同じ「馬で三日」の距離でも、規模が大きければ大きいほど進軍速度は落ちる。ニコラ様の出した複数の先見によれば、マリー・カンタビレ側の兵力は180弱ということだった。その数に思い当たるところのある俺は隣のミシェルにたずねる。

「それって、ほとんどカプリース兵ってこと?」
「…そうなるね」

 ミシェルがうなずいた。ミシェルは自ら志願して、今回俺の“護衛”を務めることになっている。でも、と俺は言葉をつないだ。
「書状はマリー・カンタビレの国王様に届けられたわけだろ、そうしたら国と国との戦いになるわけだから、普通は援軍とか本軍とかが出てくるものなんじゃないの?」
 王都からカプリースまで徒歩で5日。ロマネ・ワイゼンは宣戦布告以降、マリー・カンタビレ国王側に対して充分に「準備」の時間を与えたはずだった。
 にもかかわらず、こちらを迎えたのは、先の戦いからまだダメージが回復しきっていないだろうグローリアたちだけってことは。

「決めつけるのは早いよ、ユースケ。この数で油断した僕らの背後をマリー・カンタビレの国王軍が突然攻撃してくるかもしれないし、あるいはマリー・カンタビレに入った途端に猛攻を受けるのかもしれない」
 ミシェルが言って見せるが、あいにくと俺たちをのぞけば、ほかには地平線と空と太陽と雲くらいしかない。本当に、突然1000人くらい現れて、俺たちを囲いこんでくれればいいのに。
 吹きすさぶ風。雲がまた太陽を隠した。綿を伸ばしたようなその下を閃光が奔り、いっせいに放たれた弓矢のように分散する。

 ミシェルが言葉をとなえた。兵たちの頭上にぶ厚い盾が出現して、つぎつぎととびかかってくる光の刃から兵たちを守った。すさまじい光熱量が何体もの生き物となって、落雷のような轟音をともないながら地面につきささる。ぽっかりと口を開けたそこがアリ地獄のように土を吸い始めると、陣形がやや崩れた。指揮官が猛然と号令し、ワイゼン側の魔法兵が攻撃魔法を放つ。

「ユースケ、離れないで」

 無意識に前のめりになって、グローリアたちのいる方に足を踏み出しかけていた俺を、ミシェルの声がとがめる。悪い、と俺は肩をすぼめた。
「ニコラ様に最前線に行かせてくださいって言ったけど…配置してもらったけど……これ、出てったら普通に死ぬよな」
 風と炎と水と雷と。
 カプリースで戦ったときも死ぬって思ったけど、もう全然規模が違う。まわりを見ると、魔法の使えない兵たちもぼう然といった面持ちで魔法戦を見守っている。
 ミシェルがうなずいた。

「魔力が高ければ高いほど、魔法を行使できる時間は短い。もうまもなく出番が来るさ」
「なあ、俺にも魔法って使えないかな」

 俺はランドルの講義を思い出す。血液型相性方式。先天的に魔法が使えなくても、成分をうければ一時的に魔法を扱うことができるってやつだ。
「ああ、げんにそうして魔法を使っている兵もいるから不可能ではないけど…。ユースケ、僕の血を飲んでくれるのかい?」
 ミシェルがなぞなぞをしかけるように小首をかしげて見せる。え、と俺は目をしばたたかせた。

「血? なんで?」
「魔法。使いたいんだろ。僕の血を、そうだな、カップ半分くらい飲めば使えるよ」
「そんなに?」

 カップ半分って結構な量ですよね。てか待って、つまり、一時的に魔法兵してる人たちって最低カップ半分は誰かの血を飲んでるってこと? 提供してる方も戦いがあるたびに血を抜かれてるってこと?
 一人青ざめる俺に、ミシェルが注釈する。

「魔王様の血ならもっと少ない量で、それも強い魔法を扱うことができるよ。そのかわり、いれたての紅茶が冷めるまでの時間も生きていられないだろうけど」

 会話の間にも土煙はどんどん増えていて、まきあげられたままの土埃が太陽をしだいに覆い隠していく。
「今だ!」
 指揮官が剣をふりおろした。たけだけしい雄叫びをあげながら、剣を持った歩兵隊がカプリース側に向かって突進を開始する。魔法兵たちがいれかわるように前線から退く。中にはすでに力尽きて医療兵に肩を引きずられていく兵の姿もあった。
 ユースケ、とミシェルに呼ばれて俺は我に返る。しまった出遅れた。あわてて走る。

「ユースケ、待て!」

 引退する前は防具をつけたままの走りこみとかやってたから、多少の走りにくさには抵抗を感じない。ようやく出番がきましたとばかりに俺は先頭を目指す。
 うおおおお。
 ミシェルをぐんぐん引き離して走っていく前方、土煙のなかで何かが光った。スクリーンに映った影のようなそれがまもなく、輪郭をあらわす。
(グローリア!)
 グローリアだった。カプリース兵の誰よりも前に出、彼は仲間たちを守ろうとするように仁王立ちしていた。仲間たちの誰よりもちいさな体をしているはずなのに、巨大な壁のようにそびえてみえることに、俺は内心で戸惑う。

「聞け! おれがマリー・カンタビレの魔王だ!」

 迫りくる兵たちをむしろ押し返そうとするように、グローリアが顔を上げた。俺には気づいていないらしい。溶鉱炉のような赤いひとみから燦と放たれた光が、グローリアの全身を金色に包む。
「加減なんかできねーからな! 死にたくなかったら退け!」
 あれ、と俺が既視感に首をかしげる頃には、俺に追いついたらしいミシェルに回収されていた。焦りからか雑に発音されたそれが力を持って、俺と兵士たちを守る暴風壁になる。そこからあぶれたり防御の間に合わなかった兵士たちが光の嵐に押し流されて後方へ転がっていった。

「相変わらずえげつない魔力だなあ、防ぐのでやっとだ」
 軽口を叩く反面にミシェルの、俺の腹を抱える手は震えている。第二波、第三波とそれからミシェルはしのぎきったものの、ワイゼン兵たちにグローリアの圧倒的な魔力を示すには充分すぎたようだった。グローリアを見つめる兵士たちの顔はどれも蒼然として、強い恐怖にこわばっている。

(おびえてたのに)

 俺はしずかな心もちで、彼らと同じ景色を見る。たった一人、土煙の中に立つ子ども。
(俺のいない間に、自分の力を制御できるようになったんだな、グローリア)
 何がびっくりって、カプリース兵たちがグローリアの魔法に驚いていないことだった。ごく当たり前のように、グローリアが彼らの前で魔法を使ったことだった。

 国を滅ぼす予言の魔王として疎まれていたあの子が、自分をかつて魔王と罵ったひとたちを守るために立っている。自分のなかに眠る強大な力におびえていた彼が、それを受けいれて、ロマネ・ワイゼンという脅威から彼らを守るための壁になろうとしている。
 感無量ってこういう気持ちなのかもしれない。と、おおらかにうなずく一方で、さびしいなあと痛みをうったえる狭量で子どもっぽい自分を無視することもできない。否、むしろそっちのほうが今の気持ちに近い。

(見たかったなあ)
 どんなふうに彼が、半月にも満たないこの短い期間に自分の力との付き合い方を覚えて、学んで、訓練をしたのか。あの子の成長を、俺も、あの子のそばでみていたかった。俺自身には何も教えてやることができなくても。

「…おい、見ろ」

 兵士たちは依然と立ちすくんでいる。ぼんやりと停滞していた空気の中で、誰かが不意に空を指さした。引かれるようにそうして一様に空を仰ぐ先、俺たちはそこを黒々と覆っていく影を目にする。
「なんだ、あれ」
 はじめはなかなか晴れない土幕のためだと思った。それから次に考えたのが嵐による天候の急変だった。だけどすぐにそのどちらでもないのだと思い知る。
 じわじわと頭上を侵食していく闇、それから足元へもひろがっていくそれは“夜”だった。
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