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#10-1 あなたのいない世界ならいらない
しおりを挟むカチ、と時計の針が動く。
「相沢くん」
呼ばれて、俺ははっと顔を上げた。
暖房のきいた電車内。腕からすべりおちそうになっていたノートをあわてて回収する。やべ、寝てたのか。
(ここは…? なんで、俺…)
ねえちゃんがくれたマフラーにコート。筆記用具の入ったバッグ。窓の外はどんよりと曇っていて、乗ってきたばかりらしい乗客は車両の中まで進みながら寒そうに両手を揉んでいる。
頭をつきあわせるようにして参考書をのぞきこんでいる女の子たち、ドアに寄り掛かってスマホをいじったり文庫本を読んでいる社会人。ちょうど俺の正面で参考書を開いていた女の子が俺の視線に気づいてか、ちらりと眼を上げる。
俺を呼んだのは俺の右斜め前に立つ、同じクラスの女の子だった。俺があわてて席を譲ろうとすると、「そういうつもりじゃない」と彼女は両手を振る。
「それにわたし、次で降りるから。相沢くん、ぐっすり寝てたし、寝過ごしたらかわいそうだなと思って声かけただけだから」
じゃあ、頑張って。彼女は電車を降りていく。頑張って。俺もエールを返した。
ドアの隙間から冷たい風が入ってくる。俺は思わずふくらはぎを椅子下の暖房にくっつけた。そうだ、今日は夜から雪が降るって言われてたんだ。
(あと三つ)
ドア上にある画面のナビゲーションを見、俺は目的地までの駅数を確認する。バッグを膝に抱えなおす。
(なんだろう…すごく長い夢を見てたような…)
夢というには時差みたいなのがありすぎるんだけど。まるでこことは別の場所に長いこといたみたいな…。
(9時には寝たんだけどなあ。目つぶったらまた寝そうだ)
腕時計は8時36分を示している。三駅だからあと10分くらいだろうか。考えて、俺は時計の文字盤にもう一度目を落とす。あれ? と思わずひとりごちた。
「で、ついに言ったらしいよー。帰り」
「うわ、かっこいいじゃん。部長絶対ヘタレだと思ってた」
「わかるー」
手すりのそばで女の子たちが笑ってる。座席でスマホをいじっていた男の人がうるさそうにそれを横目で睨んだ。その隣でくあ、と通勤中らしい女の人があくびをかみ殺す。
レールを走る電車の振動。ときおり車輪が金属を削る。車内のざわめき。
それらを意識の外に聞きながら、俺は単調に動く秒針をじっと追う。8時36分。秒針が文字盤を一周して、まもなく37分を示そうとしている。そうだ、それが普通だし機能としてなんにもおかしいことはない。昼前後の授業でもテストでもないのに、なんで俺は秒針なんかをまじまじと見ているのか。
37分。38分。
「で、そいつが言うには、“だって好みだったから”って」
「うわあ、最低だね」
女の子たちの声。雑音。電車はダイヤ通りに駅に停車してレールの上を走っていく。あたりまえのことのように。平凡に。
(トンネルをくぐったら異世界でした、なんて妄想したことないはずなんだけど…)
ゲームの世界に入ってみたいなあとか、漫画の主人公みたいなことが起きたらいいのになあとか、俺も人なみに思ったことはある。角を曲がったら女の子とぶつかって、その女の子が実は悪い奴から逃げてきたどこかの世界のお姫様だったとかね。まあ、ないですね。
結局ノートもろくにみないままバッグにしまって、俺は首をかしげながら駅に降りた。築何十年のような趣のある駅内、改札に立つ若い駅員が眠そうにあくびをしている。改札を通って駅外に出ると、寒そうにたたずむ菩提樹が目に入った。夏なら建物に木陰を作ってちょっとした憩いの場になりそうな。
俺はふと首をかしげる。
(俺、前にもここに来た?)
そんなはずはない。
試験会場になっている大学を通るバスは一番線に停まっていた。受験生らしい学生たちがぽつぽつとそれへ列を作っている。
ひらりとそのとき、俺の視界を白い影が横切った。あ、と俺の隣で女の子たちが空を見上げる。
雪が降り始めていた。
*
結論から言うと、試験は想像以上につまずいた感じでした。最後の模試よりひどいかもしれない。
言い訳する気はないんだけど、なんかすごい久しぶり感があったっていうか、一瞬頭が真っ白になったっていうか。勘をとりもどすのにちょっと時間がかかったっていうか。
一番得意な科目だったのに、英文とか異世界の言葉に見えましたよね。
(だめかもしれない)
こんな状態で、なんで俺、あとは人事を尽くして天命を待つだけなんて悠長なこと考えてられたんだろ。全然駄目じゃん。
ひきあげたマフラーの下でズズ、と鼻をすする。家までもうすぐだったし家にも終わったから帰るよって連絡したばかりだったけど、友達と会ったからちょっとしゃべって帰る、と入れた。すぐに既読がついて了解の返答が表示される。
うちの女たちは勘がいいからかえって余計に気遣わせてしまうかもしれないけど、この状態で帰るのは俺がつらい。
とはいえ、午前からふりはじめた雪は夕方になった現在もやむ気配がなくて、俺は帰りの駅で傘を買った。傘を持つ手がかじかむから定期的に手をいれかえてきたけど、さて、どこで時間を潰そうか。
(駅前の店は混んでたし、誰かに会う可能性が高いから却下。学校も却下。図書館はもう閉まってるから却下)
傷心の学生が一人で浸れるところって意外とないよね。カラオケ入るには手持ちがないし、映画館も同事情により却下。海なら財布にやさしいけど、こんな時間に学生が一人でぼーっと堤防に座ってるのって客観的に見てどうなんだろう。むしろ時期的に察してそっとしといてくれるだろうか。
「あ、ユースケだ!」
「ユースケだ!」
聞き覚えのある声が五つ、後方。おそるおそる振り返ると、見慣れた面々がいっせいにスタートを切っていた。俺は腕時計を見る。しまった、練習が終わる時間だ。
「やい、ユースケ、終わったのかよ! 試験!」
どす、と背中にまず一体目。続いて二個、三個と、俺の左右後方を竹刀を背負った少年たちが固めていく。隣の家の子とそのご学友たちだ。
どうだった? と一人が言うと、オウムみたいに同じセリフが続いた。
「その顔は駄目か!」
「駄目だったの? マジで?」
子どもって残酷ですね!
心の中で血の涙を流しながら、俺は割れまくったガラスハートを補修すべくセロテープを貼り貼りした。うつろな目で言う。
「全身全霊を果たして取り組んだのちは潔く、悪あがきすることなく運を天にまかせてだね…」
「それって駄目だったってことじゃん」
最初に俺に突撃してきた子があわれむように俺を見た。俺が答えないので情況を聡明に理解したのだろう、互いに視線をかわしあったのち、ご学友たちがめいめいに俺に慰めの言葉を述べていく。
「元気だせよ、ユースケ。受験だけが人生のすべてじゃないって」
「飴ちゃんやるよ」
「泣くなよ」
「受験駄目でも遊んでやるから」
「長い人生、そんなこともあるって」
やばくない、小学生に慰められてる俺ってすごくやばくない。コメントがいちいち達観してるし。子どもたちのやさしさがしょっぱくて、なんか余計に泣きたいんだけど誰か助けて。
「…ほら」
少年たちが解散して、その場に隣の家の子と俺が残った。呼吸を整えながらぶっきらぼうな所作でさしだされたのが、あったかいはちみつレモン。てっきり帰ったんだと思ってたんだけど、これを買いに行ってたんですね。
「なんでそっちがコーヒーなの」
しかもブラック。
俺の記憶じゃこの子、コーヒー飲めないはずだったけど。
横目に見ると、子どもはフンと胸をそらす。
「ガキ扱いするんじゃねえ。おれはもう立派な大人だ。あと二年もすれば生まれて二ケタになる」
俺なんかそのときには十の位の数が変わるんだぜ、とは言わない。
ジュース代を返そうとしたら威嚇されたので、ここは彼の顔をたてることにした。それにしてもこの子はいったいどこでこういう紳士なことを覚えてくるんだろう。
「ユースケ、肩」
道の真ん中でごちそうになるのもなんなので、近くの神社に場所を移す。正月には初詣の人でにぎわう由緒正しい神社だ。賽銭をいれて拝んでから本殿の軒下を借りることにした。傘を閉じた手で雪を払う俺に、子どもがぶすくれた顔をする。
「傘寄せなくていいって言ったのに」
「そういうわけにはいかないだろ。俺の方が年上なんだから」
きれいに掃除されている段差に並んで座った。真っ白に雪の積もった境内に俺たちの足跡が見える。
ぼそ、と子どもが言った。
「…おれよりユースケのが十年先に生まれただけじゃねえか」
「いや、十年は普通に大きいだろ」
十違うと話が全然合わないって母さんとねえちゃんが言ってた。
「…好きで十年後に生まれたんじゃないし」
「まあ、そうだよな」
ここに来るまでの間カイロがわりにしていたはちみつレモンは、開けるときには飲み頃の温度になっていた。頬にあてて名残惜しく暖をとっていると、にわかに子どもが不穏な顔つきで舌打ちを放っている。
「ど、どうした!?」
「失敗した」
やっぱりコーヒーが飲めないのかと心配したけど、そうじゃなかった。子どもはそこはかとなく不満そうな表情を残したまま、俺の空いている方の手をひろった。子どもは体温が高いというだけあって、しばらく握られているうちに、指先がじんわりとあたたかくなってくる。
いや、あったかいんだけど…?
意図を問うように、俺は子どもを見る。すると彼は今更自分の行為に照れたように、無言でそっぽをむいてしまった。
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