仔犬だと思ってたのに

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# 8-2

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 マリー・カンタビレのおとぎ話。
 魔王と人間の争いに胸を痛めた心優しい小国のお姫様は物語に描かれるようなドレスを着たお姫様ではなく、自ら剣をとり戦った勇敢なひとだった。苦しむ人々のために立ちあがり勇者と呼ばれた英雄だった。

(『魔王は勇者にしか倒すことができない』)

 国王様は言った。俺はマリー姫の生まれ変わりなのだと。魔王を倒したひとの力が俺の中には眠っているのだと。
 そんなバカな、とは思った。だってそもそも俺はこの世界の人間じゃない。マリー姫の生まれかわりなんてありえない。
 そう言いたかったけど、頭も感情もとっくに許容量を超えていて、俺は国王様の「魔王を殺してほしい」に対する返事さえできないままその前から辞した。本当にいっぱいいっぱいだった。

(生まれ変わり…? なんでそんなことがわかるんだ?)

 ミシェルは俺を心配してくれたけど、俺の状態をおもんばかってか、部屋に一人にしてくれた。こんな広い部屋じゃなくていいって言ったけど、その方が部屋に俺のにおいがつくからと言う。おやすみ、と言って、ミシェルは扉を閉めた。
 『ごめん』。
 扉の閉まり際にさしこまれた言葉は、何に対してだったんだろう。
(知ってたのかな)
 ベッドまで歩く元気もなくて、俺は床にすわりこむ。すごくだるい。そのままベッドの上でするように転がった。目を閉じる。

(ミシェルは、俺がマリー姫の生まれ変わりだって知ってた? だから俺をここへ連れてきたのか?)

 魔王を倒したお姫様。俺が本当に彼女の生まれ変わりとして、だけど、勇者にしか倒せないっていうのがよくわからない。
(アーサーは『何』なんだ?)
 マリー・カンタビレ政府は、俺とグローリアの審判兼処刑役としてアーサーをつけた。間違いが起きれば俺とグローリアはあいつに殺されるはずだった。つまり、アーサーは魔王を殺すことができる。ランドルとアデアルドもそういう存在だったはずだ。そもそもカプリースが選ばれたのはそれ込みだと思ってたんだけど…。

(…頭痛くなってきた)

 息が湿っぽい。頭が重石つけたように重くて体が熱っぽい感じ。年に一回か二回くらいしかないけどこの感じは知っている。
(このタイミングで熱かー)
 しかも結構やばめのやつだ。この世界きてから緊張しっぱなしだったし、さっきので決定打くらったのかもしれない。いやしかし横になってる体勢なのにこのしんどさって。
 仰向けになってもうつぶせになっても楽にならない。俺はすがる思いでドアを見る。
(誰かに気づいてもらわないと…)
 ドアに近い位置にいたのはラッキーだった。かかる重力が二倍になったような体を、俺は腕立て伏せの要領で持ち上げる。そうして体をドアに伸ばそうとしたけど、体が床から離れた瞬間に視界が四回転半くらいした。まじか。

「はー、…はー…。…ハッ…冗談……」

 もう一回。今度は顔をあげないで体本体だけを芋虫のように動かして前進させた。頑張れ俺。ここで力尽きたら死ぬぞ!
(よし!)
 伸ばした腕の先、爪がドアの表層をひっかいた。二回、三回。救いを求める気持ちで俺はくりかえす。誰かたすけてー!
(俺はここだー! ここでーす!)
 この時間ならメイドのお姉さんたちが仕事をしてるはずなのに、おかしい。ひっかいてもひっかいても足音が近づいてくる様子はない。むしろ誰もいない?
(もしかしてミシェルが人払いしてくれた…?)
 ちんこ舐めるやつだけど、ミシェルはあれでずいぶんな気遣い屋のようだ。王子様だもんな。わかってる。ミシェルは何も悪くない。
 でも。

(終わった……)

 体力値が頭の中で赤く点滅してる。俺はこのままここで死ぬんだろうか。ああ、もう目を開けるのもおっくうだ。
(グローリア)
 思い浮かぶのが怒ってる顔ってどうなの。しょうがねーなって叱られたい。心配されたい。こんなことになるなら変な意地なんか張らなきゃよかった。
(10歳差でも甘えたっていいじゃない。未成年こどもだもの)
 もう一度会いたかったなあ。
 すん、と鼻をすすった頭上、掛け金が動いた。神が来た。

「……」

 声はないが、人物はすぐに踏まれた虫よろしく床にはいつくばっている俺に気づいたようだった。いぶかしむような気配ののち、俺の背中側に位置をとる。
 指が、俺の耳の下あたりにさわった。それから喉へと指の腹がすべる。入ってきたときからそんな感じはあったけど、男の指だった。爪を短く切りこんだ剣士の手。
(それにしても、まず真っ先にドアから遠回りの背中側をとるとは)
 俺自身がドア側を向いてるわけだから、当然正面からの方が確認しやすいはずなのに。故意だとしたら経歴にちょっとクセのある人物かもしれない。
 男が立ち上がった。俺に意識があることに気づいているだろうに、無言で部屋を出ていく。ご丁寧にドアまで閉められて俺は焦った。

 え、もしかして放置?

(ちょっと待ったー!)
 あわてて体を起こそうとして、再び四回転半に見舞われる。べしゃっとまともに顔面をうちつけた。痛い。

「何をしている」

 抗議の気持ちをぶつけるつもりで床を掻いていたら、ドアがもう一度開いた。気配から察するにさっきと同じ人物のようだ。戻ってくるなら戻ってくるって言ってください。
「無駄なことをするな」
 そっけない物言いの低い声。女の人の好きそうなちょっとビターなテノールだ。反射的にむっとするのは、恩人の声が知ってるやつの声色に似ているからだと思っておく。
 男の腕が俺の体を床からすくいあげた。背中に腕を入れて俺の上体を起こす。
「飲め。少しはましになる」
 口にあてられたのが、たぶんコップ。カチ、と陶器が前歯に当たった。
「……うー…」
 頭の中で四回転半が止まらない。横になりたい。だだっ子みたいに俺はかぶりを振る。

「…甘えるな」
「だって…吐く」
「気合で抑えろ」
「むり……」
「……」

 男がため息をついた。しかもさりげなさを装ってあてつけ100%というハイレベルなやつだ。これとまったく同じことをするやつを、俺は一人だけ知っている。
 知ってる、けど。
(あいつは、カプリースにいたはずで)
 しかもほかの上官たちと一緒に行方不明になってて。
(そうだ、アーサーのわけがない…)
 何もなかったならなかったでいいんだ。たまたま前線に行けなかっただけで、怪我一つない状態でも構わない。カプリースをひっぱって勇気づけてくれたらそれでいいんだ。むかつくけど、カプリースの兵士たちはアーサーを心から慕っている。頼りにしている。

(こんなところに、あいつがいるはずがない…)

 だって理由がわからない。俺と同じように連れてこられたなら気安く王子様の部屋に出入りできるわけないし、声だって全然元気そうだし。
 きっと同じ声で同じ性格の奴なんだろう。
 自分を無理やり納得させて、俺はうっすらとまぶたを持ち上げる。
 まず視界に入ったのが碧色の虹彩。それから陽の光を集めたような金の髪。男くさいのに品のある顔つき。
 絶望的な思いで、俺はそいつの名前を呼ぶ。

「アーサー…?」
「…先に目隠しをしておくべきだったな」

 ちっともそう思ってない顔で、アーサーが言った。そんなことはどうでもいいとばかりに、俺にコップの中身を飲ませようとする。
「ふざけんな……!」
 さっきより強く首を横にふると、アーサーのコップを持った手が離れた。アーサーから離れたくて、俺は全力で暴れる。

「なんであんたがここにいる!」

 すっかりアーサーの腕の囲いから抜け出すと、俺は気持ち悪いのを抑え込んで起き上がった。吐き気がひっきりなしに喉奥を襲うけどこらえる。
「説明なら後でいくらでもしてやる。おおむね貴様の想像した通りだろうが。だが、物を言いたいならその見苦しいザマをどうにかしろ。今の貴様とやりあう気はない」
 アーサーの手が俺の腕を引いた。お仕着せらしい首元まで留めたシャツとベストが窮屈そうだ。かわいらしい赤のクロスタイが全然似合ってない。
 さわるな。
 俺はアーサーを睨みつける。こんなやつに助けられるくらいならこの場で死んだほうがましだ。

「待ってたんだ…皆……あんたが来るのを」
「……」
「あんたが来て、指揮してくれるのを、…一緒に戦ってくれるのを……!」

 国内最強。騎士団最強。
 知ってたはずだ、自分がどれだけあの人たちに頼りにされてたか。基地長もアデアルドも兵士たちも、アーサーがカプリースに来てくれて心強いって言ってたんだ。
 俺なんかそのために嫌な思いをたくさんしたのに。たらしこんだとかまで言われて。

「あんたのこと嫌いだしむかつくし死ぬほど認めたくねえけど…俺だって、あのとき」

 金髪と全身鎧の騎士を探してた。訓練のときみたいに力強い号令がくるんじゃないかって、ここを立て直してくれるんじゃないかって期待してたんだ。
「あんた、何なんだ。いつから、どこから、俺たちに嘘ついてた…!」
 くやしくて涙が出てきた。こんなやつを一度でも頼りにした自分に腹が立つ。いつ殺されるかと恐れて、あこがれて、一瞬でも認めた自分を消してしまいたい。

「何とか言えよ裏切り者! あんたのせいで、カプリースでどれだけの人が死んだと思ってる!」
「同じことを二度も言わせるな」

 アーサーの俺を見る眼の圧力が上がる。それまで温和にあった室内の空気がすくみあがるように凍りついた。
 やられる。
 構えた直後、でも、俺を襲ったのは四回転半とは別の浮遊感だった。え、と思う間もなく背中が床におしつけられる。アーサーに押し倒されたのだと、そのひとみを間近に仰いで知った。金色のまつげ。不意に俺から目をそらして、アーサーが舌打ちする。

「…失敗した」

 片手ひとつで俺の両腕を拘束しながら、アーサーが器用にコップの中身を口に含んだ。空になったコップを放り投げて俺の顎を強引な手つきでかたむける。
 まさか。
 思ったときには唇が重なっていた。


       *


 口づたいに水が俺の中に流れ込んでくる。アーサーの口に一度ふくまれた水。それを、俺の喉は素直に享受して胃に送る。業務終了をかかげていた胃は拒絶するように一回痙攣したけど、まあ水ならいいよとばかりにあっさり通過を許した。
「ん、…っふ、…ぁ」
 俺に薬を飲ませるという目的を達成したはずなのに、だが、アーサーは俺から離れない。自由になった肉厚の舌で、その弾力をたっぷりと使って俺の舌を、歯を揉みこむ。前歯の裏。歯茎。それから舌裏にある唾液腺。
 ねちこく揉まれて舐められるうちに、不意に尻とも腿ともつかない筋肉の一部がありえない痙攣を起こした。腰から背骨づたいに這い上がってきた切ないような振動が脳幹を経由して、俺の口中を唾液でいっぱいにする。たまらず、俺は声を漏らす。
「ふ、…ぁ、ぁ、」

 くるしい。
 くすぐったい。気持ちがいい。

 舌裏から脇にかけてをつるりと撫でられて、背筋が勝手に反った。はじめは苦しいんだと思った。だって俺が今まで体験してきた快感は、こんなふうに苦痛をともなわなかった。きもちよすぎて苦しい、なんて、普通の男子高校生がいつ体験するんだよ。
「…ん、……ぅ、あ、」
 やめろ。気持ち悪い。息が苦しい。
 首を動かそうとするのに、アーサーはそれを許さない。足技を使おうにも腰から下を体重で押さえられて、普段ならともかく、力の入らない今の状態じゃどうすることもできない。

「や、だ……、あァっ」

 波を送るようにまた苦しいのが来る。俺が吸おうとする分の息までアーサーはむさぼってくるし、また涙が出てきた。ああこいつ俺を殺すつもりなんだ。思った顎を、アーサーの指がこれ以上にないくらい乱暴につかむ。痛い。俺は抗議するように体を動かす。
 かまわず、アーサーが体をのりあげて舌の角度を変えた。新たにあふれた唾液がおとがいをくだって鎖骨に落ちる。
 いつのまにかシャツが開けられていた。首元のボタンをいくつか解いたそこからアーサーの、汗をはじく喉元がのぞいている。健康的な男らしい肌。
 アーサーの手が、何度も何度も俺の胸もとを這い回る。脇腹をこするように撫であげる。またキスの角度が変わる。さっきから腹に何か硬いものが当たると思ったらアーサーのちんこだった。おい、と思ったけど、俺のも同じ感じになっている。

「あ、…ッ、ん、ぁ、あ、」

 アーサーはキスをやめない。そのうちにアーサーのちんこが布越しに俺のに重なった。それで我に返るかと思いきや、アーサーの呼吸に粘度が加わる。冗談じゃ済まされないくらいガチでギンギンのアーサーのちんこに、それから俺を映すひとみの烈しい獣性に俺は戦慄した。
(そんなに俺がほしいかよ…)
 違う、そうじゃない。そうじゃない。
(この野郎は、カプリースのひとたちを)
 頭の冷静な部分で思うのに、アーサーの熱に煽られて、腰がアーサーを求めだす。早くどうにかしてくれとねだる。

「…煽るな」

 耳元で笑われて、せいぜい息が耳奥にすべりこんだくらいなのに、たったそれだけで、おかしいくらいの快感がやってきた。アーサーの俺を撫でる手が、肌にあたる呼気が、キスが、ゴリゴリこすってくるちんこの硬ささえ何もかもが気持ちがいい。どうして。
(なんで、こんなに)
 両腕はまだ拘束されたままだ。俺はアーサーに手を離せとジェスチャーする。
「早く、…」
 もうそうする以外にどうにもできなくなった息を吐きだした。

「…殺せよ、いっそ」
「……」

 アーサーが口の片端を引き上げる。自分だって汗だくのいっぱいいっぱいの顔をしてるくせに、さも余裕があるかのようにふるまう。何が腹が立つって、そんなギンギンのちんこを抱えながら、この男が俺のちんこをひどく丁重に扱ったことだった。最後の一滴が出尽くす瞬間まで見逃すまいとするように、アーサーは俺がイくのをつぶさに見つめていた。

(なんなの、おまえ)

 いつのまにか腕が自由にされている。ぐったりと脱力する俺の前、アーサーの股間も、俺を見るひとみも俺を強くほしがって変わらないままだった。熱く湿った息。嫌でも相手の高まった情欲が見てとれてしまう。
(やばい、抵抗する元気、ない)
 さっきまでの強烈な気持ち悪さはなくなってるけど、純粋に体力がない。あんなのつっこまれたらどう頑張っても死ぬだろ。

「なんなんだよ…あんた…。なんで今、こういうことするんだよ…」

 裏切られたってわかった今。裏切ったんだと知った今になって、どうして。
「知らなくていい、おまえは。ただ俺を憎んでいればいい。…憎め」
 今にもはちきれそうな欲を俺に教えながら、だけど、アーサーは聖人のような所作で俺を抱きしめる。指は手当てするように俺の頬をなぞっただけだったし、唇は洗礼をほどこすように俺の汗ばんだこめかみにふれただけだった。

 会いたかった。

 まつげをくすぐるような吐息の中でアーサーが言う。低くことばを唱える。
 子守歌のような音。くるまれるような眠気に落ちながら俺はぼんやりと思う。
「……『マリー』」
 最後に聞いたアーサーの声は熱くかすれていた。
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