仔犬だと思ってたのに

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#8-1 言葉よりも雄弁にちんこは語る

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 俺の体力が戻ってくると、ミシェルが城の中を案内してくれた。

「つまんないなあ。ユースケって弱ってても一人で全部自分でやっちゃうし。“あーん”ってするのやってみたかったのに」

 ミシェルが冗談めかした口調で言う。
 土足通行の廊下はじゅうたんもなく、花や絵画、壺といった装飾品も置かれていない。最初に俺がいた部屋も広いだけで寂しい印象だったけど、質素なのはどうやらこの建物全体の方向性のようだ。
 廊下は窓があけられて風が通るようになっている。城内のひとびとがミシェルの顔を見とめるたびに会釈をしていく。

「初代王の遺言らしいよ。失礼にあたるから、さすがに国賓客が通る場所だけは体裁を整えてあるけれど」

 高台に建てられている城は二層式で、一層に謁見広間や国外から訪れた貴族をもてなす部屋などがあり、二層にミシェルたちの私室や城で働く人間たちの部屋などがあるそうだ。
「長男のニコラは街にいるのが好きなんだ。今日も朝から街で配給や片付けの手伝いをしてるよ。次男のルグランは兵舎だろうね。彼らとカードゲームをしたり飲むのが好きで、ここより兵舎にいる時間の方が長い」
 一通りまわって最後に来たのが国王様が寝ているという部屋の前。ミシェルはおどけるように肩をすくめる。
「僕は怠け者だから、だいたい城の中にいる。たまに思い出したように国外に遊びに出るくらいかな。カプリースでユースケ、きみに会ったようにね」
 ミシェルの曰く国王様が俺に会いたがっているのだという。

「王位継承争いが起こるくらいだからね、本来話をできる状態じゃないんだけど、…。一つだけきみに頼みたいことがあるらしい」
「頼みたいこと?」

 俺が復唱すると、ミシェルがうなずいた。もしかして俺がここに連れてこられたのって、そのせいなんだろうか。
 扉の両脇に立っている兵士がうやうやしい動作で扉を開ける。“国王”に会うのはこれで二度目だ。なんとなく、俺は自身の服装をチェックしてしまう。襟や肩、袖などに刺繍のほどこされた白いシャツに同じくさりげなく装飾された黒いズボン。と靴。
 ミシェルが用意してくれたものだ。ロマネ・ワイゼン刺繍の特色らしい赤い糸を基調にしたモチーフは男の俺が見てもかわいい。グローリアに着せたらさぞかし愛らしいことだろう。

「国王、ミシェルです」

 意外にも王様の寝室はこじんまりとしていた。窓際に白い花が活けられている。国王様の好きな花なのだそうだ。
 ミシェルが入口から声をかけると、枕元に控えていた医師がうなずいた。左右から傍仕えのひとが国王様を起こし、俺と視線があうように国王様の周囲にクッションを調整する。国王様は喉をととのえるように軽くせき込んでから口を開いた。

「このような見苦しい状態であなたと対面することを、どうか許してほしい…」

 もう少し近くへ、と医師が指示を出す。ミシェルに一度視線を送って、俺はベッドから三歩くらいの距離まで近づいた。
 筋肉の落ちた体。若い頃は王国騎士団にいて、なかでも一番体格がよかったのだそうだ。血のつながりはないって言ってたけど、王様の目の色はミシェルと同じ青灰色だった。
「まずは我が国の無礼を深くお詫びします、ユースケ。どうしてもあなたに託したいことがあった。あなたにしかできないことだ…」
「俺にしか?」
 国王様がうなずいた。

「魔王を殺してほしい」
「!」
「魔王の予言をくつがえすべく、あなたがかの国にて努めようとしていたことは存じている。だが、考えてみてほしい。あなたはいつまで生きていられるか。魔王は元は精霊の王だったそうだ。つまり、天地と同じだけの時間を生きる…。その間、あなたの小さな魔王はあなたの思う魔王のままでいられるだろうか」

 ときおり呼吸をととのえながら、ゆっくり、ゆっくりと国王様は言葉を続ける。まるでひとつの小さな錨を俺の心の奥へ奥へと沈めていくように。古い物語にのせたまじないを呟くように。

「あなた自身にも問いたい。ミシェルの話では、あなたは正しい心根の持ち主のようだ。親バカなようだが、私はミシェルの眼を信頼している。あなたなら魔王を正しく導くだろう。だが、ユースケ、あなたはいつまであなたのままでいられるだろうか…? 今の若いあなたには、その保証ができうるだろうか…?」

 国王様の俺を見る目は深い。深く、どこまでも透き通っている。“経験”。
 深淵をのぞきこむような浮遊感は、じーちゃんのそれと同じだ。見てきたひとの数、思考してきた時間、重ねてきた成功や失敗、それによって蓄積してきた知恵。哲学。
 俺のたった十八年の時間。海や宇宙を前にしたとき、じーちゃんや、“生きて”きた人たちを前にするとき、俺はいつも自分のちっぽけさを思い知る。

(グローリア)

 俺は彼の夕焼け色のひとみを思い出す。彼に与えられた宿命を想う。
 同じことを、マリー・カンタビレでも言われたんだ。グローリアと立たされた王様たちの前で。
 なぜ魔王を処分しなければならないのか。
 だけど俺はそんなことは頭から聞いてなくて、聞く気もなくて、ただかたくなにグローリアを英雄にしてやる、予言なんかひっくり返してやると押し切った。
 自分が死んだあとのことなんか考えてなかった。失敗がそのまま死を意味するからってのもあったけど、そうだよな、成功したらグローリアはそのまま大人になるわけで、俺は満足しながら元の世界に帰る方法を探していたんだろう。

 国王様はじっと俺の言葉を待っている。
 グローリアはいつまでグローリアでいられるのか。俺はいつまで俺でいられるのか。
 その魔力によって人々を苦しめていたという魔王について、俺は考える。マリー姫に会うまで、彼はどれくらいの時間をそうしていたのだろう。精霊の王ってことは、最初から魔王じゃなかったんだよな。いったい彼に何が起こったんだろう。何によって彼は“魔王”になったんだろう。

 『断る』。

 国王様に対してそう言うのは簡単だった。
 俺はグローリアを信じている。グローリアが曲がることなんかないし、俺自身の心が変わることもありえない。
 そうやって耳さわりのいい言葉を、漫画のヒーローが言うような言葉を吐いて啖呵を切るのは簡単だった。ほかならない、俺がマリー・カンタビレの王様たちの前でしたことだ。
(グローリア)
 手のひらがぐっしょりと汗に濡れていた。俺はうつむいてしまう。教えてくれ、俺は浅はかだったんだろうか。十八年しか生きてない俺には、何百年も生きるということがどういうことなのかわからない。
 ひとつわかるのは、“そこ”に俺がいないということだけだ。その未来、もしもグローリアが俺の知らないグローリアになったとき、マリー姫が現れるまで人々を苦しめていた魔王のように、グローリアもまた同じ道をたどるんだろうか。

(知らねーよ、そんなこと)

 なあ、何か一つするのにいちいち十年後のこととか考えるのか? 自分のしたいと思ったことが世界を滅ぼすかもしれないとか考えるのか? 大人たちは皆そうやって生きてるのか?
 そうしたいと思ったからしたんだ。あの子を助けたいと思ったから助けただけなんだ。俺が助けたいと思ったあの子は罪のない人たちを無差別に殺す魔王じゃない、自分を殺そうとする大人たちに囲まれて震える、ただのちいさな子どもだったんだ。

(グローリア)

 今すぐにあの子に会いたいと思った。俺たちと同じように笑って、怒って、泣いて、食べて、寝る子。まっすぐな目で人を、俺を見る子。
 負けず嫌いで、子ども扱いされるのが嫌いで、でも撫でるとちょっと気持ちよさそうにする子。やさしい子。あと何年かしたら背が伸びて、誰もがふりかえるような美青年になるんだろうなって。ヘルム野郎なんかより全然強くなって、英雄って呼ばれて毎日笑っててくれたらいいなって。
 そんなことしか、俺は考えてなかったんだ。
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