9 / 15
#8 赤い月に向かってゆく背を
しおりを挟む「心遣いはありがたいが、あいにくとそういった作戦は聞いていない」
オーディンの頬毛から手を離さないままアーネストは首を横に振る。心遣い、と表したのは彼の言葉に「そういうことにしておいてやるからこちらへ戻ってこい」というメッセージを感じたからだ。仲間として同行していたときも彼はよくこのようにしてアーネストに気を配ってくれたものだった。
「アーネスト」
「いいじゃあないか」
男の前に深い緑色のローブをまとった中年の男が進み出た。火炎を扱うことを主に得意としていた魔法使いが目深にかぶったフードの中からアーネストを見据える。
「あやつをおとりにしてわしらは命を拾った。先にあやつを裏切ったのはわしらだ。恨まれるのも当然」
雨をものともせず、掲げた杖の先に先ほどまでとは規模の異なる球体が形をなしていく。アーネストはオーディンに言った。
「私がやつらを引き付ける。その間におまえは逃げろ」
「やだ」
オーディンはぷい、とそっぽを向く。「やだ」ってなんだ。アーネストは語調を荒げた。
「敵はあいつらだけじゃないと言っただろう! 僕はおまえを死なせたくない! 少なくともこんなところで、自分勝手な誰かの欲望や利得のためにおまえを利用されるのが許せないんだっ!」
「うれしいよ。ありがとう」
本心であることを伝えるようにオーディンが頬をやや上下に動かす。毛が濡れているのでわかりづらいが頬ずりのつもりらしい。それでも、と続けた。
「あなたの頼みを聞くわけにはいかない。だって僕はずっと待ってたんだから。いつあいつらが――父さんを殺したやつらがしかけてくるか、僕はずっと待ってた」
「オーディン……」
ちりぢりになっていたオーガたちが手に手に武器をもって戻ってくる。試合ではオーディンを応援していた彼らは誰に吹き込まれたのか、オーディンへの怒りを口にしていた。
「オーディンだ! オーディンが呼んだんだ! やはりあいつら親子は俺たちを裏切っていたんだよ!」
「来るな!」
アーネストの声は届かない。我を失ったオーガの群れに魔法使いの編み上げた巨大な火球がおそいかかる。
地面の揺れるような轟音と黒煙があがったが、彼らの足を止めることはできなかった。ダメージを受けて倒れた仲間を踏み越え、さらに突撃してくる。
(オーディンに同士討ちをさせるつもりか)
戦いを挑む者を、オーディンは拒まない。そうして彼に門内のオーガすべてを殲滅させ、今度こそ体力のなくなったところを叩く。それが彼ら討伐隊の狙いなのだ。
「効率的だろう?」
悟ったアーネストに魔法使いがいった。新たな火炎が集まり始めたのを見、アーネストは激高する。
「やめろおおおおおっ!」
こちらを止めたとしてもオーガの軍勢がいっせいにオーディンを目指している。試合とは違う。彼らに殺意がある以上オーディンは手を抜かない。オーガを止めにいっても魔法使いを止めにいっても犠牲は出るのだ。
(それでも)
だからといって黙ってみていることなどできるはずがなかった。だってこれは彼らの意思で起こした戦いではない。ここではないどこかでこの場にはいないやつが自分の都合で起こした起こした争いだ。オーガがどれほど死のうとオーディンが死のうとそいつは何とも思わず、ただ目的のものがとりやすくなったとほくそ笑むだけなのだ。
許せるはずがない。
「やめろ、殺すな――!」
飛び出したアーネストの剣の切っ先が杖を目指して伸ばされる。その横腹からアーネストを狙って銀甲冑の女がレイピアを伸ばし、あるいは槍の鋭い穂先がアーネストの首を狙った。
アーネストは知らない。それを目にしたオーディンがアーネストを助けるために自らの武器の柄を折り、それらに向かって投げたことを。そのために手ぶらになったオーディンに怒り狂ったオーガたちがいっせいにおそいかかったことを。
「よし!」
杖の先端にある魔力増幅の玉を切り離し、アーネストは勢い喝采をあげる。すぐにオーディンの応援へゆくべく馬首をむけようとして、二つの死体に気づいた。
(……え?)
銀甲冑の女と槍の男。討伐隊のうち二名がなぜか、変わり果てた姿で潰えている。彼らの命を奪っただろう、人間が扱うにはあまりにもサイズの違いすぎる大刀はなぜ柄を折られなければならなかったのか。なんのためにそこにあるのか。
放心したアーネストを正気に戻したのは山と山がぶつかりあったような音と風だった。千里先までもとどろくような咆哮。戦の経験さえあるアーネストをもってしてもとても正気では聞いていられないようなおそろしい光景が目の前にあった。
(オーディン?)
それは正しく魔物のおこなう暴力だった。圧倒的で理不尽でそこに理性も意味もない。己の視界に入ったものを作業的にほふるだけの暴力。屠殺と呼んでも言い過ぎではない。
彼は今「オーディン」というオーガではない、命尽きるまで殺しつくすだけの猛威であり意思にすぎなかった。
(なんということだ)
雨で黒く色の変わっていた地面は今や文字通りの血の海と化してオーディンの食い散らかした部位が無造作に積みあがっている。アーネストは動くことができない。
「オーディン」
やめろ、とアーネストの口が動いた。
「やめろ、やめろ、もういいんだ」
もういいんだ、と繰り返す。そうしながらアーネストはうなだれた。
(最初から僕たち人間にどうにかなる相手ではなかった)
あのときだってオーディンは真剣に戦ってくれただろう、それが彼の戦士としての誇りだ。けれどオーディン本人さえもしらないおそろしい力が彼には眠っていた。もしもそれを解放されていたらアーネストはきっと今ここにはいない。
「オーディン、頼む……」
ジュテーム、と呼んで笑うオーディンがアーネストの脳裏をよぎった。白いフリルのエプロンがお気に入りだったオーディン。花を摘んでアーネストの浴槽に浮かべてくれた。男の自分に花なんか挿して綺麗だと言って笑う声。表情。
「……止めなければ」
にわかにアーネストは顔を上げた。そうだ、泣いている場合ではない。嘆いている場合でもない。
(早く止めてやらないと)
戦うのが好きだと彼は言ったが、それは相手を認め戦士としての対戦であってあんなふうに我を失うことではあるまい。だが、どうやって?
「アーネスト!」
「フレイグ!?」
手のひらに降り、アーネストはフレイグの無事を喜んだ。曰く、別の場所でトーナメント戦参加者の治療にあたっていたので無事だったようだ。
「殺しはなしといっても相手はあのオーディンだからね、怪我人ゼロってわけにはいかないわけ」
「そうか……」
「で、やっと仕事終わったーって出てきたらなんかやばいことになってるじゃん? まあ、オーガはしぶといのが取り柄だからね。とりあえず生きてそうなやつから治療して回ってるけどとても間に合わないし俺の方が先に死にそう」
なるほど言われてみればフレイグの毛艶もよくない。ひとしきり弱音を吐いて落ち着いたのかフレイグが声の調子を戻した。
「まあそんなのはいいよ。それよりオーディンのやつ、なんか様子変だと思わない?」
「変とは?」
「そうだなあ、……。いろいろあるけどたとえば、どこに向かってるのかな、とか?」
「え?」
フレイグが指をさす。そこには依然降り続ける雨と立ち向かってくるオーガを薙ぎ払うオーディンの姿があったが、彼が示すのはさらにその向こう、空。
まるで落日の空と見まがうほどに大きく膨らんだ赤い月だった。
30
お気に入りに追加
107
あなたにおすすめの小説


【完結】友人のオオカミ獣人は俺の事が好きらしい
れると
BL
ずっと腐れ縁の友人だと思っていた。高卒で進学せず就職した俺に、大学進学して有名な企業にし就職したアイツは、ちょこまかと連絡をくれて、たまに遊びに行くような仲の良いヤツ。それくらいの認識だったんだけどな。・・・あれ?え?そういう事ってどういうこと??
隊長さんとボク
ばたかっぷ
BL
ボクの名前はエナ。
エドリアーリアナ国の守護神獣だけど、斑色の毛並みのボクはいつもひとりぼっち。
そんなボクの前に現れたのは優しい隊長さんだった――。
王候騎士団隊長さんが大好きな小動物が頑張る、なんちゃってファンタジーです。
きゅ~きゅ~鳴くもふもふな小動物とそのもふもふを愛でる隊長さんで構成されています。
えろ皆無らぶ成分も極小ですσ(^◇^;)本格ファンタジーをお求めの方は回れ右でお願いします~m(_ _)m
【完結】元魔王、今世では想い人を愛で倒したい!
N2O
BL
元魔王×元勇者一行の魔法使い
拗らせてる人と、猫かぶってる人のはなし。
Special thanks
illustration by ろ(x(旧Twitter) @OwfSHqfs9P56560)
※独自設定です。
※視点が変わる場合には、タイトルに◎を付けます。

異世界転移してΩになった俺(アラフォーリーマン)、庇護欲高めα騎士に身も心も溶かされる
ヨドミ
BL
もし生まれ変わったら、俺は思う存分甘やかされたい――。
アラフォーリーマン(社畜)である福沢裕介は、通勤途中、事故により異世界へ転移してしまう。
異世界ローリア王国皇太子の花嫁として召喚されたが、転移して早々、【災厄のΩ】と告げられ殺されそうになる。
【災厄のΩ】、それは複数のαを番にすることができるΩのことだった――。
αがハーレムを築くのが常識とされる異世界では、【災厄のΩ】は忌むべき存在。
負の烙印を押された裕介は、間一髪、銀髪のα騎士ジェイドに助けられ、彼の庇護のもと、騎士団施設で居候することに。
「αがΩを守るのは当然だ」とジェイドは裕介の世話を焼くようになって――。
庇護欲高め騎士(α)と甘やかされたいけどプライドが邪魔をして素直になれない中年リーマン(Ω)のすれ違いラブファンタジー。
※Rシーンには♡マークをつけます。

獣人の子供が現代社会人の俺の部屋に迷い込んできました。
えっしゃー(エミリオ猫)
BL
突然、ひとり暮らしの俺(会社員)の部屋に、獣人の子供が現れた!
どっから来た?!異世界転移?!仕方ないので面倒を見る、連休中の俺。
そしたら、なぜか俺の事をママだとっ?!
いやいや女じゃないから!え?女って何って、お前、男しか居ない世界の子供なの?!
会社員男性と、異世界獣人のお話。
※6話で完結します。さくっと読めます。

【完結】僕の好きな旦那様
ビーバー父さん
BL
生まれ変わって、旦那様を助けるよ。
いつ死んでもおかしくない状態の子猫を気まぐれに助けたザクロの為に、
その命を差し出したテイトが生まれ変わって大好きなザクロの為にまた生きる話。
風の精霊がテイトを助け、体傷だらけでも頑張ってるテイトが、幸せになる話です。
異世界だと思って下さい。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる