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#6 君は敵地で立っていた
しおりを挟むその日、オーディンは門の定期イベントであるトーナメント戦にでかけていた。自身の称した通り「変わり者」のオーディンの家に来客はほぼない。一人暮らしの息子が心配ではないのだろうか、オーディンの母親も見たことがないし幼なじみのフレイグでさえ親しい友のようにふらりと立ち寄るようなことをしない。
来客のない家。まるで近寄ることさえタブーであるかのような。
アーネストはニール――青い羽根の小鳥から降りて窓に寄った。ぽつぽつと雨の降り始めた集落は人通りもなく、窓にも明かりが見えない。トーナメントは門内のオーガが観戦もかねて参加するというから、今集落に残っているのはアーネストくらいなのかもしれない。アーネストはおもむろに上着を脱いだ。
(一人だけ暇を持て余しているのもな)
今この瞬間にもオーガたちが鍛錬に励んでいるのだ。負けてはいられない。そうして日課の体力作りのメニューを開始しながらアーネストはフレイグから聞かされたボルドルの話を思い出す。人間の生態に興味を持ちオーガに共同浴場の文化を持ち込んだオーガ。そのために反逆まで疑われてしまったというオーディンの父。
(嫉妬だとか汚い陰謀だとか、そういう感情は人間特有のものだと思っていたが、当たり前か、心があるんだもんな)
フレイグはボルドルの死亡について動機や犯人を明言しなかったが、人間の世界でもしばしばすぐれた人間ほど逆恨みのような感情を向けられることが往々にしてあるものだ。彼らはその一挙手一投足で理不尽ともいえる妬みを買い恨みを買い、足を引っ張られたりあるいは卑小なる者たちのケチでつまらぬ皮算用のために命を落とす。
(邪魔だからだ)
アーネストの首筋から鎖骨にかけて汗が筋を作った。再び窓の方へ目をやったアーネストのそばではニールが毛づくろいをしている。
(ボルドルどのが邪魔だったのだ)
あの日。
アーネストたち栄えある魔王討伐隊がたった一騎のオーガによって散らされたあの日。アーネストは誤解していたのかもしれなかった。あまりにもオーディンが強かったから、圧倒的だったから、とても基本的で重要なことを見落としてしまっていた。
(自分一人で十分だと、オーディンは言ったんだ。だから皆に手を出すなと)
魔物らしく己の力を過信し、こちらを見下しているのだと思った。ナメられているのだと腹が立って仕方がなかった。
(まあ、実際オーディン一人に手も足も出なかったわけだが)
逆だったのではないかと今のアーネストは思うのだ。あのとき、オーディンの脳裏にはボルドルの死がよぎっていた。ゆえに一人で相手をせざるをえなかった。それが真実だったのではないか。
(オーディンが心配だ)
今日オーディンが参加しているのは特別な行事ではない。杞憂の可能性の方が大きい。もしかしたら自分が出ることでよけいに条件が悪くなるかもしれない。それでも、こういうときほど動いた方がいいことをアーネストは経験から知っている。
アーネストは手早く汗を拭き着替えをしながらニールを呼んだ。トーナメント会場の場所は知らないがあれだけの巨体を数多く収容するのであれば集落の外だろう。
剣を背負い出かけようとしたときだった。室内を抜けるわずかな風に乗って強烈な獣臭さがアーネストの嗅覚に届く。
(誰だ?)
オーディンではない。彼はこんなふうに何日も洗っていない獣のような臭いを発することを自分に許さない。
では、何者か?
アーネストはニールに指示し、侵入者の死角になるだろう位置に移動した。直後、寝室に二体のオーガが現れる。
オーガたちはアーネストの生活圏である収納の前で止まった。
「なんだこりゃ?」
「見ての通りさ。飼っていたんだろうよ、討伐隊の人間を」
言いながら、オーガたちはアーネストの机や椅子をひっくりかえし、あるいはオーディンが作ってくれたタンスをコインの詰まったビンのように振る。いないな、とオーガの片方が言った。
「先手を打たれたかもしれん」
「のらくらやってるようで頭の回るガキだからな。だが、来た甲斐はあった。この青い羽根だ」
「キュアノスか。王の汗を含んだことで万里飛べども疲れを知らぬ羽を得たという幻想種だな。……なるほど、こいつで行き来させ、ひそかに通じていたということか」
「そう、俺たちはつかんだのさ。あいつが父親と同じく俺たちを裏切っていたという証拠をな。ヤツら親子は人間どもと通じて御殿に攻め入り、王になりかわるつもりなのだ」
「おお、なんとおそろしい!」
ヒッヒッヒとオーガたちが肩を揺らして笑った。笑いながらニールの羽根とアーネストの家具のいくつかを持参した袋に放り込む。
「ショーに遅れるわけにはいかん、さっさと戻るぞ。あいつの勝利の瞬間はしっかり見届けねばな」
「ああ、いつも通りにやっていつも通りに勝ち上がってくれるだろうよ。しかし法王様とかいうのも太っ腹だな。事が成ったら俺たちにこの国をくれるっていうんだろ?」
「さてな。だが、相手は脆弱な人間。いざとなりゃ殺しちまえばいい。ともかく俺たちはあの邪魔なオーディンさえ消せればいい。そのためにあいつらと手を組んだんだ」
「ボルドルのやつにも見せてやりたかったなあ、あの生意気なツラが絶望と怒りに歪んでいく様をさ」
すでに事が成ったつもりでいるのか、オーガたちはおしゃべりに興じている。しかしその半分以上はアーネストの耳を通過していった。彼らは今、なんと言った?
(法王……法王だって!?)
ユカナン・ユナイテッドへ続く月の赤い夜は誰にも予測できないのではなかったのか。いったい法王はどのような手段でオーガたちと連絡をとり、オーディンの暗殺計画まで立てたというのか。
(ボルドルどのの抱いた理想のどれほど美しいことか)
ざわりとアーネストの全身に怒りが満ちた。許さない。アーネストは遠目からにしか知らぬ法王を睨むようにオーガたちへ据える。気づいたときには頭蓋に響くほどの声量で気合を吐いていた。
「おおおおおおおおっ!」
ニールを駆ってオーガたちの頭上、死角から一気につっこむ。
オーディンがけた違いだっただけで、並みのオーガであればアーネストの敵ではない。この場で殺すことは造作もないことだったが、アーネストはオーディンのために、そしてボルドルのためにこらえた。彼らは重要参考人だ。彼らを殺したが最後、ボルドルの死の謎は今度こそ永久に闇の帳に隠されてしまうだろう。しばらく動けない程度のダメージにとどめ、アーネストはニールをせかす。
「頼むぞオーディン、間に合ってくれよ!」
ニールが応えるように高く鳴いた。
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