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#0 勇者、オーガに拾われる
しおりを挟むピチチピチチとかろやかに鳴く鳥たちのBGMとフライパンでベーコンを焼くジューシーな音は騎士アーネスト・グノシーにとってありふれた日常であった。幼いころから今日まで、アーネストには母親に叱られて起きた記憶がない。晴れの日ならば野鳥の声、雨の日ならば地面を打つ雨の音。焼きたてのパンのかおりや母のスープを煮込みながらする鼻歌。この18年の間、それらがアーネストにとっての「朝」の合図だった。
ゆえに、アーネストは何の疑いもなく起床した。疲労を幾分か残しながらも若い体はすでにカリカリに表面を焼いた厚切りのベーコンとの開戦に向けて空腹のラッパを高らかに鳴らしている。香辛料のきいたスープにふわふわのパン。どうして母の焼くパンはあんなにもふわふわしておいしいのだろう。
(母さんのパン、久しぶりだなあ)
ベッドを降り、ブーツを履きながらアーネストが考えたときだった。時間にして3歩。母の待つリビングに向かうアーネストの足はにわかに止まった。
「いや、そんなはずはない」
泣きたくなるような郷愁を振り払うようにアーネストは音声に載せる。
魔王リヨルド・リル・リルド打倒を目的とした魔王討伐隊の一員として故郷の村クドクトを出発し、志を同じくする仲間たちとここまで来るのに3か月。魔王の住む島ユカナン・ユナイテッドは月の赤い夜にしか現れないうえに規則性がないため、ひたすらその日を待った。そうしてようやく侵入を果たし、一途魔王城を目指して進軍を開始したのがたしか三日前。
魔王城がユカナン・ユナイテッドで最も高い山の山頂にあることは知られているが、そこにたどりつくには5つの門とそれらを守護する魔王五将を倒さねばならないと言われている。そして過去、この5つの門を越えた人間はいない。
アーネストたちは第一の門、オーガの門に入ったはずだった。
(そして僕たちは負けた。完敗だった)
オーガは妖精と悪魔の混合種で、一般的には獅子のような頭部と発達した犬歯が特徴的な二足歩行で活動する魔物である。その全身は魔法的な力を持たない刃の一切を通さない硬い体毛に覆われており、成体になると雄は10メートルから15メートルもの身の丈になる。また、その巨体からくりだされる力はすさまじく、すべての生命体の頂点である竜族と相撲をとっても負けないほどだという。
そのオーガたちの守護する第一の門、オーガの門にてアーネストたち一行を迎えたのは若いオーガだった。というのもそのオーガはアーネストが知識として持っている「成体」よりも小柄で体毛の艶も良く、顔立ちも幼いように感じたのだ。「生物」なのだから当然と言えば当然なのだが、彼らにも人間と同じく老若による違いはあるものらしい。
若いオーガはアーネストたちの前に単騎で立ちはだかり、結果あっさりと人間どもを蹴散らして見せた。
だからここは。
アーネストはゆっくりと周囲を観察した。まず視界に入ったのは一般的な民家にしては広すぎる室内と高さだ。アーネストの寝ていたベッドとテーブルはアーネストのサイズなのに、それ以外――つまり窓や収納といった設備はアーネスト自身が小人にでもなったのかと疑うほどに大きい。続いてアーネストは自分が室内にある収納の天板部にいることに気づいた。窓と接しているようなので近づいて外をのぞいてみると、集落らしい民家が見える。集落は森のなかにあるようだったが、そこを歩いているのは人間ではなく大小のオーガであった。
(みんなは、無事なのだろうか)
今回の討伐隊は10名。その一人一人の顔と名前を、アーネストは思い浮かべた。オーガの猛攻としかいえない攻撃をかわすのに必死で仲間たちのことまで気をまわすことのできなかった自分を責める。
アーネストの剣は回収されているのか見当たらない。あれだけの圧倒的な力の差があるとはいえ捕虜に武器を与える理由などないのだから当然ではあるが、それならばなぜ自分はこのような民家にしか見えない場所で目覚めたのか。それとも自分は生きたままスープに放り込まれて食われるのだろうか?
(いや、それなら服を着せたままにする必要もないしベッドに寝かせておく理由もない……よな?)
戦いで受けた傷も癒えているし着替えまで完了している。少なくとも「餌」にされることはないだろうとアーネストは見当をつけた。そうして油断させ、絶望と恐怖に泣き叫ぶところを眺めながら口に放り込むみたいな「食の楽しみ」をあちらが望んでいなければだが。
そのさまを想像してアーネストはちょっぴり震える。そんなことになるまえにさっさとここから脱出しなくては。
「やあ、気分はどうだい」
「!?」
とっさに身構えたのは一種の癖だが、怪物が室内に入ってきたことに気づかなかった自分にアーネストはショックを受けた。アーネストから見れば家屋ほどの高さの怪物だ。その足音すら察知することができなかった。
ふとアーネストは怪物がパンの香りをまとっていることに気づいた。先の実家の夢はこのためだったようだと思い至り舌打ちする。やはり自分は、自分たちを壊滅に追い込んだあの若いオーガにとらわれたのだ。
「なんだ、その新妻よろしくやけにかわいらしいエプロンは!? 私を馬鹿にしているのか!!」
「あ、これね。力作なんだ~」
オーガがくるりとその場で踊り子のように一周してみせた。裾にフリルをあしらった白い生地のエプロンが、風をうけてふわりと波をつくる。本来であるならワンポイントなりチャームポイントになっただろう、胸元のハート形のアップリケがそのおそろしげな風貌のせいで逆に浮きまくっている。
やっぱり自分は生餌にされるためにとらわれたのかもしれない。青ざめるアーネストをなだめるようにオーガが言った。
「まあまあ、そうおびえないで、ジュテーム。朝ご飯を作ったんだ。一緒に食べながら話をしない?」
「一緒に? 食うために私をつかまえたのではないのか?」
「いやだなあ、それ、いつの時代のオーガの話? まあ、一口にオーガといってもいろいろいるからそういう風習がある一族もまだいるかもね。でも、僕の一族はしないよ。ずっと昔に食事としての生け捕りをご先祖様が禁じたからね。でも」
オーガがちらりとアーネストを見た。なぜか乙女のように赤面している。
「おじさんたちが話しているのを聞いたことがあるよ。大人って、好きな人と同衾することを”食う”っていうんだよね。あなたが言ったのは、もしかしてそっちの意味だった?」
「!」
刹那。アーネストの視界が真っ赤になった。
侮辱されているのか、自分は。
己に戦うすべのないことなど頭から飛んでいる。ただアーネストにあったのは激しい怒りだった。怒りがアーネストに天板からオーガに向かって跳躍させていた。落下して死ぬか、このオーガに虫のように叩き落とされて死ぬか。どちらでもいい。これ以上の辱めを受けるよりはましには違いない。
しかし、アーネストを待っていたのは落下の衝撃でもオーガの無情な手のひらでもなく、蜂蜜のたっぷりとかかったパンのクッションだった。そこへ、アーネストはおもいきり顔からつっこんでいく。
「!?」
「もう、しょうがないなあ。あなたさあ、よく人の話を聞けって言われない?」
これは誰にも言っていないことだが、アーネストは幼い頃、一度でいいから蜂蜜の壺に顔をつっこんで心ゆくまで食べてみたいと夢想したことがあった。アーネストの国では蜂蜜は貴族層が消費するものであり一般的な平民層は袋に詰めた金貨と交換するしか手段がなかった。幼いアーネストが蜂蜜の味を知るに至ったのは、父親がひょんなことから褒美として蜂蜜を手に入れてしまったことによる不幸だった。
その蜂蜜に。
今、自分は全身でまみれている。アーネストは感動のあまり怒りも忘れて身もだえた。ああ、なんて美味! そして甘美!
とは、顔には出さず、アーネストはむっつりとうなずく。
「……わかった。とりあえず、話を聞こう」
「その前にさ、その、……目に毒だから着替えてくれるかな? うっかり全身舐めまわしちゃいそうでさ」
こうしてアーネストは若いオーガの主催する朝食の席に着くことになったのだった。別に蜂蜜につられたわけでは、断じてない。
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