きみと明日の約束をしないで

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#29 どこへもいけない

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 降ってくるような敵を火焔と熱で払い、あるいは先陣を切ってつっこんでいきながら、ユーゴはつねに醒めた別の意識を感じている。ちょっと前までは呼びかけても応答せず、まるで初めからいないかのようでさえあったくせに、いつのまにかちゃっかりと場所を作っていた『そいつ』は、そこからユーゴの挙動を眺めながら、四六時中ぶつぶつとひとりつぶやいているのだった。
 覚えている、前にもこんなことがあった。それだけでもじゅうぶんにうるさいのに、迷惑なことにそいつは、ユーゴにも断片的な映像を送ってくる。血なまぐさい戦場だったりユーゴにも見覚えのあるのどかな麦畑だったり、出てくる人物にも統一感はなかったが、おそらくは『そいつ』の記憶なのだろう。
(気持ち悪ィ)
 熱中できないというのはある種寝不足の状態に似ている。集中できない。落ち着かない。からだじゅうにヘドロのような熱がこもって、停滞して、いつもどこかに苛立ちがへばりついている。不本意な尻穴のうずきが加わればなおさらだ。もうすっかり忘れたと思っていたのに、いつかに与えられたごちそうを求めてざわつく膚が何よりも忌々しかった。

(あいつはあんたの餌じゃねえし、ましておれのでもねえよ)

 ユーゴにとって幸運だったのは、ここが戦場であることだった。よりせっぱづまった場所、より危険な状況へ自分を追い込めば追い込むほど雑音が消えて五感が解放されることに気づいた。手足が自分だけのものになる。視界の端から端までがクリアにひらかれる快感は、ユーゴを夢中にした。
「ユーゴさん、最近変だよ」
 まるで死のうとしているみたいだと言ったのは誰だったか。そんなわけない、そんな趣味はないと言って笑った。

 そう、そんな趣味はない。
 もしもそう見えるとしたら怪我をしないせいだろうとユーゴは思う。というのもユーゴは自分が戦闘においてそれほど器用なタイプではないことをよく理解しているからだ。
 基本は力に任せて武器をふりまわすだけ。だからヤンガルドで相手にしているような小回りの利くすばやい魔物は苦手だった。怪我もしょっちゅうしているし、実は深手もかなり負っている。
 なのになぜ平然としているか。怪我をおったそばからふさがってしまうからである。たしかにもともと治りは早い方だったが、さすがに異常だ。ユーゴ本人もそろそろ笑っていられないところまできているのを感じていた。
 どんな場所からでも、どれほど追いつめられていてもほぼ無傷で帰ってくる。さすがユーゴさんと称賛する声の一方で、いぶかしむ者の存在が出つつあることにもユーゴは気づいていた。“あいつは本当に人間なのか”。

(逃げ場ねーじゃん、これ)

 寝不足と相まってときどき、どちらが現実なのかわからなくなることもあった。自分はちゃんと起きているのか。耳をふさぐほどだった幕内のいびきや歯ぎしりの音がひどく遠い。ぼんやりとユーゴは、スケッチブックの表面に指先を添わせる。
 なぜ、と身のうちから問う声をきいた。なぜ。くり返すその声を聞きながら、ユーゴは以前にもそんなふうに誰かにきかれたなと思う。なぜ戦うのか。なぜ守ろうとするのか。
 ユーゴは答える。

(だって、そのために城を出たんだろ。そのために食ってくれって、言ったんだろ。そのために、あいつは今、一人で戦ってるんだろ)

 四祖ヤンガルドも四祖スイファンも魔に堕ち、子狐も堕ちかけていたという。そのなかで、四祖エドモントだけがそうはならないという保証があるのか。
(エドモントで今増えてる魔物だって、…四祖さまから来てるかもしんねーじゃん)
 それまでかたくなに沈黙していた、特に四祖エドモントの意識がここへきてなぜ起きだしてきたのかはわからない。はじめはただ、夢を見たくないだけだった。
 それが今や眠ること自体を拒否する恐怖にまでなっている。それほどにその気配は大きく、そしてすぐそこまでに迫っていた。次に目覚めたとき、はたして自分は自分でいられるのだろうか。

(正直、すげー怖えよ)

 魔物にかわりはてたドハラの姿を覚えている。自分もあんなふうに、おそろしい姿になってしまうのだろうか。人間を憎み世界を憎み、ルーファスを呪ってしまうのだろうか。
 意識がもうろうとする。頭を振って立ち上がり、ユーゴは天幕を出た。河の方から吹いてくる風の冷たさが心地よくてほっと息をつく。崩れるようにその場に腰をおろすと水辺から何かが上がってくるようだった。耳で聞く分にはそれほど数は多くないが、ユーゴは槍に手を伸ばす。いけるか。
 距離をはかるためちらりとそちらに視線をやった、それだけだった。突然ボッと音をたてて魔物たちがその場で発火した。

「なんだそれ……」

 槍から手を離す。ぱたりと地面に転がってユーゴは肩を揺らした。一瞥をくれただけで魔物が燃えるなんて、そんなの、もう人間じゃない。
(ああそっか、人間じゃねーんだっけ、おれ)
 息をつく。その一瞬、落胆と疲労のつくりだした心の隙を、かれは逃さなかった。まずはまぶたを落とし、気力の動力源を切ってしまう。
 体温が落ち、手足が力を失った。暴虐な意思の鞭に長きにわたって打たれ安息を奪われ続けていた肉体は喝采をあげてこれを迎え、ユーゴの意識はたちまち眠気によってくるまれていく。

(『そのころ、――』)

 不意に誰かがそばに腰をおろしたようなけはいがあった。何もない真っ暗なそこがやがて幕を開くように細く割れて、声がしずかに語りはじめる。
(『できたばかりの地上の気候は不安定で、人々は食料をじゅうぶんに得ることができずにいた』)
 実りゆたかな年が続いたかと思えば不作が続き、飢えた獣がひとびとを襲った。
 冬になると寒さで多くが死んだ。外敵も多く、生まれた子どもの半分以上が大人になることができなかった。なかなか人口の増えないことが、かれらの悩みだった。食料の奪い合いで、たびたび死者が出た。

 自分たちはいったいどんな罪をおかしてこの地上に生み落とされたのか。ひとびとは神をうらんだ。
 その年もけして充分に食べものが行きわたっているとはいえない状態だった。主に弱いものたちがたくさん死んでいった。冷たく暗く、寒くおそろしい過酷な世界は、死の世界そのものだった。ひとびとは希望を失い、ユーゴたちは皆胸がつぶれるような思いだった。



 “ユーゴ”は考える。火さえあれば。
 夜陰に乗じて柵の隙間からしのびこんでくる獣に境界を示し遠ざけることができる。あたたかな飲み物は冷えきった心にやすらぎを与えるだろう。食べられるものだって増える。なにより冬をおそれる必要がなくなる。
 ユーゴは何度も嘆願したが、ついに創世神はそれをゆるすことはなかった。
(火さえあれば)
 こんなに明確なことなのに、どうして創世神が反対するのかまったくわからなかった。戦いが起きる? その前に人間たちが飢え、こごえて死ぬのが先だと思った。悩むにつけてハゲが増えていくので、友はユーゴをひどく心配した。

 ――おなかがすいているの?

 
 それははたしてユーゴの記憶なのか、もう一つの方の記憶なのか。はっきりとユーゴは思う。
 小さく、かさついた手。金の髪の、やせた子ども。

(『リュカ』)

 がくん、と刹那ユーゴの体が大きく揺れた。バネが返るように覚醒した意識をあわてて抱え直し、ユーゴは左右に視線を往復させる。びっしょりと全身が汗で濡れていた。
「“リュカ”……?」
 寒さで体が震えるのも忘れて、ユーゴはぼうぜんと呟く。ふと手元がぬくんでいるような気がして見ると、それまで何もなかったそこに芽がふきだしていた。

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