きみと明日の約束をしないで

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#18 金欠傭兵とその弟子

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 ミュッセンはエドモントから見て海を挟んだ南東に位置する、四大国の中でもっとも景観にめぐまれた美しい国である。底が見えるほど透明な海に色鮮やかなサンゴ礁、風と波にけずられた崖は石灰質を多く含んでいるために白く、とくに北東部ではその石灰を漆喰として用いた建物が有名だ。
 訪れる者がまず驚くのは、住民たちがそれらの壁をキャンバスのようにして彩色してしまうことである。赤や黄、緑や青といった色で個性的に描かれた模様は景観をより華やかにし、さすが芸術の国よと称賛させるのだ。
 ユーゴは鼻息荒く続ける。

「ミュッセンといえば海鮮料理と果物だ。花や果物の皮が盛りつけに使ってあって王宮料理みたいに華やかなんだってさ。食う物まで芸術づくしってすげーよな」
「ユーゴもミュッセンは初めてなのですか?」
 海風を気持ちよさそうに吸いながら、ルーファスが返した。晴れた青い洋上、白く波を立てながら進む船と並走するように、イルカがぴょこぴょこ跳ねている。
 ユーゴは日光をさえぎるように自身のフードを引いた。

「いつかはとは思ってたんだけどな。行くときはスイファンも一緒に回りたいよなあってさ。聞いた話だけど、スイファンとミュッセンは魚をさばいて生で食うのが普通なんだってさ」
「生、ですか…?」
 ルーファスが首をかしげるのへ、新鮮だからだよ、とユーゴは教えてやる。
「エドモントでも海の方だとわりとそうやって食うらしいけど、内陸は運ぶ間に鮮度が落ちるだろ、だから煮たり揚げたりして加工してある料理が多いんだ。ソースで臭みをごまかしたりな」
 魚自体も加工しやすいようにか、比較的味の淡泊な白身魚が多いのも特徴だ。ユーゴは猟師の村出身だという傭兵がしばしばサシミがくいたいと嘆いていたのを聞いたことがあるが、彼が力説するには、カツオの切り身を薬味と一緒に食べると大変美味であるということだった。以来、ユーゴはタタキと並んでぜひ食してみたいと思っている。
 ヤンガルドを発って二日目。船が港に到着したら情報集めからはじめなければならないなとユーゴは心算する。芸術のさかんな国らしくおおらかで陽気な人柄が多いとは聞いているが、いくつか知っておきたいことがあるのだ。特にはローカルな地元グルメとか。
「見たことねーもんがたくさんあるんだろうなあ。楽しみだなあー」
 ユーゴの浮かれる内心を反映するように腹の虫がぐううう、と鳴いた。くす、とフードの内でルーファスが笑う。

「ユーゴ、かわいい」
「うるせーな、いいだろ。食うことはおれの生きがいなんだよ。うまいもんを食うために生きる! 基本だろ」
「そうですね。私もユーゴと出会って、食べることの楽しみを知りました」
「おう、そーだろ」
 ニカッと笑うと、ルーファスがうなずいた。それから、海の方に視線を戻して言う。

「魔物、来ませんね」

 例の黒い魔物だ。
 ミュッセンへは海路しか手段がないうえに、かといって王侯貴族のように船一隻を貸し切ることもできず、二人とも覚悟を決めていたのだが、幸運にもおだやかな航海が続いている。
 “黒い魔物”で思い出したのか、ルーファスが沈んだ声音でつぶやいた。

「…エドモントは、大丈夫でしょうか」
「さあな。でも、おれがこうやって元気でいるんだから、問題ないんじゃねーの」

 ユーゴはそっけなく返す。
 四大国を守護する四祖。うちスイファンとヤンガルドが魔に堕ちた。スイファンではその後五島の一つが落ちたが、四祖スイファンの力が絶えたこととけして無関係ではあるまい。もともと実りの乏しいヤンガルドの土も、四祖ヤンガルドを失ったことで今後さらに人々の生活を苦しくするだろう。
 ユーゴは手のひらを太陽にむけてみる。
(『ヤンガルド』の力をわけてもらったからだったのかもな)
 温暖な気候と豊かな大地にめぐまれたエドモント。ヤンガルドで見た数々の悲惨なありさまは、本来ならエドモントの姿だったかもしれないのだ。

(“おれ”にわかるか?)

 ユーゴは己に問う。
(もしヴァッテンのアレが、たとえば今この瞬間エドモントで暴れ回ってたとして、“おれ”に感じることはできるのか?)
 ヤンガルドにはその後ひと月ほど滞在したが、ユーゴが拾ったのは、エドモントにヤンガルドのひとびとが流れていること、凶暴な魔物が目撃されていること。それからエドモント国王が「ルーファス」の存在をあきらかにしたことだった。
 無茶をするとユーゴは思う。
(でも、城の中ならともかく、外じゃごまかしようがねーもんな。発見されて、どういうことだって変な脅迫とかされるくらいなら、さっさと公開しちまった方がいいのか)
 だが、ただでさえ“終末”が噂されている情勢なのだ。民衆は王家がそんなことをしていたからこんなことになったのではないかと考えるはずだった。

(ほんと、なんでこんなことになっちまったんだろうなあ)

 ドハラは「人間側から言いだした」と言っていたが、そのへんの経緯をミュッセンにきいておきたいなとユーゴは事項を頭に加える。だが、ミュッセンもまたユーゴやドハラと同じようにヒトとして行動しているのだろうか。
(てかドハラのやつ、ミュッセンに会ったことあるのか? それとも四祖同士でお互いの状態がわかるものなのか?)
 スイファンは現れたときに「貴君」と呼んだが、おそらくかれはエドモントの転生体であるユーゴがどこにいてどんな姿をしているのかを知っていたのだろう。ミュッセンを「狐」、ヤンガルドを「鳥」と呼んだ。
 ドハラはどうだったんだろうとユーゴは思う。彼はユーゴが四祖エドモントだと知っていたから声をかけてきたのだろうか。

(“刑”なあ。おまえ、何やったんだよ)

 自分の中にいるらしい“エドモント”をつつくように話しかけて、ふとユーゴは視線に気づく。何か心配させるようなことを言ったかなと直近のやりとりを思い返して、得心した。
 ルーファスはユーゴが突然与えられた“四祖エドモント”という正体を消化しきれず、もてあましていることを知っている。何気なく発した自身の言葉がユーゴを傷つけたのではないかと気にしているのだ。ユーゴが黙りこくってしまったから。
 くす、とユーゴは笑った。ルーファスのフードをいたずらするように引いて言う。

「なんか、いいよな。こういうの」

 言葉の意図を問うようにルーファスのひとみが動いた。形のいい眉が子どもっぽく寄るのへ、ユーゴは言う。
「おれ、あんたに大事にされてるんだ」
「……」
「ルーファス、あんたほんとにおれのこと好きなんだなあ」
 フードの内側の髪を指の背でよけるようにすると、ルーファスがくすぐったそうに一度首をすくめる。それから、キッとユーゴを睨んだ。顔が赤い。
「今、言うんですか!? それを!? あなたの口で!? 私はこれまでさんざんあなたに、」
「うん。聞いた」
 指先で巻くようにして毛先をもてあそんで、離す。ルーファスがとらわれたようにユーゴを見、両者の視線がしばしからまった。
 ざん、と手すりの下で波が跳ねる。

「重くねえ?」

 先に目を引き上げたのはユーゴだった。「え」とルーファスが覚めたようにしばたたくのへ指をさして続ける。
「アーガンジュ。背負ったままだろ」
「え、――あ、」
 ルーファスが今度は耳まで赤くした。今にも荒い息遣いが聞こえてきそうな熱く飢えた目をしていたくせに、一転うぶな少年に戻ってしまう。
(なにを考えてたんだか)
 はしたないですよ王子さま。ユーゴが耳打ちしてやると、図星らしい、ルーファスが肩をいからせた。

「かっ、からかわないでくださいっ!」
「あっはっは!」

 ユーゴは腹を抱えて笑ってしまう。かわいいなあ、と思わずもらすと、ルーファスが真顔になった。
 言う。
「今のうちに、そうやって私を馬鹿にしていればいいのです」
 ふふん、と悪っぽく笑った。おもむろに背中のアーガンジュを抜く。

「私だって成長するのですよ、ユーゴ。いつまでも私があなたの知る私であると思ったら大間違いです」
「ふうん?」
「私とてエドモントの男。しかもあなたの贄です! すぐに大きくなって驚かせてやりますからね。せいぜいふんぞり返っていなさい」
「えー……?」

 ユーゴは筋骨隆々の熊のような大男になったルーファスを想像した。ちょっと嫌だなと思う。
「そういえばさ、ルーファス。ミュッセンに着く前にあんたに言っておかなきゃいけないことがあるんだけど」
「なんでしょう?」
 ユーゴは続けた。
「金がない」



       *



 ヴァッテンからミュッセンの港町までいく場合はスムーズにいって片道三日程度、スイファンまでは五日程度の日数がかかると言われている。四大国間を行き来する船は貨物船か王侯貴族が私的に所有している船がメインなので、庶民が国外移動を試みる場合、「臨時乗組員」に志願するのが普通だ。ちなみになぜ人間を運搬する専用の船がないかというと単純に需要の問題で、旅行という娯楽自体が富裕層のものだからである。
 ユーゴたちも例にもれず、航海の間は労働に従事した。とはいっても、振られるのはせいぜい荷物運びや掃除といった簡単な雑用だけなのだが。
「にーちゃん、綺麗な顔して頑張るなあ!」
 航海の間、手癖の悪い者が小柄なルーファスをちょろまかしやしないかと内心気が気でなかったユーゴだったが、杞憂に終わった。素直で覚えもよく、非力ながらも一生懸命に仕事をする彼を、海の男たちはクルーの一員としておもしろがってくれたのだ。

(どっちかっていうとおれだったよな、やばかったの)

 セクハラの経験はあるが、さすがに夜這いをされたのは初めてだった。もしかしたら単に好みの問題だったのかもしれないとユーゴは思う。だが、そのおかげでルーファスが安全に学びと体験の場を得ることができた。まあいっか、とユーゴは気持ちを切りかえる。
「船乗るときはまた声かけてくれよ!」
「はい! お世話になりました!」
 すっかり仲良くなったクルーたちへ、ルーファスが無邪気に手を振り返す。列の後方から見覚えのあるクルーがウィンクを飛ばしてきたが、ユーゴは気づかないふりをした。
「まずは腹ごしらえ、といきたいところだけど、まだ昼前だし、情報収集からはじめるか。斡旋所があれば話が早いんだけど」
 長く旅をすれば、どんなに節約していても金は尽きてくる。そのときどうすればいいのか。現地で稼げばいいのだ。

「もしできそうなのがあったら、あんたも何かやってみるか?」
「はい! ぜひ!」

 ルーファスが嬉しそうに笑った。意欲的でよろしい、とユーゴは思う。ここまでに彼はさまざまなことを身につけ、学習をしたから、きっと自分がどこまで、何をできるようになったのか試してみたいのだろう。
(せっかく自信がついたんだから、いい仕事があるといいんだけど)
 曰く、ミュッセンの国人は総じて解放的で祭り好きで、毎日どこかでフェスタと呼ばれる祭りがおこなわれているという。豊富な海産物に種類豊富なくだもの。とある旅好きの詩人は、この国を訪れて地上の楽園と賛辞したそうだ。
 が。

(なんか、…聞いてたのと違うな)

 ユーゴは怪訝な気持ちになる。
 潮のかおりをともなってそよぐ風に、カラッと晴れた空。青い海は宝石のようで、陸地に建ち並ぶ白い建物とのコントラストがいっそう美しい。新鮮な海の恵みが所狭しと並んだ市場には客を呼び込む声と生き生きと働くひとびとの活気にあふれ、きっとヴァッテンのような光景が広がっているに違いない。
 それがユーゴの抱いていた想像だったのだが、市場と思わしきその場所は閑散としてひとの姿はなく、昼前だというのに、商品を並べている店が見当たらないのだった。

「もう、終わってしまったのでしょうか…?」

 ルーファスがユーゴを気遣うようにコメントする。そうかもしれない、とユーゴは思いなおした。加工をしていない食材を扱っているのなら当然外に出していられる時間だって短くなるし、早朝から行われていたとすれば店じまいをしていてもおかしくない時間だ。
「うん、わかった」
 ひとりうなずいて、ユーゴは市街地へゆくことにする。エドモントでいえば王都にあたり、ミュッセンではもっとも人の集まる場所だ。先に仕事斡旋所へ行って、あわよくば話を聞けないかと考えたのだった。
 ところが、その王都も人がまばらだった。

「流行病のせいよ」

 知らないのか、と住民は言った。
「子どもばかりかかるの。原因がわからなくて、……感染うつるのを恐れて、特に子どもがいる家はうかつに出歩かないのよ。最近は大人でもかかるひとが出てきたから、なおさらね」
 旅行で来たのなら一刻も早くミュッセンを出た方がいい。
 そういって、そそくさと去っていってしまった。放置されて久しいらしい色の剥げた壁を見、ユーゴは「なるほど」とつぶやく。
「ミュッセンの王子様と王女様がかかってるのと同じやつなら、熱と咳と皮膚に赤い湿疹が出るってやつかな」
 ヤンガルドで会った医者一行から聞いた話だ。長期に続く咳と熱とで体力がじわじわと削られ、からだの弱い子どもなどは耐えきれずに死んでしまうのだそうだ。

「あの人たち、もしかしたらミュッセン王家付の先生だったのかもな」
「原因がわからないのでは、余計に不安ですよね」
「この様子だと仕事どころじゃないかもしれねーな。あっても、“流行病を治せる名医以外お断り”ってなってそうだ」

 ともかくも斡旋所を探す。大通りから一本、奥に入った通りにくだんの看板はあった。このへんはエドモントと同じだ。
「えーと、求人票」
 斡旋所には長らく人が通ってないらしく、あちこちに蜘蛛の巣が張っていたり、求人票が剥がれかけたりしていた。さいわい事務所には人がいたが、久しく新規の求人は来ていないということだ。

「傭兵ねえ、腕に覚えがあるなら、こんなとこに来るより貴族さまのお宅に直接乗り込んでいったほうが早いと思うよ。それか、家事手伝い。ミュッセンの人間は掃除と地味な仕事が嫌いだからね」
「ああ、そうみたいだな」

 ユーゴは古くなって主のいなくなった蜘蛛の巣を見ながら返す。
「ここに来るので全部手持ち使っちゃったんだ。なんかない?」
「そうはいっても、そんななりじゃ人相もわからないじゃないか。こっちも紹介する責任があるんだ。ワケありはごめんだよ」
 事務員がうさんくさそうにユーゴのフードを指さした。それもそうかと詫び、ユーゴはフードをとる。

「…わぁお、」

 事務員がカウンターから身を乗り出した。
「まるで海に太陽がしずむ間際の一瞬の空で染めたような髪の色だ。こんなに美しい真紅は、初めて見た。…なんて高貴な色だ」
「……。おほめにあずかり、どーも」
 表現が過剰だ。ユーゴは苦虫を噛みつぶしたような心地で返すが、隣を見るとルーファスが「そうでしょうそうでしょう」となぜか自分が褒められたような顔でうなずいている。
 ユーゴはフードを戻した。

「隠してるのはこういうわけだよ。ミュッセンのお国柄は聞いてるからな。色見本とかって言って根こそぎむしられたらたまんねーし」
「なるほど、ありえる話だ。私だって今、その髪を砕いて染料なり顔料なりにできないものかと考えたからね」

 言いながら、事務員が期待するようにルーファスを見たが、ユーゴはルーファスを隠すようにさえぎった。髪の色は過去に何度か言われたことはあるが、さびれた斡旋所の事務員でさえこの反応だ。ルーファスなんか見せたら最後、たちまち人だかりになってしまうに違いなかった。
「うーん、ちょっと待っててね」
 言って、事務員が奥へ下がる。そこへ、誰かの入ってきた気配があった。

「もし、失礼。求人の依頼をしたいのですが、……おや、」

 現れたのはキザっぽく顔横に垂らした黒いくせ毛に、背筋の伸びた細身。彼の主人はきっと身なりやふるまいに気を配る人物であるに違いないとユーゴは思った。下の者は主人の鏡そのものだ。ユーゴの下した判定は「上」だった。
 男はまずルーファスにたずねた。
「傭兵の方でいらっしゃいますか」
「わ、私は見習いです」
 アーガンジュを隠すようにながらルーファスが答える。それからユーゴを示した。

「こちらが、師匠です」
「弟子をとった覚えはねーけどな」

 そういう設定でいいか。ユーゴはフードを心もち目深に直して応じる。曰く、求人依頼にきたところだったそうだ。ちょうどいいじゃない、と奥から戻った事務員が手を打ち、男に求人内容をたずねる。
「…魔物退治です」
 男が言った。

 

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