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しおりを挟む内心びびりちらかしていたウィルの憂いは、しかしすぐに晴れることになる。少なくとも暴行や尋問といった暴力ではなかったという意味においてだが。
「婚約者とは?」
使者と紹介された男がミルヒの説明を端的にくりかえす。すなわち、「心に決めた相手がいるので求婚を受けられない」といった内容のお断り文句だ。着飾り、ただの美しい少女となったミルヒがにっこりと上品に笑む。
「言葉の通りです。もとより色よい返事はしていませんでしたが、このたび生涯を通して愛し抜きたいと思うことのできる人に出会いましたので正式にお断り申し上げます。そもそも」
ミルヒがおどけるように肩をすくめて見せた。
「よこすのは使者と貢物ばかりで姿や声はおろか手紙の一通もない。こちらからすればまぼろしのようなもの。あいにく私のような俗物には尊き存在といえどまぼろしを愛することはできません」
不敬な、ととがめようとしたのだろう、しかし使者が口を開くより早くミルヒが身を乗り出す。十二の子どもとは思えない美しい面がぐっと使者にせまり、紅のひとみが妖しげな光をたたえて使者を映した。
「あなた様も、その腕に抱くのでしたら夢まぼろしの存在よりも肉のある女がよいでしょう?」
使者のひげをたくわえた顎に、ミルヒの指がどこかへいざなうように伸びる。頼りない子どもの指は妓女のように白く細く、さながら獲物を狩ろうとする蜘蛛の糸のようでさえあった。何も知らない男ならいとも簡単にその罠にとらわれてしまうのだろう。そういう魔力がミルヒの瞳にはあった。
「……っい、賤しい地方氏族ごときが!」
使者が悪い夢から覚めたような形相でミルヒの手を振り払う。大きく肩を上下させながらも力を取り戻した目で言った。
「なんと不敬な。魁岸奇偉にして性豪放磊落、眼中精耀として容貌美しく、英雄アグニティウスの再来ともうたわれる尊き御方ぞ!」
「そんな賛辞並べられたところで見たことないし、自分で口説きにこないってことはやっぱり本気じゃないってことじゃん。大勢のうちの一人って正直萎えるしおれはそういうのごめんかなって」
それまでのたおやかさはどこへやら、役を降りるようにミルヒの言葉遣いががらりと変わった。どこか妖艶な魅力を持った『聖胎の花嫁』から健康的な少年へと戻ってしまう。使者も狐に化かされたような顔だ。
なぜ、急に。
意図のある演出なら前もって台本を教えておいてほしかったが仕方がない。気の利いたアドリブ演技ができないウィルは引き続き「婚約者どの」を演じるだけである。
そのウィルに、使者の視線が向けられた。何も初めてではない。会談のはじまった際に重い一発目を受けている。
「そういや一度聞いてみたかったんだけどさあ」
ならず者のするようにことさら大げさな挙動でミルヒが卓に足を載せた。振動で卓の茶器が飛び上がるような音をたて、不快さを表した使者の目がミルヒに向く。
「おっさんはもしも自分が聖胎の花嫁だったら国王様の閨に喜んで入って抱かれてオンナになって感極まって涙流しながらガキうんじゃうわけ?」
「貴様がただの小僧であればこの場でその頸掻っ切ってやったものを」
「だめだぜ使者どの、そこは無論って即答しなきゃ」
ミルヒが移動した。部屋を仕切るとばりをよけ、控えていた兵士たちにいう。
「おおい、使者どののお帰りだ! おまえら、丁重に見送ってさしあげろ」
*
くしゃみが出るほど重ねられたおしろいっと眉墨を落とし、頭にかぶせていた変装用のかつらがとれると自然を息がもれた。何より、顔が軽い。
真っ白に濁った水を地面に流し、ウィルはぷるぷると頭を振った。とはいえ、さすがに借り物の服で拭うわけにもいくまい。どうしたものかと立ちすくんでいるのへミルヒが手ぬぐいをよこしてくる。
「毎回あの顔が結婚しろってせまってくるのか。大変だったなあ」
そりゃあお断りしたくもなるだろうと顔と髪の水気をとりながらウィルは思う。ましてミルヒはまだ12歳の子どもだ。そもそも。
(国王って男だろ)
曰く、『聖胎の花嫁』は厳密にいうと性別は関係ないのだそうだ。なぜなら系譜上は英雄アグニティウスの子孫である国王と契る際には子を孕む機能がおのずとそなわるそうなので。
(なんだそれ)
聞いて、ぞっとした。なんだそれ。
ウィルだってこれほどの嫌悪感があるのだ。子どものミルヒならなおさらに違いない。
と思ったのだが。
「いやべつに?」
ミルヒはあっけらかんと否定した。
「腹んなかで元気に動くのがわかっておもしろかったって母上は言ってた。すげーうごうごするんだってさ。なにそれって思わねえ?」
「……」
たぶん深くはつっこまない方がいいんだろうなとウィルは思う。こう見えても彼はまだ十二歳の子どもなのだ。孕むためには国王のナニを誰にどうするとかなんて知らない方がいい。たぶん。
(そうだ、男に、それも好きでもないやつに組み敷かれるなんて――)
刹那、何かの映像がウィルの脳裏をよぎった。大きな天蓋のある部屋。香の焚かれたうす暗いそこにおしげもなく裸体をさらした男がいる。腕をひかれ、あごをつかまれて唇を無理やりにふさがれて――。
「ウィル?」
「ああ、……すまん。なんでもない」
ぎゅ、とウィルは湿った手ぬぐいをにぎりしめた。乾いた地面を黒く濡らしながら広がっていくシミから目を上げ、わざと明るい声を出す。
「そういえばミルヒ、どうして途中で女のふりをやめたんだ? 女装をしてたのはその方が都合がよかったからなんだろう?」
「ん、そうだけど、もう必要ねーし」
「ないわけがないだろ」
だってわざわざ「男でもいけます」と示したようなものだ。これまではミルヒが触れたら消えてしまいそうな美少女だったからこそ遠慮していた(かもしれない)国王側も、こうなっては「男だったの? じゃあ何も問題ないね」となってしまうかもしれない。あれ? 国王ってもしかして男色?
(いやいや、そもそも相手は男だろうが女だろうが妊娠させることができるんだからそういう感覚はないのでは……?)
ないのかな? わからないのでウィルはこれも脇によけることにした。脱線しかけた思考を紙のようにくるくると巻き、襟を正して陳情を述べる。
「ただし、俺はもうごめんだからな、婚約者役。俺の原型残ってなかったじゃん。たしかにおまえみたいな美貌の持ち主でもないけど、あんなふうに念入りに改造されなきゃ見るに堪えないような顔でもないと思うんですよね……」
「そうだなぁ。見事に別人になってた。さすが、姉上に鍛えられているだけあってうちの女たちはいい仕事をする」
「俺じゃなきゃいけない必然性なかったよな? あそこまで俺の個性全否定するならさ、それこそイーラの言う通りタタルでよかっただろ。平凡でも俺の顔に生んでくれた俺の母親がかわいそうだし親不孝で胸が痛む」
「ウィルの母親か」
ミルヒが組んでいた腕を解いた。砦の方へ向けていた目をウィルに戻す。
「きっとウィルに似た人なんだろうな」
おもしろいことを聞いたような顔だ。大人びた、想うような色を見つけてウィルは毒気を抜かれてしまった。
「……なんだよ」
母親に似ていると言われて恥ずかしさのあまり怒り出すような年でもないが、さりとて素直に受け取ることのできる年でもないのが難しいところだ。シンプルに言って照れ臭い。
とにかく、とウィルは奮い立たせるような気持ちでつづけた。
「必要ないっていうなら俺だってもう必要ないだろ。ミルヒみたいに腕っぷしが強いわけでもないから護衛にもならないし」
「なあウィル。あの使者、どう思った?」
「は?」
突然なんだとは思ったが、ミルヒは真剣にたずねているらしい。戸惑いながらもウィルは使者の、終始眉間を刻んでいた深いしわを思い出した。
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