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第三幕
そんなもん
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翌日、いよいよ九条先生が初めて指揮に立つ日がきた。部長である瑞穂の指示で、音楽室が手早く合奏をするときの様相に変えられていく。窓際に指揮台を置き、そこを囲むようにパイプ椅子とパーカッションを半円のミルフィーユ状に並べて完成だ。
にこやかに音楽室へ入ってきた九条先生は、大事そうに抱えていた楽譜と指揮棒をやさしく指揮台に置いた。自分の目の前にずらりと並んだ部員たちを見回して、両手を組んだりさすったりソワソワしている。
「えーと、一年生は初めての合奏だね。俺も指揮振るの初めてなんで、少し緊張してるけど。みんなと一緒に上手くなっていけたらいいなと思ってます。だから、そんな緊張しなくていいからね」
やんわりゆったり話したあと、少年が照れ笑いをするような、はにかんだ笑顔を見せた。
「とりあえず、課題曲一回通してみようか」
先生は楽譜を開き、ハーモニーディレクターで曲のテンポを鳴らすと、右手に持った指揮棒を同じリズムで動かして確認した。そして、今度はみんなのほうを向いて先生がカウントを取りながら曲を始めた。
九条先生は、翔鳳ブラバンの現在の状態を確認するため途中で止めることなく最後まで通した。終始ニコニコと聴いていた。
「ありがとう。まぁ、だいぶ荒削りだね」
あっけらかんと放たれた言葉。良く言えば荒削り、悪く言えばほとんど出来ていないということだろう。
「これからみんなで形を整えて新しい翔鳳のサウンドを作っていけばいい。一緒にがんばろうね」
先生はあっさりと言ってのけたが、実際、コンクール用の課題曲・自由曲はそう簡単にはいかなかった。
九条先生は口調こそ柔らかいものの、吹奏楽の指導が初めてとは思えないほど的確に指示を出していた。
翔鳳の場合はそもそも基礎からできていないことが多いので、先生は各パートが上手くなるように生徒と一緒に練習メニューを考えたり、個別に指導もするようになった。
ある日の部活終わり、俊太と智春は並んで楽器を片づけていた。しゃがんでケースを前にトランペットを拭きつつ、ふいに俊太が顔をしかめる。
「あんなことで指導されてるようじゃ、県大すら難しいかもしれませんね。あんなの、指導される前に自分たちで仕上げておくべきレベルじゃありませんか?」
横で自分の楽器の手入れをしていた智春は、ちらと俊太を見た。まわりに目を配ると、紗織と舞花はふたりで好きな芸能人の話をしている。
「そうかもしれないけど……。パートにはそれぞれ都合があるだろ。みんな同じペースで覚えられるわけじゃないし」
「そんなこと言ってるから、あんな状況なんじゃないですか」
さきほどよりも俊太の声が大きくなった。この中で一番楽器をやってきたのは彼だし、今の翔鳳吹奏楽部の現状が気に入らないのも頷けるだろう。
「でもね、みんな新しい練習をしたり講習会に出たり、試行錯誤してる途中なんだよ。俺だってそう。そりゃ一日で飛躍的に進歩することはないだろうけど」
「それでも進歩が無いなら、その練習は無意味だということですよね」
「そんなこと……」
「いくら人数がいないって言ったって、あまりに足を引っ張るような奴は切り捨てたほうがいいんじゃないですか」
智春の手が止まり、俊太を見つめる形の良い大きな目が見開かれていた。俊太は淡々と楽器の手入れを終えるところで、トランペットケースを閉めると手際良く譜面台を折り畳み、他のふたりの分も椅子を片付け始めた。
言葉を返さない智春の目の前に俊太が立つ。そこで初めて気がついたのか、智春は顔をあげた。
「智春さん、メトロノーム使いますか?」
「あ……大丈夫、俺が片付けるから……」
わかりました、と俊太は愛想よく微笑みパート全員の譜面台と自分の楽器を持っていった。
「切り捨てる、か」
たしかに山登りで頂上に早く到達することを目指すなら、重い荷物は下に置いて行ったほうがいいのだろう。各パートはひとりずつなら割り振れており、編成としては問題無かった。
慧が自分の楽器とパートの譜面台を持って音楽室を出ようとしたが、楽器を持ったまま固まっている智春をチラと横目で見て、一旦通り過ぎてまた戻り、智春のとなりにしゃがんできた。
「思いつめた顔で手が止まってたけど、大丈夫か」
「あ、ごめん、大丈夫。ちょっと考えごと」
「思いつめるのもほどほどにしとけよ? お前がそんなんじゃ、後輩も暗くなっちまうぞ」
そうだね、と明るく答え手入れを再開する智春をよそに慧の持論は続く。
「第一に、身体が持たない。第二に……思いつめた顔っつーのは、たまに見せるからいいもんなんだよ」
と、口角をクイッとあげてみせる。
「そういうもん?」
「いつも暗いヤツが今日も暗い顔でもなんとも思わないけど、いつも明るいヤツが暗い顔してたら、今日はどうしたんだ?って思うだろ」
「……なるほど」
「そんなもんだよ」
気にすんな、となんでもないような顔をして彼はすっくと立ち上がり去って行った。
にこやかに音楽室へ入ってきた九条先生は、大事そうに抱えていた楽譜と指揮棒をやさしく指揮台に置いた。自分の目の前にずらりと並んだ部員たちを見回して、両手を組んだりさすったりソワソワしている。
「えーと、一年生は初めての合奏だね。俺も指揮振るの初めてなんで、少し緊張してるけど。みんなと一緒に上手くなっていけたらいいなと思ってます。だから、そんな緊張しなくていいからね」
やんわりゆったり話したあと、少年が照れ笑いをするような、はにかんだ笑顔を見せた。
「とりあえず、課題曲一回通してみようか」
先生は楽譜を開き、ハーモニーディレクターで曲のテンポを鳴らすと、右手に持った指揮棒を同じリズムで動かして確認した。そして、今度はみんなのほうを向いて先生がカウントを取りながら曲を始めた。
九条先生は、翔鳳ブラバンの現在の状態を確認するため途中で止めることなく最後まで通した。終始ニコニコと聴いていた。
「ありがとう。まぁ、だいぶ荒削りだね」
あっけらかんと放たれた言葉。良く言えば荒削り、悪く言えばほとんど出来ていないということだろう。
「これからみんなで形を整えて新しい翔鳳のサウンドを作っていけばいい。一緒にがんばろうね」
先生はあっさりと言ってのけたが、実際、コンクール用の課題曲・自由曲はそう簡単にはいかなかった。
九条先生は口調こそ柔らかいものの、吹奏楽の指導が初めてとは思えないほど的確に指示を出していた。
翔鳳の場合はそもそも基礎からできていないことが多いので、先生は各パートが上手くなるように生徒と一緒に練習メニューを考えたり、個別に指導もするようになった。
ある日の部活終わり、俊太と智春は並んで楽器を片づけていた。しゃがんでケースを前にトランペットを拭きつつ、ふいに俊太が顔をしかめる。
「あんなことで指導されてるようじゃ、県大すら難しいかもしれませんね。あんなの、指導される前に自分たちで仕上げておくべきレベルじゃありませんか?」
横で自分の楽器の手入れをしていた智春は、ちらと俊太を見た。まわりに目を配ると、紗織と舞花はふたりで好きな芸能人の話をしている。
「そうかもしれないけど……。パートにはそれぞれ都合があるだろ。みんな同じペースで覚えられるわけじゃないし」
「そんなこと言ってるから、あんな状況なんじゃないですか」
さきほどよりも俊太の声が大きくなった。この中で一番楽器をやってきたのは彼だし、今の翔鳳吹奏楽部の現状が気に入らないのも頷けるだろう。
「でもね、みんな新しい練習をしたり講習会に出たり、試行錯誤してる途中なんだよ。俺だってそう。そりゃ一日で飛躍的に進歩することはないだろうけど」
「それでも進歩が無いなら、その練習は無意味だということですよね」
「そんなこと……」
「いくら人数がいないって言ったって、あまりに足を引っ張るような奴は切り捨てたほうがいいんじゃないですか」
智春の手が止まり、俊太を見つめる形の良い大きな目が見開かれていた。俊太は淡々と楽器の手入れを終えるところで、トランペットケースを閉めると手際良く譜面台を折り畳み、他のふたりの分も椅子を片付け始めた。
言葉を返さない智春の目の前に俊太が立つ。そこで初めて気がついたのか、智春は顔をあげた。
「智春さん、メトロノーム使いますか?」
「あ……大丈夫、俺が片付けるから……」
わかりました、と俊太は愛想よく微笑みパート全員の譜面台と自分の楽器を持っていった。
「切り捨てる、か」
たしかに山登りで頂上に早く到達することを目指すなら、重い荷物は下に置いて行ったほうがいいのだろう。各パートはひとりずつなら割り振れており、編成としては問題無かった。
慧が自分の楽器とパートの譜面台を持って音楽室を出ようとしたが、楽器を持ったまま固まっている智春をチラと横目で見て、一旦通り過ぎてまた戻り、智春のとなりにしゃがんできた。
「思いつめた顔で手が止まってたけど、大丈夫か」
「あ、ごめん、大丈夫。ちょっと考えごと」
「思いつめるのもほどほどにしとけよ? お前がそんなんじゃ、後輩も暗くなっちまうぞ」
そうだね、と明るく答え手入れを再開する智春をよそに慧の持論は続く。
「第一に、身体が持たない。第二に……思いつめた顔っつーのは、たまに見せるからいいもんなんだよ」
と、口角をクイッとあげてみせる。
「そういうもん?」
「いつも暗いヤツが今日も暗い顔でもなんとも思わないけど、いつも明るいヤツが暗い顔してたら、今日はどうしたんだ?って思うだろ」
「……なるほど」
「そんなもんだよ」
気にすんな、となんでもないような顔をして彼はすっくと立ち上がり去って行った。
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