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第4話 魔の血脈(1)

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「ほらほら、サボってんじゃないわよ! 働く働く!」

 セントロビン島へ島流しにされた流刑囚たちの朝は早い。まだ太陽が昇らない内からエイミーに叩き起こされたジェフリーは他の囚人らと共に斧を持って近くの密林へと移動させられ、島の内陸部に鬱蒼と茂る熱帯雨林の木々を片っ端から伐採していく作業に従事させられた。

「まさに雄大なる大自然って奴だな。開拓だなんて簡単に言うが、こんなゴツいのが相手じゃ骨が折れるぜ」

 温暖な南の島に広がる原始林の険しさに圧倒されてそうぼやきながらも、斧を振るって大木を次々と切り倒していくジェフリーの手際は悪くない。隣で一緒に働いていたドワイトが、感心したように鼻を鳴らして彼に訊ねた。

「やるじゃねえかジェフリー。お前、国元では何の仕事をしてたんだ?」

「大工だ。家を建てるのが専門だった」

 硬い木の幹に斧を打ち込む手を休めず、相手の顔を見ようとさえせずにジェフリーは答える。

「そうか。道理で要領がいいわけだ。ここでは建築関係の仕事も色々あるから楽しみにしとけ」

「囚人が服役を楽しむようになったら末期だな。本当ならこんな罰を受けるわれもないはずだし、早く故郷のモイズヒルに帰りたいよ」

 率直な思いを口にしたジェフリーを、ドワイトは豪放に笑い飛ばした。自分もこのくらい気楽に生きられたらどんなにいいだろうかと、ジェフリーは呆れ気味に溜息をつく。

「そんなつまんねえ顔するなって。この島じゃ楽しいことは山ほどあるんだ。遊びを色々教えてやるよ」

 斧を片手に提げながら額の汗を拭い、そう言って近づいてきたのはマシューである。お守りなのかお洒落のつもりなのか、琥珀のような小さな宝石のついた縄の首飾りを胸に下げている。木漏れ日を浴びて不思議な輝きを放っているその石を蔑むように見ながら、ジェフリーは言った。

「そういう女みたいな身の飾り方も教えてくれるのか? 気色悪いな」

「ああ、こいつか? こりゃ失礼」

 言われたマシューは楽しそうに笑いながら首飾りの石を撫で、服の下に隠す。どうやら普段は外から見えないようにしていたのが、伐採で体を動かしている内に胸元から出てきてしまっていたらしい。

「なあ、女はどういうが好みだ? ジェフ。ここの囚人の中には美女も結構いるんだぜ。この島の原住民にもな」

「お前にジェフなんて呼ばれる筋合いはない」

 名前を縮めて親しげに愛称で呼んできたマシューに、ジェフリーは不快げに吐き捨てて目を逸らした。

「こりゃ女どころか友達すら作る気なさそうだな。孤高を気取ってやがるのか?」

「そんな格好いいもんじゃないがな。一人が好きなんだよ。放っておいてくれ」

 私語が多いとエイミーが囚人たちを怒鳴りつけている中、ジェフリーだけは話しかけてくる周りの仲間を無視して黙々と木を切り続けている。これはなかなかの変わり者だな、と、ドワイトとマシューは顔を見合わせて同時に肩をすくめた。

「無駄口を叩いてないで真面目に働け! 怠けている奴は今この場で流刑から死刑に刑が変更されるぞ!」

 森林に散らばって伐採作業をする囚人たちの監視には、エイミーを始めとする看守たちがほぼ総出で動員されている。銃やサーベルを手にして見回りをしている彼らは確かに威圧感があるが、働く囚人の数に比べると人数は少なく、監視体制が十分なようには見えない。

「こんなわずかな見張りしかいないんじゃ、割と簡単に脱走できちまいそうだがな」

 ジェフリーとしてはただの独り言のつもりだったのだが、それに反応してドワイトが笑いながら近づいて来る。嫌そうな顔をしたジェフリーの肩に手を乗せて、彼は声をひそめつつ言った。

「そう思うだろ? だがな、やめとけ。あいつらを甘く見ない方がいい」

 よく分からないが、もし可能ならば真っ先に脱走しそうな性格のドワイトがそう言うからにはやはり無理なのだろう。ジェフリーがそう考えて納得しかけたその時、彼らの近くで木を切っていた囚人の一人が急にきょろきょろと辺りを見回して挙動不審な様子を見せ始めた。

「お、おいポール、よせ!」

 気づいたマシューが慌てて呼び止めるのも聞かず、この島に追放されてきたばかりのその若い流刑囚の男――ポール・ヘンドリーは持っていた斧を足元に投げ捨てると林の茂みに向かって脱兎の如く駆け出した。

「待て! 貴様!」

 脱走者に気づいた看守の男が怒声を上げながら銃を向けるが、既にポールの姿は密林の中に消えてしまっていて射撃が間に合わない。ジェフリーが最初に思った通り、手薄な監視を突破しての脱出はいとも簡単に成功してしまったかに見えた。

「やむを得んな……変身ゼノキオン!」

 落ち着き払った動作で銃を足元に置いたその看守が、恐ろしげな表情を浮かべて謎めいた呪文を口にする。すると驚くべきことが起こった。黒い制服を着た彼の体が淀んだ緑色の光に包まれ、その光がやがて物質化して、その男の全身を隙間なく覆うおぞましい怪物のような形状の鎧となったのである。

「何……だと……!?」

 信じられない光景に、斧を片手に提げながら立ち尽くしていたジェフリーは思わず自分の目を疑った。両手が鋭い鎌となっている、まるでカマキリを擬人化したかのような緑色の怪人となったその看守は地面の土を蹴って人間離れした跳躍を見せ、ポールが逃げ込んだ密林の奥へと飛び込んでいった。

「ひ……ひゃぁっ!」

「脱走者への罰は死あるのみだ。覚悟はいいか」

 密林の中に響く、断末魔の悲鳴。やがて呆然と茂みの向こうを見つめていたジェフリーの足元に、血まみれになったポールの亡骸が蹴り飛ばされてきて転がった。

「脱獄や反乱を企てた者は皆こうなる! よく覚えておくがいい」

 森林の奥から戻ってきたカマキリの怪人――マンティダエゼノクが、無惨な死体と化したポールを血に濡れた右手の鎌で指し示しながら囚人たちに告げる。ドワイトが言っていたのはこういうことだったのかと、ジェフリーは戦慄と共にようやく納得した。

「さあ、ぼんやりしてないで早く作業に戻れ。怠惰な奴や不真面目な奴も、やはり私の鎌で斬り捨てることになるぞ」

 カマキリ型の硬く分厚い全身装甲を光の粒に変えて消滅させたその看守――デヴィッド・サンダースは、元の人間の姿に戻ると恐怖で硬直している囚人たちに大声でそう命じた。

「うっ……!」

「おい、どうしたジェフ」

 青ざめた囚人たちが慌てて木の伐採を再開する中、一人その場に立ち尽くしていたジェフリーは不意に激しい目眩と偏頭痛のような感覚に襲われ、持っていた斧を落として苦しそうに頭を押さえて木の幹に寄りかかる。

「おい貴様、私の言葉が聞こえなかったのか? 早く作業に戻れと言っているんだ」

 ジェフリーが立ったままでいるのを目にしたデヴィッドが厳しい声で叱りつけると、立ち眩みを起こして倒れそうになった彼の身を支えながらドワイトが庇った。

「いや、すんません。こいつ何だか具合が悪いみたいで……」

 揉め事に気づいたエイミーもすぐに反対方向から駆け寄ってくる。汗でびっしょりと濡れているジェフリーの顔を覗き込んで、彼女は即座に異変を悟った。

「大丈夫? 気分が悪ければ少し休んで……」

「いや、何でもない」

 声を絞り出すようにして、ようやく口を開いたジェフリーはエイミーやドワイトの手を振りほどくと、言われた通りに足元の斧を拾って樹木の伐採に戻る。

「訳の分かんねえ奴だな。何なんだ一体……」

「まさか……」

 不思議そうに首を傾げるドワイトの横で、エイミーは無言のまま木を切っているジェフリーの様子を観察し、それからある可能性に思い至って小さく息を呑んだ。
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