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螺旋悪夢
玖
しおりを挟む意識の遠くのところで目覚ましの音がする。徐々に大きくなっていく。
――ああ、始まった。
もぞりと布団を被り直す。
――痛みがなくなればいいのに。
そう思う。
感覚がすべて消えればいい。空腹も、聴覚も、嗅覚も、視覚も。痛覚に繋がるなにもかもが。
何も認識できなくなって、優しい夢の記憶もなくなって、ただただ、眠りの中だけにいたい。――消えて、しまいたい。しにたい。
意識がふわふわと上下しているような、そんな無重力感に脳みそが揺すられている。四方八方から優しい声が残酷に僕を殺している。
――『結果』は変わらないのだ。抵抗すればするだけ、心が疲れる。
だから、無気力に。暴力に流されて――――
「――起きろ寝坊助!!」
「いっ!?」
布団越しに頭部へ走った衝撃に、反射的に顔を出してしまった。――っ本当に、痛覚なんてなくなってしまえばいいのに!
頭上へと影を作った何かに、本能的な恐怖を覚えて見上げる。その先には。
「――とき、まささん……」
不遜に見下ろす『彼』は、どこか不機嫌そうに「おう」と答えた。
――嗚呼、『今度』は彼か。
「どうぞ」
「あ?」
自暴自棄に笑う僕に、時政は怪訝に眉を顰めた。
「絞殺ですか? 刺殺ですか? 何でもいいですよ、抵抗しませんから。好きに、殺してください」
――優しくされるより、ずっとましだ。
心の中で呟いて、目を閉じる。
時政は沈黙していた。額に彼の手が触れるのを感じた。震えが駆け抜けそうになるのを意地だけで押し止めて、“その時”を待つ。
――ピンッ!!
「いたっ!?」
全く想定外の刺激だった。――デコピンだ。
「と、ときまささん……?」
「寝惚けてんじゃねぇよ。俺は“起きろ”っつったんだ」
膝を浮かせたまま荒々しく腰を降ろす時政。所謂ヤンキー座りというやつだ。そのまま、『いつもみたいに』くしゃりと頭を撫でられた。
「やめて、ください」
咄嗟に腕を払った。声は震えていた。
「やめてください。そういうの、いらないですから。お願いだから、」
「バイト」
再び、腕が伸びる。時政は、静かに告げた。
「もう、大丈夫だから」
「……やめてください」
「こわかったな。よく、頑張った」
「――やめろってばッ!!」
強く肩を抱かれ、全力の抵抗をする。腕を打って、胸を押し退ける。けれども、時政の体は離れない。
ゾッとした。この体勢は、――『あの時』の絶望を思い起こさせた。
「起きよう」
「放せッ!!」
「ここから出よう。道なら、きっとすぐ見付かる」
「わけわかんないこと言わないでください! 出るなんて――ここから出たって、どうせ殺されるだけじゃないか……!」
「大丈夫だから」
慈しみだけを込めたような『大丈夫』の繰り返しに、何かがぶつりと切れた。
「――っ何が大丈夫なんだよ!! なにが……なんで……っ、アンタはいつもそうだ! そうやってアンタが何も問題ないって顔をするから――」
「お取り込み中、ごめんね」
それは、奇妙な声だった。
大人のようで、子供のよう。女の子みたいな、男の子みたいな声。
人の言語なのに、“話す”と表現することに違和感を持たせるような。そんな、不思議な“音”――――
ふわりと、見慣れない衣が見慣れた室内に舞う。
奇妙な人――らしきものが、そこにいた。
「“ここ”が結界になってるみたいだ。いやなにおい――人為的。それに、未完成」
それがやおら“首”を回して何かを“視る”。
人間の動作だ。姿だって人間だ。奇妙な服装――奇妙な色をしているけれど、単純に判断するならば中学生ほどの少年、もしくは少女に見える。
けれども、――“人”に思えないのだ。
例えばそう――マネキン。等身大のマネキンは大抵平均的な人の形をしている。人間に見える。けれど、それを人間だと認識する人間はまずいないだろう。そんな感覚に近いのだと思う。
あんまりにも突然の乱入者に、僕は時政との口論も忘れて呆然とした。
こんな夢は初めてだった。
勿論、行き着く先の結果は同じといえど全くの繰り返しを夢見ていた訳ではないのだから、新しい展開があること自体は不思議ではない。――が、それを踏まえたとしても、“それ”の存在はあまりに違和感が強すぎた。
“それ”が感情なく僕を見る。未知なるものに認識される恐怖に、思わず時政の体に縋ってしまう。ハッと我に返って、慌てて服を掴む指を放すが、時政は一層強く僕を抱き込んだ。
「夢喰、道はわかりそうか」
バクと呼ばれたそれと時政の視線が交差する。
――あ。
ほんの少し見上げた先にある紅の瞳を見て思った。
おそらく“あれ”は人ではない。顔の無い彼女のような。紅の着物を纏う腕のような。――人のようで、人、在らざるもの。
そんな『怪異』と接する時政は――僕の“知る”時政と相違なかった。
「……『時、政』さん……?」
信じられない気持ちで、彼の、血が透けたみたいな目を見つめる。
僕のあまりに細い声に、少し瞠目した時政は、やがてゆるりと笑っては、
「なんだ?」
当たり前みたいに、僕の頭を撫でた。
ツン、と鼻の奥が痛くなる。
――今度こそ、その手を振り払うことなんて、できなかった。
「とき、まさ、さん……っ!」
世界が、くしゃりと崩れた気がした。きっと、崩れたのは僕の顔だ。目だ。そんな僕に、時政は、いつものちょっと強引な手を与えては、愚図る僕を引き上げてくれるのだ。
「――言いたいことは色々あるだろうが、とりあえず今は動くぞ」
そっと頷く。まだ心はどこか恐怖に竦んでいる。――けれど、それ以上の希望が息を吹き返していた。
「夢喰」
「うん。道はまだわからない。未完成だから、鼻があまり利かないみたい。それに、人間臭くて――麻痺しそう」
「……そうか」
夢喰はカーペットの敷かれた床の上を底の高い下駄で闊歩すると、ほんの少し顔をしかめて鼻を袖で覆った。
不思議な服だ。一言で言えば和装。――けれど、あんな服は見たことがない。あんまりにも非現実的なデザインで、存在自体がフィクションに感じられる。
ちょっとだけ、アニメのコスプレみたいだ、なんて思う。
ベストと着物が合わさったような白装束。背中は大きく開けられ、白皙に頼り無げな背骨と肩甲骨が露になっている。上腕から広がる大きな袖。袖口には黒い紐が通されていて、どことなく狩衣を思い出した。
同じく黒い紐で締められた腰から下は、上着から続くロングスカートに左右四ヶ所スリットが入れられた風になっていて、隙間から黒のショートパンツと素足が覗いていた。スリットを繋ぐ金具が、動きに合わせてリンと高い音を奏でる。幻想的だ。
肌の露出が多い挑発的な格好だが、大人とはとても言えない華奢な身だからだろうか、神秘的にすらあった。
少年とも少女とも――人間とも判断つかないそれは、時政に抱かれる僕の前へと音無く佇立すると、シャンッと金属を揺らしながら一礼した。
「十三兄弟が一端。八の兄・七の弟――『夢喰』。どうぞお見知り置きを。――縁があれば」
夢喰は、そう言ってはじめて、人間らしく微笑んだ。
「じゃ、行こっか」
「え、」
グイッと手を、少年――兄だとか弟だとか言っていたので、男と判断することにした――に取られる。そのまま、時政との間に僕を挟んだ夢喰は玄関へ向かって歩き出した。
「ま、待って」
体温の感じられない彼の手首を掴み返す。
「そと、は――」
外は、こわいんだ。
「うん」
少年の手首から、冷たいドアノブへと感触が変わる。僕の目線より低い位置にある白黒の瞳が、硝子玉みたいに僕を見上げた。
「だから、きみが、開けなきゃ」
扉。見慣れた何の変哲もない扉なのに、随分久しい気持ちになった。この先には、こわいことしかないのに。
「――ぁ」
大きな手が重なる。僕とは違う、夢喰とも違う、大人の手だ。爪が綺麗に整っている、なんて場違いにも見惚れる。
すっぽり包み込めてしまう程大きくて、皮膚が厚くて、人の温度を持っていて、――絶望と希望、そのどちらをも与えられる手。
「大丈夫だ」
「――」
目が覚めた思いだった。――『大丈夫』。そんなのわからない。だって、大丈夫なんかじゃなかったんだ。本当は……本当は、ずっと――
「出よう。一緒に」
ガチャリ。――絶望の世界が再び開かれた。
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