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椎名

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螺旋悪夢

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 意識の遠くのところで目覚ましの音がする。徐々に大きくなっていく。


「ッうわあああ!!」


 飛び起きた。もう我慢ならなかった。どうなってるんだ。チラシを震える手で漁り広げる。――安い豚肉。


「う、あ……」


 冷たい玄関で尻餅を着く。夢。夢だ。また夢だ。きっと、これも夢。
 発狂してしまいそうだった。ここでも僕は殺されるんだ。誰かの手で。


「なん……なんだよ……」


 這うようにして布団へ戻る。酷い風邪を患ったみたいに悪寒が止まらない。身があまりに心許なさ過ぎる。頭から掛け布団を被って、視界を捨てる。何の防御にもならない。けれど、心だけは守れるような気がした。
 そうだ。寝てしまおう。疲弊した頭が囁く。
 どこかで聞いた。夢から目覚めたい時は夢の中で眠ってしまえばよいのだと。眉唾ものの話だが、今はとにかく何かに縋っていたかった。
 心身共に疲れきった体は苦労せずとも意識を落としていく。やおら瞬きを繰り返す瞼が、ついに閉じきったところで、


 ――ピンポーン。


 え。


 ――ピンポーン。

 チャイム。チャイムだ。玄関の先に、誰かがいる。誰かが、僕を呼び出している。
 初めての展開だった。微睡む思考が覚めていく。
 誰だろう。動きたくない。布団から出たくない。気だるさも相俟って、思わず身を潜めてしまう。

 ――ピンポーン。

 チャイムは止まない。やがて、数秒程の沈黙が降りて。


「おーい、倉橋ー。まだ寝てんのかー?」

「あ……」


 少し鼻掛かったような、のんびりとした『友人』の声。――佐竹。
 布団を蹴り飛ばして玄関へと駆けた。ただ横へ回すだけの鍵が億劫で苛立ちに音を立ててしまう。
 ドアノブを回す。照明ではない自然光が佐竹の背から射し入る。


「――っ佐竹!!」

「う、お、あっ!?」


 衝動のままに佐竹へと抱き着いた。ずっと形になかった『安心』を、漸く手に入れられた気がした。


「さた、け……さたけぇ……っ」


 涙声になる自分を抑せない。悪夢が怖くて泣くだなんて、子供みたいだ。
 ――だって、聞いてほしかったんだ。話を。この途方もない不安を。鉛の痛みじゃなくて、背をさする温もりが欲しかった。共感者を得たかった。


「お、おお? どうしたんだよ、倉橋。……あー、えーと――とりあえず中入れてくんね?」


 気まずげな佐竹の視線の先、二つ隣のおばさんがゴミ袋片手に興味津々と此方を見ていた。

 ……あ。これ、完全に誤解されてる。



 うっかり男同士のラブシーンをご近所さんに噂されてしまう前に佐竹を引き入れリビングへと通す。佐竹は既に制服を着用しており、登校の為の準備を済ませているようだった。


「ごめん。急に……」

「や、それは全然いいんだけどさ。まだ寝てたのか? めっずらしーな、真面目ちゃんのお前が。前に六時には起きてるって言ってなかったけ? 別に遅刻ではないけど」

「う、うん。――今日は、休もうと思ってるから」


 そこで、なんで? と心底不思議そうにしている佐竹へと、繰り返し見続ける悪夢の話をした。
 佐竹は、色々と足りない頭ながらに、こんな突拍子もない話を真剣に受け止めてくれているようだった。


「――つまり、ここは夢の中でお前は外に出たらまた殺されるかも知れないってわけだな?」

「……うん。たぶん」


 いざ口に出してみると、あまりにも荒唐無稽で空々しく聞こえてしまう。
 あんなにも、怖かったのに。この恐怖は、本物なのに。


「んんー、正直俺にはここが夢とかよくわかんねぇけど、まあ倉橋は普段から優等生クンしてるんだし、一回くらいずる休みしたっていいんじゃねぇの? いや、実際顔色悪いんだからずる休みってわけでもないのか」

「そ、かな……」

「おう! なんだったら宿題も俺が一緒に出しといてやるよ! 実はさー、朝早くから押し掛けたのも、今日起きるまで宿題のこと忘れててさ。一週間分をショートホームルームの間に写しきるのはさすがに無理だなって。確か一時間目の初っぱなから回収だったろ? マジ、ヅラペカの奴鬼だよなー」

「佐竹……」


 呑気な佐竹の笑い声に、がっくりと肩を落とす。ああ、張っていた気が抜けてしまった。さっきよりも心置きなく眠そうだ。なんて。
 ちなみにヅラペカとは今回の宿題の量から見て取れる通り、生徒たちから陰湿課題過多教師として嫌われている数学教師の渾名である。何故この渾名になったのかは各々で察して頂きたい。


「しょうがないなあ。ちょっと待ってて」


 ファイルに仕舞い済みの宿題を佐竹へ背を向け掻き出す。ええっと、確かこれとこれと……


「――あ、そうだ佐竹。お前、朝御飯食べて来……」


 ふと思い付いた言葉は続かなかった。佐竹に背後から抱き締められたからだ。


「さた、け――?」

「なあ、倉橋」


 ゼロの距離から、いやに静けさを纏った佐竹の声が耳朶を撫でる。肩をクロスするように被さっていた腕が鎖骨を撫でた。


「――外に出なくても、人は死ぬぞ?」


 え――――


「ぅあ、ぐッ」


 視界がぶれた。圧迫感。呼吸を塞き止められている。――佐竹の手によって。


「さ、ぁ……ッ」


 喉を握り潰すような容赦ない責め苦に、酸素を得ようと喘ぐ。飲み込めない唾液が喉に詰まり窒息を加速させていく。

 なんで。

 なんで。佐竹。

 言葉と呼べない音が悲鳴にもなれず宙に霞んでいく。佐竹の手を必死に掻き毟る。異常な握力だった。――いや、これが火事場の馬鹿力というやつなのか。


「ゃ、え、あ゙……っ、が、」


 ヒュッともキュッとも付かない奇声が唾液と共に零れていく。――きっと、命も溶け出していっている。
 大きく口を開いて、混乱と涙とで何を見ているのかわからなかった。ひたすら、本能的不様な抗いをしていた。

 落ちる時は一瞬だ。ふわっと不思議な浮遊感の後、視界が暗転する。
 目まぐるしい光の中で、佐竹が笑っているのが見えた。


「馬鹿だな。倉橋」


 邪悪な笑顔だった。

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