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椎名

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死を呼ぶ輝き

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「ちょっと待っててね! 電話してくるー!」


 パタパタと駆けていく小さな背を和やかに見送る。ポシェットのファスナーに付けられたお守りがヒラヒラと揺れていた。
 元気だなあ。あんな妹がいたら思う存分甘やかしちゃうかも。

 なんて冗談混じりに苦笑していると、ふと僕の肩を叩く手があった。


「――あんたさ、あいつに関わるのやめといた方がいいぜ」


 そう陰鬱と忠告を寄越したのは、少女と同じ年くらいの活発そうな少年だった。


「えっと、君は?」

「おれ、あいつと同じクラスなんだ。あいつはさ、――呪われてるんだよ」

「呪われてる……?」


 突然伝えられた非現実な情報に、愛らしい童顔を憎々しげに歪めた彼を、戸惑いを隠す事なく見上げる。


「そう。あいつの周りさ、変なことばっかおきるんだよ。学級文庫棚の近くに座ったら、本が地震が起きたわけでもないのにバサバサ降ってくるし、窓側になったときは、なにも当たってないのにとつぜん窓ガラスが割れてけが人がたくさん出たし、このあいだなんてマラソンしてたらサッカーゴールがあいつが通ったしゅんかんに狙ったように倒れてきたんだぜ!? あんなしっかりしたのが倒れるとかありえないじゃん! ぜったいおかしいよ!」


 語っているうちに、当時の状況が思い出されて興奮が甦ってきたのだろう。少年は声を荒げて訴える。


「呪いだって! あいつなんかに命狙われてるんだよ! だから近付いちゃだめだ、巻き込まれるっ!」


 声高々に宣言され、気味悪く思うよりもどう反応すればいいのかわからなかった。

 ――呪い、か。以前の僕ならば「そんなもの勘違いに決まってる」と簡単に笑い飛ばせてしまっただろう。だが、今の僕には難しい。彼と出会い、彼の世界に触れることで、怪奇や異常といった未知なるものがそう遠くない場所に転がり落ちている事実を知ってしまったのだから。


「おにいちゃーん! お母さんすぐ来るって――あれ? きょーたくん?」


 通話を終えて帰ってきた少女が、少年を視野に入れきょとりと大きな目を瞬かせた。

 きょーたくん、ていうのか。確かこの子は自分のことをひーちゃん、て呼んでたっけ?


「……じゃあ、そういうことだから」


 少年は、一目も少女に呉れる事なくそそくさとボールを持った仲間達の元へ去ってしまった。


「……仲、良かったの?」


 相変わらず笑顔なものの、どこか悲しげに見える少女の頭をそっと撫でる。


「……うん。けど、きょーたくん、ひーちゃんの側にいたせいで前におっきなけがしちゃったの。だからね、きょーたくんはひーちゃんがきらいで、きょーたくんのママもひーちゃんに近づかないで、ていうの。あのこは不幸を呼ぶから、て」

「……そっか」


 幼い少女の痛々しい言葉に、ろくに否定する事も出来ず曖昧に微笑んだ。

 時政が前に話していた。人間の中には性格と同じで様々な“体質”を持つ人がいるのだと。例えば不幸体質、幸運体質。ただたんに運の良い人、悪い人を表す言葉なのだと思っていたが、違うらしい。本当に、『呼び寄せて』しまうのだという。不幸を、幸福を。それは偶然なんかではなくそういう“体質”なのだそうだ。そう、出来ているのだ。
 珍しい所でいえば、干渉体質や取り込み体質などというものもあるのだとか。言葉からはどんな内容なのかとんと想像付かないが、あまり良い感じはしない。

 つまり、こういった事情も含めて、彼女の告げた“不幸を呼ぶ”という言葉はあながち間違いとは言いきれないのだ。


「あ、そうだ。ねえ、お名前はなんていうの? ひなちゃん? ひかりちゃん?」


 自然と話題を変えて“ひ”から思い付く限りの女の子の名前を上げてみる。


「ひかるだよ! かがやくって書いてひかる!」


 ヒカル、か。女の子にしては珍しい名前かも知れない。僕の中では、同じ意味合いの名前でも男の子がヒカル、女の子はヒカリのイメージがあったからだ。
 いやでも、最近はどう読めばいいのかわからない名前すらあるんだから、僕のこの考えは偏見なのかも? いわゆるキラキラネームとか呼ばれている名前に比べれば全然許容範囲内だ。なんだ泡姫でアリエルって。どう読めっつーんだ。


「そっかあ。良い名前だね」

「うん! 光りかがやく人になりますように、て意味なんだって! だからひーちゃんこのお名前大好きだよ!」


 ニカッと太陽のように笑う少女からは、自身の名への誇りが溢れ出ていた。名は体を表すとはまさに彼女の事だろう。

 ――うん。虐待の説はないかな。この子の母親への信頼は本物だ。そうなるとまた別の問題が発生するのだけれど。……体質ってどうやったら治るんだろう。

 と、その時。少女の待ち望んでいたその人の声が聞こえてきた。


「ひーちゃん!」

「お母さん!」


 慌てて飛び出してきたのだろう、エプロン姿のままの線の細い儚げな女性が駆け寄ってくる。


「お母さん、あのね――」


「――ッ危ない!!」


 咄嗟に輝の体を背後から抱き込んだ。


 ――キキィーッ!!


「キャアアアッ!!」

「ひかるッ!!」


 突然飛び込んできたトラックが輝と僕の前で停止する。一際高い女性の悲鳴と少女を呼ぶ母親の切羽詰まった声を最後に、辺りは痛い程の沈黙を迎えた。
 のんびりとした温かな黄昏時が一瞬にして事故現場へと様変わりしたのだ。


「すみません! 大丈夫ですか!?」


 慌てて運転手が車を降りる。幸いな事に車と輝との距離は拳一つ程度の隙間を保っていた。

 良かった。もしも、僕が向かってくる車に気付かないで制止に遅れていたら――――


「ひかるッ!」


 運転手を押し退けて、その人が少女を抱き締める。


「ひかる、ひかる、怪我は? どこもぶつけてない? 頭は?」


 少女が生きている事を確認するように、女性の細やかな手が隈無く全身を撫でていく。


「おかあさぁん……っ」

「よかった、ひかる、よかった……っ」


 親子のすがり合う抱擁を横目に、男は気まずげに頭を下げた。


「す、すみません、突然」

「本当よ! あなた、ちゃんと前を見て運転していたの!?」

「は、はい。ちっともハンドルから手ぇ離してないしアクセルも踏んでなかったっす! なんか急にハンドル動かなくなって、俺もよくわかんなくて……」


 ただの言い訳のようだが、確かにおかしい。位置的に道路から車がこの公園内に乗り込める訳がないのだ。それもトラックなんて大型車が。それこそ、しっかり計算して小さな公園の入り口を寸分の狂いなく通らなければ。
 暴走したスピードでそんな芸当は、普通に考えて不可能だ。

 誰もが首を傾げる中、結局その日の事故未遂は、怪我人が出なかったという点から警察に届けられる事なく終息した。
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