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椎名

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神のいない山

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「じゃああの、リンピョウトウシャうんたらえいっ! てやったやつは?」


 興奮気味に身を乗り出す。


「お、よく覚えてんな。あれは『九字切り』だ」


 九字切り……


「名前だけなら知ってる奴も多いんじゃねぇか?」

「あ、はい! テレビで観ました!」


 胡散臭さ満載だったけれど。
 あの臨場感をテレビで再現するのは不可能だろう。


「字で書くとこうだな」


 ポケットに無造作に突っ込んでいた紙を取り出した時政は、裏面に何やら書き込み始めた。
 そこには、『臨・兵・闘・者・皆・陣・烈・在・前』と、綺麗な字で九つの漢字が書かれていた。

 時政さん、字も綺麗なんだなあ。習字とかやってたのかな。


「意味は『兵に臨んで闘う者、皆最前に列をなして鎮座して在り』――アンタの前にはいっぱい迎え撃とうと兵が並んでますよー、逃げた方が良いですよー、てことだ。これは中国からだな。元々は、『青龍・百虎・朱雀・玄武・空珍・南儒・北斗・三態・玉如』だったんだが、日本へ渡る間に省略されたんだ」

「あっ! 知ってます! 青龍、白虎、朱雀、玄武! 四神ですよね? 他にも麒麟とか鳳凰とか霊亀とか応竜とか」

「お前、変な知識ばっかあるんだな……」


 若干引いたような時政の反応に、思わず苦笑いした。

 まあ、一時期はまったからね。
 そういう時期ない? え、もしかしてこれって中二病ってやつ?


「でも、なんで二回もやったんですか?」


 しかも、なんか手付きも違ったような。


「ああ。最初にやった方は『早九字切り』だからな。一般人でも簡単にできる省略したやつ。その分威力も小せぇが、だからってみだりに使うなよ? 相手を怒らせるだけだからな」


 人差し指を立てて、幼い子供を窘めるように忠告する時政に、はあ、と生返事した。

 どうせ僕には何の力もないし、やっても意味ないと思うけどなあ。


「じゃあ二回目のは?」

「『九字護身法』――正式な方だな。一つ一つ意味のある手印を結んで切るんだ」


 その言葉に思い出すのは、複雑に、しかし流れるように組まれていった時政の両手。

 うん。忍者みたいだった。某漫画の。


「……あれ? でもなんか最後、『バク』とか言ってませんでした?」


 それも漢字なら九字にならないよね?


「お前、本当によく聞いてんな……」


 あ、もっと引いた顔になった。ひどい。


「漢字で書くと『縛』――文字通り相手を縛る法だ。こうやって、一文字付け足す事で威力を増させたり、意味合いを強めたりするんだ。これを『十字の法』という。大抵は、『破・喝・命・水・王・大・合・行・勝・天・鬼・一・龍・虎』てな言葉が使われるな」


 紙に並べられた漢字の羅列を見ながら、ふむふむと頷く。

 なるほど、よくわからん!


「火を止めた呪文とかも、中国のですか?」


 まさに魔法だった。東洋の魔術!


「火……ああ、アレか。そう。中国の五行思想に基づいて言霊を創ってる」

「言霊?」

「力を持った言葉だ。式神を呼んだり、札と一緒に使ったりもするな」


 し、式神……。なんだか一気に陰陽師っぽくなったぞ……!


「五行思想、つーのはアレだ。木は土に勝つし、土は水に勝つ、てやつ。木・火・土・金・水の五元素で、『互いに影響を与え合い、その生滅盛衰によって天地万物が変化し、循環する』と言われている。――巡って生み出していくのが『相生』、巡って打ち勝つのが『相剋』、元が強すぎて反尅するのが『相侮』、尅しすぎて元を圧殺するのが『相乗』、気が重なり、良い意味でも悪い意味でも威力を増すのが『比和』――この辺を、場によって臨機応変に対応しながら言霊を創るんだ。結構頭使うんだぜ? ……まあ、言い方変えりゃあ、確かに呪文だよなあ」


 うんうん、と頷く時政を他所に、僕の頭の中では、ぐるぐると様々な単語が巡っていた。

 え、えっと、相生で相剋で……うう、知恵熱出そう……!


「じゃあキュウキュウなんちゃらは? 九字切りの親戚?」


 なんか響き似てるし。


「ぶはっ! し、親戚……! いや、間違ってない。うん、間違ってねぇよ」


 またもや腹を抱えて笑い出す時政に、じとーっと物言いたげな目で睨み付けた。

 ……別にいいですよ。いくらでも笑ってくれて。知らないのが当たり前なんだから。


「あー、わりぃわりぃ。拗ねんなって」


 若干涙の浮かんでいる眦を拭いながら、ぐしゃぐしゃと僕の頭を掻き回す時政に首を振り払って逃げた。

 すぐ頭ぐしゃぐしゃで誤魔化そうとするんだから!


「キュウキュウニョリツリョウ、はこれな」


 再び目の前に広げられた紙には『※急々如律令』の文字が。


「意味は『急いで律令の如く行え』――平安時代に出された律令がすげぇ早く回ったみたいに、速やかに命令を行え、て意味だが、まぁさっさと退散しろ、て感じのニュアンスで捉えといていいと思うぜ」


 そんなアバウトな。


「うーん、頭痛くなってきたあ……」


 蟀谷を押さえながら宙を仰ぐ。一気に溢れ返った情報に、整理する間も無く音を上げてしまいそうだ。


「まあ、別に覚えろとは言ってない。ちょっと偏った豆知識程度に思っとけ」


 クスクス笑いしながら頬杖をつき直した時政を、そっと目で追う。
 癖っ毛の割りにサラサラな黒髪が重力に従い流れる。現れるのは、――目を奪われる程の魅惑的な紅目。


「…………、」


 時政は、吹っ切れたのか、僕に対して以前程頑なにその目を隠そうとはしなくなったけれど――


(いい、のかな)


 無理、してないかな……。


「……あの、時政さん」

「ん? なんだ?」


 優しく瞳を細めて上目に見る時政に、コクリと唾を飲む。

 ……やっぱり美形って心臓に悪い。


「あの、いいんですよ……? 目、隠してても。もう僕、余計な事したりしませんし」


 あのお節介は、結果的に時政さんを傷付けるだけだったから。

 もう随分と懐かしく感じる行きの電車内での出来事を、改めて反省する。
 そんな僕に時政は、一拍、間を置くと。


「――いいんだよ。いい加減、俺も進まなきゃなんねぇんだから。……かっけぇだろ?」

「は、はい! すごく、すごく綺麗です! かっこいい!」


 時政の不意打ちの笑顔に、思わずぶんぶんと首を縦に振った。


「ふはっ、必死すぎ」

「ひい! ちょっと、無差別にイケメンフラッシュ寄越すのやめてください!」

「イケ……なんだそりゃ」





 ※本当は『急』は口辺が付いた漢字ですが、変換では出ない為『急』で代用します。
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