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神のいない山
漆
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――四階非常階段。ぬるい風が足元から吹き上がるそこで、千代瀬はケタケタと笑いながら手摺に凭れ掛かっていた。
無理に追い詰めれば落ちる、という意思表示だろう。包丁を手放す気配もない。
「おい、若女将。聞こえてんだろう? 呑まれるな。意識をしっかり持て!」
「嫌ですねえ、お客さん。私はちゃんとここにいるでしょう?」
ニタニタ。ケタケタ。胸くそ悪い嘲笑が無人の廊下に広がる。
「……いい加減にしろ。お前の茶番になんて付き合ってらんねぇんだよ。――悪霊が」
嫌悪を隠す事なく吐き捨てられた言葉に、心底愉快だと言わんばかりに千代瀬、――否、千代瀬の中に潜む『ナニか』が笑みを深めた。
「悪霊? 非現実的ですねえ。探偵ともあろうお人が。これが私の本性かも知れないでしょう?」
着物の袖を持って、ドレスでも翻すように、可憐に、禍々しく舞う『ソレ』。
想像以上に厄介な相手に、握り締めた拳に汗が滲んだ。
「……ハッ、だったら俺らが仕事に来た時点で何かしらの対策取んだろ。探偵なんかに来られて困るのは若女将さんなんだからよお。ああ、それとも、その包丁で“今日”、決行だったか? 邪魔者の始末は」
精一杯の虚勢で笑みを作ってみせる。
(……あいつはもう逃げられただろうか)
こんな時にでも思い出すのは、純朴な瞳を持つ少年の事。こんなにも誰かが気になるなんて、“彼”以来だった。
……俺達が犠牲にしてしまった、あの子以来。
「……やぁっぱり。貴方、普通の人間じゃないですねえ。でないと、――――俺に気付く筈ねぇもんなァ』
ざわり。冷気。瘴気。肌が凍傷したかのようにチリチリと冷たい熱を訴える。
増幅する邪気。吸い込む空気の全てがヘドロのように肺へ溜まっていく気がする。
およそ千代瀬のものとは思えぬその声は、しかし確かに千代瀬の口から発せられていた。
「……お前が黒幕か」
『いやー、こいつイイ気、持ってやがるもんだからよォー。贄だってあったしなァ』
――贄。千代瀬と関連のある、ここ最近で死去した人物。それは……
「……チッ、一々悪夢なんて姑息な手ぇ使いやがって」
『あ゙ーん? そらこっちの台詞だぜ、探偵さんよォ。コソコソ、コソコソ嗅ぎ回りやがって。しかも俺が出られないよう結界まで張ってくれちゃってさァ』
ニタニタと人を食ったような笑みを浮かべていたソレに、初めて笑み以外の表情が乗った。
それも束の間。またも青ざめた唇を三日月に歪めると、
『まあでも、それなりに感謝してるぜェ? ――新しい贄も手に入りそうだしなァ』
「……あ゙?」
ポツリと呟かれた言葉に、思わずヤツを睨め付けた。
「ハッ、俺を殺ろうってのか? 相手の実力を見てから言うんだな」
そっと懐に仕舞われている数珠へと手を伸ばす。
裂かれた傷口がじりじりと熱を持ち始めていたが、まだ握るぐらいの力は残っているだろう。
こちとら、生まれてからずっとテメーらみてぇな異形相手にしてきてんだ。
確かに生半可な力がある分厄介だが、この程度の相手に摂り込まれる程、弱ったつもりもない。
……こんなヤツに殺られたんじゃ、あいつに顔向けできねぇだろうが。
しかし何が可笑しいのか、ソレは愉しそうに愚者を見る目付きで俺を見て。
『ダァーレがお前なんて言ったよーォ。――――もう一人、思い当たる人間、いンだろォ?』
「――っ!!」
咄嗟に叫んだ名は誰のものだっただろうか。
霧がかった思考に浮かぶ二つの顔。
――『時政さん!』
――『時政先輩!』
ニタリと笑う卑しい笑みに、
彼の日の残酷な情景が重なった。
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