白夏ー僕が殺した彼の話ー

リョウ

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9・望森

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僕の犯した罪に誰も気付かなかった。誰も誰も気付かなかった。

僕がこんなにも悩み、苦しんでいたというのに、誰一人、気付いてはくれなかった。

けれどそう、それももうおしまい。

今年、僕は彼に言われてしまったのだ。僕が彼を殺したのではないかと……。









その日、綾人は中庭の楠の木の下のベンチで本を読んでいた。木陰で涼しかったからだ。



ノートの事はまだ諦めたわけではなかった。みんなの興味が失せた頃に、清春に何か上手い言い訳を言って返してもらう、あるいはこっそり盗みに入れないかと考えていた。



夜彦とは先日以来、挨拶程度の会話しかしていない。夜彦の方は何か言いたげに綾人を見ていたが、綾人はそれを無視していた。話したい事はもうなかった。これ以上、望森の話題を口にしたくもなかった。



「何、読んでるんだ?」

綾人は顔を上げた。川瀬がすぐ側で微笑んでいた。

「先生」

綾人が呟くと、川瀬は読んでいた本を覗き込んできた。

「ふーん、人間失格ね。太宰治好きなの?」

綾人は頷いた。

「僕、東北の人が好きなんです」

「は?」

川瀬が不思議そうな顔をしたので、綾人は微笑んだ。



「なんか東北の人って真面目で暗いじゃないですか? その真面目さが好きなんです。太宰もひどいデカダンだったけど、でも物悲しい感じじゃないですか? 僕はそういう罪に苦しんでるんだか、酔っているんだか、判らない人が好きなんです」

川瀬は困ったようにポリポリと頭をかいた。



「なんか難しい事言うな、斉藤は。先生は数学専門だから国語はさっぱり判らないんだからな」

綾人はクスリと笑う。

「難しくないですよ。ただ根暗な東北人が好きなだけです。いつまでもジメジメ悩むじゃないですか? それが良いんです。逆に南国の人のあっけらかんとした明るさがニガテなんですよ。もっと悩んで欲しいって思う」

川瀬は考えるように腕を組みながら言う。

「なんかどっちの人間にも失礼な発言だな」

「すみません」

綾人が素直に謝ると川瀬は笑った。

「因みに、先生は東北出身だけどな」

綾人は微笑み返した。



「そろそろ夕飯だと思って来たんだけど、違うのか?」

綾人は本に栞を挟みながら答える。

「ああ、はい。もう夕飯だと思いますよ。今日の当番は清春と夜彦なんです」

綾人は暮れ出した西の空を見つめる。



「もう夕方ですね。日が沈むのが遅いから、ついのんびりしちゃってました」

綾人の視線を追って、川瀬も暮れ出した空を見つめる。田舎なので太陽は山に沈んでいく。

「丁度、太陽が沈むな……」

綾人はベンチから立ち上がる。その間も川瀬は空をじっと見ていた。その瞳がそっと細められる。

「太陽は燃えるように沈んでいくんだな」

綾人は再び西の空を見た。一面がオレンジ色だった。

「日は昇るより、沈む時の方が燃えるようだな」

瞬間、綾人は固まって川瀬を見た。川瀬は綾人を見ることなく呟いた。

「昔、太陽が世界を燃やしてくれたら良いのにって思ってたよ」

綾人は瞬きも忘れて、川瀬を見つめていた。













川瀬は四人に混ざって食堂で夕飯を食べていた。

「先生っていつもカレーの日に来ますね」

清春の言葉に川瀬は答える。

「先生がカレーの日を狙って来たみたいに言うなよ。それよりお前達の方こそ、実は毎日、毎食、連日連夜、今まですべてカレーなんじゃないだろうな?」

「あるワケないでしょう」

清春は冷たく言ったが、一意はその発言に大笑いした。

「あはは、川瀬ちゃん面白いよー」

綾人は黙ってスプーンを口に運んでいた。食欲はなかった。



「綾人、具合でも悪いのか?」

夜彦が心配そうに綾人の顔を覗きこんで聞いた。けれど綾人は俯いて首を振った。

「そんな事ないよ」

言いながら、夏バテだとでも言えば良かったと、少し後悔した。けれど何でもないと、すでに口にしてしまった。仕方ないので綾人は必死でカレーを食べ続けた。







夏休みが終わりに近付いていた。

あれ以来、ノートと望森の事はあまり話題にならなかった。一意などは特に、ノートの事など何もなかったかのような様子だった。ノートに書かれた事はすべて空想、妄想と思ったというより、存在その物を忘れてしまったようだった。



望森が殺されたのではないか? 

あの晩の異常な空気で、全員がそんな気になった。けれど数日がすぎればそんな気もなくなる。



「いや、そんなことないか……」

綾人は林の木陰で座り込んで呟いた。



一意は確かにあのノートの存在を忘れているようだが、清春と夜彦は今も自分を疑っているのではないだろうか。



綾人は蓮の花を見つめた。花は盛りをすぎていた。

ほとんどの蓮は花を散らして、蜂巣と呼ばれる花托だけになっていた。綾人はそんな蓮を見つめる。



蓮は散っても美しいと思った。

綾人は木の幹に背を預け、体育座りで蓮を眺めていた。

世界はやはり白く見えた。視界の隅がいつもいつも白く欠けている。夏は幻のようだと思う。この暑苦しさも夢のようだ。綾人は自分の寄りかかった木を見上げてみた。木漏れ日が美しい。





彼が居なくなったのに、望森は居ないのに、何故世界はこんなに美しいのだろう?



綾人は望森の事を考えた。

大好きだった望森。憧れていた望森。自分を騙していた望森。

大好きだった分、憎しみと恨みの感情は強かった。だから彼の首を絞めた。絞めた事に後悔はなかった。憎んだことに恨んだ事に後悔はなかった。自分は安堵した。そのはずだったのに、なのにいつもいつも、頭の中から望森は消えなかった。

「僕は後悔してるんだろうか?」



許さなかった事を。

望森は泣きながら、首を絞められながら許してくれと言った。それを自分は許さないと言った。決して許さないと言った。その事を一番後悔している? そうして別れてしまった事を、会えなくなってしまった事を後悔している?



その時、白い世界に白い人影が見えた。

「!」

綾人は顔をあげた。身体が震える。

その人物はゆっくりと綾人に近付いてくる。



「まさか……なんで……」

綾人の唇が震えた。

その人物は咲き残った花によく似ていた。白い肌に細い身体。男だと思えない位に美しい少年。



「久しぶりだね」

少年は薄く笑った。綾人はその目を見つめ返しながら、泣きそうになった。

白い世界に白い花に白い少年。夢だ。これは幻だ。白昼夢。そう思うのに少年は綾人に話しかける。



「君に会いに来たんだ」

「どうして……」

綾人の声は掠れた。浮んだ涙を、指でそっと拭いながら聞く。



「どうして会いに来たの? 僕を恨んでいるの? 僕が去年、君にした事を恨んでいるの? 仕返しに来たの?」

少年は首を振る。

「違うよ、逆だよ。去年、君にあんなに憎まれて許さないって言われたのに、それでも許して欲しくて、だから会いにきたんだ」

綾人は顔を上げて少年を見つめる。



「僕は綾人にやっぱり許してもらいたいんだ。自分がどんなに酷い事をしてたかはわかっている。でも、それでも君に許してもらいたい。君は去年信じてくれなかったけど、僕はただ君が嫌いで苛めていたわけじゃなかったんだ。君のその素直さとか感性に嫉妬していた。だから君に酷い事をした。でもそれは君への好意の裏返しで、君が嫌いだったわけじゃないんだ」

「でも、僕はあの日、君の首を絞めた。殺す気で絞めたんだ。死ねば良いと思って!」



その言葉に少年、大崎望森は微笑んだ。



「僕は君を許せるよ。僕は殺されても良かったんだ。君に殺されるのは仕方ないって、そう思って、だから抵抗しなかったんだ」



綾人の目から涙がこぼれ落ちた。次々と涙が流れ落ちる。

そんな綾人を見て、望森は跪く。



「僕は僕の首を絞めた君を許すよ。だから、君も僕を許してくれる?」



綾人は望森を見つめた。視界は相変わらず白い。世界が白い白い白い。これは都合の良い夢ではないだろうか? 自分が許して欲しいから、だから見る幻。



「どうかな、綾人」



綾人は目の前の望森を見つめた。言葉は勝手に出てきた。何も考えられない。



「君を許すよ! だから、僕を許して……!」







人を殺そうと思った。首を絞めた。それでも憎しみが消えなかった。そんな自分がイヤだった。苦しかった。ノートに逃避した。ノートを失くした。そして……。

綾人は今、本当に欲しかった物を手に入れた。









寮に戻ると大騒ぎになった

夜彦が呆然と立ち尽くし、清春がそっと微笑み、一意が大声を上げた。

「ミモリ!?」



呼ばれて大崎望森は微笑んだ。

「やあ、みんな久しぶりだね」

一意は走りよって望森に抱きついた。

「ミモリ! 生きてたんだな!」

そう聞く一意を軽く抱き返しながら、望森は微笑む。



「なんだかすごい歓迎だね。自分が戦争復員した人みたいな気分だよ」

「フクイン?」

意味が判らず一意が首を捻っている。

「ああ、まあ、戦争が終わって無事帰った人って意味」

「なんか戦ってきたの?」

望森は苦笑した。



夜彦は心底驚いた様子で望森を見つめていた。

綾人はそんな夜彦を見た後で、清春を見た。

腕を組んで壁に寄りかかっている清春。

綾人は清春だけは真実を知っていたのではないかと思った。



望森が綾人を苛めていた主犯だった事を、知っていたのかはわからない。けれど去年、望森が綾人にだけは転校の事を告げていった事は知っていたように感じた。綾人の微妙な反応から、望森との間にいざこざがあった事は想像が出きたのだと思った。あるいは転校後も、望森は清春には連絡を取っていたのかもしれない。



その後、五人は暫く談話室で話しこんだ。



「今はどこに居るの? 転校したんだろ?」

一意が聞くと望森は答える。



「ああ、今はK県に居るんだ。転校の事は黙っててごめん。サヨナラを言うのが淋しかったから、黙って行ったんだ」

「水臭いヤツだな」

短く言う夜彦に望森も短く答える。

「ごめん」



綾人はその光景を不思議な気持ちで見ていた。この一年、こんな穏やかな気持ちになった事は一度もなかった。



五人は夕方まで、飽きる事もなく話し続けていた。一意が望森に今どんな生活かを聞いては、望森がそれに答えている。そして夜彦と清春、綾人はほとんどそれを聞いているだけという感じだった。談話室に差し込む光が消え、辺りが暗くなった頃、望森は席を立った。



「じゃあ、そろそろ帰るね」

一意が大声を出す。

「ええ!? 何でだよ? 帰っちゃうの?」

「うん。もともと日帰りの予定だったし、ちょっとみんなの顔を見れたら良いって思ってたから」

「えー、泊まってけば良いじゃん」

「うん、でも良いんだ。もう用は済んだから」



望森は綾人を見て微笑んだ。その笑みに綾人はドキンとした。

けれど綾人の心は昨日までとはまるで違っていた。綾人はその笑みにそっと微笑み返した。



「また、遊びに来いよ。次は泊まりでさ」

清春が言うと望森は頷いた。

「うん、また来るよ」





四人は望森をバス停まで送った。外はすっかり暗くなっていて、星がたくさん見えた。

その星空の下で四人は望森を見送った。



夏が終ろうとしていた。

星が降るような道を、寮まで四人は歩いて戻った。

夜になると昼間と違い、だいぶ涼しくなったと感じた。





寮の二階の階段を登りながら一意が言う。

「結局あのノートって何だったの?」

一意の背中に向かって夜彦が言う。



「知らねーよ。妄想ノートだったんじゃないか? たまたま俺達の中にミモリの事がひっかかってたから、信じてしまったけど、冷静に考えれば殺人告白のノートなんか普通考えられないよな」



夜彦は階段の途中で振り返って言う。

「清春、念のため聞いておくけど、あれ、お前が仕組んだ事じゃないな?」

鋭く睨まれ、清春は立ち止まる。

隣を歩いていた綾人はその清春の顔を覗きこんだ。清春は肩をすくめてみせる。



「違うよ。本当にたまたま拾ったんだ」

「でもミモリが殺されたとは、最初から思ってなかったんじゃないか?」

夜彦が真剣な瞳で聞いた。清春はそっと微笑む。

「さあ、それはどうかな」



結局その話はこれでおしまいになった。階段の上から一意が呼ぶ。

「俺、もう部屋に帰るよ。お休みー」



残った三人も挨拶を返す。そして再び階段を上る。

階段を上り終わると、軽く挨拶をして、三人はそれぞれの部屋に向かう。

綾人は黙って自分の部屋の前まで行くと、ふいに振り返った。そして廊下を小走りで引き返すと清春に声をかけた。



「清春、ちょっと良い?」

清春はドアの前で綾人を見つめる。

「何?」

綾人は少し緊張しながら言った。



「あのノートもらえないかな?」

「ノート?」

綾人は頷く。



「君が持っているあのノート、あれを僕にくれないか?」

「なんで?」



答えられない。答える事は難しい。綾人は唇を噛んだ。なんて言えばあのノートを返してもらえるだろう? あれは自分の物だと言えば返してもらえるだろうか? 綾人が考えていると清春が表情を緩めた。



「いいよ。あげる。ちょっと待ってて」

清春は部屋に入り、中からノートを持って出てきた。懐かしいノートに胸が詰まる。



「はい」

清春から綾人はノートを受け取った。そしてそれを胸に抱くようにする。

「ありがとう」

綾人は軽く頭を下げて自分の部屋に向かった。清春はそんな綾人の後ろ姿を見送りながら呟く。



「もう、失くさないようにね」

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