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16・見えていないモノ
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翌日、僕は廊下に待機して、相馬さんが出てくるのを待った。
そしてタイミングを見計らって声をかけようとして、勢い余って躓き、前転を一回してしまった。
顔を上げると引きつった相馬さんと目があった。
「や、やあ! 昨日はどうも!」
「というか大丈夫? 転んだの?」
「あ、うん、大丈夫、最近流行ってるんだよ、こういう登場」
なんとか誤魔化して世間話に持ちこむ。
「あれだよね、手芸部の人達、見た目は怖いけど、話してみるとすごく良い人ばかりだね」
僕の言葉に相馬さんは嬉しそうに笑った。
「でしょ、でしょ? 立川君が分かってくれて嬉しいよ。まったく分かってないバカが多いからね、嫌なんだよね」
「分かってないバカって……」
彼女の顔が曇る。
「その、いろいろいっぱいだよ。男子なのに手芸部はおかしいとか、見た目が怖いからってだけで避けたり」
「そういう友達がいたの?」
元気だった彼女が顔を伏せる。つまりそういう事なんだなって思った。
「私、トイレに行くから、じゃあ」
彼女はそう言うと立ち去ってしまった。それを見送りながら考えた。
最初は相馬さんが一方的に、佐伯さんに酷い事を言ったのかと思った。
だけどこの様子では、そうじゃないのかもしれない。相馬さんが怒るような事を、佐伯さんが言ったのかもしれない。
例えば、手芸部の人の悪口とか。
でもそういう場合はどっちが悪いんだ? どっちも悪いのか?
お互いをお互いが傷つける、そういう場合は……。
「お互い様だろう、そんなの」
呼び出して相談したら、研坂さんは切り捨てた。
「じゃあ俺、予習あるから戻る」
研坂さんはウルトラ冷たく、階段を下って自分の教室に帰って行った。
「お互い様か」
確かにそうだ。どっちが悪いというか、どちらもと言うか。
でもそのせいで佐伯さんは影が消える程に悩んでいるんだ。
そんな彼女をやっぱり放ってはおけない。だって僕は彼女に言ったじゃないか。大丈夫だと、仲直りができると。
彼女は相馬さんと仲直りがしたいんだ。だから仲直りさせてあげないと!
昼休み、僕は佐伯さんを一階ホールに呼び出していた。
なるべく早く解決してあげないと、そう思う心が僕を焦らせたのか、急いで階段を下っていたら、また足を引っ掛けてしまった。
「うお!?」
さっきは前転一回で笑いをとれたが、これは洒落にならない。落ちたらケガとか死ぬとか!?
そう思ったが僕の体は階段から落下する事はなく、ふわりと地に足がついた。
「あれ?」
僕は何かに支えられていたように思う。でもその姿が見えなかった。
もしやこれはまた目には見えないモノの仕業か? というかあのヘビがまた恩返ししてくれたのだろうか?
僕はあたりをきょろきょろとした後で、見えない誰かに一応お礼を言った。
「ありがとう」
答えがないのを確認してから、再び階段を下った。佐伯さんを待たせたら悪いから急ごう。
ホールで佐伯さんは僕を待ってくれていた。彼女の顔はいつものように暗い。
そんな彼女に、ちょっと気を遣いながら話しかける。
「佐伯さんが相馬さんに、その、酷い事言われた時だけど、もしかして佐伯さん、何か怒らせるような事言わなかった?」
「怒らせる事? そんな覚えはまるでないけど……」
「えっと手芸部の人の話とかしなかった?」
彼女は思いだしたようで顔を上げた。
「そう言えば、私、愛理ちゃんに誘われて手芸部に遊びに行ったの。でもなんかあそこの人達が怖くて、だからもう行きたくないって話して、でもまさかそれで愛理ちゃんが怒ったの? だって部活に入るか入らないかなんて自由だと思うし」
「あ、うん、そうだね、そう思うよ」
佐伯さんは考え込むように顔を伏せた。彼女に悪気はなかったんだなって分かった。
「まあ、それが誤解になっちゃったんだね。でも、原因が分かったんだ、話しあえば相馬さんにも分かってもらえるよ」
「本当?」
すがるように佐伯さんが顔を上げたので頷いた。彼女の顔はちょっと元気になったように見えた。
足元の影はまだ見えないけれど……。
放課後、手芸部に行こうとしている相馬さんに声をかけようとして、僕はまた足をひっかけ転んだ。
「本当にその登場、流行ってるの!?」
相馬さんがうっかり信じかけてたので訂正しておく。
「いや、転んだだけだよ。それよりちょっと良いかな?」
「なに? 告白? だったら2秒で振るよ。私好きな人がいるから」
「違うよ!」
叫びながら思った。好きな人? それってもしかして……?
「ああ、冗談だよ。手芸部入る気になったの?」
「あ、いや」
「なんだ、違うの? 貴方が入ったら、うちの部活の人達への誤解もとけるかと思ったのに」
「それなんだけど!」
つい大声をだしてしまった。相馬さんはちょっと驚いたように僕を見る。
「もしかして佐伯さんは手芸部の、渡辺さんの事を悪く言ったのかな? それで君は怒ったんじゃないの?」
「どうして貴方がその事知ってるの?」
相馬さんの表情が険しくなる。
「なんなの? 香澄に頼まれたの? 自分で謝りもせずに、他人に頼るなんて、本当に情けない子ね」
「それなんだけど、彼女、自分が相馬さんを傷付ける事を言ったって、気付いてなかっただけなんだよ! 悪気はなかったんだよ!」
「悪気がなくっても、失礼だったのは確かだよ、私はすごく腹が立ったの!」
「でもそれはお互い様だよ、彼女だって君の言葉に傷ついてるんだ」
影が消える程に。自分を消してしまう程に。
「うるさいわね、他人なのに口出ししないでよ」
そう言って歩き去ろうとする相馬さんを呼び止める。
「待ってよ、確かに僕は他人だよ。でも世の中他人しかいないんだ。他人が他人の心配をするのは当たり前なんだ」
「なに、その発言、意味が分からない」
相馬さんは冷たく僕を見る。
「香澄は先輩たちの事を悪く言ったの、何も知らないくせに!」
僕は拳を握りしめて叫ぶように言う。
「佐伯さんを許してあげてよ。何も知らないなら教えてあげてよ! 僕に伝わったように佐伯さんにも、彼らが良い人だって伝わるよ!」
相馬さんの動きが止まった。
「誤解があったなら解こうよ。ごめねって言われたら許そうよ。自分だって誰かに許されて生きてるんだよ。だから自分も人を許すんだよ」
相馬さんは僕の顔を見上げた。
「貴方、面白い人ね」
「え?」
一瞬呆けた僕に、佐伯さんは微かに笑う。
「私も確かに香澄に酷い事言ったの」
「あ……」
「でもそれは嫉妬も交じってたかもしれない」
「え?」
首を傾げる僕に、相馬さんは苦笑した。
「渡辺先輩が香澄を見て顔を赤くしてたから」
ああ、やっぱり相馬さんは渡辺さんの事が好きなんだ。
「私、香澄とちょっと話してくる」
「あ、じゃあ、今なら教室にいると思うよ」
僕が言うと、相馬さんは向きを変え、佐伯さんの教室の方に向かって歩き出した。
それから暫く、僕はずっと廊下で待っていた。彼女達の話が終わるのを。
どれ位待ったか、教室の扉が開き、中から二人が出てくるのが見えた。
二人はお互いの顔を見て笑いあっていた。そしてその足元を確認する。
佐伯さんの足元にちゃんと影が出来ていた。
それにほっとして、風紀委員室に向かった。
部屋についた僕は、佐伯さんと相馬さんが仲直りできた事を報告した。
「すごいね、アスカ一人で解決しちゃったんだね」
労うようにフミヤさんが紅茶を淹れて出してくれた。
「なんだよ、美女たちに会うなら、俺も誘ってくれたら良かったのにさ」
拗ねたように水橋さんが言った。研坂さんはいつものようにクールに紅茶を飲んでいる。
「えっと、勝手に動いてまずかったですか?」
研坂さんに問いかけると、彼は紅茶を一口飲んでカップを戻した。
「別に、問題が解決したのであれば、構わない。ただ」
「ただ?」
研坂さんは僕を真っ直ぐに見つめた。そして真剣な瞳で言った。
「君もそろそろ自分の問題を片づけた方が良いんじゃないか?」
フミヤさんと水橋さんが息を呑んだ。
「僕の問題?」
「君は影以外の物も見えなくなってるんだよ」
その言葉がズシっと僕の身体にのしかかる。
僕は影以外も見えていない?
それはどういう意味だ?
僕は何か見えていない?
それは抽象的な事なのか? それとも?
「あの、研坂さん、僕、話が見えないんですけど」
「ああ、そうだな、お前は何も見えてないんだもんな」
彼の口調が乱暴なものに変わる。何か、怒っている?
僕は研坂さんを怒らせている? そう思うと胸がどんどん重くなる。
「君は思いだすべきだよ」
「思いだす?」
僕は研坂さんに問いかけた後で、フミヤさんと水橋さんを見る。二人は何も言わない。
もしかしてこの二人も、研坂さんが言っている意味を知っているのか?
僕は一体何を思い出すべきだと言うんだ?
混乱している僕に研坂さんは冷たい声で言った。
「お前は自分の罪を知るべきだ」
「罪?」
呟いた瞬間、息が苦しくなった。水でも飲みこんだように。
水? それは川の?
僕が犯した罪、それは、それは人を、人を……。
「俺の目にはさ、お前の周りに水の映像が見えるんだよ」
「え?」
研坂さんの言葉に心臓が止まった気がした。
いや、僕の心臓はもうとっくの昔に止まっていたのかもしれない。
子供の頃、川に落ちて。そう、僕はもう死んでいるのかもしれない。
翌日。
まだ重たい気持ちの僕の携帯にメールが入った。
それは研坂さんからで、今日は必ず委員会に出席するようにとの事だった。
気が進まなかったが、研坂さんの命令を無視するのも恐ろしい。
昨日は結局、僕が研坂さんに追い詰められたまま、委員会はお開きになった。
ほぼ無言で帰宅する僕の横には、気遣うようにフミヤさんと水橋さんの姿があった。
二人も事情を何か知っているような感じだった。
もしかして、あの二人にも僕の周りに水が見えていたんだろうか?
考えるとどんどん不安になるので、僕は考えないようにしたかった。
学校に行くと、教室にはすでに百合彦と貴一君の姿があった。
「だから森茉莉というのは森鴎外の娘でやはり作家なんだよ。マリという字はマツリと書いてだね」
「祭って言えばさ、今年みんなで夏祭り行かない?」
「俺は桜桃忌に行く予定だけで、今年の夏の予定は他にないが」
「おとーちゃんが何だって?」
二人はまったく噛みあっていない会話をしていた。
「あ、アスカ、おはよう、今、貴一と話してたんだけど、夏祭一緒に行こうぜ」
「ああ、桜桃忌に一緒に行かないか?」
やはり完全に噛みあっていない。だけど僕はそんな二人を見て心がちょっと軽くなった。
うん、やっぱり友達は良い物だ。
「ん、何を笑っているんだ?」
貴一君に聞かれ、僕はあいまいに頷く。
「うん、ちょっとね。なんか二人を見ていたらドエスも怖くないって思った」
「ドエスというと、加賀美会長か?」
「ちょっと待って貴一君! 今サラリと思ってはいたが言ってはいけないだろうと思ってた事を言ったね!」
「え、だって、どう見ても女王様じゃないか」
そんな貴一君に百合彦が笑顔で言う。
「良いじゃん、ヒロミ様がドエスでも。だってあんな美人なんだよ。男子は引くけど、女子のドエスキャラは万々歳だよ」
「百合彦はそのうちセーラー服か、メイド服を着る羽目になると思うよ」
僕は呟いていた。
放課後。僕は風紀委員室に向かった。
昼間は百合彦達のお陰で暗い事を考えずにすんで助かった。
でも、いざ風紀委員室に向かうと思うと、足は重くなった。
僕は一体どうなっているのだろう。
何が見えていないのだろう。真実を知るのは怖かった。
そしてタイミングを見計らって声をかけようとして、勢い余って躓き、前転を一回してしまった。
顔を上げると引きつった相馬さんと目があった。
「や、やあ! 昨日はどうも!」
「というか大丈夫? 転んだの?」
「あ、うん、大丈夫、最近流行ってるんだよ、こういう登場」
なんとか誤魔化して世間話に持ちこむ。
「あれだよね、手芸部の人達、見た目は怖いけど、話してみるとすごく良い人ばかりだね」
僕の言葉に相馬さんは嬉しそうに笑った。
「でしょ、でしょ? 立川君が分かってくれて嬉しいよ。まったく分かってないバカが多いからね、嫌なんだよね」
「分かってないバカって……」
彼女の顔が曇る。
「その、いろいろいっぱいだよ。男子なのに手芸部はおかしいとか、見た目が怖いからってだけで避けたり」
「そういう友達がいたの?」
元気だった彼女が顔を伏せる。つまりそういう事なんだなって思った。
「私、トイレに行くから、じゃあ」
彼女はそう言うと立ち去ってしまった。それを見送りながら考えた。
最初は相馬さんが一方的に、佐伯さんに酷い事を言ったのかと思った。
だけどこの様子では、そうじゃないのかもしれない。相馬さんが怒るような事を、佐伯さんが言ったのかもしれない。
例えば、手芸部の人の悪口とか。
でもそういう場合はどっちが悪いんだ? どっちも悪いのか?
お互いをお互いが傷つける、そういう場合は……。
「お互い様だろう、そんなの」
呼び出して相談したら、研坂さんは切り捨てた。
「じゃあ俺、予習あるから戻る」
研坂さんはウルトラ冷たく、階段を下って自分の教室に帰って行った。
「お互い様か」
確かにそうだ。どっちが悪いというか、どちらもと言うか。
でもそのせいで佐伯さんは影が消える程に悩んでいるんだ。
そんな彼女をやっぱり放ってはおけない。だって僕は彼女に言ったじゃないか。大丈夫だと、仲直りができると。
彼女は相馬さんと仲直りがしたいんだ。だから仲直りさせてあげないと!
昼休み、僕は佐伯さんを一階ホールに呼び出していた。
なるべく早く解決してあげないと、そう思う心が僕を焦らせたのか、急いで階段を下っていたら、また足を引っ掛けてしまった。
「うお!?」
さっきは前転一回で笑いをとれたが、これは洒落にならない。落ちたらケガとか死ぬとか!?
そう思ったが僕の体は階段から落下する事はなく、ふわりと地に足がついた。
「あれ?」
僕は何かに支えられていたように思う。でもその姿が見えなかった。
もしやこれはまた目には見えないモノの仕業か? というかあのヘビがまた恩返ししてくれたのだろうか?
僕はあたりをきょろきょろとした後で、見えない誰かに一応お礼を言った。
「ありがとう」
答えがないのを確認してから、再び階段を下った。佐伯さんを待たせたら悪いから急ごう。
ホールで佐伯さんは僕を待ってくれていた。彼女の顔はいつものように暗い。
そんな彼女に、ちょっと気を遣いながら話しかける。
「佐伯さんが相馬さんに、その、酷い事言われた時だけど、もしかして佐伯さん、何か怒らせるような事言わなかった?」
「怒らせる事? そんな覚えはまるでないけど……」
「えっと手芸部の人の話とかしなかった?」
彼女は思いだしたようで顔を上げた。
「そう言えば、私、愛理ちゃんに誘われて手芸部に遊びに行ったの。でもなんかあそこの人達が怖くて、だからもう行きたくないって話して、でもまさかそれで愛理ちゃんが怒ったの? だって部活に入るか入らないかなんて自由だと思うし」
「あ、うん、そうだね、そう思うよ」
佐伯さんは考え込むように顔を伏せた。彼女に悪気はなかったんだなって分かった。
「まあ、それが誤解になっちゃったんだね。でも、原因が分かったんだ、話しあえば相馬さんにも分かってもらえるよ」
「本当?」
すがるように佐伯さんが顔を上げたので頷いた。彼女の顔はちょっと元気になったように見えた。
足元の影はまだ見えないけれど……。
放課後、手芸部に行こうとしている相馬さんに声をかけようとして、僕はまた足をひっかけ転んだ。
「本当にその登場、流行ってるの!?」
相馬さんがうっかり信じかけてたので訂正しておく。
「いや、転んだだけだよ。それよりちょっと良いかな?」
「なに? 告白? だったら2秒で振るよ。私好きな人がいるから」
「違うよ!」
叫びながら思った。好きな人? それってもしかして……?
「ああ、冗談だよ。手芸部入る気になったの?」
「あ、いや」
「なんだ、違うの? 貴方が入ったら、うちの部活の人達への誤解もとけるかと思ったのに」
「それなんだけど!」
つい大声をだしてしまった。相馬さんはちょっと驚いたように僕を見る。
「もしかして佐伯さんは手芸部の、渡辺さんの事を悪く言ったのかな? それで君は怒ったんじゃないの?」
「どうして貴方がその事知ってるの?」
相馬さんの表情が険しくなる。
「なんなの? 香澄に頼まれたの? 自分で謝りもせずに、他人に頼るなんて、本当に情けない子ね」
「それなんだけど、彼女、自分が相馬さんを傷付ける事を言ったって、気付いてなかっただけなんだよ! 悪気はなかったんだよ!」
「悪気がなくっても、失礼だったのは確かだよ、私はすごく腹が立ったの!」
「でもそれはお互い様だよ、彼女だって君の言葉に傷ついてるんだ」
影が消える程に。自分を消してしまう程に。
「うるさいわね、他人なのに口出ししないでよ」
そう言って歩き去ろうとする相馬さんを呼び止める。
「待ってよ、確かに僕は他人だよ。でも世の中他人しかいないんだ。他人が他人の心配をするのは当たり前なんだ」
「なに、その発言、意味が分からない」
相馬さんは冷たく僕を見る。
「香澄は先輩たちの事を悪く言ったの、何も知らないくせに!」
僕は拳を握りしめて叫ぶように言う。
「佐伯さんを許してあげてよ。何も知らないなら教えてあげてよ! 僕に伝わったように佐伯さんにも、彼らが良い人だって伝わるよ!」
相馬さんの動きが止まった。
「誤解があったなら解こうよ。ごめねって言われたら許そうよ。自分だって誰かに許されて生きてるんだよ。だから自分も人を許すんだよ」
相馬さんは僕の顔を見上げた。
「貴方、面白い人ね」
「え?」
一瞬呆けた僕に、佐伯さんは微かに笑う。
「私も確かに香澄に酷い事言ったの」
「あ……」
「でもそれは嫉妬も交じってたかもしれない」
「え?」
首を傾げる僕に、相馬さんは苦笑した。
「渡辺先輩が香澄を見て顔を赤くしてたから」
ああ、やっぱり相馬さんは渡辺さんの事が好きなんだ。
「私、香澄とちょっと話してくる」
「あ、じゃあ、今なら教室にいると思うよ」
僕が言うと、相馬さんは向きを変え、佐伯さんの教室の方に向かって歩き出した。
それから暫く、僕はずっと廊下で待っていた。彼女達の話が終わるのを。
どれ位待ったか、教室の扉が開き、中から二人が出てくるのが見えた。
二人はお互いの顔を見て笑いあっていた。そしてその足元を確認する。
佐伯さんの足元にちゃんと影が出来ていた。
それにほっとして、風紀委員室に向かった。
部屋についた僕は、佐伯さんと相馬さんが仲直りできた事を報告した。
「すごいね、アスカ一人で解決しちゃったんだね」
労うようにフミヤさんが紅茶を淹れて出してくれた。
「なんだよ、美女たちに会うなら、俺も誘ってくれたら良かったのにさ」
拗ねたように水橋さんが言った。研坂さんはいつものようにクールに紅茶を飲んでいる。
「えっと、勝手に動いてまずかったですか?」
研坂さんに問いかけると、彼は紅茶を一口飲んでカップを戻した。
「別に、問題が解決したのであれば、構わない。ただ」
「ただ?」
研坂さんは僕を真っ直ぐに見つめた。そして真剣な瞳で言った。
「君もそろそろ自分の問題を片づけた方が良いんじゃないか?」
フミヤさんと水橋さんが息を呑んだ。
「僕の問題?」
「君は影以外の物も見えなくなってるんだよ」
その言葉がズシっと僕の身体にのしかかる。
僕は影以外も見えていない?
それはどういう意味だ?
僕は何か見えていない?
それは抽象的な事なのか? それとも?
「あの、研坂さん、僕、話が見えないんですけど」
「ああ、そうだな、お前は何も見えてないんだもんな」
彼の口調が乱暴なものに変わる。何か、怒っている?
僕は研坂さんを怒らせている? そう思うと胸がどんどん重くなる。
「君は思いだすべきだよ」
「思いだす?」
僕は研坂さんに問いかけた後で、フミヤさんと水橋さんを見る。二人は何も言わない。
もしかしてこの二人も、研坂さんが言っている意味を知っているのか?
僕は一体何を思い出すべきだと言うんだ?
混乱している僕に研坂さんは冷たい声で言った。
「お前は自分の罪を知るべきだ」
「罪?」
呟いた瞬間、息が苦しくなった。水でも飲みこんだように。
水? それは川の?
僕が犯した罪、それは、それは人を、人を……。
「俺の目にはさ、お前の周りに水の映像が見えるんだよ」
「え?」
研坂さんの言葉に心臓が止まった気がした。
いや、僕の心臓はもうとっくの昔に止まっていたのかもしれない。
子供の頃、川に落ちて。そう、僕はもう死んでいるのかもしれない。
翌日。
まだ重たい気持ちの僕の携帯にメールが入った。
それは研坂さんからで、今日は必ず委員会に出席するようにとの事だった。
気が進まなかったが、研坂さんの命令を無視するのも恐ろしい。
昨日は結局、僕が研坂さんに追い詰められたまま、委員会はお開きになった。
ほぼ無言で帰宅する僕の横には、気遣うようにフミヤさんと水橋さんの姿があった。
二人も事情を何か知っているような感じだった。
もしかして、あの二人にも僕の周りに水が見えていたんだろうか?
考えるとどんどん不安になるので、僕は考えないようにしたかった。
学校に行くと、教室にはすでに百合彦と貴一君の姿があった。
「だから森茉莉というのは森鴎外の娘でやはり作家なんだよ。マリという字はマツリと書いてだね」
「祭って言えばさ、今年みんなで夏祭り行かない?」
「俺は桜桃忌に行く予定だけで、今年の夏の予定は他にないが」
「おとーちゃんが何だって?」
二人はまったく噛みあっていない会話をしていた。
「あ、アスカ、おはよう、今、貴一と話してたんだけど、夏祭一緒に行こうぜ」
「ああ、桜桃忌に一緒に行かないか?」
やはり完全に噛みあっていない。だけど僕はそんな二人を見て心がちょっと軽くなった。
うん、やっぱり友達は良い物だ。
「ん、何を笑っているんだ?」
貴一君に聞かれ、僕はあいまいに頷く。
「うん、ちょっとね。なんか二人を見ていたらドエスも怖くないって思った」
「ドエスというと、加賀美会長か?」
「ちょっと待って貴一君! 今サラリと思ってはいたが言ってはいけないだろうと思ってた事を言ったね!」
「え、だって、どう見ても女王様じゃないか」
そんな貴一君に百合彦が笑顔で言う。
「良いじゃん、ヒロミ様がドエスでも。だってあんな美人なんだよ。男子は引くけど、女子のドエスキャラは万々歳だよ」
「百合彦はそのうちセーラー服か、メイド服を着る羽目になると思うよ」
僕は呟いていた。
放課後。僕は風紀委員室に向かった。
昼間は百合彦達のお陰で暗い事を考えずにすんで助かった。
でも、いざ風紀委員室に向かうと思うと、足は重くなった。
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