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さらなる深みへと ※ 潤×一博 ※
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目隠しをはずされたのは、マンションの一室だった。
二百平方メートルはある高級マンションで、贅を尽くした家具はすべて西洋アンティックで統一され、中国色はなかった。
室内は潤とミスター・Kだけ。他に人影は無かった。
一博は勧められるままに酒をあおった。
神経を麻痺させたかった。
「月笙、これから我々は一蓮托生だからね。一博くんを抱いてあげなさい」
父であった男は静かに強要した。
潤の指がピクリと動く。
すっかり酔いが回った一博は、ソファに身を沈めていた。
「こうして一博くんが誘っているじゃないか」
ミスター・Kは、一博のだらりと弛緩した足の間に目をやりながら含み笑いをした。。
潤は、顔色ひとつ変えず、静かに近づいてくる。
潤が優しく一博の上着を脱がせ始めた。
ネクタイがはずされ、シャツのボタンがひとつひとつゆっくりとはずされていく。
これってあの夢のとおりだ。
潤の深い瞳を見ながら、意識の外で思った。
だが状況はまるで違っている。
オレは甘かった。潤に惹かれて目が曇っていた。
いや、違う。
一博は思い直した。
しょっぱなに断られたから、いつか落としたいと意地になっていただけかもしれない。
それでも、潤が自分の衣服を脱がせているというだけで、体の中心が反応をし始めていた。
シャツは、前がはだけられたが脱がされなかった。
黒い絹のシャツの隙間から肌があらわになる。
潤は一博の左肩を、大切な壊れ物のラッピングをはずすように露出させた。
うなじに唇を這わせ、なで肩なラインにそって下降させていく。
一博はそれだけであごをそらせ、息を上がらせた。
早くもっと触って。舐め回して。強く! 痛いくらいに。
心の中でつぶやきながら、琢己の嗜好に馴らされて、被虐に喜びを感じるようになっている自分にぶち当たった。
どのみちオレには優しい愛なんて似合わない。
自嘲気味につぶやきながら、潤の頭を抱きしめ、つやつやした漆黒の髪を指で梳いた。
夢うつつの中で潤に抱かれた。
どんな声を出し、どんな反応をしたか、まるで記憶はなかった。
潤と体をつなげたという満足感だけが一博の中に残った。
強く激しくはあったが、優しかった。
だが、かえって……。
潤は義務で抱いたのかという疑念が募った。
途中からは記憶が飛んでしまった。
潤に愛されたあと、義父が自分を抱いたのか。
そんなことは、一博にとってもう霞の彼方の出来事だった。
チャンスはすぐやってきた。
……というより、作られた。
スナックアケミで、不良外国人の一団が暴れているとの通報に、潤は多数の舎弟を引き連れて対応に出た。
「私に任せてください。おやじさんはうちでゆっくり報告を待っていてくださればいいですから」
潤の言葉を琢己は疑わなかった。
だが、はかりごとは失敗に終わった。
武闘派として鳴らした“鬼釈”の実力は、予想以上に健在だった。
凶暴な連中を選りすぐって組織した中国人強盗団だったが、琢己に多少の手傷をおわせたものの、殺害には到らなかった。
強盗団のうち、死亡した者は放置され、負傷して足手まといとなった者も仲間によって殺害され、彼らは証拠を残さず逃走した。
釈光寺組側も、留守居のため詰めていた警備の舎弟六人全員が惨殺される結果となった。そして、強盗が侵入したときたまたま居合わせた典子も犠牲となった。釈光寺典子の殺害も予定内だった。
この報告の電話を、アジトで聞いたミスター・Kは激怒した。
「仕方ありません。私にお任せください。こうなれば……すぐにとはいきませんが私が……」
潤の言葉にミスター・Kは黙ってうなずいた。
ここに来て以来一博は、ミスター・Kの人形だった。
ミスター・Kは、一博の食事にクスリを混入するよう指示を出していた。
まだ試験中の麻薬である。
その使用には、単に楽しむためと、そのクスリの効果を試し、確かめるための二重の意図があった。
脱法ドラッグ――俗に“デザイナーズドラッグ”、“エクスタシー”と呼ばれる合成麻薬MDMAの一種だったが、いままでのMDMAのように、オランダやベルギーあたりから入ってくるものではなく、効き目は、今までのドラッグを上回り、しかも体に悪影響はないとの触れ込みだった。
本当にそうならば、従来の製品の改良型というより、画期的新製品といえる。
一旦味を覚えると、病み付きになるが、一定量で効果が得られ、使用とともに量が増えていくことはない。
体を全く蝕まない麻薬。安心して常用できる麻薬。
実証されれば、爆発的に広まるはずである。
ミスター・Kの組織が大量に生産し、一手に販売すれば、莫大な利益が見込める。世界の麻薬地図は塗り替えられることになる。
「一博、私はついにオマエを手に入れた。これからは私の奴隷になって、私を楽しませ、そして、私のために働いておくれ」
ミスター・Kは、一博の体をバスローブ一枚の上から撫でまわす。
「房枝は、今まで出会ったうちで一番いい女だったが……もう若くない。それに、美しさはオマエに遠く及ばない。私は男でも女でも美しいものが好きだ」
一博は、瞳を閉じたまま、うっとりした表情で身じろぎした。
「 “潤”に抱かれている夢でもみているのか」
ミスター・Kは一博の股間に腕を差し入れた。
「ん、ん」
甘い吐息を漏らし、一博は反射的に足を大きく開いて受け入れる体勢になる。
「一博、オマエは貪欲だな。もっと欲しいのか?」
ミスター・Kの問いかけに一博は、Kの首に腕をまわし、愛撫をねだった。
一週間後、ミスター・Kに吉報がもたらされた。
「仕留めました」
月笙からの一報が入ったとき、一博は、ミスター・Kの腕の中で眠っていた。
一博は潤とともに、主を失った釈光寺家の屋敷に戻った。それは、ドラッグからの一時的な解放も意味した。
一博失踪の理由付けも、琢己の死後の組内の混乱も、潤が巧に立ち回った結果、組内は平静を取り戻した。
それから二ヵ月後の二〇〇一年三月十六日。
一博にとって、夢にまでみたはずの、釈光寺組二代目組長の襲名披露が行われた。
「では霊代と二代目は席をお変わりください。席が替われば当代です」
媒酌人井出平強兵の高らかに響き渡る声で、代目襲名式はクライマックスを迎えた。
故釈光寺琢己の代理である霊代役の釈光会岸本組組長林敏文と、倉前一博は粛然と席を入れ替わる。
一博の背後に、巻き上げられていた『書き上げ』がハラリと落ち、『二代目釈光寺一博』と記された墨書が現れる。咳払いさえはばかられる、粛然としていた雰囲気が一転し、居並ぶ列席者の拍手が場内をゆるがした。
二十七歳の一博は、この瞬間、釈光寺組組長となり、同時に、傘下の組を束ねる釈光会会長の座におさまった。まわりの親分衆もこの若き会長に期待し、祝福を惜しまなかった。
待ちに待った晴れやかな門出のはずである。だが、一博の心のうちは複雑だった。
会場の末席で若頭補佐の日向潤が、こちらに向かって優しく微笑んでいる。一博は、力の無い笑みをかえした。
二人の距離は縮まらなかった。
潤は、まるで変わらない。
二人でいるときでさえ、決して『オマエはオレのものだ』という態度の片鱗すらも見せなかった。
いつも冷静で感情を表さず、一博に献身的に仕え続け、言葉遣いのバカ丁寧さも決して崩さない。
組員のなかには、二人の仲を薄々感じ取っている者もいた。
一博にとって幸いだったのは、かいがいしく女房然とした潤に一博が抱かれていようとは、誰も想像がつかないことだった。
なぜだ。
一博には、潤が事務的にノルマをこなしているだけのように感じられた。
みてろよ、潤。そのうちオマエをオレのものにしてやる。オレに夢中にさせてやる。
一博は闘志を燃やし、潤を篭絡させるべく、今までに培ったあらゆる手練手管を試みた。
だが、結局のところ徒労に終わった。
どうしてこのオレの魅力にまいらないんだ。今までに落ちなかったやつはいないのに。
ますます悔しさが募った。憎しみさえ抱きながらも、自分から求めてしまう悔しさ。
潤は必ず応じてくれるものの、一博はさらなる虚しさを抱いて夜明けを迎えるばかりだった。
なんとしてでも潤をオレのものにする。
プライドゆえ、一博にとっての至上命題になった。
さらなる頂点を目指すという目標に、意欲を無くしてしまった今、恋愛ゲームに現を抜かす毎日になった。
釈光寺組組長、そして釈光会会長としての仕事にも身が入らず、潤のスケジュール管理の上で踊らされる、文字通り『人形』だった。
それでも万事順調だった。
釈光寺組は関東において着々と勢力を拡大していった。
その裏には潤のずば抜けた知略があり、背後に神龍という組織の力があった。
上がりの一部を、潤が帳簿を改ざんして神龍に流す一方で、神龍を通して供給される武器や覚せい剤によって、組も大いに潤うという図式だった。
両者は、情報を交換しあいながら、多大な利益を貪り、勢力を拡大させていった。
巨大組織のボスであるミスター・Kは多忙だった。
そのため、呼び出される機会は、せいぜい月に一度ほどでしかない。
一博にとってそれは幸いでもあり、待ち遠しい期間でもあった。
心では拒否しつつも、体は甘美な日々を記憶している。あのドラッグの魔力は絶大だった。
一博は、精神と快楽は全く別物と考えて、割り切って楽しむことにしていた。
それはどうあがけば良いのかすら分からない泥沼だった。
二〇〇一年六月四日、一博のもとに朗報がもたらされた。
英二の意識がついに回復したのだ。
一博は鼻が高かった。
自由診療を行っている私立病院に転院させた、その効果が出た。一博はそう信じて疑わなかった。
「いくら金がかかったっていい。なんだって試してくれ」
一博は院長の目の前に札束を積み上げてみせた。
保険でまかなえぬ未承認の高価な輸入薬から、非科学的でさえある療法まで。ありとあらゆる方法が試みられた。
それが功を奏したのか、覚醒する時期にあったのか。
英二は意識を取り戻した。幸いなことに脳へのダメージも全く無かった。
身動きが取れぬ状態であるだけに、一博はこの朗報がなおさら嬉しかった。
しかし一博は安易に考え過ぎていた。
「組長、うちでゆっくり静養していただいたらどうです? 英二さんは肉親であるだけでなく、組長の命の恩人ですし」
潤の言葉は、そのままミスター・Kの言葉でもあったから、一博は抗えなかった。
ウザい善人がヤクザの屋敷に居候か。
家に戻せば事足りるのにと不満に思いながらも、兄弟は、一つ屋根の下で暮らすことになった。
一博は多忙にかこつけて、英二と顔を合わさないようにした。
それでも英二は、機会を見つけて親しげに話しかけてくる。
表面上は変わらないが、無邪気に語りかける裏の気持ちを知った今、英二は、煩わしい存在でしかなかった。
二〇〇一年六月も半ばのある晩、一博は湯上りに浴衣を着て離れで一人くつろいでいた。
かつての琢己がそうだったように、この離れ座敷で孤独を楽しむことが習慣になっている。
潤と密かに愛し合う場でもあったが。
初夏とはいえ、夕暮れともなれば、涼しい風が吹き渡ってくる。
「蚊が出るといけませんから」と、舎弟の田丸章次が置いていった蚊取り線香の微かな匂いが、夏の訪れを主張していた。
縁側に腰をかけ、子供のように足をぶらぶらさせながらビールを飲んでいると、こちらに向かってくる人影があった。
「潤か?」
思わず甘い声をあげかけて、その歩き方が似ても似つかぬものであると気付いた。
潤はいつも猫のように音も無くやってくる。
身のこなしが豹のようにしなやかで、しかも落ち着きが感じられた。
人影は大股に歩み寄って来る。スポーツマン的なシャキシャキとした動きで、むしろ粗野さを感じさせた。
英二だった。
一博の脇に腰をおろした英二は、グラスを受け取って、ビールに少し口をつけた。
「オレ、これからは自分のために生きることにしたんだ」
英二は明るい笑みを浮かべて宣言した。
奉仕精神の塊りのような英二には、およそ似つかわしくない言葉だった。
一博の中の琴線がピクリと震え、胸に鋭い痛みが走った。
とはいえ、英二に全く変わった様子は感じられなかった。無邪気な笑顔で、子供の頃の思い出話を饒舌に語りかけてくる。
「木田川までウナギ捕りに連れて行ってもらったことあっただろ? 僕が溺れそうになって、助けてくれたときの兄ちゃんって、すっごくカッコよくってさ……」
英二の記憶の中の一博は、全て美化され、兄らしい兄だった。だが、一博の記憶は最初のところから違っていた。
一人で遠くの川まで遊びに行こうとすると、英二が勝手について来た。
ウナギをヤスで突くことに夢中になっていると、英二が深みにはまって溺れ、仕方なく助けてやった。
慌ててウナギのいた石の所に戻ったものの、ウナギはいなくなっていて『どうしてくれるんだ』と、英二に二、三発くらわして大泣きさせた……はずだった。
同じ思い出でも、英二を邪険に扱い、苛めた記憶でしかなかったので、一博は懐かしいどころか、面映ゆく感じた。
そろそろここを出て行くだろーし。今夜くらいは、このつまらない話に付き合ってやるか。
たわいのない思い出話をするうちに、脇に置かれていた籐籠の中の大ビン四本は、たちまちカラになった。
「飲み足りないな」
廊下の隅にある小型冷蔵庫に、ふらふらと向かった。
しゃがんで冷蔵庫の中の缶チューハイを取り出し、適当なつまみはないかごそごそ庫内をあさった。
そのときだった。
背後から薬品のしみたハンカチを口に押し当てられた。
しまった。英二にこんなことができるなんて……。
格と正反対に小心者な英二を軽く見ていた。自分に言い寄る勇気すらないとたかをくくっていた。
「兄ちゃん。一度だけ。一度だけでいいんだ」
英二が耳元でささやいた。
「んん」
へなへなと力が抜けた身体は、そのまま英二のたくましい腕の中にすっぽりと収まった。
「兄ちゃん。今までのオレは死んだんだ。好きなように生きてやる」
英二は、一博の体を軽々と抱き上げた。
「オレは今までずっとおふくろの期待に応えようといい子をやってきた。けどもういいんだ」
一博は薄れてゆく意識のなかで英二の心の叫びを聞いた。
「オレは、あのご立派な奉仕精神のおふくろの息子だ。けど……あのオヤジの血も引いてるんだ」
英二は知っていた。倉前正雄という父の正体を……。
二百平方メートルはある高級マンションで、贅を尽くした家具はすべて西洋アンティックで統一され、中国色はなかった。
室内は潤とミスター・Kだけ。他に人影は無かった。
一博は勧められるままに酒をあおった。
神経を麻痺させたかった。
「月笙、これから我々は一蓮托生だからね。一博くんを抱いてあげなさい」
父であった男は静かに強要した。
潤の指がピクリと動く。
すっかり酔いが回った一博は、ソファに身を沈めていた。
「こうして一博くんが誘っているじゃないか」
ミスター・Kは、一博のだらりと弛緩した足の間に目をやりながら含み笑いをした。。
潤は、顔色ひとつ変えず、静かに近づいてくる。
潤が優しく一博の上着を脱がせ始めた。
ネクタイがはずされ、シャツのボタンがひとつひとつゆっくりとはずされていく。
これってあの夢のとおりだ。
潤の深い瞳を見ながら、意識の外で思った。
だが状況はまるで違っている。
オレは甘かった。潤に惹かれて目が曇っていた。
いや、違う。
一博は思い直した。
しょっぱなに断られたから、いつか落としたいと意地になっていただけかもしれない。
それでも、潤が自分の衣服を脱がせているというだけで、体の中心が反応をし始めていた。
シャツは、前がはだけられたが脱がされなかった。
黒い絹のシャツの隙間から肌があらわになる。
潤は一博の左肩を、大切な壊れ物のラッピングをはずすように露出させた。
うなじに唇を這わせ、なで肩なラインにそって下降させていく。
一博はそれだけであごをそらせ、息を上がらせた。
早くもっと触って。舐め回して。強く! 痛いくらいに。
心の中でつぶやきながら、琢己の嗜好に馴らされて、被虐に喜びを感じるようになっている自分にぶち当たった。
どのみちオレには優しい愛なんて似合わない。
自嘲気味につぶやきながら、潤の頭を抱きしめ、つやつやした漆黒の髪を指で梳いた。
夢うつつの中で潤に抱かれた。
どんな声を出し、どんな反応をしたか、まるで記憶はなかった。
潤と体をつなげたという満足感だけが一博の中に残った。
強く激しくはあったが、優しかった。
だが、かえって……。
潤は義務で抱いたのかという疑念が募った。
途中からは記憶が飛んでしまった。
潤に愛されたあと、義父が自分を抱いたのか。
そんなことは、一博にとってもう霞の彼方の出来事だった。
チャンスはすぐやってきた。
……というより、作られた。
スナックアケミで、不良外国人の一団が暴れているとの通報に、潤は多数の舎弟を引き連れて対応に出た。
「私に任せてください。おやじさんはうちでゆっくり報告を待っていてくださればいいですから」
潤の言葉を琢己は疑わなかった。
だが、はかりごとは失敗に終わった。
武闘派として鳴らした“鬼釈”の実力は、予想以上に健在だった。
凶暴な連中を選りすぐって組織した中国人強盗団だったが、琢己に多少の手傷をおわせたものの、殺害には到らなかった。
強盗団のうち、死亡した者は放置され、負傷して足手まといとなった者も仲間によって殺害され、彼らは証拠を残さず逃走した。
釈光寺組側も、留守居のため詰めていた警備の舎弟六人全員が惨殺される結果となった。そして、強盗が侵入したときたまたま居合わせた典子も犠牲となった。釈光寺典子の殺害も予定内だった。
この報告の電話を、アジトで聞いたミスター・Kは激怒した。
「仕方ありません。私にお任せください。こうなれば……すぐにとはいきませんが私が……」
潤の言葉にミスター・Kは黙ってうなずいた。
ここに来て以来一博は、ミスター・Kの人形だった。
ミスター・Kは、一博の食事にクスリを混入するよう指示を出していた。
まだ試験中の麻薬である。
その使用には、単に楽しむためと、そのクスリの効果を試し、確かめるための二重の意図があった。
脱法ドラッグ――俗に“デザイナーズドラッグ”、“エクスタシー”と呼ばれる合成麻薬MDMAの一種だったが、いままでのMDMAのように、オランダやベルギーあたりから入ってくるものではなく、効き目は、今までのドラッグを上回り、しかも体に悪影響はないとの触れ込みだった。
本当にそうならば、従来の製品の改良型というより、画期的新製品といえる。
一旦味を覚えると、病み付きになるが、一定量で効果が得られ、使用とともに量が増えていくことはない。
体を全く蝕まない麻薬。安心して常用できる麻薬。
実証されれば、爆発的に広まるはずである。
ミスター・Kの組織が大量に生産し、一手に販売すれば、莫大な利益が見込める。世界の麻薬地図は塗り替えられることになる。
「一博、私はついにオマエを手に入れた。これからは私の奴隷になって、私を楽しませ、そして、私のために働いておくれ」
ミスター・Kは、一博の体をバスローブ一枚の上から撫でまわす。
「房枝は、今まで出会ったうちで一番いい女だったが……もう若くない。それに、美しさはオマエに遠く及ばない。私は男でも女でも美しいものが好きだ」
一博は、瞳を閉じたまま、うっとりした表情で身じろぎした。
「 “潤”に抱かれている夢でもみているのか」
ミスター・Kは一博の股間に腕を差し入れた。
「ん、ん」
甘い吐息を漏らし、一博は反射的に足を大きく開いて受け入れる体勢になる。
「一博、オマエは貪欲だな。もっと欲しいのか?」
ミスター・Kの問いかけに一博は、Kの首に腕をまわし、愛撫をねだった。
一週間後、ミスター・Kに吉報がもたらされた。
「仕留めました」
月笙からの一報が入ったとき、一博は、ミスター・Kの腕の中で眠っていた。
一博は潤とともに、主を失った釈光寺家の屋敷に戻った。それは、ドラッグからの一時的な解放も意味した。
一博失踪の理由付けも、琢己の死後の組内の混乱も、潤が巧に立ち回った結果、組内は平静を取り戻した。
それから二ヵ月後の二〇〇一年三月十六日。
一博にとって、夢にまでみたはずの、釈光寺組二代目組長の襲名披露が行われた。
「では霊代と二代目は席をお変わりください。席が替われば当代です」
媒酌人井出平強兵の高らかに響き渡る声で、代目襲名式はクライマックスを迎えた。
故釈光寺琢己の代理である霊代役の釈光会岸本組組長林敏文と、倉前一博は粛然と席を入れ替わる。
一博の背後に、巻き上げられていた『書き上げ』がハラリと落ち、『二代目釈光寺一博』と記された墨書が現れる。咳払いさえはばかられる、粛然としていた雰囲気が一転し、居並ぶ列席者の拍手が場内をゆるがした。
二十七歳の一博は、この瞬間、釈光寺組組長となり、同時に、傘下の組を束ねる釈光会会長の座におさまった。まわりの親分衆もこの若き会長に期待し、祝福を惜しまなかった。
待ちに待った晴れやかな門出のはずである。だが、一博の心のうちは複雑だった。
会場の末席で若頭補佐の日向潤が、こちらに向かって優しく微笑んでいる。一博は、力の無い笑みをかえした。
二人の距離は縮まらなかった。
潤は、まるで変わらない。
二人でいるときでさえ、決して『オマエはオレのものだ』という態度の片鱗すらも見せなかった。
いつも冷静で感情を表さず、一博に献身的に仕え続け、言葉遣いのバカ丁寧さも決して崩さない。
組員のなかには、二人の仲を薄々感じ取っている者もいた。
一博にとって幸いだったのは、かいがいしく女房然とした潤に一博が抱かれていようとは、誰も想像がつかないことだった。
なぜだ。
一博には、潤が事務的にノルマをこなしているだけのように感じられた。
みてろよ、潤。そのうちオマエをオレのものにしてやる。オレに夢中にさせてやる。
一博は闘志を燃やし、潤を篭絡させるべく、今までに培ったあらゆる手練手管を試みた。
だが、結局のところ徒労に終わった。
どうしてこのオレの魅力にまいらないんだ。今までに落ちなかったやつはいないのに。
ますます悔しさが募った。憎しみさえ抱きながらも、自分から求めてしまう悔しさ。
潤は必ず応じてくれるものの、一博はさらなる虚しさを抱いて夜明けを迎えるばかりだった。
なんとしてでも潤をオレのものにする。
プライドゆえ、一博にとっての至上命題になった。
さらなる頂点を目指すという目標に、意欲を無くしてしまった今、恋愛ゲームに現を抜かす毎日になった。
釈光寺組組長、そして釈光会会長としての仕事にも身が入らず、潤のスケジュール管理の上で踊らされる、文字通り『人形』だった。
それでも万事順調だった。
釈光寺組は関東において着々と勢力を拡大していった。
その裏には潤のずば抜けた知略があり、背後に神龍という組織の力があった。
上がりの一部を、潤が帳簿を改ざんして神龍に流す一方で、神龍を通して供給される武器や覚せい剤によって、組も大いに潤うという図式だった。
両者は、情報を交換しあいながら、多大な利益を貪り、勢力を拡大させていった。
巨大組織のボスであるミスター・Kは多忙だった。
そのため、呼び出される機会は、せいぜい月に一度ほどでしかない。
一博にとってそれは幸いでもあり、待ち遠しい期間でもあった。
心では拒否しつつも、体は甘美な日々を記憶している。あのドラッグの魔力は絶大だった。
一博は、精神と快楽は全く別物と考えて、割り切って楽しむことにしていた。
それはどうあがけば良いのかすら分からない泥沼だった。
二〇〇一年六月四日、一博のもとに朗報がもたらされた。
英二の意識がついに回復したのだ。
一博は鼻が高かった。
自由診療を行っている私立病院に転院させた、その効果が出た。一博はそう信じて疑わなかった。
「いくら金がかかったっていい。なんだって試してくれ」
一博は院長の目の前に札束を積み上げてみせた。
保険でまかなえぬ未承認の高価な輸入薬から、非科学的でさえある療法まで。ありとあらゆる方法が試みられた。
それが功を奏したのか、覚醒する時期にあったのか。
英二は意識を取り戻した。幸いなことに脳へのダメージも全く無かった。
身動きが取れぬ状態であるだけに、一博はこの朗報がなおさら嬉しかった。
しかし一博は安易に考え過ぎていた。
「組長、うちでゆっくり静養していただいたらどうです? 英二さんは肉親であるだけでなく、組長の命の恩人ですし」
潤の言葉は、そのままミスター・Kの言葉でもあったから、一博は抗えなかった。
ウザい善人がヤクザの屋敷に居候か。
家に戻せば事足りるのにと不満に思いながらも、兄弟は、一つ屋根の下で暮らすことになった。
一博は多忙にかこつけて、英二と顔を合わさないようにした。
それでも英二は、機会を見つけて親しげに話しかけてくる。
表面上は変わらないが、無邪気に語りかける裏の気持ちを知った今、英二は、煩わしい存在でしかなかった。
二〇〇一年六月も半ばのある晩、一博は湯上りに浴衣を着て離れで一人くつろいでいた。
かつての琢己がそうだったように、この離れ座敷で孤独を楽しむことが習慣になっている。
潤と密かに愛し合う場でもあったが。
初夏とはいえ、夕暮れともなれば、涼しい風が吹き渡ってくる。
「蚊が出るといけませんから」と、舎弟の田丸章次が置いていった蚊取り線香の微かな匂いが、夏の訪れを主張していた。
縁側に腰をかけ、子供のように足をぶらぶらさせながらビールを飲んでいると、こちらに向かってくる人影があった。
「潤か?」
思わず甘い声をあげかけて、その歩き方が似ても似つかぬものであると気付いた。
潤はいつも猫のように音も無くやってくる。
身のこなしが豹のようにしなやかで、しかも落ち着きが感じられた。
人影は大股に歩み寄って来る。スポーツマン的なシャキシャキとした動きで、むしろ粗野さを感じさせた。
英二だった。
一博の脇に腰をおろした英二は、グラスを受け取って、ビールに少し口をつけた。
「オレ、これからは自分のために生きることにしたんだ」
英二は明るい笑みを浮かべて宣言した。
奉仕精神の塊りのような英二には、およそ似つかわしくない言葉だった。
一博の中の琴線がピクリと震え、胸に鋭い痛みが走った。
とはいえ、英二に全く変わった様子は感じられなかった。無邪気な笑顔で、子供の頃の思い出話を饒舌に語りかけてくる。
「木田川までウナギ捕りに連れて行ってもらったことあっただろ? 僕が溺れそうになって、助けてくれたときの兄ちゃんって、すっごくカッコよくってさ……」
英二の記憶の中の一博は、全て美化され、兄らしい兄だった。だが、一博の記憶は最初のところから違っていた。
一人で遠くの川まで遊びに行こうとすると、英二が勝手について来た。
ウナギをヤスで突くことに夢中になっていると、英二が深みにはまって溺れ、仕方なく助けてやった。
慌ててウナギのいた石の所に戻ったものの、ウナギはいなくなっていて『どうしてくれるんだ』と、英二に二、三発くらわして大泣きさせた……はずだった。
同じ思い出でも、英二を邪険に扱い、苛めた記憶でしかなかったので、一博は懐かしいどころか、面映ゆく感じた。
そろそろここを出て行くだろーし。今夜くらいは、このつまらない話に付き合ってやるか。
たわいのない思い出話をするうちに、脇に置かれていた籐籠の中の大ビン四本は、たちまちカラになった。
「飲み足りないな」
廊下の隅にある小型冷蔵庫に、ふらふらと向かった。
しゃがんで冷蔵庫の中の缶チューハイを取り出し、適当なつまみはないかごそごそ庫内をあさった。
そのときだった。
背後から薬品のしみたハンカチを口に押し当てられた。
しまった。英二にこんなことができるなんて……。
格と正反対に小心者な英二を軽く見ていた。自分に言い寄る勇気すらないとたかをくくっていた。
「兄ちゃん。一度だけ。一度だけでいいんだ」
英二が耳元でささやいた。
「んん」
へなへなと力が抜けた身体は、そのまま英二のたくましい腕の中にすっぽりと収まった。
「兄ちゃん。今までのオレは死んだんだ。好きなように生きてやる」
英二は、一博の体を軽々と抱き上げた。
「オレは今までずっとおふくろの期待に応えようといい子をやってきた。けどもういいんだ」
一博は薄れてゆく意識のなかで英二の心の叫びを聞いた。
「オレは、あのご立派な奉仕精神のおふくろの息子だ。けど……あのオヤジの血も引いてるんだ」
英二は知っていた。倉前正雄という父の正体を……。
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※オメガバース作品です!苦手な方ご注意下さい⚠️
初執筆なので、誤字脱字が多々だったり、色々話がおかしかったりと変かもしれません(><)温かい目で見守ってください◀
【※R-18】αXΩ 懐妊特別対策室
aika
BL
αXΩ 懐妊特別対策室
【※閲覧注意 マニアックな性的描写など多数出てくる予定です。男性しか存在しない世界。BL、複数プレイ、乱交、陵辱、治療行為など】独自設定多めです。
宇宙空間で起きた謎の大爆発の影響で、人類は滅亡の危機を迎えていた。
高度な文明を保持することに成功したコミュニティ「エピゾシティ」では、人類存続をかけて懐妊のための治療行為が日夜行われている。
大爆発の影響か人々は子孫を残すのが難しくなっていた。
人類滅亡の危機が訪れるまではひっそりと身を隠すように暮らしてきた特殊能力を持つラムダとミュー。
ラムダとは、アルファの生殖能力を高める能力を持ち、ミューはオメガの生殖能力を高める能力を持っている。
エピゾジティを運営する特別機関より、人類存続をかけて懐妊のための特別対策室が設置されることになった。
番であるαとΩを対象に、懐妊のための治療が開始される。
首輪 〜性奴隷 律の調教〜
M
BL
※エロ、グロ、スカトロ、ショタ、モロ語、暴力的なセックス、たまに嘔吐など、かなりフェティッシュな内容です。
R18です。
ほとんどの話に男性同士の過激な性表現・暴力表現が含まれますのでご注意下さい。
孤児だった律は飯塚という資産家に拾われた。
幼い子供にしか興味を示さない飯塚は、律が美しい青年に成長するにつれて愛情を失い、性奴隷として調教し客に奉仕させて金儲けの道具として使い続ける。
それでも飯塚への一途な想いを捨てられずにいた律だったが、とうとう新しい飼い主に売り渡す日を告げられてしまう。
新しい飼い主として律の前に現れたのは、桐山という男だった。
変態の館
いちみやりょう
BL
短いエロ小説置き場。
大体一話完結、もしくは前後編でエロを書きたい衝動に駆られた時に書いたものを置く場所です。
ストーリー性ほぼなし。ただのエロ。
以下私の書きがちなもの
浣腸/温泉浣腸/食ザー/イマラチオ/ショタ/オナホ扱い/精子ボテ/腹ボコ/産卵/肉便器/輪姦/結腸責め/獣姦/四肢欠損
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