10 / 24
10 潤の正体 さらに泥沼へと……
しおりを挟む
そこは、東京湾に面した倉庫が林立する一角で、周辺に人影はなかった。
日は落ちかけて海からの潮風が心地いい。
指定された倉庫は、華僑系企業『神龍公司』が有する倉庫で、漢方薬の詰まったダンボール箱が積み上げられていた。
どうして、こんなところで会うんだ。
不思議に思ったが、義父が貿易関係の商社に勤務していることを思い出して合点がいった。
「やあ、一博、いつもすまないね。こんなところでなんだが、人に聞かれたくないのでね。まあ、入って」
にこやかに出迎えた義父の、黒縁のメガネが夕日を受けてキラリと反射した。
足を踏み入れた倉庫内には、漢方特有の臭いが充満していた。
オレは純白のスーツ姿だった。
身体ピッタリで、細マッチョな体型が際立ってみえる。
黒のカッターシャツにシルバーのネクタイで決めていた。
純金の太いネックレスや指輪、腕にはオヤジからもらったロレックスの宝石入り時計が燦然と光を放っている。
久しぶりに会う義父に、今の暮らし振りを見せつけたかった。
「ずいぶん羽振りがいいんだね」
義父は、オレの身体を頭のてっぺんからつま先まで、鑑賞するように見た。
きっちりと目を合わせてくる。
カツカツカツ。
義父が靴音を響かせながら前を歩く。
自信に満ちた歩き方だった。
家庭での顔と、職場での顔は違うのか。
病院で見た、義父の強い目をふっと思い出した。
義父は、倉庫の奥にある事務所にオレを招き入れると、ドアを閉め、鷹揚なしぐさで、一番奥にある椅子に腰をかけた。
眼鏡をはずしてポケットに仕舞い、ゆったりと微笑みかけてくる倉前正雄は、義父の顔と同じ造りなのに、まるで別人だった。
「お、オヤジ……?」
すさまじい威圧感に息を呑んだ。
実父釈光寺琢己と初めて会ったとき以来だった。
いや、もっと上だ。
オレは瞬時に理解した。
義理人情を重んじる甘っちょろいオヤジとは全く異質で、冷酷な人種であることを。
「一博くん、単刀直入に言いましょう」
「え?」
「君を助けてあげようといっているのだよ」
静かな口調だけど、すくませるような凄みがあった。
義父の意図が判らない。ここに鏡があったら、間の抜けた顔が映っていただろう。
誰かが来る気配がした。ドアの前でぴたりと足を止める。
「来なさい、****」
義父はドアの向こうに向かった、名前を呼んだ。
「え?」
名前の部分が聞き取れなかったオレに、
「ドゥー・ユエションだ」
義父はゆっくりと発音し直した。
「良い名だろ? 漢字で書けば、姓は杜の都の杜で、名は月に、笙の笛の笙だ。私がつけた名前でね。戦前、上海のゴッド・ファーザーと呼ばれた、偉大な杜月笙というおかたの名からとったんだ」
杜月笙は何故か、ドアの前で立ち止まったまま入ってこない。
義父は「何をしている。早く入って来い!」と厳しい口調で急き立てた。
一瞬の沈黙の後、ドアが静かに開かれ、ためらうように入ってきたのは……。
日向潤だった。
「潤。何でオマエが……。杜月笙って? オマエ……」
潤は、オレと視線を合わさず、オヤジに深々と一礼した。
くの字に体を曲げる、ヤクザ特有のお辞儀じゃなかった。
「一博くん。この杜月笙は、日本生まれの日本育ちでね。中国なまりがないから気づかなかったのも無理ないが。私の組織ではナンバー2の副香主なのだよ」
「そ、組織って? で、オヤジも中国人なのか」
「倉前正雄という名は、香港で殺した日本人旅行者から奪った名前だ。私の本当の名前は、もう忘れたが、香港で黒社会に入った頃の名は金廷遜で、今は単に“ミスターK”と呼ばれているのだよ」
義父、倉前正雄ことミスターKは、よどみなく語り始めた。
――中国残留孤児だった母親は、雪深い黒竜江省の田舎町で養父母に育てられ、広東出身の男と結婚して南の広東省に移った。
粗暴だったミスターKは、地元の黒社会とつながりを持つようになり、香港に渡って広東系の香港マフィア『14K』の一員になった。
一九七三年、日本でも14Kの組織が発足し、日本語ができたミスターKも入国した。
殺害した男のパスポートで。
14Kでは、武闘担当の『紅棍』ナンバー2に出世していたが、それでは飽き足らないミスターKは、来日後すぐ自分の組織『神龍』を極秘裏に作り始めた――と。
「今では、アメリカはじめ、カナダ、オーストラリアなど、華僑や華人が居住する世界各地に拠点を持っている。中でも、出発点になった日本が心の故郷ってやつだ。ふふ。可愛い妻も子もいる。房枝は私が日本人ではないことすらいまだに気づいていない」
オフクロの名前が出た途端、オレは、複雑に入り混じった不快感に襲われた。
「もっとも……あのひとにとって関心があるのは、看護士としての『社会奉仕』と、あの聖人のように無垢な英二だけだがね」
ミスターKの目に寂しげな光が宿った。
「私生活はともかく……」
ミスターKはさらに話し続けた。
「神龍は、近いうちに、広東系、潮州系、大陸系、台湾系といった中国マフィアすべてを傘下に入れることになる。中国本土からの不法入国者を、世界各地で急速に取り込んで、現在までに着々と勢力を蓄えてきたのだよ」
「潤は……?」
「杜月笙は、私に拾われた子飼いの、いわば秘蔵っ子でね。十分に仕込んで、因果を含め、釈光寺組に送り込んだ。我々でいうところの『睡棺材底』だ。優秀な人材を一流の会社や銀行に送り込んで、何年もかかって信用を得たあとで……というやり口を使ったわけだ」
「組を乗っ取るための?」
「そうだ。日本のヤクザと中国黒社会が太いパイプでつながって、大儲けをする計画だ」
義父だった男が、今、チャイニーズ・マフィアのボスミスターKとして目の前にいる。
信頼していた若頭補佐日向潤は、その手先杜月笙だった。
「じゃ、じゃあ、オフクロと結婚したのも偶然じゃなかったのか」
「ふふ。一博くん。そこが人生の面白いところでね」
倉前正雄の仮面をかぶったミスターKは苦笑した。
「日本での組織固めと勢力拡大のため、日本の裏社会について調べているうちに、たまたま釈光寺琢己という新進のヤクザに注目した」
ミスターKは、突っ立ったままのオレに座るよう、かたわらの椅子を指差した。
優雅な手つきで、プレミアム葉巻用の木製の箱から、トリニダード・フンダドレスとラベルされた葉巻を取り出すと、
「で……」
ヘッドをカッターで切り、おもむろにガスライターで火をつけた。
潤は傍らにいたが、日本のヤクザのように、すかさずサッと火をつけることはしなかった。
「その折に、釈光寺琢己と房枝との色恋沙汰を知った。房枝に惚れたのは……計算づくじゃない」
ミスターKはまだほとんど吸っていない葉巻を灰皿に捨てた。
「血を見ることばかりの因果な商売だけに、なかなか楽しいものだよ。気の強い女房の尻にしかれる凡夫の真似っていうのもね」
ミスターKはニヤリと口辺を歪めた。
「だから、貿易会社勤務で、しょっちゅう海外出張だなんて、オレやオフクロを欺いてきたわけか」
「私との見合い話が来たとき、房枝には渡りに船だったんだろう。即座にOKされたよ。未婚の母なんて恥だと焦っていたんだ。ふッ。だから『亭主元気で留守が良い』だったんだろうね」
「ノロケ話なんかより、オレに何の用だ」
「夜道に日は暮れないよ。一博くん。まあ、いっぱいどうだね? ゆっくりと私の話をお聞きなさい」
ミスターKは、潤が用意した老酒のグラスを、オレに勧めた。
「私は釈光寺琢己が築き上げた組織を、そのまま手中にしようと思った。だから私は、利発で綺麗な十三歳の杜月笙を、釈光寺のもとに送り込んだ」
老酒独特の匂いにためらっているオレを横目に、ミスターKはぐいと飲み干した。
「釈光寺は、義理人情に厚い、甘い男だ。私の目論見通り、自分そっくりの生い立ちで、しかもとびきり気が利く杜月笙に目をかけて取り立ててくれた。釈光寺がもっと愚鈍な人物なら、杜月笙に裏から操らせる手もあったが、それほどくみし易い人物ではなかった」
潤はオレと目を合わさない。
黙々と酌をし、ミスターKが飲み干す。
「そうなると邪魔なだけだからね。いずれ機を見て抹殺し、しかる後、杜月笙が跡目を継ぐという計画に切り替えたが……」
「オレが突然転がり込んだわけか」
「それが他でもない私の息子だった。だから祐樹のような目には会わなかった……ということだよ」
「そ、それで、潤はあんなに簡単に祐樹を……。で?」
「私が釈光寺琢己を抹殺してあげよう。このまま玩具でいるのはイヤだろ?」
「う」オレは絶句した。
やはり潤は知っていた。
卑猥に緊縛され犯されている痴態を見られていた。
祐樹たちに輪姦されたときとは訳が違う。
オヤジとのプレイは、自由意思なのだから。
頭の中がカッと熱くなった。
「一博くん。君は昔気質の琢己とは違う。もっとドライで聡明だ。私と裏で手を組んでもっと大きくなることを選ぶ賢明さがあると、評価しているのだよ。私を失望させないでくれたまえ」
ミスターKは有無を言わせない口調で告げた。
「アンタにくみしなきゃ……オレをここから帰さないってことだな」
「義理の親子とはいえ、オマエのことを可愛く思っているのだよ。私に忠実な可愛い杜月笙同様にね」
ミスターKは口角をつりあげて笑った。
潤はうつむいたままだった。
あれは……。
脳裏に、幼い頃の断片的な記憶が甦ってきた。
夢うつつの中で『お化け』を何度も見た。
あやふやな記憶なうえ、自己防衛本能も働いていた。
ただの夢だと納得して、記憶の底にたたみ込んでいたんだが……。
「あれは、ほんのガキだったオレに、オヤジがイタズラしていたのか?」
「ふふ。房枝はオマエを毛嫌いしていたが、私は房枝によく似たオマエのことを、ずっと可愛いと思っていたのだよ」
「よくいうよ。アンタはただ……」
ミスターKは、一博を支配下に置いて、人形のように操ろうとしている。
杜月笙のように……。
オレとオヤジを殺せば、潤が跡目を継いで組を手に入れられる。
潤は組内外で信頼も厚く、オレより評価されている。
うまく組を切り盛りしてゆくだろうから、それで済む話だ。
わざわざオレに肩入れするということは……オレの体を自由にしたいということだ。
「一博くん。私の下には、組織化され絶対服従を誓った杜月笙のような直系の者たちが大勢いる。そして、準メンバーの『掛藍燈籠』も多い。さらには……『要銭不要命』すなわち、命より金を稼ぐことを身上にしている連中とも関係を保っている。そいつらは組織には属さず、金のためその都度雇われて、殺しも平気でする不法滞在者たちだ。そういう者たちは、犯罪ごとにグループを組んで仕事を引き受ける烏合の衆だから足がつきにくい」
ミスターKは、ずっとうつむいたままの潤に目を向けた。
潤はそれを合図に、意を決したように口を開いた。
「そういう中国大陸からの不法入国者のグループを使って、釈光寺琢己を殺るわけです。手引きは私がします。場所は自宅。警備が手薄な日を狙います。若は不在のほうがいい。内部紛争の疑いを持たれては面倒ですから」
潤がオヤジに惚れていると思ったのはオレの錯覚だった。
自分を拒否した潤。
抱きしめられた暖かさ……本当の潤は何処にもいなかった。
信頼し、特別な感情さえ持っていた潤は、杜月笙という名の異邦人だった。
「若、強盗が入ったことにするのです。皆、ひた隠しにしてはいますが、今日び、よくあることです。ヤクザの家に強盗というのは恰好がつきませんから、皆、ひた隠しにしていますがね。ふッ。凶悪な外国人犯罪者グループは、金があると思えば、相手を選びませんよ」
もの静かな話し方だけは変わらない。
だけど、刃を向ける相手は百八十度転換していた。
三人で話すうちにも、倉庫内に続々と人が入ってくる気配がした。
二~三十人はいるだろう。
誰もが息を潜めて沈黙を守っている。
明らかに統制の取れた集団だった。
こういう組織と手を組んで組をビッグにしていくことも間違ってはいない。
そう結論を出すしかなかった。
「わかった。その申し出、ありがたく受けることにする」
「さすが、わが息子だね。ものわかりがいい」
義父倉前正雄の顔を持ったミスターKはニヤリと笑った。
運命の歯車はまた大きく動き出した。
オレは目隠しされて車に押し込まれ、高速道路を乗り継いで遠方まで拉致された。
同じ場所をぐるぐる回って、距離感を誤魔化されただけかもしれなかったが。
「私たちのアジトにお連れします。若は何もご存知ないほうがいい。事が終わるまでしばらくご滞在ください」
潤が耳元で静かに囁いた。
暖かな息が耳元にかかり、オレは思わず身をすくめた。
日は落ちかけて海からの潮風が心地いい。
指定された倉庫は、華僑系企業『神龍公司』が有する倉庫で、漢方薬の詰まったダンボール箱が積み上げられていた。
どうして、こんなところで会うんだ。
不思議に思ったが、義父が貿易関係の商社に勤務していることを思い出して合点がいった。
「やあ、一博、いつもすまないね。こんなところでなんだが、人に聞かれたくないのでね。まあ、入って」
にこやかに出迎えた義父の、黒縁のメガネが夕日を受けてキラリと反射した。
足を踏み入れた倉庫内には、漢方特有の臭いが充満していた。
オレは純白のスーツ姿だった。
身体ピッタリで、細マッチョな体型が際立ってみえる。
黒のカッターシャツにシルバーのネクタイで決めていた。
純金の太いネックレスや指輪、腕にはオヤジからもらったロレックスの宝石入り時計が燦然と光を放っている。
久しぶりに会う義父に、今の暮らし振りを見せつけたかった。
「ずいぶん羽振りがいいんだね」
義父は、オレの身体を頭のてっぺんからつま先まで、鑑賞するように見た。
きっちりと目を合わせてくる。
カツカツカツ。
義父が靴音を響かせながら前を歩く。
自信に満ちた歩き方だった。
家庭での顔と、職場での顔は違うのか。
病院で見た、義父の強い目をふっと思い出した。
義父は、倉庫の奥にある事務所にオレを招き入れると、ドアを閉め、鷹揚なしぐさで、一番奥にある椅子に腰をかけた。
眼鏡をはずしてポケットに仕舞い、ゆったりと微笑みかけてくる倉前正雄は、義父の顔と同じ造りなのに、まるで別人だった。
「お、オヤジ……?」
すさまじい威圧感に息を呑んだ。
実父釈光寺琢己と初めて会ったとき以来だった。
いや、もっと上だ。
オレは瞬時に理解した。
義理人情を重んじる甘っちょろいオヤジとは全く異質で、冷酷な人種であることを。
「一博くん、単刀直入に言いましょう」
「え?」
「君を助けてあげようといっているのだよ」
静かな口調だけど、すくませるような凄みがあった。
義父の意図が判らない。ここに鏡があったら、間の抜けた顔が映っていただろう。
誰かが来る気配がした。ドアの前でぴたりと足を止める。
「来なさい、****」
義父はドアの向こうに向かった、名前を呼んだ。
「え?」
名前の部分が聞き取れなかったオレに、
「ドゥー・ユエションだ」
義父はゆっくりと発音し直した。
「良い名だろ? 漢字で書けば、姓は杜の都の杜で、名は月に、笙の笛の笙だ。私がつけた名前でね。戦前、上海のゴッド・ファーザーと呼ばれた、偉大な杜月笙というおかたの名からとったんだ」
杜月笙は何故か、ドアの前で立ち止まったまま入ってこない。
義父は「何をしている。早く入って来い!」と厳しい口調で急き立てた。
一瞬の沈黙の後、ドアが静かに開かれ、ためらうように入ってきたのは……。
日向潤だった。
「潤。何でオマエが……。杜月笙って? オマエ……」
潤は、オレと視線を合わさず、オヤジに深々と一礼した。
くの字に体を曲げる、ヤクザ特有のお辞儀じゃなかった。
「一博くん。この杜月笙は、日本生まれの日本育ちでね。中国なまりがないから気づかなかったのも無理ないが。私の組織ではナンバー2の副香主なのだよ」
「そ、組織って? で、オヤジも中国人なのか」
「倉前正雄という名は、香港で殺した日本人旅行者から奪った名前だ。私の本当の名前は、もう忘れたが、香港で黒社会に入った頃の名は金廷遜で、今は単に“ミスターK”と呼ばれているのだよ」
義父、倉前正雄ことミスターKは、よどみなく語り始めた。
――中国残留孤児だった母親は、雪深い黒竜江省の田舎町で養父母に育てられ、広東出身の男と結婚して南の広東省に移った。
粗暴だったミスターKは、地元の黒社会とつながりを持つようになり、香港に渡って広東系の香港マフィア『14K』の一員になった。
一九七三年、日本でも14Kの組織が発足し、日本語ができたミスターKも入国した。
殺害した男のパスポートで。
14Kでは、武闘担当の『紅棍』ナンバー2に出世していたが、それでは飽き足らないミスターKは、来日後すぐ自分の組織『神龍』を極秘裏に作り始めた――と。
「今では、アメリカはじめ、カナダ、オーストラリアなど、華僑や華人が居住する世界各地に拠点を持っている。中でも、出発点になった日本が心の故郷ってやつだ。ふふ。可愛い妻も子もいる。房枝は私が日本人ではないことすらいまだに気づいていない」
オフクロの名前が出た途端、オレは、複雑に入り混じった不快感に襲われた。
「もっとも……あのひとにとって関心があるのは、看護士としての『社会奉仕』と、あの聖人のように無垢な英二だけだがね」
ミスターKの目に寂しげな光が宿った。
「私生活はともかく……」
ミスターKはさらに話し続けた。
「神龍は、近いうちに、広東系、潮州系、大陸系、台湾系といった中国マフィアすべてを傘下に入れることになる。中国本土からの不法入国者を、世界各地で急速に取り込んで、現在までに着々と勢力を蓄えてきたのだよ」
「潤は……?」
「杜月笙は、私に拾われた子飼いの、いわば秘蔵っ子でね。十分に仕込んで、因果を含め、釈光寺組に送り込んだ。我々でいうところの『睡棺材底』だ。優秀な人材を一流の会社や銀行に送り込んで、何年もかかって信用を得たあとで……というやり口を使ったわけだ」
「組を乗っ取るための?」
「そうだ。日本のヤクザと中国黒社会が太いパイプでつながって、大儲けをする計画だ」
義父だった男が、今、チャイニーズ・マフィアのボスミスターKとして目の前にいる。
信頼していた若頭補佐日向潤は、その手先杜月笙だった。
「じゃ、じゃあ、オフクロと結婚したのも偶然じゃなかったのか」
「ふふ。一博くん。そこが人生の面白いところでね」
倉前正雄の仮面をかぶったミスターKは苦笑した。
「日本での組織固めと勢力拡大のため、日本の裏社会について調べているうちに、たまたま釈光寺琢己という新進のヤクザに注目した」
ミスターKは、突っ立ったままのオレに座るよう、かたわらの椅子を指差した。
優雅な手つきで、プレミアム葉巻用の木製の箱から、トリニダード・フンダドレスとラベルされた葉巻を取り出すと、
「で……」
ヘッドをカッターで切り、おもむろにガスライターで火をつけた。
潤は傍らにいたが、日本のヤクザのように、すかさずサッと火をつけることはしなかった。
「その折に、釈光寺琢己と房枝との色恋沙汰を知った。房枝に惚れたのは……計算づくじゃない」
ミスターKはまだほとんど吸っていない葉巻を灰皿に捨てた。
「血を見ることばかりの因果な商売だけに、なかなか楽しいものだよ。気の強い女房の尻にしかれる凡夫の真似っていうのもね」
ミスターKはニヤリと口辺を歪めた。
「だから、貿易会社勤務で、しょっちゅう海外出張だなんて、オレやオフクロを欺いてきたわけか」
「私との見合い話が来たとき、房枝には渡りに船だったんだろう。即座にOKされたよ。未婚の母なんて恥だと焦っていたんだ。ふッ。だから『亭主元気で留守が良い』だったんだろうね」
「ノロケ話なんかより、オレに何の用だ」
「夜道に日は暮れないよ。一博くん。まあ、いっぱいどうだね? ゆっくりと私の話をお聞きなさい」
ミスターKは、潤が用意した老酒のグラスを、オレに勧めた。
「私は釈光寺琢己が築き上げた組織を、そのまま手中にしようと思った。だから私は、利発で綺麗な十三歳の杜月笙を、釈光寺のもとに送り込んだ」
老酒独特の匂いにためらっているオレを横目に、ミスターKはぐいと飲み干した。
「釈光寺は、義理人情に厚い、甘い男だ。私の目論見通り、自分そっくりの生い立ちで、しかもとびきり気が利く杜月笙に目をかけて取り立ててくれた。釈光寺がもっと愚鈍な人物なら、杜月笙に裏から操らせる手もあったが、それほどくみし易い人物ではなかった」
潤はオレと目を合わさない。
黙々と酌をし、ミスターKが飲み干す。
「そうなると邪魔なだけだからね。いずれ機を見て抹殺し、しかる後、杜月笙が跡目を継ぐという計画に切り替えたが……」
「オレが突然転がり込んだわけか」
「それが他でもない私の息子だった。だから祐樹のような目には会わなかった……ということだよ」
「そ、それで、潤はあんなに簡単に祐樹を……。で?」
「私が釈光寺琢己を抹殺してあげよう。このまま玩具でいるのはイヤだろ?」
「う」オレは絶句した。
やはり潤は知っていた。
卑猥に緊縛され犯されている痴態を見られていた。
祐樹たちに輪姦されたときとは訳が違う。
オヤジとのプレイは、自由意思なのだから。
頭の中がカッと熱くなった。
「一博くん。君は昔気質の琢己とは違う。もっとドライで聡明だ。私と裏で手を組んでもっと大きくなることを選ぶ賢明さがあると、評価しているのだよ。私を失望させないでくれたまえ」
ミスターKは有無を言わせない口調で告げた。
「アンタにくみしなきゃ……オレをここから帰さないってことだな」
「義理の親子とはいえ、オマエのことを可愛く思っているのだよ。私に忠実な可愛い杜月笙同様にね」
ミスターKは口角をつりあげて笑った。
潤はうつむいたままだった。
あれは……。
脳裏に、幼い頃の断片的な記憶が甦ってきた。
夢うつつの中で『お化け』を何度も見た。
あやふやな記憶なうえ、自己防衛本能も働いていた。
ただの夢だと納得して、記憶の底にたたみ込んでいたんだが……。
「あれは、ほんのガキだったオレに、オヤジがイタズラしていたのか?」
「ふふ。房枝はオマエを毛嫌いしていたが、私は房枝によく似たオマエのことを、ずっと可愛いと思っていたのだよ」
「よくいうよ。アンタはただ……」
ミスターKは、一博を支配下に置いて、人形のように操ろうとしている。
杜月笙のように……。
オレとオヤジを殺せば、潤が跡目を継いで組を手に入れられる。
潤は組内外で信頼も厚く、オレより評価されている。
うまく組を切り盛りしてゆくだろうから、それで済む話だ。
わざわざオレに肩入れするということは……オレの体を自由にしたいということだ。
「一博くん。私の下には、組織化され絶対服従を誓った杜月笙のような直系の者たちが大勢いる。そして、準メンバーの『掛藍燈籠』も多い。さらには……『要銭不要命』すなわち、命より金を稼ぐことを身上にしている連中とも関係を保っている。そいつらは組織には属さず、金のためその都度雇われて、殺しも平気でする不法滞在者たちだ。そういう者たちは、犯罪ごとにグループを組んで仕事を引き受ける烏合の衆だから足がつきにくい」
ミスターKは、ずっとうつむいたままの潤に目を向けた。
潤はそれを合図に、意を決したように口を開いた。
「そういう中国大陸からの不法入国者のグループを使って、釈光寺琢己を殺るわけです。手引きは私がします。場所は自宅。警備が手薄な日を狙います。若は不在のほうがいい。内部紛争の疑いを持たれては面倒ですから」
潤がオヤジに惚れていると思ったのはオレの錯覚だった。
自分を拒否した潤。
抱きしめられた暖かさ……本当の潤は何処にもいなかった。
信頼し、特別な感情さえ持っていた潤は、杜月笙という名の異邦人だった。
「若、強盗が入ったことにするのです。皆、ひた隠しにしてはいますが、今日び、よくあることです。ヤクザの家に強盗というのは恰好がつきませんから、皆、ひた隠しにしていますがね。ふッ。凶悪な外国人犯罪者グループは、金があると思えば、相手を選びませんよ」
もの静かな話し方だけは変わらない。
だけど、刃を向ける相手は百八十度転換していた。
三人で話すうちにも、倉庫内に続々と人が入ってくる気配がした。
二~三十人はいるだろう。
誰もが息を潜めて沈黙を守っている。
明らかに統制の取れた集団だった。
こういう組織と手を組んで組をビッグにしていくことも間違ってはいない。
そう結論を出すしかなかった。
「わかった。その申し出、ありがたく受けることにする」
「さすが、わが息子だね。ものわかりがいい」
義父倉前正雄の顔を持ったミスターKはニヤリと笑った。
運命の歯車はまた大きく動き出した。
オレは目隠しされて車に押し込まれ、高速道路を乗り継いで遠方まで拉致された。
同じ場所をぐるぐる回って、距離感を誤魔化されただけかもしれなかったが。
「私たちのアジトにお連れします。若は何もご存知ないほうがいい。事が終わるまでしばらくご滞在ください」
潤が耳元で静かに囁いた。
暖かな息が耳元にかかり、オレは思わず身をすくめた。
1
お気に入りに追加
12
あなたにおすすめの小説
小さなことから〜露出〜えみ〜
サイコロ
恋愛
私の露出…
毎日更新していこうと思います
よろしくおねがいします
感想等お待ちしております
取り入れて欲しい内容なども
書いてくださいね
よりみなさんにお近く
考えやすく
【連載再開】絶対支配×快楽耐性ゼロすぎる受けの短編集
あかさたな!
BL
※全話おとな向けな内容です。
こちらの短編集は
絶対支配な攻めが、
快楽耐性ゼロな受けと楽しい一晩を過ごす
1話完結のハッピーエンドなお話の詰め合わせです。
不定期更新ですが、
1話ごと読切なので、サクッと楽しめるように作っていくつもりです。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
書きかけの長編が止まってますが、
短編集から久々に、肩慣らししていく予定です。
よろしくお願いします!
大嫌いな歯科医は変態ドS眼鏡!
霧内杳/眼鏡のさきっぽ
恋愛
……歯が痛い。
でも、歯医者は嫌いで痛み止めを飲んで我慢してた。
けれど虫歯は歯医者に行かなきゃ治らない。
同僚の勧めで痛みの少ない治療をすると評判の歯科医に行ったけれど……。
そこにいたのは変態ドS眼鏡の歯科医だった!?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる