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4 瑞鳳眼 

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 一九九三年四月、法律に関する知識は将来、役に立つと考えたオレは、都内の有名私立大学法学部に入学した。
 
 翌年には、一年間アメリカ西海岸に留学した。
 表向きは英会話の習得だったが、本当の目的は、実戦に備えて射撃の腕を身につけることだった。
 空手もますます精進した。

 体格は、オヤジどころか、潤や祐樹にも及ばなかったが、身長は一八〇センチを超え、筋肉も付いた。

 実戦経験はまだだが、オヤジが富士山麓で催す“抗争訓練”のときには他の組員たちを圧倒してみせた。


 ある晩、ふらりと立ち寄った高級クラブに、中国マフィアの強盗団が乱入してきた。
 で、乱闘の末に追い払ってやったわけだが……。

 上機嫌で帰宅したオレは、出迎えた潤に武勇伝を披露した。
 潤に認めてもらおう、誉めてもらおうというガキっぽい期待があったんだけど……。

「そういう手合いに勝っても自慢にはなりませんよ」と、いきなりかまされた。

「ここは、日本だ。中国マフィアなんかになめられてたまるかよ」

 オレの言葉に、潤の唇が皮肉っぽく歪んだと思うと、
「若、あなたが相手したのは、多分、ただの不良中国人たちですよ」
 お得意のスカした顔で言いやがった。

「中国マフィアじゃないのか?」
「本来の意味でのチャイナ・マフィアとは違います。彼らはちゃんとした組織を持っていて、結束も固いし一定のルールもあります。ひとつの犯罪ごとに、集団を作ったり解消したりするただの不法入国の中国人犯罪者たちとは格が違います。世間一般ではふたつを混同して両方ともチャイナ・マフィアと呼んでいますが」

 オレを小馬鹿にした態度が透けて見える。

「本物のチャイナ・マフィアには気をつけてくださいってことですよ。相手も、若が相手をなさったやつらのようにつまらない強盗事件など起こしては来ないですが。いったん抗争となると面倒なことになります。まあ近い将来、抗争は避けられないとは思いますがね」

「潤、オマエは慎重過ぎなんだよ。もういい。そんな説教は」
 恥をかかされた気になって顔がカッと熱くなった。

 誘いをあっさり拒絶された、七年前のあの夜の屈辱を思い出した。
 オレはいまだに忘れていない。

「バカヤロー」
 自分でもガキみたいだと思ったけど、ドスドス大きな足音をさせて部屋に駆け戻ると、ドアを勢いよくバンと閉めた。
 

 それからまもなくの一九九八年の六月。
 なにもかも湿ってカビ臭い匂いが漂う夜、オヤジの盟友一之瀬達吉の死の報が、もたらされた。

 オヤジは姐さんと、祐樹の短期語学留学先オーストラリアに滞在中である。
 オレが転がり込んで以来悪化した、夫婦関係を修復するための旅行だった。

 オレは『オヤジにはまだ知らせるな。こんなことぐらいオレが責任を持つ』と格好をつけた。

 関西勢の関東進出を阻止する好機だ。
 関西の広域組織関西神姫会の三次団体となって、神姫会の関東進出の足掛かりとなった益田組を、今のうちに叩き潰せば……。

 掛け合いで秋田に出向いていた潤が止めるのも聞かず、若い組員五人を引き連れ、益田興業と看板のあがった組事務所に殴り込みをかけた。

 三階建てビルの一階は車庫兼倉庫で、二階以上が組事務所。
 益田組長の部屋は三階奥にあった。
 入り口には、自動監視カメラが設置されている。

 立ち晩をしていた若い者を瞬殺すると、
「行くぞ。オレに続け!」
 ビル内になだれ込んだ。

 モニターで表の騒ぎを見た組員たちが、獲物をもって次々飛び出してくる。

 階段での戦いになった。
 限られたスペースの戦いでは、一対一に近い戦いになる。
 相手が何人いても、オレは一人二人と順に交戦すればよかった。

 初めての命のやり取りだった。
 今までの空手の試合や、ヤンキ―同士のいざこざとはケタが違う。
 オレは水を得た魚だった。

「益田のヤローはどこだ!」
 返り血を浴びながら、階段を上へ上へと上り詰めた。

 一ノ瀬殺害の張本人森本は、日本刀をかまえて最上階の組長室前で守りについていた。

 オレは、日本刀で攻撃してくる森本とドスで渡り合った。

 実戦経験豊富な森本だったが、オレの敵ではなかった。
 リーチの差を逆に利用して森本の懐深く入り、腹にズブリとドスをぶち込んだ。
 森本の手から放れた日本刀が、カラカラと音を立てて階段を落下した。

 勝利は目前だった。
 けど……。
 森本が関西ヤクザの意地を見せて、オレの体に喰らいついてきやがった。
 人間、死ぬ間際の力はあなどれない。

 まずった!
 部屋から飛び出してきた益田のドスが、オレの背中を刺し貫いた。
 痛みは感じなかった。

「くそっ」
 森本の腕を逃れたオレは、渾身の力をこめてドスを振り下ろした。
 頚動脈を切断された益田は、その場に倒れて絶命した。

「終わった…」
 オレはそのまま意識を失った。

      
 オレは、夢を見ていた。
 暖かい家庭の夢だ。
 優しく微笑みかける母の房枝。その肩を抱く琢己……。

 あり得ない!と、心で叫んだ途端、夢の場面は展開を見せた。

 潤が現れ、オレの服を優しく脱がせ始める。
 血でへばりついたスーツの上着、そしてべっとりと重く濡れそぼったシャツを。

「無茶はいけませんよ。若」
 静かな深い色をたたえた瞳で見つめてきた。

 潤ならオレを止めていただろう。
 冷静な潤なら・・・・・・。

 そこで目が覚めた。
 酸素マスクをつけられていたけど、集中治療室ではなく個室だった。

 どうやら助かったみたいだ。
 いくつもぶら下げられた点滴の容器をながめながら、小さなため息をついた。

 荒城浩介があわてて枕もとに駆け寄ってきた。

「若、もう少ししたらおやっさんも戻られます。よくやったと喜んでおられました。で……」
 真っ先に駆け付けた潤は、組内の差配のため、慌ただしく事務所に戻っていったと告げると、
「若の意識が戻ったと、皆に連絡してきます」
 うれしげに病室を飛び出して行った。

 入れ違いに、スライドドアが静かに開き、男がひとり入ってきた。

「なんでオマエがここに……」
 オレは、酸素マスクを投げ捨てた。

 英二は、淡いブルーの医療従事者用制服を着て、胸ポケットからは聴診器がのぞかせている。

 そういや幼稚園の頃から、看護士になると言ってたっけ。

「兄ちゃん。良かった。気がついたんだね。最初運び込まれてきたときはビックリしたよ。出血の量を見てもうダメかと……。ほんとに助かって良かった」
 
 相変わらず無垢な笑顔に、オレは戸惑った。

「これに懲りてもう足を洗ったら? ね。兄ちゃん」
 心配でたまらないといった表情の、面長な顔が近づいてくる。

「何言ってんだ。英二。こんなケガどうってこと……あつつッ」

 起き上がろうとしたオレは、痛みに顔を歪め、
「まあ。こういうこともあるって」と照れ笑いした。

 英二もおかしそうに白い歯を見せる。

「オレさ。今、この病院で昼間働きながら夜間の大学に通っているんだ。もっと、看護学をやりたいからさ」

「オマエは相変わらず、母親の期待の星なんだな」
 オレは複雑な気持ちで口角を歪めた。

「母さんも父さんもすごく心配してるよ」
 英二は、ブランケットをかけ直しながら、無神経な言葉を口にした。

「バカ言え! そんなことあるもんか」
 オレは思わず大声を上げた。

 見張りの組員が、スライドドアを薄く開けて中をうかがってから、もう一度ドアを閉めた。

「オレは兄ちゃんを尊敬してるんだ。兄ちゃん、ホントは、自分が思ってるほどワルじゃないよ」
 英二の笑みはあくまで柔らかい。

 英二はやっぱり変わらない。オレは異世界の住人を見る思いだった。

「むやみに兄ちゃんを連れ戻そうとは思わないよ。だけど、これだけは覚えていて。帰る場所があるってことを。母さんだってほんとは悪かったと思っているんだ。口には出さないけどね」

「なんだとォ! 口に出さないけどだとォ?」 
 ますます腹が立ってきた。

「あのくそ婆アが反省なんかしてるもんか。英二の勝手な推量だろ。おまえはなんでも善意にしか解釈しないやつだな。お人よしにもほどがある」

 英二に罪がないのはわかっている。だからこそ余計癇にさわる。

「英二とは一生平行線だな。出てけ! もう二度とこの部屋に顔を出すな!」

 オレの剣幕に、英二はうなだれたまま病室を後にした。

 空調の音だけになった病室で、オレは急に強い痛みを感じた。
 痛みは深層からのものだった。


 あ、あれって……。
 さっきの夢が、ふたつだけでなく、その前にもうひとつ見ていたことを思い出した。

 誰かが指先でオレの唇にそっと触れ、唇を重ねてきた。
 その人物は、薄いブルーの制服を着ていた。
 感触の生々しさが脳裏に鮮明に甦ってくる。
 オレは激しく頭を振った。


 その晩、潤が病室を訪れた。

「オヤジさんは、たいした度胸だと喜んでおられます」

「やっぱ、オヤジは一本気だからな」
 オレは照れ笑いした。

「それはそうと……この先、組はどういう具合になっていくものやら」
 ふだん余計な話をしない潤がふっと漏らした。

 組内では、旧大本組の生え抜きからなる祐樹派と、その後に盃を受けた者によるオレ派に分かれ、対立が激化している。

「将来、組織を拡大させていくためには、やはり度胸も実力も抜群の若が適任ですが……」

 うれしい評価に気をよくしたオレは、
「それはないって」
 速攻、謙遜してみせた。

「オレって攻撃的できつい性格だろ。ホントは、将来、『親』として組員を束ねて行くには狭量すぎるって言いたいんだろ」
 オレの自己分析に潤がふっと笑みを浮かべた。

「祐樹の若の成長も著しいですからね。おやっさんはまだまだ伸びると期待しておられます」
「祐樹は、長男でしかも旧大本組直系だ。将来、跡目を継ぐとなったら、理事会の支持を取り付けやすいしな」

「オヤジさんは、長男が跡目を継いで、若は相談役という手もあると考えておられるかもですね」
 潤がとんでもない予想を口にした。

 オレはいじってやりたくなる。

「いやいや、オヤジは世襲制にこだわるほど狭量じゃない。優れた人材があれば、跡目を継がせることもアリだろ」
「えっ。そんな人物いませんよ」
 潤が澄ました顔で応じる。

「アンタのことだ。度量と冷静さ。派閥に関係なく全員からの人望もある」

 オレの言葉に、潤はバカらしいというふうに口角を上げた。

「冗談はともかく、若二人はまだ若くて未知数です。オヤジさんも、お二人の今後の成長しだいだと考えておられますよ」

「オヤジという偉大な重しが健在な間はこのままの平和が続くだろうさ」

「内部分裂だけは避けていかないと。その点をオヤジさんも危惧しておられるわけです」
 話に夢中になった潤がどんどん身を乗り出してくる。
 顔が間近に迫る。
 独特の形をした目が、オレの瞳を覗き込んでいる。

「潤の目ってさ。詳しくは知らないんだけど……中国の観相学でいう《瑞鳳眼》っていうんじゃないか」

 中国の人気俳優に関するネット記事で読んだ記憶があった。

「ずいほうがん……ですか。初耳です。……わたしは自分の目が好きじゃないんです。派手で女っぽく……て……」

 潤は照れたような表情を浮かべながら、乗り出していた体を引いた。
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