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第五章 懊悩編

懊悩編28話 時雨さんは裁縫も出来ない

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※前回に続きシグレ視点のお話です。


アスナは自分の後任の中隊長はカナタがよいと提案してきた。

これは私には思ってもみない提案だった。カナタはクリスタルウィドウのイメージが強すぎるせいか。

だがアスナの言うとおり、別段おかしな話ではない。優れた隊員が別の部隊の中隊長に抜擢された前例はガーデンでも珍しくはないのだ。

………それに師の贔屓目ひいきめかも知れないが、カナタには指揮官の適性があるように思う。

「しかしカナタはまだ曹長、中隊長は将校でなくてはなれない。」

「カナタさんは近く予定されているリグリットでの将校カリキュラムの履修が終われば、准尉への昇進が内定していると聞きました。私も直ぐに中隊長を退きたい訳ではありません。なんの問題もないかと。」

そうだった、階級の問題もクリアしているのだったな。

「アスナさん、カナタさんは現在クリスタルウィドウの所属。私達だけで決められる事ではありませんよ?」

アブミのもっともな指摘に、アスナは穏やかに反論する。

「ええ。でも局長が是非にと頼めば、マリカさんは応じてくれるのでは? カナタさんにとってもいい話ですし。」

「え~、凜誠に男の中隊長はいらないですぅ~。そうだ!リムセちゃんを入れたらええんや!あの子可愛いし!」

「アホのコは黙っててくださる? カナタさんも凜誠への異動なら承知されるのでは? 局長のお弟子さんでもある訳ですし。カナタさんは知恵者ですよ。このアホのコと違って、参謀としても有用なのは前作戦でも立証されています。」

サクヤはアホ毛を震わせながらアスナに抗議する。

「アホのコ、アホのコってあんまりや!今日のアスナはホンマにイケズやわ!しまいにウチも泣いてまうで!」

アスナの手を焼かせるが、一番懐いてるのはサクヤのように思うが………サクヤはアスナが中隊長を退いても構わないのだろうか?

「サクヤはいいのか? アスナが中隊長を退いても?」

「凜誠からおらんようになるんなら絶対ヤです。でも中隊長を退くだけやったら仕方ないです。アスナがウチらの中じゃ強さに劣るんは事実やから。」

本当にサクヤは一言多いな。困ったものだ。

色んな意味で天然のサクヤは天才肌で元から強く、無邪気ゆえに残酷だ。素質に恵まれたが故にそうでない者の気持ちが分からぬ。

「サクヤ、強さに劣るなどと仲間に言っていい台詞ではない。アスナに詫びるのだ。」

「よいのです、サクヤは嘘は言っていません。自分でもその事が分かっているから、退きたいと申し出ているのです。」

「局長はアスナに万一の事があってもええん? ウチは絶対イヤや!アスナはいつまでもウチらと一緒におるんや!」

それだとアスナは嫁にも行けぬぞ。アスナは私と違って結婚願望がありそうなのに。

サクヤはアスナに抱きついて離れない。アスナはよしよしとサクヤの頭を撫でる。

………アスナ、そんなだからまだ三十路前で未婚なのに、隊士達から「凜誠のおっかさん」などと呼ばれるのだぞ。

アブミが思案顔で私に提案してくる。

「局長、カナタさんの件は一考の余地はあるかと思います。カナタさんは私の見るところ、アギトと同等の身体的素質を持ち、コスい頭脳……ゴホン……機略に優れ、性格は優柔ふだ……ゴホン……温厚です。ちょっとエッチなところが問題かもしれませんが………」

………アブミ、いったいどういう目で私の弟子を見ているのだ?………買ってくれてはいるようだが。

「エッチな人は凜誠にはいらんし!サクヤなんか一番に目をつけられちゃうやないですか!」

個人的な感想だが、サクヤはカナタのストライクゾーンからは外れているように思うのだが………

「きょくちょ~、な~んか失礼な事考えてません?」

「サクヤ、安心なさい。カナタさんはアホのコはアウトオブ眼中だと思いますよ?」

「ふくちょー!慰めになってへん!副長って実はドSなんちゃう? そうや!ホタルさんをもろたらええんや!ほんでホタルさんの後任にエッチ君をあてたらええんやない?」

なにをバカなと思ったが………まるきりバカには出来んな。ホタルはカナタと距離をとった方がよいやもしれん。

そこに凜誠の隊員が入ってきた。

「局長、灯火(ともしび)少尉がお見えです。」

少尉? ああ、そうだった。ホタルはSNC作戦の後に、シュリと一緒に昇進したのだったな。

「通してくれ。」

「ん、今朝シュリさんもきたやん? ははぁん、夫婦喧嘩したんやな? ほんで局長に取りなしてもらおーいうんやろ? ウチ、男女関係の機微には敏感………もがっ!」

アスナがサクヤにヘッドロックをかけて、室外に引きずっていってくれた。

静かになった室内に、まだ少し充血した目のホタルが入ってくる。

「奥の応接室で話そう。アブミ、後は頼むぞ。」

アブミは心得ましたと目で合図してくれる。これで誰も通すまい。

応接室にホタルを招き入れ昆布茶を入れる。

「…………ありがとうございます。………私……シグレさんには迷惑をかけっぱなしで、本当に申し訳ないと………」

「私は迷惑などと思った事はない。………今朝方シュリから相談を受けてな。内容は分かっているだろうが………」

「はい、私…………もうどうしたらいいのか…………」

かなり焦燥しているな。だいぶ自分を追い詰めてしまっているようだ。

「ホタル、事情を知らぬシュリがああいう行動に出るのは無理からぬ事だ。そこは分かってやれ。シュリは人一倍真っ直ぐで不器用な男なのだ。」

「…………でも………最近のシュリはカナタカナタって!………私が………私がどんなにあの顔に苦しんでいるか………」

私がアギトとカナタは無関係などとは言っても心に響くまい、ホタルだってそんな事は分かっているのだ。

分かっていてもどうしようもなく辛いのだ。…………ホタルは傷付きやすく心の痛みに敏感な娘だから。

けれど自分の痛みだけでなく他人ひとの痛みにも敏感だから………誰よりも心優しいのだ。

自分が辛くあたって傷付けているであろうカナタの心痛まで感じているに違いない。

完全に負のスパイラルに陥っている、どうしたものか?

この娘をなんとか救う方法はないものか。…………まずはシュリと仲直りさせねば話にならんな。

「ホタル、シュリはホタルと昔のような関係に戻りたがっている。ホタルの事を誰よりも大事に思う心に変わりはない。」

「でも!シュリは二年前の事を知りません!………シュリが知ったら…………きっと嫌われます。………なんでアギトなんかと二人きりになったんだって!不用意な私が悪いって!」

………私がアギトを許せない理由は二つある。

一つは言うまでもない。もう一つは………アギトがホタルの優しさに付け込んだ事だ。

アギトはホタルにだけは弱い面を見せていた。いや見せかけていた。

アギトはマリカ達に気取られぬようにガーデン内でホタルに何度か近づき、手間と時間をかけて囁いた。

自分を最強の兵だと信じている部下達の手前、言えないでいるが、実はマリカの才能を誰よりも認めている、だと?…………嘘をつけ!誰よりも認めたくなかったのが貴様だろう!

本当は関係を修復して共に戦いたいが、今までの経緯もあって引っ込みがつかなくなった、などとどの口がほざくか!…………それも嘘だ!一番共に戦いたくないのがマリカだろう!共に戦えばその才能を認めざるを得んからな!

だが、そんな話を聞かされたホタルはアギトの偽りの仮面を信じ、醜悪な素顔に気付かなかった。

争い事、とりわけ仲間内での争い事を嫌うホタルは、なんとかマリカとアギトの仲を取り持とうと考えたのだ。

緋眼と氷狼の共闘がかなえば素晴らしい事だと信じていたに違いない。人を見る目がないなどとホタルを責める気は私にはない。私とてガーデンに来た当初は、それがかなえば素晴らしいと思っていた。

アギトは確かにマリカに匹敵する卓抜した兵で、戦場では無双の働きを見せたからだ。

その強さに助けられた者も多い。今にして思えばあれは仲間意識などではなく、弱者と見なした者への憐憫と嘲りだったのだろうが。

それにしても皮肉な話だ。争い事を収めようとした結果、自分が仲間内クリスタルウィドウでの争い事の当事者になってしまうとは…………

強さで人を惹きつけるアギトは素直になれない嫌われ者の演技を続け、ホタルは演技を見抜けなかった。

そして大事な話があるとホタル一人をガーデンの外へ呼び出し、仮面を脱ぎ捨て毒牙にかけたのだ。

………しかも複数でだ!………許せる訳がない!ホタルの心と躰を踏みにじったアギト達を許せる訳が!

アギトの誤算はホタルは誰にも話さず泣き寝入りするとタカをくくっていた事だ。

だが苦しみ抜いたホタルは、私にだけ秘密を打ち明けてくれた。

アギト達の鬼畜の所業を聞いた私は奴らに制裁を下してやると決め、決闘を挑んだ。

奴らが本心から詫びたりはすまいが、腕の一本でも叩き切ってから、詫びを入れさせガーデンから追放しよう、ホタルの悲しみと私の怒りを僅かであろうと鎮める方法を他に思いつかなかった。

いや………私は奴らを本気で殺そうと考えていたかもしれない。

私の人生であれほどの怒りを覚えた事はなかった。その怒りを抑えるつもりもなかったのだから。

………だが、無能非才の私はアギトに敗れた。

司令は被害者面で抗弁するアギトではなく、物言わぬ私を信じてくれた。

そしてサンピンやキング兄弟といったアギトを嫌う隊長や隊員を除き、アギト一派はガーデンを追放された。

追放されたアギト達は兵団レギオンの団長、朧月刹那ろうげつせつなの罠にかかって、部隊もろとも全滅した。自業自得、いやこれこそ天誅だ。神がどこかで御照覧あったのだろう。

「………シグレさん、今でもその傷が痛むのですか?」

心配そうなホタルの声で我に返った。どうやら私は無意識のうちに、右目の下の古傷を触っていたようだ。

「痛むものか。アギト達に罰を下せなかった自分の未熟さが、歯噛みするほど口惜しいだけだ。」

「…………私が余計な相談をしたせいでシグレさんまで死線を彷徨う事になってしまって…………私なんかさっさと死ねば良かったんだわ!そうしていれば………」

その言葉は看過できん! 私はホタルの頬を平手打ちした。

「…………!!!」

「ホタル、二度とそんな事は言うな。………頼む。」

両手で顔を覆い嗚咽するホタル。頬から伝わる涙がこぼれ落ちる。

この傷付いた心をどうすれば癒やせる。どんな言葉をかけてやればよいのだろう。

「ホタル、まずシュリと仲直りするのだ。シュリもそう望んでいるぞ? 私が間に入ってやるから、な?」

顔を両手で覆ったままホタルは何度も頷いた。

うん、頑張れ。私も出来る限りの事をするからな。………そうだ、確か次の作戦までには時間があったな。

「実は次の作戦までには時間があるらしいのだ。そこでどうだろう、一度シュリと一緒に業炎の街に、火隠れの里に帰ってみるというのは。ずいぶん長い間、故郷に帰っていないだろう?」

「…………里に………シュリと一緒に………ですか?」

「ああ、そこで自分の心に向き合ってみるといい。幼き日、シュリや火隠れの仲間達と共に過ごした故郷(ふるさと)が教えてくれる事があるかもしれんぞ?」

顔を覆う手で涙を拭ったホタルの目には懐かしい故郷の風景が見えたのだろう。

「…………はい…………私……帰ってみたい。………シュリと一緒に火隠れの里に。…………帰りたいな………あの頃に………」

「よし、では私がマリカに頼んでみよう。………故郷に帰ったら一つだけ、私の頼みを聞いてくれないか?」

「はい、大恩あるシグレさんの頼みなら………私に出来る事ならなんでも。」

「そんな大層な事ではないが大変な頼みだ。………むう、少し言葉がおかしいか。」

「はい、矛盾してます。」

泣き腫らした目のホタルは少しだけ微笑んだ。

「お、やっと笑ったな。………頼みと言うのはな、見て欲しいのだ。里に帰ったらシュリの目を真っ直ぐにな。」

「………そ、それは……」

「あくまで頼みだ。無理はしなくていい。でもホタルはシュリから目を逸らさなければならない事はしていない。私はそう思っている。………出来るか?」

「…………やってみます…………必ず出来るとは言えません………でもやってみます!」

「よし、実は頼みはもう一つあってな。涙が乾くまでの間でよいのだが私に………裁縫を教えてくれないか?」

「裁縫をですか?」

「うむ。バイパーがなかなかよい上着を着ていたが、あれはホタルが縫ったのだろう? そう聞いたが。」

「は、はい。確かに私が縫いましたが………シグレさんにラメ入りシャツは似合わないかと……」

「いやいや、ラメ入りシャツが欲しいのではない。私も裁縫ぐらいは出来ぬといつまでたってもアブミ離れ出来ん。それにウチの隊士達は私の女子力はゼロだと思っているようだからな。見返してやりたいのだ。」

「分かりました。針と糸はありますか?」

「うむ、実はもう用意してある。」

「では基礎の祭り縫いから始めましょう。………シグレさん、ありがとうございます。」

「教える側が礼を言うのはおかしかろう。では裁縫名人、筋の悪い教え子だがよろしく頼む。」

私はホタルの涙が乾き、目の腫れが治まるまで裁縫を習ってみる事にした。



そして得た結論。…………残念ながら私、壬生シグレには裁縫の素質もないらしい。





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