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第五章 懊悩編
懊悩編19話 時雨さんは料理が出来ない
しおりを挟む※少し作風を変えています。誰かの視点で描写されていません。何話かでカナタ視点に戻します。
壬生時雨は外食が多い、何故なら料理が出来ないからだ。
壬生時雨は努力の人である。当然、料理も勉強し努力を積み重ねた。
だが現実は残酷である。努力は報われるとは限らない、この残酷な法則からは鏡水次元流の達人、壬生時雨と言えど逃れられなかった。
剣術ほどの魅力を料理からは感じなかった壬生時雨は、早々に無駄な努力を放棄した。
そして今日も今日とて外食に走る壬生時雨。
剣客で運動量も多く、なおかつバイオメタル兵でもある壬生時雨は健啖家である。
大好物は軍鶏、特に軍鶏鍋には目がない。
焼き鳥屋「鳥玄」の座敷の一番奥、通称「時雨部屋」には軍鶏鍋をつつく壬生時雨とその右腕である弩鐙(いしゆみあぶみ)の姿があった。
「局長、このツミレ、食べ頃ですよ。」
弩鐙は時雨の世話を焼くのが好きである。趣味、ひょっとすると生きがいなのかもしれない。
そのかいがいしく世話を焼く姿は、世話女房そのもの。
「うん、はむはむ。」
利発で気の利く鐙は卓上のインターフォンを使って、乏しくなってきたお酒を追加注文する。
伊達に「息子の嫁にしたい女性士官コンテスト」で優勝した訳ではないようである。
「あ、玄馬さん。一本気の温燗を2つ追加して下さい。さ、局長、グイッと飲(や)ってください。」
鐙は時雨の愛飲する覇酒「一本気大吟醸」をお猪口に注ぐ。
「すまんな。鐙の酌で飲む酒が一番旨い。」
真顔で語る壬生時雨。そんな事を頻繁に口にするから二番隊「凜誠」の隊士達に「局長と副長は早く結婚すればいい」などど言われるのである。
「お連れ様がお着きになられました。」
仲居のバイトのよく通る声が室内に向かって発せられた。
なんでも彼女はあらゆるバイトを極めたバイトマスターと称される凄腕フリーアルバイターなのだそうだが、それが真実かどうかは定かではない。
どうでもいい真実も世界には存在する、ただそれだけの事である。
仲居の声の後、座敷の襖が静かに開かれた。座敷に現れたのは獅子を彷彿させる長髪に、落ち武者のような顎髭の無頼漢。
「おう、時雨に鐙、久しいな。」
「馬鞍さん、お久しゅう。」
弩鐙は正座したまま無頼漢に向き直り、ぺこりと一礼する。
「馬鞍、おまえは時間通りに現れた試しがないな。刻限遵守、と額に刻んでやろうか?」
律儀な壬生時雨は一応釘を刺す。ぬかに釘なのは承知の上であるが。
「カテえ事いうなよ。長え付き合いじゃねえか。」
鬼道院馬鞍はどっかりと座布団の上に胡座をかく。
すかさずお猪口を手渡し、酒を注ぐ鐙。もはや給仕係と言ってもよさそうな風情である。
「おう、すまねえな。鐙の酌で飲む酒が一番ウメえ。」
「それはさっき私が言った。鐙、あまり馬鞍に構わなくともよい。馬鞍の調子乗りには天井がない。」
「………久しぶりに会ったってのに容赦ねえなあ。」
「つけ加えれば品性のなさには床板もない。野放図に生きるのも程々にしておく事だ。」
時雨はピシャリと言い捨ててから、軍鶏を口に運ぶ。
鐙が思うに彼女の敬愛する壬生時雨は何より礼節を重んじる。
唯一の例外が幼少の頃からの付き合いであるこの荒武者だ。
馬鞍を相手にする時だけは時雨の言葉に毒が入る。それだけ屈託のない付き合いなのだろう。
昔から女剣客と荒武者の後をついて回っていた鐙は、二人の関係を少し羨ましく思う。
時雨が馬鞍に恋愛感情を持っていなさそうだと分かった時には、心底ホッとしたものだ。
男女の間に友情は成立しないという言葉があるが、鐙はそうは思わない。
生きた事例が目の前にあるのに、信じない方がどうかしている。
「鐙も食べろ。馬鞍が軍鶏を食い尽くすぞ。」
時雨に声をかけられた鐙は箸をとり、鍋から軍鶏肉を椀にとる。
追加の軍鶏肉を頼んだ方がよさそうだ、鐙はまたインターフォンに手をかけた。
「そういや時雨、オメエ弟子を取ったんだってなぁ。聞けばあのアギトの甥っ子らしいじゃねえか。物好きだねえ、おめえも。」
「マリカに頼まれてな。だがアギトと容姿こそ似ているが、性格はまるで違う。筋もいい、怖いくらいにな。今はまだ師匠ズラをしていられるが、早晩、私を越えてゆくだろう。」
馬鞍の箸が止まり真剣な顔になる。「獅子髪」の異名通りの猛き獅子の顔だ。
鐙はインターフォンを置いた、会話の邪魔をしたくなかったからだ。
「おいおい、鏡水次元流を極めた壬生時雨って剣客は、素質だけで越えられるような壁じゃなかろうよ。」
「素質だけなどと言ってはいない。会えば分かる。天掛彼方には牙がある、とな。マリカも私も彼方を狼に育てたいのだ。アギトのような餓狼ではなく、気高さを持った真の狼にだ。」
馬鞍が煙管を取り出したので鐙は灰皿を卓上に置き、火を点けてやる。
「えらく彼方って小僧を買ってるみてえだな。俺もチョイとばかり興味が出てきたぜ。今度ツラァ拝みにいってみるかね。」
プカリと口から煙の輪を吐き、煙管をコンコンと灰皿に打ちつけながら馬鞍が言葉を返す。
「見物したいなら明日の5時に墓場外れの空き地にくるがいい。彼方はト膳に稽古をつけてもらうのだそうだ。相手があのト膳だからな、心配なので様子を見に行こうと思う。大怪我をしそうなら止めねばならん。」
「ト膳が稽古ぉ? どんな手を使ったか知らんが、よく承知させたもんだ。人殺しを上達させたきゃ人を殺すしかねえってのが奴の持論だろうがよ。」
鐙が控え目に口を挟んだ。
「カナタさんは少し不思議な方なのですよ。」
「不思議ねえ、どう不思議だってんだ?」
酌をしようとした鐙を手で制し、手酌で酒を飲み始めた馬鞍は自分の言葉の矛盾に気付かなかった。
「理由が分かれば不思議とは言わん。不健全な本だけではなく、たまには辞書でも読め。」
エロ本と言わないあたりが壬生時雨という人間の性格を端的に表している。
「経本ならともかく辞書なんざ読めるか。しかしト膳と言やあ、まさか奴と肩を並べて戦う羽目になるたぁ思わなかったな。人の縁(えにし)ってのは分からんもんだ。」
「うむ、まったくだな。」
経本ならともかくとはよく言ったものだ。寺で育てられた癖に経本を一冊も読まなかったという事ぐらいは知っていると時雨は思ったが、面倒なので口にはしなかった。
時雨は過去を回想する。馬鞍の言う通り、人の縁は分からぬものだ。まさかガーデンでト膳と再会するとは。
壬生時雨の父、壬生観流斉の鏡水次元流道場はかつて神楼にあった。
そこにフラリと現れた道場破りが大蛇ト膳だった。
正確にはその頃の大蛇ト膳はまだ名無しの少年で、方々の道場を荒らして回っており、道場主達からは厄災大蛇と呼ばれて恐れられていた。
その大蛇少年は神楼一と呼ばれた剣客、壬生観流斉時定に挑むべく鏡水次元流道場に現れたという次第である。
大蛇の力量を感じとった時定は血気にはやる弟子達を制してこう言った。
「君が道場破りの厄災大蛇か。確かに蛇のようだが大蛇ではなく小蛇だったようだ。噂に尾ヒレはつきものと言うが、本当に尻尾がついていたか。」
「口喧嘩しにきた訳じゃねえ、さっさと抜きな。今のうちに遺言も書いとけ。そんぐらいは待っててやるからよ。」
時定は神棚に飾ってある愛刀、明鏡止水を手に取り正眼に構える。
「ところで少年、いささかこの立ち合いは不公平だと思わないかね?」
「あぁん? 立ち合いじゃなくて殺し合いしにきてんだ俺ぁ!」
「そこだよ。私は敗れれば道場の看板だけでなく、命まで失う訳だ。で? 私が勝ってなにか得るものがあるのかね?」
「四の五の言ってねえでかかってきな!」
厄災大蛇と呼ばれる少年、いや悪童は時定の構えに全く隙がないことを本能で嗅ぎ取っていた。
今までの名ばかりの雑魚とは違う。こういう奴には先に仕掛けさせるべきだという事を、悪童剣鬼は誰に教わるでもなく知っていた。
「どうだね? 私が勝ったら一年間、道場の下働きをしてもらおう。それでこそ公平と言うものではないかな?」
「テメエが勝ったらそうしてやらぁ!」
悪童剣鬼に下働きなどする気はない。
負けた時は死ぬ時だ、死体に下働きをさせたきゃやってみりゃいい。そう考えていた。
「うむ、剣に懸けて二言はないぞ、では…………勝負だ!」
鏡水次元流の歴代継承者の中でも最高の達人と称される壬生観流斉時定と、剣鬼大蛇の決闘はこうして始まった。
その勝負を見守る門弟達は、師が自ら相手をした理由を理解した。
この道場破りの悪童は闘争の申し子、殺し合いの天才だったのだ。
自分達では到底及ばぬ鬼子、そして時定でさえ必勝とは言えぬ使い手。決闘は時を置かずに死闘に代わった。
その一刻にも及ぶ死闘を制したのは、経験に勝る時定だった。
剣鬼は左腕を斬り落とされ、直ぐに病院へ運ばれた。
だが悪童大蛇は手当ての甲斐あって無事に縫合された腕を、何故か引き千切って病院から逃走した。
こうして道場破りの一件は終わったかのように見えた。
しかし一ヶ月後に次元流の門弟達を驚かせる事件が起きる。
隻腕になった悪童大蛇が道場に帰ってきたのだ。
そして悪態をつきながらも一年間、道場で下働きを務めた。
名無しの悪童に時定は大蛇ト膳と名をつけた。後の「人斬りト膳」はこうして生まれたのである。
そして約束の一年が過ぎ、ト膳が道場を出ていく日に、時定は一振りの刀を手渡した。
「下働きの駄賃代わりに、この刀を持っていくといい。」
「駄賃なんざいらねえよ。神棚にでも祭っとけ。」
「この刀は神棚に祭るような代物じゃなくてね。いわく付きの兇刀だ。」
名刀宝刀には興味を示さなかったト膳だが、兇刀には興味を持ったようだった。
「へっ、俺を厄介払いするついでに兇刀の厄落としもしようってか。食えねえ親父だな。」
「この刀の厄を落とすのは無理だ。何故ならこの刀が厄そのものなのでね。………怨霊刀餓鬼丸、それがこの刀の名だ。」
「名こそ餓鬼だがガキの持ちモンじゃねえってか。おもしれえ、下働きの駄賃代わりに貰っとくぜ。」
ト膳は呪われた刀を受け取り、腰に下げる。兇刀は使い手に災いをもたらすと言うが、ト膳は気にもとめない。
災い=危険である。どんな危険を呼び込んでくれるのか、楽しみですらあった。
「言っておくが餓鬼丸は使い手に厄災を呼び込む。ト膳君には望むところだろうがね。碌な死に方も出来まいが………それも気にはならんのだろう?」
「壬生の親父よ、俺みてえなのが畳の上で死ねるワキャねえだろ。親父は畳の上で時雨に看取られながらおっ死にな。…………あばよ。」
父、時定の着物の裾(すそ)を握っていた年端もゆかぬ時雨が、おずおずと声をかける。
「…………とぜん、行っちゃうの?」
「おう、約束の一年は済んだからな。オメエも達者でな。いい女になれよ。」
「…………またあえる?」
ト膳は首を振る。
「俺みてえな験(げん)の悪い奴にゃあ縁がねえのが一番よ。もしまた会う事がありゃあ、そりゃオメエにとっちゃ不幸な話なんだぜ?」
雌伏の時を終えたト膳は振り返る事もなく、一陣の風とともに去っていった。
「また会う事があれば私にとっては不幸な事、か。別に不幸でもなかったが。」
時雨は猪口(ちょこ)を口にしながら述懐する。
「これから不幸が待ってんのかもしれんぜ?」
馬鞍は鐙のキツい視線に気付いて鼻の頭を掻いた。
「縁起でもないことを言わないでください!」
「悪かった悪かった。時雨にこれから不幸があるとすりゃあ、婚期を逃しそうだって事ぐれえだろ。」
「馬鞍さん!………折檻です、お覚悟!!」
獅子のような髪を掴み、七味唐辛子の入った竹の器を容赦なく馬鞍の口に突き込む鐙。
弩鐙は壬生時雨の為ならば、遠慮も呵責もなく鬼になれる女である。
「七味唐辛子を口にいれんのはやめろぉ!うえぇ、辛っ!辛え!」
「お口が過ぎるからです!以後お気を付けあそばせ!」
「ひんぱいふんな………ひぐれが行き遅れににゃったら……俺が嫁にもらふきゃら……」
壬生時雨は父から譲られた愛刀、明鏡止水の切っ先を、タラコのように腫れた馬鞍の口に突き付ける。
「断る!おまえの嫁になるぐらいなら、腹を切って死んだ方がマシだ!」
「ほ、ほこまぢぇいうふぁ?」
まったくしょうがない奴だと時雨は思う。
そういう事を鐙の前で言わないで欲しいものだ。
馬鹿なのは昔からだが、鐙の気持ちを少しは察しても良さそうなものなのに、全く気付きもしない。
しかし鐙も物好きな、こんなザンバラ髪の粗忽者のどこがいいのやら。
まあ、蓼食(たでく)う虫も好き好きという言葉もある。鐙が幸せになれるなら、それでいいのだが。
鞍と鐙は両方馬具だし、名前の相性だけは良さげではあるか。
いや、当分鐙は嫁にはやれないな、と時雨は思い直した。
こんな馬鹿には鐙は勿体ない、というだけではない。
嫁にやったら家事全般を鐙に依存している自分が困るという事に、遅まきながら気が付いたからである。
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