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富も名声も力も持たざる者の大航海

ムーンライト海運

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案内された先には船医が居て、手早くエルの怪我を手当てしてくれた。
傷が広がっていて、このままでは本当に危なかったとの事だ。

この世界に会社という概念があったことには驚いたが、よく考えれば東インド会社だって17世紀には存在していた。
現在の会社とはいろいろと違うものだったかもしれないが、それはこのムーンライト海運にも言えることか。


「綺麗でしょう、私の船。我が社の自慢の品よ。迷わないよう、地図を渡しておくわ。それと、名刺」


「は、どうも。……お手頃なパンフレットサイズだ」


「船内見学者は珍しくないのよ」


俺達は今、医務室のすぐ隣の空き部屋にいる。
まともな状況下だったら、どちゃくそ綺麗な社長さんと二人っきりとか、緊張がやばくて耐えられなさそうだ。

……しかし、本当によく目立つんだろうなこの人。
ゴシック風のドレスまで着ちゃってまぁ……よくお似合いで。

名刺には、クラリス=ドラミーラと書かれている。
複数枚持ってる様子だが、デザインも文字もきっと全て手書きだ。
印刷技術が無いからなのか、個人の趣味かは分からないが……なんだろう、もらえたことが嬉しくなる名刺だ。


「次の目的地はミーシャタウン、アバン共和国領の小さな港町ね。到着までは大体一週間ってとこかしら」


「それまで何をすれば?……ご覧のとおり、金も物もろくに無いんですが」


まぁ実際はアレだ、エルの四次元バックパックにぶちこまれているだけだ。
俺にも取り出せないのが問題だが。


「そう言ったものを要求するつもりはないわ。取れるところから取ってるから、個人から細々巻き上げる理由がないのよ。……あぁでも、仕事の手伝いくらいはしてもらえるかしら」


「どんなものがあるんすか?」


「船内の清掃、整備、魚でも釣ってくれれば食料調達になる。夜間の警備、荷物の整理整頓、及び状態チェック。……どこも人手は欲しいはずよ」


説明を受けていると、部屋に船医が入ってきた。
どうやら、エルの治療は上手くいったらしい。
停泊しているとは言え、多少なりとも揺れている船内で傷を塞げる辺り、この人の腕はかなり良いのだろう。


「今日のところは、あの子の隣ででも寝てなさい。明日の朝にでも、あなたをみんなに紹介するわ。じゃあ、おやすみなさい」


そういうと、クラリス社長は部屋から出ていき、それから船医と俺が後にする。
エルはというと、さっきまでの真っ青で死にそうな顔から一転、籠城中と同じような幸せそうな顔で眠っていた。


「すやぁ……」


「傷はちゃんと塞いだし、造血作用のある魔法薬を注射してある。きっともう大丈夫だろう」


「ありがとうございます。……よかったなぁ、エル」


「すやぁ……」


それから間もなく、船は出航。
俺は人生初の船旅に、こっそりとテンションを上げた。


「これが船旅か……。ふふふ、元の世界では、一度も体験できなかったが……ふふふ、楽しみすぎて吐き気がする……ん、吐き気?」


出航してから10分足らず、頭がクラクラしたかと思うと猛烈に気持ちが悪くなってきた。


「な、まさかこれは……ッ!」


飛び出しそうになったので口を押さえて無理矢理耐える。
ふふふ……やってくれるじゃねぇか、おい。


「これが船酔い……か……!だが、俺も修羅場を潜り抜けまくった男、この程度には屈しねぇ!」


見ていろ船酔いめ、俺は一週間、お前を耐え抜いて――


「アカンやっぱ無理」


意地張ったせいで人権を失う前に、俺は甲板へと飛び出した。
そして縁から頭を出し――


「オロロロロ」


「お、さっきのボーズが洗礼を受けてるぞ」


「ははッ!今日の賭けはお前の勝ちだな!ほら、持ってけよ!」


意識の遠退く俺の後ろで、たぶんさっき囲んだメンツの誰かであろう男達がギャンブルに勤しむ声がする。
人がゲロってるのにそれでギャンブルしてんじゃねーよ殺すぞ。

それでも悪人ではないのか、ちゃんと水をくれたり背中をさすってくれたりしてくれる。
この辺りのケアも流石に手慣れている……客室乗務員みたいだな。


「気にすんなよボーズ。大体みんな最初はそんなもんだ」


「は、はい、なんかすんませオロロロロ」


「はっはっはっ!いいぞいいぞ!全部魚にくれてやれ!」


冷たい潮風が駆け回る甲板で、男三人が共に過ごす。
海の男の典型とも言える性格のこの二人、元の世界でも出会いたいもんだ。

おろんおろんして三十分も経ったころか。
急に気持ちが、すん……と静まった。


「……なんか慣れたわ」


「慣れるの早すぎねぇかボーズ!?」


「無理すんなよボーズ!船内でぶちまけたら船外に放り出すぞ!」


「いや、なんか……むしろ爽快感すらある。そうか……これが神の領域……あぁ、なんと素晴らしい……」


「脳ミソまで魚のエサにしちまったか?」


「かもなぁ」


神の領域かどうかは知らないが、驚くほど気持ち悪さがなくなっている。
本当にもう、すん……とか、すとん……とか、そんな感じで気持ち悪さが消え――


「オロンロンロロンッ!!」


「ほーらみろ、慣れるわけねーんだよそんなすぐに」


神の領域はすぐに吹き飛んでしまったが、空が白み始めてからは本当に気分がよくなり、魚のエサを無償提供する慈善事業からは足を洗うことができた。
そして医務室に戻ると、エルが体を起こした状態でぼー……っとしていた。


「よう、エル。具合はどうだ?」


「……」


「エル?……どうした、大丈夫か?」


問いかけても反応しないエル。
不審に思って近付くと、彼女の顔が真っ青になっているのに気がついた。
表情も虚ろで、まるで末期の病に苦しむ某のそれだ。


「おい、エル?大丈夫か?どこか痛いとか、苦しいとか――」


エルはスッと立ち上がったかと思うと、医務室を飛び出した。
傷は塞がったとは言え、激しく動けばまた開くだろうしそれでは治療の意味がない。


「待てよエル!お前、まだ動き回れる体じゃ――」


なんとか追い付いたエルは、甲板の縁に呆然と立ち尽くしていた。
このまま海に落ちてしまうんじゃないか、そんな不安が俺を襲った。


「危ないっておい、エル!」


体を掴まねば、支えねば、俺は慌てて駆け寄る。
その時だ、彼女の体がぐらりと傾き、そして――


「オロロロロ」


「おっ!お嬢ちゃんの方も洗礼を受けてるぜ!」


「んだよ、まーた俺の敗けかよ。ほら、持ってけ!」


――魚のエサの無償提供を始めた。


「う゛ぇええ……きぼぢわる……」


「あの、エル……?傷は?え、酔っただけ?」


「傷゛ぅ……?乙女の尊厳ほど大事ですか、それおろろ」


さっきまでの俺と同じ状況になったエル。
お前、普段からふよふよ浮いてる割に船には酔うのか。
船でダメならもっと酔うだろ普段のお前。

ただ、やはり普段の行いの違いからか、エルはすんなりと復帰した。
俺もふよふよ浮けたらもう少しマシだったんだろうか。


「傷はもう良いのか、エル」


「完全ではないですねー。でも、もう大分良い感じですよ」


また、あのクソほどシミる傷薬でも塗りたくったのだろうか。


「それにしても、船旅ですか……」


「何か思い出でもあるのか?」


「いやぁ、海って危ないんですよ。地上よりも巨大なモンスターがたくさんいますし」


「え、こわ」


「それでも生き残り続けている方々の船とは言え、油断はできません。ユーマくん、浮かれてたら海の藻屑にしますね」


不穏すぎる一言の後に、クラリスさんから俺達にお呼びがかかる。
どうやら、朝食と簡単な紹介をするとの事だ。

こうして、俺の大航海伝説は始まりを迎えた。
待っていろ、財宝!
……いや違う、魔王!
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