Dark Night Princess

べるんご

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嘲笑う紅道化

数多の教えと――

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 ルナのバイトは一つだけではない。
荷運びが終わった次はホテルでの作業が待っている。
こちらは仕入れた物資の搬送も含まれてこそいるが、メインとなるのは客を迎え入れるための準備だろう。
使用済みの食器の洗浄から始まり、部屋の清掃、パーティー会場のセッティングなど、多岐にわたる仕事をギュンターに仕込まれている。
その過程で、どこでも通用するテーブルマナーや言葉遣いまで徹底的に、だが決して厳しさを感じさせない柔軟さで仕込み、ルナは不完全なれど許容される程度にはしっかりと対応できるようになった。

 まるで優れた教員のようで、尚且つ親しみやすさのある、日本事情に精通した紳士。
迎えに来てくれた高級外車の中で、ルナは自分がどのようにするべきかを彼に問う。
百歳を超えているとは言え、彼もクラリスよりもずっと人間に近い吸血鬼であるというのも、理由に含まれている。


「君はまだ、人の血液を直接吸ったことがないんだったかな?」


 真夜中の高速道路を走りながら、彼は問う。
車が少ないからか、かなり容赦の無いスピードを出している。
助手席のオーギュストは、跳ね上がっているメーターを見ながら楽しそうにしているが、彼も本来はスピード狂なのかもしれない。


「はい……。クラリスと私が同じなら、多分吸血鬼になっちゃうことはないんですけど……」


「あの方の場合は、自分の意思を介在させられる分、吸血鬼としての能力を高めておく必要がある。今の君では、どれだけ願っても吸血鬼には出来ないだろうね」


 ハッキリ言われてしまうと、残念なような安心したような、なんとも言い難い複雑な気持ちになる。


「ギュンターさんは、どういう方式……と言うべきかどうか分からないけど、仲間ってどうやって増やすんですか?」


「私の場合は、噛み付いた相手に左右される。体質的に適合しなければ人間のままだし、適合していればすぐに吸血鬼化する。そういうこともあって、私も積極的に噛み付いたりはしないな」


 彼は決して好戦的な吸血鬼ではない。
だが、自身や仲間を狙われたときは、容赦なく戦いに身を置くらしいのだ。
流石は元軍人と言うべき、優れた戦い方をするというのが、クラリス達の評価だ。
その穏やかさ故に人を襲うことは少ないが、襲う場合には迅速且つ冷淡にこなしてしまう、少々恐ろしい男である。


「人を襲って、殺しまでせずとも血液を奪う。……君には抵抗が強いだろうから、そうではない他の方法で吸えるようになろう」


「は、はい!よろしくお願いします!」


 ホテルに到着後、彼女はミーティングルームと書かれた、学校の教室とさほど変わらない広さの部屋に案内された。
そこでギュンターは、ホワイトボードを活用して授業を始める。
ホワイトボードの上をマーカーが走る音は、ルナにはとても懐かしく感じられる。


「相手を襲撃することなく、血を吸う方法。これは手間はかかるが、決して不可能ではない。まず真っ先に浮かぶのは、血液の提供者ドナーを集めることだ」


「あ、そのやり方知ってます!船の人たちが、そうやってるって言ってました!」


「狭いコミュニティで生活する場合は、非常に有力な手段だ。だがこれは吸血鬼も提供者も、数が増えれば増えるほどリスクが増えてしまう。提供者側に、あれこれ吹聴する人間が紛れてしまうからね」


 彼は提供者を探し、集める、ただし小さいコミュニティ向け、とホワイトボードに書き込んでいく。


「他には、事故のどさくさに紛れるのも手だ。事故と言っても、大きな事故である必要はない。包丁で指を切ってしまったとか、そんなもので構わない」


「でも、突然指を咥えたら変な目で見られません?」


「そう、それがこのパターンにおけるリスクだ。傷に口をつけても変な目で見られない程度に理解と、親好を結ぶ必要がある。ちなみにこれは、吸血鬼であることを明かさない前提のパターンだ」


 彼は事故を狙う、ただし人の目は気にする必要あり、と書き込む。
続けて先ほど挙がったリスクについても書き込んでいき、質問を投げ掛ける。


「このパターンにおけるリスク、他には何が思い付く?」


「え?えーっと……多分、直接口につけるので、吸血鬼になっちゃうかもしれない……とか?」


「正解だ。私達にもメカニズムは分かっていないが、滴っているものならともかくとして、傷口から直接舐めたり吸ったりすれば、吸血鬼化させてしまうリスクがあるらしい。君の場合は大丈夫だろうが、私にはリスキーな方法だね」


 ルナの答えを書き込み、赤いマーカーでそれを囲む。
非常に重要だということだろう。


「吸血鬼は、いたずらに増やしていいものじゃない。それも覚えておいてくれ」


「え?でも、仲間は多い方がいいんじゃないですか?」


 少し考えた後に、彼は答える。


「ジレンマとも言えるが、我々が増えれば増えるほど危険も増えていくんだ。グループ行動は、身の安全や食事の確保に有効だが、食事のために襲う人間の数も増え、必然的に祓魔師に眼をつけられやすくなる。血の味に狂わされ、見境なく人を襲う奴も実は、そんなに珍しくない」


 彼は挙げたものを一つ一つ書き込んでいく。


「人間としての倫理観を失った奴は……そうなった場合は、私やクラリス様から制裁を与えなければならない。……即ち、死だ」


「殺されちゃうん……ですか?」


「これまでのリスクも踏まえて考えるんだ。考え無しに吸血鬼を増やされるわけにはいかないのが分かるだろう?祓魔師に寄り付かれるのも厄介だ。増えれば増えるだけ、身を隠すのは難しくなるんだよ」


 クラリスが吸血鬼に手をかけるのを見たことはないが、他の怪異を殺める動機と似通っていた。


「さて、本題に戻ろう。人を襲うことなく、血を得る方法は他に何がある?」


「うーん……輸血パック、とか?」


「それも血液に違いはないが、色々と混ぜ物がしてあったりする場合もある。他には、どうかな?」


 しばらく考えていたが、思い付かずに音をあげる。


「これはあまりオススメしないが……死んだばかりの死体から吸血するというのも手だ」


 ルナは背筋に寒気が走ったのを感じた。
死体の喉元に食らいつき、血を啜るなど想像したくもない。


「この方法ならば、人を傷つけることなく吸血出来る。傷を舐めとる以上に、他者からの目を気にしなければならないがね」


「で、でも……死んじゃった人を傷つけてるじゃないですか……。私はそんなの、嫌ですよ……」


「私だってそうさ。でも手段として存在するというだけだ。……吸血鬼の中には、自殺の名所とやらに張り込んで、死体を狙う者もいるそうだが、コイツらは基本的に狂っている、狂いつつある可能性が非常に高い。ただ本能のままに、動くものすべてに攻撃を加えようとしたりするんだ。もし、名所の近場を通るときは用心することだ」


 脳裏に浮かべてしまった悲惨な情景に、ただの妄想に過ぎないはずだというのに胸が苦しくなる。
まるで死者の怨嗟が聞こえるような暗い場所で、狂い果てた吸血鬼に襲われる、思わず身震いした彼女の顔は青白くなっていた。


「……休憩にしよう。もし君が一人前の吸血鬼になったら、私が手料理を振舞うよ。このホテルの新しい名物料理のアイデアが、湯水のように湧いてきているからね。それに一人、会わせたい人が居るんだ」


 彼女の様子に気遣い、彼は休憩がてらにレストランへと連れ出した。
明らかに身なりも、住む世界も違うであろう人々に紛れながら向かった先には、貸し切りの看板が設置されていた。
中には、このレストランを貸切ったのであろう一人の金髪碧眼の美しい女性が座っており、高価そうな食事を楽しんでいる。
彼女はこちらに気付くと、微笑みながら手を振りはじめた。


「久しぶりだね、カレン。元気だったかい?」


「ええ、もちろん。貴方は……可愛らしい彼女とお付き合いの真っ最中かしら?」


 二人が話しているのは英語に違いないのだが、ルナにはさっぱり分からない。
親しい友人、あるいは恋人同士だろうと推察することはできたが、具体的に翻訳するには英語力が足りないようだ。


「あの、ギュンターさん?こちらの方は……」


「紹介しようか。彼女はカレン=ダルク、フランス出身日本在住、そして私の――」


 ギュンターの言葉を遮るように、カレンの方からルナに手を差し伸べ、握手を求めてきた。
輝く笑顔に、ふわりと香る儚い花のような香り、美を極めたかのような彼女に魅了され、蕩けそうになっていたルナは、次の瞬間に飛び出した言葉に思わず硬直した。


「初めまして、チャーミングな犬歯のお嬢さん。私は言ってみれば、ギュンター専用の輸血袋よ」


「えっ……?」


 流暢な日本語で語られたその言葉、そして滅多に見せないであろうギュンターの驚嘆の表情。
これが彼女にとって、永遠に忘れられない女性との出会いであった。
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