Dark Night Princess

べるんご

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日ノ本妖魔裂傷戦線

港の夜

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 数日間に及ぶ船旅の果てに、ついにルナは帰還する。
かつての自分が生まれ育った、懐かしき極東へ。
もう自分を知っている者など誰も居ない、というどうにもできない相手に嫌われ、嫌がらせのようにその痕跡を消滅させられた、それでも彼女は、生きてこの地を踏めたことが嬉しかった。

 感涙に咽ぶルナと共に、異国の吸血姫は市街地のど真ん中で息をつく。
潮の香りが仄かに漂う極東の港町、寒空に輝く満天の星、彼女は幾百にも及ぶ国に足を踏み入れたが、その中には一つとして飽いた国など存在しない。
この極東の島国も、例外ではない。


「やっぱり……旅行はいいわねぇ……」


 時刻は丑三つ時を指し示し、街の明かりも減っていく。
ルナのすすり泣く声だけが耳に届く静かで平和な港町は、クラリスの心を落ち着けていく。
遠方への旅への胸の高鳴り、五百年を超えて生きた彼女であっても、それは変わることなく彼女と共にある。


「ルナ……あなた、いつまで泣いているの?そろそろ通報されるんじゃないかしら?」


「ご、ごめん……。でも、日本に帰ってこれたのが……生きて帰ってこれたのが、嬉しくて……」


 クラリスは感じたことのないその感情。
ふと思い返したあの日の、吸血鬼へとなったあの日を思い出し、クラリスは苦々しげな表情を一瞬、浮かべた。
だがその記憶は、今この時には必要ないものだ、その記憶を奥深くにしまい込み、また星を見上げる。
太陽に背を向け、日の光に当たれば焼かれる命、そんな彼女達でも月と星々は、優しく照らし続けてくれる。


「……うん、もう大丈夫。落ち着いたよ!」


 涙を拭い、顔をあげたルナの眼は赤くなっており、誰がどう見ても散々泣いたと分かってしまう。
どこか滑稽に見えたその表情を、クラリスはクスリと笑った。


「な、何で笑うの!?」


「鏡をごらんなさいな」


 公園を照らす街灯の中で覗いた手鏡の中、ぼろぼろの顔になった自分自身に悲鳴を上げる。
見かねたクラリスはため息一つの後に、彼女の顔の手入れを始めた。
何年生きようと女は女、身だしなみ一つ手を抜くことは、あり得ない。
少なくとも、クラリスには。

 どこに隠し持っていたのか、いくつもの化粧品が踊り狂い、泣き腫らしたルナを少しずつ整えていく。
ルナが扱ったことのない化粧品にメイク道具、如何ほどの値段が付くのかも分からないが、それらに釣り合っていなかった少女はもういない。
一人前のメイクを施されたその少女が、ずっと公園のベンチで泣いていたなどと言っても、誰一人として信じないだろう。


「今から夜明けまでに、近くの拠点まで向かうわ。それなりの距離はあるけれど、季節を考えれば間に合わない時間じゃない」


 すっかり綺麗に整えられたルナとともに、闇に溶け込むドレスの姫君は歩いていく。
エサを探すのに余念のない野良犬や野良猫は、その目的を忘れて彼女を見つめている。
それは異常な存在への恐怖から七日、それとも魔の魅力に惹かれているからなのか。


「クラリスが私と初めて会ったとき……何をしに来ていたの?」


 今までに尋ねたことのなかった質問。
思い返してみれば、まだまだクラリスの行動には謎が多い。


「今と同じ、ただの旅行よ。あとは……そのうち分かると思うけど、まぁ野暮用ね」


「クラリス、日本人より日本語の語彙力ありそうだよね。野暮用なんて口にする外人さん、会ったことないや」


「これから先、あなたが出会うのは大体みんなそんなもんよ」


「……ねぇ、今って何ヶ国後喋れるの?」


「さぁて、どの程度かしら。英語、日本語、ドイツ語、ロシア語、フランス語、イタリア語、中国に韓国に……あ、ヒエログリフも解読できるわ、少しなら」


「私も……そう、なれるかな?」


「死ななければ、その内に」


 他愛のない話を続け、街を歩いていく。
いつしか獣たちの姿は見えなくなり、潮風が強くなっている。


「あれ?お星さまやお月様が見えなくなってる……?」


 とある田舎町の十字路中央、明滅を繰り返す街灯の下で空を見上げるルナは、明らかな違和感を口にする。
となりで、十字路の先の深淵を睨んでいるクラリスに気付くこともなく。


「クラリス、雨でも降り――」


「静かに」


 冷たく放たれる一言には、独特な威圧感がある。
決して大声ではなく、怒気があるわけでもないが、その言葉はルナの体をビクリと弾ませるには十分すぎた。


「……こんな街中を餌場にしている、不届き者が居るようね?」


 二人揃って凝視する深淵の先の存在を、少しずつ理解する。
そこに居たのは一人の女、深紅のコートを羽織った長身の女、紅い雫の滴る包丁を握る、マスクを被った異常な女。
更にその一歩先には、血を流して倒れている男が一人。

 ルナの直感が叫んでいる、アレには近づいてはならないと。
アレは恐ろしいものだと、雪山で襲い掛かってきたシリアルキラーもどきとは比較にならない程、危険なものだと。
出会ったことがないはずなのに分かるその女の名前を、恐怖に堕ちた彼女は口にできない。

 クラリスの理性が叫んでいる。
身内に危害が及ぶ前に、これ以上被害が増える前に、嗅ぎつけてきた厄介な勢力がやってくる前に、アレは直ちに殺さねばならないと。
そして同時に思う、探す手間が省けたと。


「ワタシ、キレイ?」


 少しずつ歩み寄る女は、二人に問いかける。
街灯に照らされた彼女の血走った眼は、返り血を浴びた体は、一刻も早く逃走せねばと目撃者に思わせるには十分な風貌だ。


「えぇ、そうね。キレイな顔してると思うわ」


 女はゆっくりとマスクを外し、その下の素顔をさらけ出す。
そこにあったのは、両端を大きく引き裂かれ、鮮血をポタリ、ポタリと垂らし続ける彼女の口。
ニタリと笑って見えるその容貌を、日本の人々は四十年以上恐れ続けてきた。


「これでも?」


 彼女の名前は誰もが知っている、彼女ほど名のある怪異は多くは無い、日本国内における民間伝承の最上位の名声を誇る女が、そこに居た。


「えぇ、素敵ね。道端の犬のクソ以下程度には。そんな素敵なお顔、私だったら何度でも自害を選択するほどの美貌だと思うわ」


 クラリスの挑発に乗った女は、包丁を振り上げて彼女に迫る。
10mの間合いを一瞬にして詰めるその動きはすでに常人の及ぶ域ではなく、突き出された包丁に対処できる者など一握りにも及ぶまい。


「あらあら、お熱くなっちゃって……可愛らしいのね、意外と」


 首を逸らすことで回避し、伸ばされた腕に膝を叩きつけることでその骨を破砕する。
続けざまに腹部を蹴り、深淵までその身を弾き飛ばし、数十mは離れているであろうコンクリートの壁に叩きつけた。

 ただの人間であれば、臓物に脳髄にありとあらゆるものを弾き飛ばして絶命するであろう衝撃にも、その女は耐えきった。
あろうことか、恐ろしい笑みを浮かべながら。


「ルナ、どこか適当なところに隠れてなさい。あの女、そんじょそこらの怪異とは比較にならない相手よ」


 ルナは何度か頷き、その場から逃げ出した。
恐怖で足がもつれ、声も出せなくなりながら、それでも必死に。


「あなたの噂は聞いていたわ。最近、あっちこっちで殺しまくってるみたいじゃない。全国区の新聞で掲載される程度には、ねぇ?ハッキリ言って迷惑なの、あなたによりつくのはただの警官じゃあないのだから」


 血液の混じった涎を垂らしながら襲い掛かる女の動きは、先ほどの一撃ほど単調ではなくなり、相手の死角や急所を的確に狙った精細な動きになっている。
その一撃一撃を適切に回避し、防ぎ、次の攻撃に備えるクラリスだが、反撃に転じる隙間では女は与えてくれない。


「フフ……アッハハハ!いいじゃない、いいじゃない、いいじゃない!それでこそ、それでこそよ、それでこそ私が殺すに相応しい!果たし合いましょう?あなたの命が尽きるまで!現代妖怪の代表格、全土を恐怖に叩き落とした怪異、口裂け女さんとやらッ!」


 目を見開き、恐ろしい笑みを浮かべているのはクラリスも同じ。
楽しさのあまりに狂ってしまったかのような言葉と共に、彼女は楽しげに笑い続ける。
その手にはいつの間にか、巨大な鎌が握られている。
ルナと初めて出会った時にも握っていた、あの巨大な鎌だ。


「私も初めてよ、アナタのような狂った女。でもすぐ、本当にすぐよ。あなたを私とお揃いにしてあげる。果ての無い命を終わらせた後で、じっくりとね」


 火花が散り、金属音が響き、聞くものを恐怖に落とす笑い声を奏でながら、古き吸血鬼と現代妖怪は殺し合う。
星も月も無く、無機質な街灯だけが見守る港町で、二人の女が殺し合う。
思う存分の力をぶつけられる相手の出現に、狂喜乱舞するかのように。
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