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送り迎え

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 これは私が学生の頃、コンビニでアルバイトをしていた時の話だ。
 それは雨が多い季節の事。
 雨が降っている日と言うのは、普段と比べてお客さんの数が少ない。
 だからその日も、あまりお客さんが来ないものだから、暇を持て余してふらふらと売り場を歩き回って商品棚の埃を払ったり、雑誌売り場にある雑誌の表紙を眺めてぼんやりして時間を潰していた。
 そんな時、私はふと入り口に置かれた傘立てに放置されている傘があることに気が付いた。
 今、店内にはお客さんは誰もいないはずだ。
 たまにいつの間にか入店していた客が勝手にトイレに入って居たりすることもあるが、今はトイレの使用中プレートは青のままになっているし、誰もいない。
 売り場も今さっき自分が羽はたきを片手にふらふら回ったばかりなのだから、間違いない。
 …なのに、傘立てには傘が1本取り残されている。
 今ならコンビニに限らずドラッグストアなんかでも700円くらいで買える、何の変哲もないビニール傘。

(…雨が止んだ後ならともかく、まだ降ってる最中に傘を忘れるってどれだけ急いでたんだか)

 そんな風に心の中で見知らぬ誰かに呆れたりしながら、傘立ての方へと向かうと、傘を手に取り、確認してみる。
 壊れてはいない。
 壊れた傘を放置して行く客は多いが、今回はそう言う訳ではないようだ。
 名前などが書かれている様子もなかった。

(まぁ、ここが良く使うコンビニなら後で取りに来るかもしれないしな)

 私は、すぐに興味を失ってそのままその傘を傘立てに戻し、暇で仕方がない仕事へと戻った。
 その傘がその後に元の持ち主に回収されたのか、結局忘れ物として店長に処分されたのかを私は知らない。
 ただ、その後も何度か自分がシフトに入った日に限って雨が降っている…と言うことが重なって、その度にふと気が付くと傘立てに忘れ傘なんだか放置傘なんだかわからない置きっぱなしの傘を見掛けた。
 そして、世の中には案外うっかりしたやつが沢山いるんだなぁなんて呑気に思っていた。
 今はビニール傘だって別に安くはないから、毎回買い直していたら金額も馬鹿にならないだろうに…なんて他人事ながら少しばかりの心配をしたりもして。

 そんなある日、私は仕事を終わらせ帰宅しようとした時だった。
 ふと店長に呼び止められたのだ。

「ちょっと聞きたいんだけどさ。キミ、忘れ物の傘、勝手に持ち帰ってない?」

「え?」

 私は全く身に覚えがない。
 それこそうっかり自分の傘を忘れてしまったりしたら、持ち主が現れない忘れ物の傘をちょっと借りちゃおうか…なんてことを考えるかも知れないが、そもそも自分が出勤する時点で雨が降っていたのだから、私だって普通に自分の傘を差して仕事に来ているのである。
 自分の傘があるのにわざわざ他人の忘れ物の傘を持って帰る理由なんてない。

「私、持って帰ってなんていないですけど?」

 スタッフ用の傘立てから、パステルグリーンの傘を取り出しながら、そう答える私の声は少し不機嫌そうだったかも知れない。
 店長が幾分困ったように眉を下げて「ごめん、ごめん」と謝って来た。

「いやー…最近、傘立てに忘れ物多いじゃない?…傘立てに使ってない傘が放置されてると、他のお客さんが使えないから、ある程度経っても持ち主が取りに来なかったらバックルームに下げるようにしてるんだけどさ。そういう忘れ物の傘さ、キミが帰った後にいつも無くなってるんだよね」

「私が交代するくらいのタイミングでたまたま持ち主が取りに来ただけじゃないですか?」

「そりゃあ、一度だけなら僕だって偶然だと思ったよ。でも、もう1度や2度じゃないんだよ。それにキミと交代で入ってくれてる青木くんだって、キミが帰った後に傘がなくなってることは確認してくれたんだよ」

「はぁ………。そんなに言うなら監視カメラでもなんでも見て下さいよ。私は傘なんて盗ってませんし……」

 私が忘れ物の傘を盗んでフリマサイトで売りさばいているとでも言うのだろうか?
 馬鹿げている!
 妙な疑いをかけられて、私は酷く疲れてしまった。

 私がシフトに入った日に限ってよく見かける、傘立てに放置された傘。
 私が帰宅するタイミングに合わせたかのように、いつの間にか傘立てから姿を消してしまう傘。
 確かにこれでは、私が持ち帰ったと思われても仕方がない状況ではある。
 そうじゃなければ、傘が勝手に私について来てるかだろう。

(………なんて、そんな訳ある訳ないんだけど。…馬鹿馬鹿しい。)

 もうすっかり暗くなって、ひと気も殆どない帰り道。
 私は水たまりを避けながら歩く。
 変な疑いをかけられたせいで、何だかモヤモヤしてしまうし、いつも通りの帰り道のはずなのに何だか妙に心細い気持ちになってしまう。

 パチャパチャ……パチャパチャ……

 ふと後方から誰かが歩いている足音が聞こえて、なんとなく振り返るけれど、何故かそこには誰も居ない。
 雨の中だし、気のせいだったのかも知れないと思い込もうとする。
 けれど、何度も何度も。
 そんな風に誰かの気配と水たまりを踏む足音を聞いて振り返ってみても、そこには誰も居ない。

 さすがにそんな不気味な状況に恐怖を覚え、私は思わず駆け出してしまう。
 自分が強く地面を蹴って跳ね返ってくる雨水で靴もズボンもびしょ濡れになってしまうけれど、とにかく早く家に帰りたかった。
 しかし、私が走り出した直後、背後からもパチャパチャ!とやはり同じように駆け出したような足音が聞こえて来た。
 追いかけて来る!!!
 その上、その音は一つだけでなく、段々と足音が増えていく。
 雨音に交じって、まるで複数の人間が大勢で私を追いかけてきているような足音が私の耳まで届いていた。
 パチャパチャと言う雨を踏む音が次第に大きく激しくなって、どんどんこちらに近づいてくる。

(やだやだ……!!! …怖い怖い怖い……!!!)

 誰もいないはずだった。
 でも、たくさんの足音は確かに聞こえてくる。
 私はもう振り返ることが出来なかった。
 振り返って”何か”が見えてしまっても、何も見えなくても、頭がおかしくなってしまいそうで怖かった。

 私は途中で差していた傘を放り投げて全速力で家へと逃げ帰り、ずぶ濡れなのに着替えることもシャワーを浴びることも出来ないまま布団にくるまって怯えたまま夜を過ごした。
 雨の音に交じって、見えない"何か"が自分を追いかけてきているかもしれない……もうドアの前まで来ているかも知れない……そんな風に考えたら怖くて眠れなかった。
 一晩中震え続けて、やがて雨音が聞えなくなった次の朝、恐る恐る玄関のドアを開けた時、そこにあるものを見て、私は卒倒しかけてしまった。
 そこには昨日無我夢中で走っている最中に路上に放り投げたはずのパステルグリーンの私の傘が綺麗に閉じられ、立てかけられていたのだ。
 そしてその傍らには一本のビニール傘。
 私は黙ってそのままドアを再び閉じて、バイトを辞めることとこの家を引越すことを決意したのだった。
 
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