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最愛の人
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その訃報はあまりにも突然で、それを聞いた瞬間の僕はきっと間の抜けた顔をしていたと思う。
相手は間違いなく僕の使い慣れた日本語を話しているはずなのに、その言葉の意味がまるで頭に入ってこない。
それは全く知らない国の人たちの中に、突然僕一人が放り込まれてしまったようだった。
現実感がなくて、夢の中にでもいるような何処かふわふわした感覚。
けれど、自分の心臓が不自然なくらいに速く脈打っているのを感じる。
周りのざわめきがうるさくて、頭が割れそうだ。
気分が悪い。
この日、僕は最愛の恋人を失った。
交通事故だったと言う。
彼女が事故に遭ったのは、僕とのデート帰り道だったらしく、彼女の両親は僕と出掛けてさえ居なければ、あるいは帰宅するまで一緒にいたのなら、事故に遭わずにすんだかもしれなかったのに……と僕を責めた。
僕と彼女の交際は、もともと彼女の親にはあまり良い顔をされていなかったから、僕は病院に駆けつけるどころか、行われたであろう葬儀へも参列させて貰えなかった。
彼女の母親から電話で彼女の死を告げられ、これ以上うちに関わるなと釘を刺され、それでおしまい。
友人たちは、僕のせいではないし、彼女の両親も今は混乱していて何かのせいにしないと耐えられないだけで、本気で君のせいだと思っているわけではないはず……と慰めてくれたし、何より最愛の人を亡くしたのは僕も同じはず……と、心配してくれた。
その気遣いは確かに有り難かった。
最初こそあまりにも驚きと戸惑いが強いせいで涙すら出なかったが、だんだんと時間が経ち、彼女がもういないと言う実感が沸いてくると、じわじわと喪失感に蝕まれ、頭がおかしくなりそうだった。
もうこの世界の何処を探しても何処にも彼女はいない。
学校を探しても、彼女の部屋に向かっても、何処にも。
僕は毎日、彼女が事故に遭ったと言う交差点に赴き、花やお菓子を備えた。
彼女が一人暮らししていた部屋も彼女の両親に引き払われてしまっていたし、もうここに花を備えることしか出来なかったんだ。
この交差点は交通量が非常に多く、信号が変わるのを待つ以外に渡るのは難しいような場所だ。
うっかり強引に道路を横断しようとなんてしたなら、すぐさま走ってきた車に撥ね飛ばされてしまい、運がいくら良かったとしても大怪我は免れないだろう。
しかし、普段から信号はしっかり守る子だったし、彼女はきっと飛び出しや信号無視なんかはしていないはずだ。
そうなれば、車側の信号無視や飲酒運転か何かが原因だったのかも知れない。
そんな風に僕は、悲しいのか悔しいのか、言葉にし難い複雑な想いを抱いていた。
ふと、何かに引き寄せれるような思いで、ふらふらと車道に飛び出しそうになり、けたたましく鳴らされたクラクションにはっと我に返った。
いけない。
やはり僕は恋人を亡くしたショックで何処かおかしくなっているようだ。
後ずさりしつつ目を擦る。
「……?」
僕は目を疑った。
明らかに速度違反の車がビュンビュンと走り抜ける車道の向こう側から"なにか"がこちらに近付いてくるのだ。
それは長いボサボサの黒髪に、ところどころ破けてボロボロのワンピースを身につけた女性だ。
足が悪いのか、明らかになにかおかしい歩き方をしている。
よろよろと、微妙に傾きながら、ぴょこぴょこと跳ねるように。
乱れた黒髪とボロボロの衣服も相まって、その様子はただただ不気味で、明らかに異質な存在だった。
そして僕は気がついてしまう。
その女が身に付けているのは、自分が最後に恋人とデートした時に着ていたワンピースと良く似ていた。
彼女の歩き方がおかしいのは、手足が変な方向に折れ曲がっていたからだ。
ボサボサに乱れた黒髪に隠されていた彼女の顔は、見るも無惨に引き潰され、人の顔かも分からないような状態になっているありさまで、僕はその凄惨な状態に悲鳴すらあげられなかった。
生前の面影もないその姿に僕はただただ恐怖した。
彼女は親しげに僕の方へと近付いてくる。
走り抜ける車に牽かれることなくその隙間をふらふらとすり抜けて歩く姿は、人間には到底無理な芸当だ……。
目玉が取れてしまっているのか、目の辺りにある黒い黒い窪みが僕を見つめる。
血塗れで骨の飛び出した右手を僕の方へと伸ばす。
オオオオ……
呻き声のような、唸り声のような、低く……腹に響くような重たい音が、唇のなくなってしまったウロから発されている。
「ひっ……!」
僕は怖くなって、慌てて踵を返すと一目散に逃げ出した。
後ろからはまるで僕を呼び止めようとでもしているような彼女の鳴き声が聞こえた。
アアアア……オオオオ……
そんな、獣が低く呻くような声が。
逃げきれてなんかいなかったと僕が知ることになるのは、それから間もなくで、彼女はどこにでも現れるようになった。
その上、僕以外の人間には彼女の姿は見えないようだ。
半狂乱になった僕が助けてくれと周囲の人間に助けを求めても、僕の頭がおかしくなってしまったと可哀想なものを見る目で見られるだけだった。
彼女は僕に何をするでもなく、ただひたすらにその潰れた顔の窪んだ瞳で見つめてくる。
なにか訴えたいことがあるのか、恨み言でも言いたいのか、ただただそばにいる。
彼女の姿は事故後の彼女の姿なのか、あちことが破損しボロボロだ。
その姿はあまりにもむごたらしくグロテクスで、僕は直視できないままではあったが、それでも少しずつ……いつでも視界に入り込んでくる彼女の存在にも慣れていった。
彼女は死後も変わらず僕を愛しているから、離れがたくてこうしているのかも……なんて思うようになっていた。
そんなある日だった。
僕が体調を崩し、入院した大学病院で信じられな再会を果たした。
大慌ての様子で病院へと一番に駆けつけてくれたのは、半年前に死んだと聞かされていた恋人だった。
話を聞けば、僕と別れさせたい彼女の両親が、事故の後、自分の意識が戻らないうちに自分が死んだと嘘をつき強引に別れさせようとしたのだと言う。
気がついた後にそれを聞いた彼女は、僕に迷惑をかけてしまったことを謝りたかったが、時間も経ってしまっていたから今さらどんな顔をしたら良いか分からなかったと……。
それでも人伝に僕が倒れたと聞いていても経ってもいられず来てしまった……と、泣きながら謝罪してきた。
僕は驚きよりも怒りよりも、再び彼女と逢えたことが嬉しくて、彼女が生きていてくれたことが嬉しくて、全てを許した。
ベッドサイドで泣きながら僕の手を握ってくれる彼女を、心から愛おしいと思った。
そして絶望した。
それならあの女は誰なんだ。
女は、彼女の背後から今も僕を見ている。
相手は間違いなく僕の使い慣れた日本語を話しているはずなのに、その言葉の意味がまるで頭に入ってこない。
それは全く知らない国の人たちの中に、突然僕一人が放り込まれてしまったようだった。
現実感がなくて、夢の中にでもいるような何処かふわふわした感覚。
けれど、自分の心臓が不自然なくらいに速く脈打っているのを感じる。
周りのざわめきがうるさくて、頭が割れそうだ。
気分が悪い。
この日、僕は最愛の恋人を失った。
交通事故だったと言う。
彼女が事故に遭ったのは、僕とのデート帰り道だったらしく、彼女の両親は僕と出掛けてさえ居なければ、あるいは帰宅するまで一緒にいたのなら、事故に遭わずにすんだかもしれなかったのに……と僕を責めた。
僕と彼女の交際は、もともと彼女の親にはあまり良い顔をされていなかったから、僕は病院に駆けつけるどころか、行われたであろう葬儀へも参列させて貰えなかった。
彼女の母親から電話で彼女の死を告げられ、これ以上うちに関わるなと釘を刺され、それでおしまい。
友人たちは、僕のせいではないし、彼女の両親も今は混乱していて何かのせいにしないと耐えられないだけで、本気で君のせいだと思っているわけではないはず……と慰めてくれたし、何より最愛の人を亡くしたのは僕も同じはず……と、心配してくれた。
その気遣いは確かに有り難かった。
最初こそあまりにも驚きと戸惑いが強いせいで涙すら出なかったが、だんだんと時間が経ち、彼女がもういないと言う実感が沸いてくると、じわじわと喪失感に蝕まれ、頭がおかしくなりそうだった。
もうこの世界の何処を探しても何処にも彼女はいない。
学校を探しても、彼女の部屋に向かっても、何処にも。
僕は毎日、彼女が事故に遭ったと言う交差点に赴き、花やお菓子を備えた。
彼女が一人暮らししていた部屋も彼女の両親に引き払われてしまっていたし、もうここに花を備えることしか出来なかったんだ。
この交差点は交通量が非常に多く、信号が変わるのを待つ以外に渡るのは難しいような場所だ。
うっかり強引に道路を横断しようとなんてしたなら、すぐさま走ってきた車に撥ね飛ばされてしまい、運がいくら良かったとしても大怪我は免れないだろう。
しかし、普段から信号はしっかり守る子だったし、彼女はきっと飛び出しや信号無視なんかはしていないはずだ。
そうなれば、車側の信号無視や飲酒運転か何かが原因だったのかも知れない。
そんな風に僕は、悲しいのか悔しいのか、言葉にし難い複雑な想いを抱いていた。
ふと、何かに引き寄せれるような思いで、ふらふらと車道に飛び出しそうになり、けたたましく鳴らされたクラクションにはっと我に返った。
いけない。
やはり僕は恋人を亡くしたショックで何処かおかしくなっているようだ。
後ずさりしつつ目を擦る。
「……?」
僕は目を疑った。
明らかに速度違反の車がビュンビュンと走り抜ける車道の向こう側から"なにか"がこちらに近付いてくるのだ。
それは長いボサボサの黒髪に、ところどころ破けてボロボロのワンピースを身につけた女性だ。
足が悪いのか、明らかになにかおかしい歩き方をしている。
よろよろと、微妙に傾きながら、ぴょこぴょこと跳ねるように。
乱れた黒髪とボロボロの衣服も相まって、その様子はただただ不気味で、明らかに異質な存在だった。
そして僕は気がついてしまう。
その女が身に付けているのは、自分が最後に恋人とデートした時に着ていたワンピースと良く似ていた。
彼女の歩き方がおかしいのは、手足が変な方向に折れ曲がっていたからだ。
ボサボサに乱れた黒髪に隠されていた彼女の顔は、見るも無惨に引き潰され、人の顔かも分からないような状態になっているありさまで、僕はその凄惨な状態に悲鳴すらあげられなかった。
生前の面影もないその姿に僕はただただ恐怖した。
彼女は親しげに僕の方へと近付いてくる。
走り抜ける車に牽かれることなくその隙間をふらふらとすり抜けて歩く姿は、人間には到底無理な芸当だ……。
目玉が取れてしまっているのか、目の辺りにある黒い黒い窪みが僕を見つめる。
血塗れで骨の飛び出した右手を僕の方へと伸ばす。
オオオオ……
呻き声のような、唸り声のような、低く……腹に響くような重たい音が、唇のなくなってしまったウロから発されている。
「ひっ……!」
僕は怖くなって、慌てて踵を返すと一目散に逃げ出した。
後ろからはまるで僕を呼び止めようとでもしているような彼女の鳴き声が聞こえた。
アアアア……オオオオ……
そんな、獣が低く呻くような声が。
逃げきれてなんかいなかったと僕が知ることになるのは、それから間もなくで、彼女はどこにでも現れるようになった。
その上、僕以外の人間には彼女の姿は見えないようだ。
半狂乱になった僕が助けてくれと周囲の人間に助けを求めても、僕の頭がおかしくなってしまったと可哀想なものを見る目で見られるだけだった。
彼女は僕に何をするでもなく、ただひたすらにその潰れた顔の窪んだ瞳で見つめてくる。
なにか訴えたいことがあるのか、恨み言でも言いたいのか、ただただそばにいる。
彼女の姿は事故後の彼女の姿なのか、あちことが破損しボロボロだ。
その姿はあまりにもむごたらしくグロテクスで、僕は直視できないままではあったが、それでも少しずつ……いつでも視界に入り込んでくる彼女の存在にも慣れていった。
彼女は死後も変わらず僕を愛しているから、離れがたくてこうしているのかも……なんて思うようになっていた。
そんなある日だった。
僕が体調を崩し、入院した大学病院で信じられな再会を果たした。
大慌ての様子で病院へと一番に駆けつけてくれたのは、半年前に死んだと聞かされていた恋人だった。
話を聞けば、僕と別れさせたい彼女の両親が、事故の後、自分の意識が戻らないうちに自分が死んだと嘘をつき強引に別れさせようとしたのだと言う。
気がついた後にそれを聞いた彼女は、僕に迷惑をかけてしまったことを謝りたかったが、時間も経ってしまっていたから今さらどんな顔をしたら良いか分からなかったと……。
それでも人伝に僕が倒れたと聞いていても経ってもいられず来てしまった……と、泣きながら謝罪してきた。
僕は驚きよりも怒りよりも、再び彼女と逢えたことが嬉しくて、彼女が生きていてくれたことが嬉しくて、全てを許した。
ベッドサイドで泣きながら僕の手を握ってくれる彼女を、心から愛おしいと思った。
そして絶望した。
それならあの女は誰なんだ。
女は、彼女の背後から今も僕を見ている。
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