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ゴースト

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 俺の彼女は作家をしている。
 何とかって言う有名な賞を10代の若さで受賞し、当時はテレビや雑誌なんかでもかなり取り上げられたことがあると言う、ある種の有名人だ。
 若き天才だとか、美人作家だとか…。一時期は相当騒がれていたらしい。
 ”らしい”と言うのは、恥ずかしながら俺が本どころかテレビや雑誌なんかをほとんど見ないタイプの人間で、そう言った流行ものに疎かったからだ。
 …とは言え、そんな有名人の彼女とどうして俺が付き合っているのか…と言うと、単純に大学が一緒だったことがきっかけだ。
 最初は彼女が作家であることを知らなかったのだけれど、普段は物静かなのに趣味の話をする時だけは多弁になるところも、話の内容も知識が深くて面白いところも、凄く魅力的で可愛らしい人だなぁと思った。
 最初は一緒になった講義でたまたま隣になったことがきっかけで軽く話をするようになった。
 何度か話しているうちに昼食を一緒に食べるようになり、休日に一緒に出掛けるようになり、出逢ってから一年経ったくらいで俺から告白。彼女はそれを快くOKしてくれて、俺たちは恋人同士になった。

 俺たちの付き合いは順調で、少なくとも俺は幸せだった。彼女もそうだったと思う。
 結構頻繁にデートもしていて、そんな中でも彼女は沢山の作品を発表していたから、良くそんな時間があったものだと感心もしていた。
 けれど、俺たちの幸せは長くは続かなかったんだ。

 事件は突然に起きた。
 人気作家として活躍する彼女のストーカーが彼女を襲い、彼女は心と体に大きな傷を負うことになってしまったのだ。
 それは、本当に酷い事件だった。
 犯人は彼女と同じ歳の女で、人気美人作家としての彼女を信仰対象のように思っていたらしい。髪型や服装、持ち物までも彼女に似せていたとも聞き、思わず寒気を感じた。
 スマホの履歴を確認したところ、彼女に悪戯電話や迷惑メールを執拗に送り続けていたこともわかっている。
 犯人の女は、彼女との直接的な接触に至るとそのやり取りの中で逆上し、彼女の顔を傷つけ、ついには殺そうとしたが、彼女に抵抗され殺害を断念。
 その場を逃亡し、そのまま失踪してしまったのだと言う。
 彼女の自宅には遺書が残されており、現在は行方不明だが恐らく死亡しているだろうと言われている。
 女が彼女のファンだったらしいことはその遺書に書かれていたことだ。

 世間ではそれはもう大騒ぎになった。
 それが本当に信者(ファン)の凶行だったのか?
 何故顔を焼いたのか?
 何故犯人は失踪したのか?
 この事件には多くの謎が存在したことも理由だろう。

 こうなってしまうと俺もテレビや雑誌を見ないなんて言ってられなかった。
 彼女だけではなく、俺の周りにもたくさんの報道関係者や記者が押しかけてくるようになったのだ。
 事件の前に彼女の様子で変わったところはなかったのか、だとか、彼女に恨みを持つ人間に心当たりはないのかだとか、こうした世間の人々の無邪気で無遠慮な好奇は、当事者ではない俺の精神ですら激しくすり減らした。
 当事者である、被害者である彼女はどれだけ傷つけられたことだろう。



 当然のことだが、その事件以来彼女は心を閉ざしてしまっている。
 彼女は施設育ちと言う少し特殊な家庭環境もあり、支えてくれる家族がいないと言うのも、彼女にとっての不幸だったと思う。孤児院で仲の良い双子みたいに育ったと言う子も居たらしいが、その子とも連絡は取れなかった。
 だからこそ俺が彼女を支えてやらなきゃって思ったんだ。
 彼女は天涯孤独で、今俺が側にいてやらなきゃ、彼女は自分をひとりぼっちだと思ってしまうかも知れない。
 彼女は決して一人じゃない。
 俺は勿論だが、彼女には彼女の身を案じる本当にたくさんの純粋なファンがいるんだから。
 それを伝えてやりたいと思った。


「私ね、バーナーで顔を焼かれたの。…とてもひどい火傷が残ってしまった。顔中が焼け爛れて…もう二度と、戻らないんだって」

「……」

「美人作家なんて持て囃されていたのに、こんな風になっちゃって…もう何もかもおしまいだよ…」

 彼女は変わってしまった。
 美しかった顔は失われ、顔の全体を隠すマスクを着けて、素顔を決して見せなくなった。
 物静かではあったが明るかった性格も、暗く常に沈んだものに変わった。
 しばらくショックで口も聞けなかったせいか、声も掠れ気味で以前と変わってしまった印象を受けた。

「君が辛い思いをしたのは確かだし、俺がその痛みを代わってあげられないことを悔しく思うよ…」

「……」

「けど、俺は君の外見を好きになった訳じゃないし、君のことを待ってるファンだってそうだ。君の中身や、君が書く作品が好きなんだよ」

「……」

「だから、すぐにじゃなくていい。少しずつでいいから、元気になって欲しいよ。俺も、君のファンも、皆待っているからさ…」

 俺の精一杯の言葉に彼女は小さく頷く。
 マスクに隠されたその表情は見えないが、俯き、小さく肩は震えていて、微かにヒクッ…ヒクッと言う声が漏れていたから、泣いていたんだと思う。
 だから俺は、そんな彼女を安心させたくて、そっと彼女の体を抱き締めた。







 電気も着けない暗い部屋の中。
 女は一人パソコンを操作していた。
 メールボックスの中にある受信メールから、文章ファイルが添付されているメールを一つ、また一つと選択し、削除ボタンを押す。
 まるで、何かの痕跡を消し去ろうとでもするように、ひとつひとつ丁寧に。

 彼女は少し前にこれとほぼ同じ作業をやっていて、だからこそその動きは手慣れていた。一つ違う部分があるとすればその時に開いていたメールボックスは、送信済みフォルダだったことくらいだろう。

 中身が大事って言ってくれたもんね?

 私は"彼女"から中身を返して貰っただけ。
 "彼女"がそれを使って得た、富や名声や、多くのもの。
 それは、私が得るはずだったものでしょう?

 これから先は、これまでの"天才美人作家"ではなく、事件に巻き込まれた"悲劇の天才作家"として生きていけば良い。
 その為なら醜い顔を焼くことなんて、なんの痛みもなかった。



 女は嗤った。
 自分を抱き締めた、自分の恋人だと言う男の胸の中でもそうしていたように。


 
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