飲兵衛女の令和飯タルジア

夜摘

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番外編 限界アラサーと癒しのイタリアンファミレス

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(……限界だ……。……もう無理……。しんど過ぎる……)

 その日、歌織は己の限界を感じていた。
 例えば生理が近くてお腹が痛いだとか、気圧の変動が激しくて何だか頭痛があることだとか、そう言う小さな不調が有ったのは確かだが、それに加えて、職場の同僚が急病で休んだり、その代役として頼んだ新人さんがバックレてしまいシフトに大穴が空き、結果的に仕事量が普段の倍以上に膨れ上がったことだとか……。
 そう言う日に限って、タチの悪い客に絡まれて時間を取られて、定時が過ぎても全然帰れなかったりしたこととか……。
 そんな状況で上司から駆けられた言葉が「頑張ろう!!!」のみで、特に何もフォローして貰えなかったことだとか……。
 歌織は頑張った。
 とにかく一日を終えるべく必死に頑張った。
 結果、仕事を終えた後の歌織はもう身も心もボロボロになり果ててしまったという訳である。

(……つっ……かれた……。……酒……酒飲みた……頭痛い……午後全然休憩取れなかったし、脱水かも……。先にお水飲んで…とりあえず…痛み止め飲んじゃうか? ……いや、ワインが飲みたいな……。……美味しい赤ワインか、サングリアが飲みたい気がする……。……今から笹瀬を誘う?……いや……、あいつも仕事忙しそうだしな……。……それにちょっと眠いな……これはさっさと帰って寝る方が良いか? ……いや、でも……)

 身体の限界と心の限界がせめぎ合う。
 ギシギシと軋む限界メンタルは早急な癒しを求めているし、純粋に疲労した身体は休息を所望している。
 歌織は飲みかけのペットボトルのお茶を飲み干し、帰路を歩きながら思案する。
 電車に乗り込み、さっさと帰宅して眠りについて、明日にでもどこかへ飲みに行くのが一番良いことだとはわかっていた。
 体調をしっかり整えて飲みに行く方が絶対に健全である。
 現に頭痛と眠気が出ているのだから、身体が欲しているのは睡眠だ。

(…………………でも、私は、今、飲みたいんだよ!!!!!!)

 しかし、人間正論だけで生きている訳ではない。
 何が最善手であるかを理解したうえで、そうではない答えを選んだとしても不思議はないだろう。
 歌織は歩いた。
 いつも下りる駅より一つ手前の駅で降りて、駅近の商店街を目指す。
 ドラッグストアーや飲食チェーン店が並ぶ、歌織にとってもちょくちょくお世話になっている商店街だ。
 牛丼屋も天丼屋も居酒屋チェーン店も、おひとり様でもそこそこ入りやすい雰囲気なので、歌織にとっては非常に助かっているそれらの店も今日はスルーして、歌織は一つのビルのエレベーターへと直行する。
 飲食店が数件入ったそのビルの3階を迷わず指先で叩く。
 そこは某有名チェーン店であるイタリアンのファミレスだ。
 時間はすっかり夕食の時間帯で、週末と言うこともあり親子ずれやら若い学生たちで溢れ店内はわいわいと賑やかだ。
 これではすぐ席に座れないかも……と、歌織は一瞬心配したが、小走りに出て来た店員におひとり様ですね~どうぞ~とすぐさま案内して貰えた。

(……広い席はいっぱいみたいだけど、一人席はセーフだったか……良かった良かった…)

 歌織は内心ほっと安堵した。
 気力と執念だけでここまで来たけれど、正直仕事の後で足腰も疲れている。

 ……とは言え、おひとり様用の小さめのテーブルが並んだ区間にあるテーブルもそこそこ埋まっている。
 ラフな格好をした男の子、ちょっとゴスロリっぽいリボンを着けた女の子、サラリーマン風の男性…etcetc。
 そこに、新たにくたびれた服装の自分が加わって、いやあ多彩な顔ぶれだな…なんて考えながら、勝手に彼らにほんのりと親近感を抱きつつ、ふかふかの椅子に腰を下ろし一息ついた。
 席と席の間に簡易的なしきりはあれど、きゅっと狭めの席なので、荷物を隣に置くと、隣に座る人に邪魔かも?なんて思い、歌織は自分のお尻の後ろにバッグと上着を押し込んだ。

(……例の感染症のアレコレで暫く来てなかったけど……今はスマホで注文するんだ……。ほうほう、なるほどね……)

 前回来た時は、紙に自分で番号を書いて店員に渡す形式だった気がする。
 店員に案内された通りに、席に貼られたバーコードをスマホカメラで読み込むと、注文画面が出て来た。

(この店も久しぶりだなぁ……何食べよ。……まずは酒と、すぐに出て来そうなやつ……)

 歌織はメニュー表を開きながら物色を始める。
 少し離れた席では大学生くらいの男の子たちが間違い探しで盛り上がっている。

(……サラダ……も食べたいけど、色々食べたいから、一人だとちょっと重いかな……あ、モッツァレラチーズとミニトマト~~~~~。これは、食べる~~~~~)

(……ほうれん草のソテーも良いな~。野菜不足だし、生野菜より食べられるよね)

(……それと、あとお肉っぽいのが一品くらい欲しいかな……)

 メニューを開きつつ、テーブルの広さを確認する。
 一人用テーブルである。調子に乗って頼みまくって、同時に料理が提供されてしまって置く場所がない…なんてことになったら大変である。
 順番と場所の余裕を考慮しなければならない。

(ポテトも食べたいけど一皿は多いよね…あ、これポテトとチョリソーのセット!? 辛いのも食べたい~~~。これにしよ~~~~)

 ぽちぽちと番号を打ち込んで、お次は本命のワインである。

(グラスワイン1杯90円!!? やっす…!!!!!!?)

(デカンタは…250mlで200円??????? お安っ…!!!!!)

(500mlのデカンタもあるの~~~~!!!!?至れり尽くせり~~~!!!!?)

 一人飯を嗜む者には恐らく標準装備であろう無表情の仮面をかぶりつつも、歌織は感動していた。
 疲れていた心が、そのお安さにぐんぐん癒されているのを感じる。
 安ければいいという訳ではないが、チェーン店の強みと言うのは一定ラインの美味しさが確保されていることである。
 安くてそこそこ美味しい!! それは今の歌織にとって、傷ついた心を暖かく包み込んでくれる羽毛布団がごとき優しさのようなものに感じられた。

(グラスワインで赤と白一杯ずつ頼んじゃう~???? でも、1杯じゃ足りないよね~~~~。さすがに500は多いかな~……。最初は白をデカンタで頼んで、お肉食べる時にグラスで赤とか?あ、デザートワインもあるの?なになにこれ飲んだことないやつかも~)

 ただでさえ疲れているせいで、全然まとまらない思考。

(いやいや焦るな、焦るな。歌織。今日はもう覚悟を決めて来たんだ。ゆっくり楽しもうじゃないか)

 歌織はそんな風に脳内で自分と会話してから、ひとまず白ワインを示す番号をぽつぽちと打ち込んで、フードメニューと一緒にそれを送信した。

 この間、表情はおそらく変わっていない。
 表情筋ももう定時を過ぎたのでお休み中だ。

 周りの席では楽しそうな親子やらカップルやら友達同士でわいわいしている声が聞こえてくるが、不思議と嫉妬や孤独感はない。
 こんなにお安い価格でお酒とおつまみで楽しませて貰えるんですか~~~? という企業努力への感謝しかない。
 送信したメニューの金額を確認して見れば、なんと1000円程度である。
 お酒におつまみを3品頼んで1000円て…。
 疲れ果てていた歌織はすぐさまこの喜びを誰かに伝えたい衝動に駆られたが、突然そんな連絡を受けた相手が困惑することも想像出来たのでそれは自制した。
 今日は一人で楽しむと決めたのである。
 おひとりご飯は決して孤独ではない。
 確かに親しい誰かと美味しいご飯を共にする時間は格別だが、そんな時間を独り占めするというのもまた贅沢なのだ。

 お水とお手拭きをとりにドリンクバーに向かう途中、一人席で食事をするサラリーマン風のおじさまのテーブルにワインの瓶がどーんと置かれているのを目撃して、思わず胸がときめいてしまったりもした。

(一人で!!! 一瓶を……?!!! ボトルキープなんて無いだろうし、一人でこの食事一回で開けてやると言う豪気……!!!)

 ああ、ここは自由なんだな……。
 なんだか感動してしまう。
 グラスワインとデカンタ大と小で悩んでいた自分がいかに小心者だったか……。

(次は私もあれも検討しよ……!)

 おじさまのテーブルに置かれたグラスになみなみに注がれたピンク色に勇気を貰いながら、私は足取り軽く自分の席へと戻った。

 モッツァレラチーズとトマトのみずみずしさと、オリーブオイルの酸味は疲れを癒してくれるようだったし、ほうれん草のソテーも、バターの塩味がしっかり利いたくたくたのほうれん草はおつまみに丁度良い。
 チョリソーのピリ辛具合も、過剰に辛過ぎることもなく、物足りなくもなくていい具合だ。
 コロコロのダイス型のポテトも、見た目が可愛いし、口に放り込みやすいのがなかなかに良い。
 こう言う一人飲みの楽しいところは、完全に自分一人で決めたセットリストであるからこそ、その出来に満足出来た時の満足感がたまらないと言うのがあると思う。

(……うーん……これは、完璧な布陣だった……これだけ完璧で1000円……凄い……美しさすらある……)

 大人になると褒めて貰うと言うことは基本的になくなる。
 仕事と言うのは基本的にやれることが大前提なので、やれなければ怒られるが、やれたところで褒められるということはほとんどない。
 それは仕方のないことだが、そんななかで自己肯定感と言うのを育てるのもなかなか難しいことだと思う。
 だからこそ、こんな風に疲れた夜は、酒と美味しいおつまみで自分をねぎらってやることも必要なんだろうな…と歌織は思った。
 少なくともこの瞬間は、自分はこんなに美味しいものを食べて良い存在なんだ!と自分を肯定できる。
 大げさだと笑う人もいるかも知れないけれど、このファミレスに、企業努力に、確かに救われている存在がいると言うのも確かなのである。

(……末永く繁盛して欲しいな……。うん……)

 歌織は少しばかりお酒で楽しくなりふわふわとし出した意識の中で、そんな風に思いながら、スマホに追加オーダーの数字を入力した。
 1000円程度でこんなに満足できるの~?とか美しく完璧なセットリスト~!なんてものは、その瞬間完結させているので、この瞬間からは次のステージである。

 その後、温玉乗せペペロンチーノとデザートのショコラアイスと食後酒のグラッパまで決めてしまった歌織だったが、もっと甘いお酒を想像していたグラッパが実は40度もあるバッリバリにキツい酒だと知った瞬間、イタリア人は食後にこんなもん飲んでんの!!!!? とハチャメチャにビックリしてしまった。
 それでも、「イタリア人流石だな……」なんて勝手に感服しながら甘いアイスと一緒に胃に流し込んだ経験ですら、ちょっと特別な思い出になったりしたのだった。
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