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本編

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 カリカリ

 羽根ペンが羊皮紙を引っ掻く音が静かな部屋ではよく響いた。

 人権なんて考えのまだ存在し無い世の中で、面子を潰されることはたとえそのような身分でなくとも奴隷に落と何をしてもいい相手扱いされることと大差ない。

 虐げられ、搾取され、最後はゴミと捨てられる。

 自分だけでなく一族丸ごと。

 そして間違いなく領地に住む人々も多種多様な不利益を受けるだろう。

 養子だとしても孤児だとしてもそれらに無関係でいることは出来ない。

 故に、決して舐められてはいけない。

 家庭教師に何度も何度も言い聞かされた言葉だ。

 その進退に多くの人々の命がかかっているのだと。

 私の女神様もまた何度もそのようなことを言っていた。

 今の私は聖職者奉仕する側ではなく貴族奉仕される側なのだと。

 しかし、頑固な私は奉仕するものであることを止めることが出来なかった。

 愛しい人に身を捧げずにはいられなかったのだ。

 生来の基質もあるが、教会に引き取られてからの10年で染み付いた行動はとっくの昔に私の性格となっていた。

 生徒会室でひとり、淡々と仕事を処理していく。あとはハンコのみとなった書類が積み上がる。

 今頃王太子は婚約者と楽しくお茶でもしていることだろう。

 側室二番手よりも正室一番手を優先するのは当然のことだが思うところがない訳では無い。

 心の中が言葉にできないモヤモヤで満たされるが、それを抑える術をアイリーシャは既に聖職者としての修行の結果身につけていた。

 身につけてしまっていた。

 アイリーシャは神に見初められた平民である。非常に勤勉で、日々の祈りを欠かさない。任された仕事は必ずやり遂げる。そんな人間だ。

 アイリーシャは本物の神から直接奇跡を賜った聖女である。

 そんな彼女は侯爵家の養子として王太子の側室になることが決まっていた。

 王家は子供ができにくい上に男子がすくない、継承者である男子を求めて初めから側室を持つことはありふれていた。

 争いを避けるため、正室本命は有力な公爵家から取り、側室スペアは侯爵家か伯爵家からそれも力の小さい家からとるのが慣例だった。

 側室保険というのは旨みが少ないため、見た目のよい平民を養子にして差し出すというのも割とあった。

 アイリーシャの場合は王家が聖女の力を確保することと災害によって没落しつつある王党派の侯爵家の救済のために仕組んだ縁談だった。

 教会で生涯祈りを捧げてすごすのではなく、王家に嫁ぐのは宗教的にどうなのかというとあんまり良くない。

 特に聖女は神の嫁という解釈もあるためあまりいい顔はされなかったが、かといって王家に逆らえるほどの力もなかった。

 初めて会った王太子にアイリーシャが恋に落ちたというのも大きかったように思う。

 この国では教会と王家では王家の方が強い。

 教会の聖職者は人々に寄り添い生きるが、その生き方の関係上、権力と離れてしまっている。

 たとえ聖女が婚約者王太子から奴隷のように扱われてもそこから助ける術はなかった。

 聖女自体が恋に夢中で望んでいなかったし、神はそれもまた経験ときにしていなかったことも大きい。

 聖女は愛するもののすることを阻もうという考えそのものを持つことが出来なかった。

 カリカリ、カリカリ

(寂しいなあ)

 ただそばに居てくれるだけで心満たされるのに。

 孤独な彼女に会いに来る人はいなかった。


 ☆☆☆


 随分と久しぶりに王城に呼ばれた私はいつもと違う部屋密談用の客室に通された。しばらくして王太子だけでなく、侯爵夫妻もやってきた。

 自分と離れた位置に座る2人をみて、これからどんな話をされるのか何となく察した。

 案の定、婚約の解消と養子縁組の解除を告げられた。

 侯爵令嬢と王太子の婚約敵対したらまずい相手との契約、そうそう解消家の面子を潰されるされることは無い。しかし、呼び出しが来る前からずっとから嫌な予感がしていた。どうやら私の面子を潰して侯爵や王太子といったそのほかの面子を守るらしい。

 面子を潰されてきた私は奴隷に落と何をしてもいい相手扱いされたといったところだろう。

 虐げられ、搾取され、最後はゴミと捨てられる。

 今まさに私はゴミと捨てられようとしていた。

 巻き込まれぬよう侯爵が私を見捨てたのは賢明な判断と言える。

 人を人とも思わぬ所業。

 それでも、王太子に嫌われたくない一心で従順に振舞ってしまうのはもはや病気だろう。

 かくして、私の苦い初恋は終わった。
 
 私は教会に戻ることになった。

 その後王太子は即位し、7人の娘に恵まれるもついぞ男子に恵まれず。甥にあたる公爵子息に王位を譲ることになったのが聖女可愛い愛娘を振った王子に対する女神からの嫌がらせであったことは誰にも知られていないことである。

 従順なる聖女がそれを願っただなんて神以外は誰も知らないことなのだ。
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