上 下
2 / 10

1 悲劇は突然に

しおりを挟む
「そういうことだから、お姉さま」

 濃い緑色の瞳に冷たい色を浮かべ、妹は笑った。
 艶やかな口紅が塗られた桃色の唇が、ゆるやかな弧を描く。

「意味が解らないのだけれど、ティナ。お父さまがそうおっしゃったの?」

 ミアの問いに、ティナは薄く笑ったまま答えなかった。
 仕方なく、ミアはティナの隣に座ったヘンリーを見やった。一瞬、視線が絡み合う。しかし、彼は黙って目をそらした。淡い水色の瞳に、いつもの明るさはひとかけらもなく、ただ重い澱みだけがあった。
 ティナはヘンリーの腕に、ほっそりと白い腕を絡ませる。

「お父さまも、お母さまも、みーんな認めてくださったわ。もちろん、ヘンリーもね」

 軽やかな鈴の音のような声に、子供じみた甘えが滲んでいる。ため息をついて目を閉じると、暗闇の中にちかちかと光が散った。

(……疲れたわ)

 ねっとりと絡みつくような倦怠感に襲われ、ミアはゆっくりと目を開ける。
 目の前の腰かけるティナの、スパンコールとレースが散りばめられたドレスをぼんやりと眺める。そして、視線を落とし、自分のドレスを見る。目立つ飾りはどこにもない、地味でさえない着古したドレス。
 深いため息をつく。

「わかったわ」

 ティナの隣でヘンリーが顔を上げたのを、目の端でとらえる。彼の方を一度も見ることなく、ミアは話し続けた。

「つまり、婚約破棄ってわけね」

 ティナが頷いた横で、ヘンリーは一言も口を利かない。されるがままに腕を組まれ、婚約者であるミアを見ようともしない。

 ヘンリーは、有力貴族であるラシェル家の傍系で、幼い頃からミアと親しかった。やっとよちよち歩きが出来るようになるころから、婚約が交わされていた。

同じゆりかごで眠り、同じ乳母の乳を飲み、同じ玩具で遊んだ。

彼への怒りはない。
彼のことをよく知っているのは、間違いなくミアだ。彼がどんな性格をしているのか、知り尽くしているのもミアだ。彼が、ティナの誘いを断り切れなかったことも、父の命令に歯向かうことが出来なかったことも、容易に想像できた。

 ふわふわした栗色の髪に、いつもきらきらとうるんでいる瞳。笑い声は鈴のようで、こぼれる笑みは天使のよう。

 とてもかなわない。
 彼女が持つ美点に及ぶものは、ミアにはひとつとしてない。

―ーだから、仕方ない。

「これで失礼させていただくわ」

 ミアは立ち上がり、裾を翻してドアに向かう。
 胸のうちにくすぶっている感情を、決して面に出さないように。屈辱を押し殺し、震えそうな唇をかみしめる。
 ノブを回し、廊下に出た。
 芯と静まり返ったろうかには、ミアの息遣いだけが響いている。

 大切だから、欲しいのではない。
 ミアのものだから、欲しいのだ。

(あの子は、いつだってそう)

 お姉さまのものだから。
 私にはないものだから。
 ティナは、ずっとそうだった。

 母が死んでから、十二年がたった。
 ずっと、耐えてきた。
 耐えて、耐えて、耐えて―ー。

 その結果が、今自分が置かれている状況だと思ったら、悔しくて悔しくて、気が狂いそうだった。

 奪われてしまった。
 とうとう、婚約者まで。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

彼はもう終わりです。

豆狸
恋愛
悪夢は、終わらせなくてはいけません。

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

妹の事が好きだと冗談を言った王太子殿下。妹は王太子殿下が欲しいと言っていたし、本当に冗談なの?

田太 優
恋愛
婚約者である王太子殿下から妹のことが好きだったと言われ、婚約破棄を告げられた。 受け入れた私に焦ったのか、王太子殿下は冗談だと言った。 妹は昔から王太子殿下の婚約者になりたいと望んでいた。 今でもまだその気持ちがあるようだし、王太子殿下の言葉を信じていいのだろうか。 …そもそも冗談でも言って良いことと悪いことがある。 だから私は婚約破棄を受け入れた。 それなのに必死になる王太子殿下。

私の恋が消えた春

豆狸
恋愛
「愛しているのは、今も昔も君だけだ……」 ──え? 風が運んできた夫の声が耳朶を打ち、私は凍りつきました。 彼の前にいるのは私ではありません。 なろう様でも公開中です。

【完結】愛も信頼も壊れて消えた

miniko
恋愛
「悪女だって噂はどうやら本当だったようね」 王女殿下は私の婚約者の腕にベッタリと絡み付き、嘲笑を浮かべながら私を貶めた。 無表情で吊り目がちな私は、子供の頃から他人に誤解される事が多かった。 だからと言って、悪女呼ばわりされる筋合いなどないのだが・・・。 婚約者は私を庇う事も、王女殿下を振り払うこともせず、困った様な顔をしている。 私は彼の事が好きだった。 優しい人だと思っていた。 だけど───。 彼の態度を見ている内に、私の心の奥で何か大切な物が音を立てて壊れた気がした。 ※感想欄はネタバレ配慮しておりません。ご注意下さい。

婚約破棄されないまま正妃になってしまった令嬢

alunam
恋愛
 婚約破棄はされなかった……そんな必要は無かったから。 既に愛情の無くなった結婚をしても相手は王太子。困る事は無かったから……  愛されない正妃なぞ珍しくもない、愛される側妃がいるから……  そして寵愛を受けた側妃が世継ぎを産み、正妃の座に成り代わろうとするのも珍しい事ではない……それが今、この時に訪れただけ……    これは婚約破棄される事のなかった愛されない正妃。元・辺境伯爵シェリオン家令嬢『フィアル・シェリオン』の知らない所で、周りの奴等が勝手に王家の連中に「ざまぁ!」する話。 ※あらすじですらシリアスが保たない程度の内容、プロット消失からの練り直し試作品、荒唐無稽でもハッピーエンドならいいんじゃい!的なガバガバ設定 それでもよろしければご一読お願い致します。更によろしければ感想・アドバイスなんかも是非是非。全十三話+オマケ一話、一日二回更新でっす!

婚約破棄が成立したので遠慮はやめます

カレイ
恋愛
 婚約破棄を喰らった侯爵令嬢が、それを逆手に遠慮をやめ、思ったことをそのまま口に出していく話。

夫が寵姫に夢中ですので、私は離宮で気ままに暮らします

希猫 ゆうみ
恋愛
王妃フランチェスカは見切りをつけた。 国王である夫ゴドウィンは踊り子上がりの寵姫マルベルに夢中で、先に男児を産ませて寵姫の子を王太子にするとまで嘯いている。 隣国王女であったフランチェスカの莫大な持参金と、結婚による同盟が国を支えてるというのに、恩知らずも甚だしい。 「勝手にやってください。私は離宮で気ままに暮らしますので」

処理中です...