月の目覚めの時

永田 詩織

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3. 異変

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  リイナやソウマ、ゼンのもとで暮らすようになって、数日が経った。
  お陰で、ロベルトも彼らの事に少しだけ詳しくなって、地上の事も少しだけ分かるようになった気がする。それでも、自信を持って言えないのは、山を下りて町へ行く事を禁じられているのと、その手の話をするのが暗黙の内に禁じられているように思えてならないからだった。
「それに…俺、リイナの事がいまだに分からない…」
  彼女はもともと多くの事を自分から語らない方だが、己の事になると尚更そうだった。以前、リイナの瞳がゼンやソウマと違い、自分達“月の民”のそれに近い__いや、むしろ全く同じものに思えて、ソウマにその事を尋ねてみた事があった。けれど、彼は固くなにその理由を語ろうとせず、はぐらかされてしまった。
(__それはな、リイナにとってとても重い問題なんだ。お前は何をと思うかもしれないけど、あいつには大切な事だから…その時が来たら、いつか自分から話すさ)
  その時に言われた言葉を思い出して、ロベルトは口をつぐむ。
  __でも…だけど、それっていつ?
  翡翠色の瞳__それは、魔力を持つ存在、つまり“月の民”である事の証し。昔、そうノルンに教わった事がある。
  ならば、リイナは“月の民”なのだろうか。いや、しかし、彼女は地上で生まれ育ったという。現に、彼女はロベルトの事を最初、月の人と呼んでいた。
  それに、あの黒い髪。あの色は月の国には存在しないもので、つい最近、ロベルトは地上の人間で同じ髪の色をした人物に会った事がある。
「…ジグルド」
  彼は今、どうしているのだろう。それともあの時、ロベルトが手にかけてしまったのだろうか。
  分からない。今の彼には、分からない事が多すぎる。兄の安否。ノルンやヒースの事。国の事。
  __何か、何か一つだけでもいい。どれか一つでも知る事が出来たら…。
  もどかしい気持ちから、焦りが生まれる。
  ロベルトはそれを必死に振り払って、草むらから飛び起きた。
「日も暮れてきた…今日は、もう帰ろう」
  空にうっすらと浮かぶ月を眺めながら、彼は歩き出す。今夜の夕飯はなんだろうと考えながら。彼が願った事が現実となり、事態が大きく動き出すとは、考えもしないで。


「ただい…、っ!?」
  扉を開けたロベルトは、予想もしなかった惨状に目を見開く。
  うつ伏せになって倒れているソウマに駆け寄ると、揺すらないように彼を抱き起こした。
「ソウマ…っ!どうしたんだよっ!?」
「…」
  返事がない。焦りを覚えて彼の口元に手を当てる。
「…良かった。息をしている」
  だが、何故こんな事になったのだろう。リイナやゼンの姿を探して、ロベルトは部屋を見回した。
  その時。
「__ロベルト…?」
  突然背後から声が聞こえて、彼はビクッとした。恐る恐る振り返って、言葉をなくす。
「ロベルト…!」
  強く抱き締められて、ロベルトは呆然としたまま呟く。
「ノルン…?」
  何故、彼がこんなところに。思考が停止したまま立ち尽くしていると、奥の扉が開いて彼はあっと息を呑んだ。
「ヒース…ッ!」
「…!ロベルト、無事だったのか!」
  ヒースはホッとしたような顔になると、不意に顔を曇らせる。
「どうした…あっ!」
  そこでソウマの事を思い出し、慌てて奥の部屋へと走る。
「あっ、ロベルト、そっちは…!」
「二人は、そこでソウマを看ていて!無理に動かしちゃダメだよ!」
  素早く必要な物をかき集め、薬の入った瓶を持って、部屋を飛び出す。
  その時、激しい音が聞こえて、ロベルトは危うく瓶を落としそうになった。
「なんだっ!?ノルン、ヒース、どうしたんだよ!?」
  急いで彼らの元へ駆けつけようとして、ロベルトは絶句する。
  そこには、ノルンとヒース、ソウマともう一人__リイナがいた。彼女はヒースの上に覆い被さって、彼の腕を捻りあげている。
「貴方、ソウマに何をしたの!?」
「いででで!お、俺じゃない…!」
「なら、誰なのよ!」
  リイナが凄まじい勢いで問い詰めていると、近くでノルンが小さく手をあげた。
「…私、です」
  一瞬、沈黙が舞い降りた。
「…え?」


  それから間もなく、ソウマは無事に意識を取り戻した。少し慣れない手つきでロベルトが手当てしていると、ソウマは悲鳴をあげる。
「いててて!」
「ほら、ソウマ、動かないで!いつも自分は痛くしている癖に、なんで自分の時はそうなんだよ」
「いや、良い薬は染みるから…いてて!」
「じゃあ、我慢してよ」
「だってよー…」
  その時、こほんと咳払いして、リイナは散ったノルンとヒースの意識を引き戻す。
「よそ見してないで、きちんと説明して。あれはいったい、どういう事なの」
  厳しい目つきで睨み付けてくるリイナに、ヒースは目を泳がせる。
「どうして…というと」
「原因は幾つかあります。…ですが、その前に」
  ノルンはリイナを品定めするように眺めると、こう続けた。
「ここは、“地上”。それは合っていますか?」
「ええ、そうよ。それにしても、不躾な人ね、人の顔をじろじろと見て。何か言いたい事があるのなら、はっきりと仰って」
「ええ。では、はっきりと言いますが、貴方は本当に“地上”の人間ですか?容貌はともかく、その目__翡翠の瞳は、我々“月の民”特有のものと聞き及んでいますが」
  その言葉に、ロベルトは思わず立ち上がった。
「__ロベルト、平気だから」
「…でも」
  ソウマに肩を押さえられて座り直すものの、不安な気持ちでリイナの方を伺う。それを見たリイナは一つため息をつくと、ロベルトに微笑みかけた。
「大丈夫よ、本当に。そろそろ潮時かと思っていたの。これ以上黙っていても、貴方に悪いしね」
「リイナ…」
  彼女は立ち上がると、彼らに外に出るように促した。ロベルトはソウマに見送られ、ノルンやヒースと共に家を出る。ここから町を一望できる丘に彼らを誘うと、リイナは深く息を吸った。そのまま息を吐き出した時、彼女は語り始める。
「…昔ね、あの町にわたしの家はあったの。といっても、郊外だったけどね」
  父と母とリイナ。それが、彼女の家族で、彼女の全てだったという。
「わたしの一族は、“月の忘れ人”と呼ばれていて…そこから察せられる通り、わたし達は、遥か昔に“月の民”と呼ばれていたわ。けれど、他の人々に害されて、多くの仲間は…この世界から去って。それでも、わたし達は残ったの」
「それって…」
  呆然と呟くロベルトに、リイナは頷く。
「ええ。とても…とてつもなく長く、辛い日々だったわ。あれから、何百人もの同胞が犠牲となった事か。…でもね、それでもまだ、幸せだった。わたし達はただ、辛い生活を強いられていただけだから」
  __けれど、十年前、事件は起きてしまった。きっかけは、ほんの些細な事。いや、人々にとっては大きな事かもしれぬが、その後に起きる事を考えれば、本当に小さい事のように思えた。
「ある日…町の子供が一人、病にかかったの。それは誰も知らない病気で…その子はどんどん衰弱していって、…とうとう死んでしまったわ」
  その日から、同じ病にかかる人が徐々に増えていった。どれだけ医者を呼んでも、彼らが手を尽くしても、全く治療法は分からず、犠牲者は増える一方。
「…けれど、そんなある日。一人の男が言ったのよ。『これは、“月の忘れ人”による呪いだ!昨晩、俺は見たんだ。あいつらが…儀式を行っているのを!』」
「…!」
  それからの事態は言うまでもない。本当に酷いものだったという。リイナの両親も__その犠牲者となった。
「わたしも…危うく殺されかけたんだけどね。本当に危ないところをゼン爺に助けてもらったのよ。それから、父さんの知人だって聞いて…今はここに身を寄せているというわけ」
  最後にそう締め括ると、リイナは言葉をなくしている三人の方を振り返った。
「これで、ご理解頂けたかしら、ノルンさん?わたしのこの瞳の由来」
「…ええ」
「あ…あの、リイナ…」
  ロベルトが声をかけると、彼女は首を横に振った。
「同情なんて要らないわよ。それに貴方達だってわたしと同じ状況なのよ。というより、わたしよりも酷い」
「え…」
「言ったでしょう?貴方がこの地にやってきた時の事。あのお陰で、あの町はおろか、ここら一帯は噂で持ちきりなのよ。『奴らがやって来る。十年前の報復の為に』ってね。奴らが誰なのかは、言わずもがなって感じでしょう?」
  絶句するロベルトから目を逸らすと、今度はノルンとヒースに向けた。
「まあ、こんなわけで、わたしは貴方達“月の民”には良い印象を全く持っていないの。そんなわたしを納得させる理由、きちんと聞かせていただけるわよね?」
  随分と挑発的な発言をするリイナに、彼らは目を見合わす。   それから、ノルンが進み出ると、同じように挑戦的な眼差しを向ける。
「まず一言、貴女のご友人を傷つけてしまった事は詫びましょう。ですが、貴女達地上の人間に悪い印象を持っているのは、私達も同じなのですからね」
  そして、彼はあの時の出来事やその後の事を語り始めた。


  話を聞き終えた時、真っ先に反応したのは、ロベルトだった。
「じゃ、じゃあ、兄様は無事なんだなっ!?」
「ああ。若も陛下も無事だ。だが、先程も言った通り、状況は芳しくない」 
「地上からの刺客が多数入り込んでいるとは…予想もしていませんでした。これでは、いつ反乱を起こされるかも分かりません」
  険しい顔で告げる二人に、ロベルトは顔を曇らせる。
「ちょっとよろしいかしら」
  不意に話に割り込んできたリイナに、三人は一斉に顔を向けた。
「なんでしょうか?」
  代表してノルンが問いかけると、彼女は眉をひそめたまま、ノルンとヒースを指差す。
「それならば、何故貴方達はここへ来たの?いくら地上に月の国の存在が明らかになって不安定とはいえ、次期国王の側近である貴方達が偵察に来る事はないでしょうに」
「それなんだが、少し訳があってな」
「訳?」
  聞き返すロベルトの前に、二人はおもむろに膝をついた。そのまま臣下の礼をとられ、ロベルトは戸惑いの声を漏らす。
「陛下、並びにリウィ殿下より命をうけ、これより貴方様を我が主と致します」
「並びに殿下は、国王陛下から次期国王としての位を賜った。よって、これより先は、我らが警護させていただく」
  呆気にとられるロベルトを他所に、ヒースは懐から出した首飾りを出すと、彼の首に下げさせる。
  それは、国を継ぐ者の証しだった。
「え…っ、え!どういう事!?」
「そのままの意味だ。…これが、最善の策と言われてな」
「兄様…兄様は…っ?兄様が次期国王だろう?なんで、俺が…」
  もしや、兄に何かあったのだろうかと頬を青ざめさせていると、ヒースは首を横に振る。
「正直、俺達にもよく分からない。だが、陛下はリウィ様よりも、ロベルトの方が安全だと仰っていた。…恐らく、今の状況を指すんだろう」
「そんな…」
  それではまるで、兄がどうとでもなって構わないようではないか。ロベルトはノルンとヒースの顔を見上げて、必死に訴える。
「そんなの、ダメだよ!二人とも、早く兄様の元へ戻って。お願いだから…」
「ロベルト…」
  不意に肩を引かれて、彼はハッと振り返った。リイナは首を横に振って、ノルンとヒースの方を目で示す。
  そこでようやく、彼らがどんな顔をしているかに気付く。
  __この二人が気に病まない事なんて、絶対にあり得ないのに…。
  結局、ロベルトは黙って俯く事しか出来なかった。


  *   *


「お。お前ら、戻ったか!どうだった、俺の悲劇?なかなか笑えるだろう?」
  家の扉を開けて一番、ソウマは笑いながらそんな事を言った。けれど、ロベルトが何も答えないので、彼は後から入ってきたリイナの顔を見る。
  リイナは黙ってロベルトを指し、人差し指を口に当てると、何事もなかったかのように答える。
「そういえば、そんな話もあったわね。色々と話していたら、そんな事、すぐに忘れてしまったわ」
「忘れたって…酷い奴だなーお前も」
  その時、再び扉が開いて、ノルンとヒースが入ってきた。と同時に、ロベルトが目に見えてたじろいだので、リイナとソウマは目配せをする。
  ソウマは立ち上がると、ノルン達に近付いた。
「ノルンさん、あれから傷の具合はどうですか?俺、ちゃんと診ていなかったから、後で手当てさせてほしいんですけど…」
「はい、大丈夫です。ありがとうございます。…それよりも、先程は本当にすみませんでした。記憶が混乱していたとはいえ、命の恩人を攻撃してしまうなんて…」
「いえいえ、平気ですよ!俺、丈夫なんで!それに、俺とそっくりの刺客に襲われて、それで目が覚めたら俺がいた、なんて状況なら、仕方ないですよ。ね、ヒースさん」
「ああ…そうだな」
 その隙に、リイナはロベルトに近付いて、彼の腕を掴む。一瞬、怯えて手を引きかける彼に、静かにするように合図をすると、奥の部屋へと向かった。
 そっと扉を閉めて、彼女は改めてロベルトに向き直る。
「…大丈夫、かしら?」
「…」
  ロベルトは黙ったまま、近くにあった長椅子に腰を下ろす。リイナも隣に腰を下ろすと、彼は俯いたまま、深く息を吐き出した。
「…なんで、こんな事になっちゃったんだろう」
「…それは、彼らが来た理由?それとも…」
「たぶん…両方。ノルン達に会いたかったのに、会った途端、その事を後悔しちゃうなんて…笑っちゃうよな」
「…そう」
 それから、どちらも口を閉ざしてしまい、重い沈黙がその場を支配する。
 リイナはしばらく考えるそぶりをすると、ロベルトに問いかけた。
「ねえ、明日、暇…よね、きっと」
「…え?そりゃあ…やる事なんてないけど」
 脈絡のない問いに、ロベルトは戸惑いを見せる。リイナはまた少しだけ考えながら、彼に言った。
「明日…付き合ってほしい事があるの。たぶん、一日かかるわ。もしかしたら、明後日までかかるかも…」
「え…つまり、遠出するって事?」
「そうなるわね」
 すると、ロベルトは少しだけ考え込んで、ハッと顔を上げた。
「…もしかして、俺と君だけ?」
「当たり前よ。ソウマはあの怪我で、まだ動けないんだから。というより、絶対連れて行かない」
「じゃあ…あれ、そういえばゼン爺は?」
「あの人は、放浪癖があるの。だから、今日からしばらく家にはいないわ。むしろ、今までいた事の方が不思議なくらい」
 今思えば、彼がここ数日間家に留まっていたのは、ロベルトの事を案じていたからなのだろう。地上という環境に慣れない彼が、不自由なく暮らせるか。初めは赤の他人同士だったリイナやソウマと、滞りなくやっていけるのか。
 少しおせっかいだとリイナは思うが、そこがゼンの良いところであるとも感じていた。
 不意に、ロベルトが不安そうな表情をして、リイナを見つめる。
「じゃあ…ノルンやヒースは?あの二人はきっと、ダメって言っても、無理矢理ついてくるよ…」
「黙って置いていく」
「…ええっ!?」
 思わずといった様子でロベルトが大きな声をあげる。すると、部屋の外から声が聞こえて、扉が開いた。
「どうしたー、ロベルト?」
「なななんでもないっ」
 ソウマに問いかけられて、彼は物凄い勢いで首を横に振る。
 その姿を見て、内心リイナは呆れていた。
 __それじゃ、何かあるってバレバレじゃないの。
「どうしたんだ、ロベルト?」
 その時、ヒースが顔を覗かせて、たちまちにしてロベルトの様子がおかしくなった。
「あ…えっと」
  それに気付いたヒースが顔を強張らせているのにも気付かず、ロベルトは顔を俯かせる。ヒースは視線を逸らすと、彼に背を向けた。
「いや、いい…なんでもない」
 そうして、そのままヒースは部屋を出ていってしまう。後に残されたロベルトは、一瞬口を開くが、すぐにまた俯いてしまった。
「なんというか…って感じだな」
 不意に肩をすくめたソウマは、リイナに呼びかけてから、扉を開ける。
「俺、ちょっとあの二人に部屋を案内してくるわ。といっても、そんな広くないから、必要ないかもしれないけどさ。リイナ、ちょっと手伝って」
「…手伝うって何を」
「布団とかひかなきゃ。あと、夕飯の支度。この人数じゃ、一人じゃ大変だからさ」
「…分かった」
 渋々承諾して、ソウマに続いて部屋の外に出る。それから、ロベルトの方を振り返って、リイナは声をかけた。
「それじゃ、あの話、考えておいてね」
 けれど、結局、扉を閉めるまで彼が顔を上げる事はなかった。


「…で、あの話って?」
  厨房に来て早々、ソウマはそう切り出す。
「明日、行ってみようかと思うの…彼らが示す場所に」
「ロベルトも一緒にか?お前、この状況を分かって言っているのか。危険だぞ?…第一、あの二人が許すとは思えない」
「分かっているわ…でも、彼には__彼らには、時間が必要だと思うの。だから、ロベルトだけを連れていく」
「…黙って、行くのか」
「…」
  リイナはふいと目を逸らすと、外へと視線をやった。
「…もしかしたら、ね。彼処に辿り着くかもしれないの。彼とよく遊んだあの場所に」
「…!お前…!」
「大丈夫!」
  身を乗り出したソウマを、リイナは大声を出して止める。
「大丈夫…平気よ。あの人が来て、わたし、決心がついたの。前に進む…そう決めたの」
  ソウマは何かを言おうと口を開きかけるが、握り締めたリイナの拳が震えている事に気付き、そのまま何も言わなかった。リイナも外を見つめて、黙ったままだ。
  しばらく沈黙が続いて、ソウマは外を見やった。
  そこには、数日前、ロベルトを含めた三人で食べた林檎の木がそびえている。その光景を思い出して、不意にそこに数年前の姿が重なった。
「…ロベルトって、さ。あいつに似ているよな」
「…ええ」
  それが誰を指すのか、リイナは分かっているようで、問い返しもせずに頷いた。ただ、その時の彼女の表情は何かの痛みを堪えるように歪められていて、それが苦い思い出である事が察せられた。
「だから…連れていくのか」
「違うわ」
  リイナははっきりと否定して、ソウマに向き直る。
「わたしがあの人を連れていくのは、それが必要だと思ったから。あそこは、わたしとあの人と…彼らにとって、深いのある、とても大切な場所だから…」
「…」
  ソウマは黙って、リイナの目を見つめ返した。そこに強い意志が宿っているのを見てとり、彼はフッと笑みを溢す。
「本当に…決めたんだな」
「…ええ」
  ソウマは手を伸ばすと、ぽんとリイナの頭に乗せた。
「お前も、大きくなったからな…。何かに怯えていた、あの頃のリイナはもういないんだな」
「…分からないわ、まだ」
  リイナは目を閉じると、ソウマの手に触れた。温かな体温にホッと息を吐き出しながら、自信がなさそうに肩を落とす。
「今は、まだ大丈夫なの…でも、実際にあの場所に行って、もしくは彼に会ったりしたら、ダメになってしまうかもしれない…」
「それでも、いいさ」
「え…?」
  ソウマはリイナを優しく抱き寄せると、幼子をあやすように背中を叩く。何度もそうされるうちに、気持ちが楽になっていくのを彼女は感じた。
「もし、そうなれば、またここに戻ってくればいい。お前の居場所は、帰ってくる場所は、ちゃんとここにあるんだから」
「ソウマ…」
「泣きたければ、いつでも兄ちゃんが慰めてやる。嬉しい時は、一緒に笑おう。…そうやって、この十年間、暮らしてきただろう?」
  問いかけられて、自然と笑みが溢れるのを感じた。だから、リイナは心の底からの笑顔で答えた。
「うん、兄さん!」


  一人部屋に残されたロベルトは、長い間ずっと俯いたままだった。
  リイナには考えておいてと言われたが、とてもそんな気分になれそうにない。彼女は気分転換になるようにと思って、誘ってくれたのだろう。その気遣いは嬉しく感じたが、今のロベルトにはその余裕すらない。
  __あんなに皆の状況を知りたがっていたのに…いざこうなってみて、やっぱり知らない方が良かったと思うのは、傲慢かな…。
  そう思ってしまう自分が、本当に情けなく感じた。何度目になるか分からないため息をつくと、胸元で揺れる首飾りを手に取る。
  __本来なら、これは兄様の首にかかっていたもの…。兄様は、本当はこの事をどう思っているんだろう…。
  ロベルトは、大好きな兄から王位継承権も、大事な従者さえも奪ってしまった。
  __…そうだ。俺はきっと、兄様に嫌われてしまうのが何よりも怖いんだ。ノルンやヒースに、昔のように接してもらえなくなるのが。
  きっと、彼らはロベルトの事を恨むだろう。いや、もしかしたら、恨み切れずに苦しい思いをするかもしれない。小さい頃から共に過ごしてきたからこそ、ロベルトにはよく分かっていた。__皆に、とても愛されていたと。
  __…でも。時が移ろうように、人も変わる。変わってしまったんだ…俺達…。
  変化は、本当に突然だった。予感もしていなかった。きっと、ノルンやヒースだってそうだろう。だから、心はそう簡単についていってはくれない。この時間は、とても苦痛だった。痛みしかなかった。
  __…今、二人と一緒にいるの、辛いな…。
  そういえばと、リイナに外出を誘われていた事を思い出す。しかも、二人きりで。確かに、今のロベルトには、願ってもみない事だった。
  そこで、彼は思い至る。リイナは、最初からこの為に彼を誘ったのだと。
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